36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

『まさか』のど真ん中(その1)

2019-08-31 13:19:41 | 意識を整える
 
 最近読了した

 「1989年12月29日、日経平均3万8915円」
(近藤駿介、河出書房)

の冒頭の記載を引用します。



 「誰もバブル崩壊が始まっていることに
  気づかなかった。それどころか、
  自分たちがバブルの真っただ中にいること
  すら自覚していなかった。

  バブルの真っただ中にいることに
  気がついていない人間に
  バブル崩壊の足音が聞こえるはずはない。」



この一節が一週間経っても頭を離れません。
日ごろ海外での安全管理について、
いろいろと書いていると、
テロや犯罪に対するリスク管理も
全く同じことが言えるからです。



 自分も危ない目に遭うかもしれない、
という意識を持っていない人に

 「危ないですよ」

と言っても、その声は届かないもの。
これは、海外での安全対策の大切さについて
より多くの人に知ってもらおう、と考えている
Ozakiにとって最大のハードルです。



 今のところ安全管理に関するコンサルティングで
お客様になっていただけるのは
海外で、どのような危険があるのか、
ある程度ご存知の企業様ばかり。
危ないかもしれない、という事実に
気づいていない企業様からは、

 「安全対策にお金をかけるほど余裕はない」

という回答が最も自然な反応です。
必要性を感じていないのですから、当然でしょう。



 ただ、世の中よく言われるように
人生には三つの坂があります。

 絶好調の時の「上り坂」
 調子の悪い時の「下り坂」
 そして思いがけないことが起こる「まさか」

の三つ。



 絶好調の時はいわずもがな、よい時ですね。
調子が悪い時も、それを認識して
家族や仕事の同僚と助け合うことができれば、
下り坂でもなんとかこらえられるでしょう。

 しかしたちが悪いのは三つ目の「まさか」
上り坂だと思って調子に乗っていたら、
全く予期しないトラブルに見舞われる、
ということが人生では起こりえます。
この「まさか」が怖いのは、
下り坂の時と違って、

 「今自分は調子が悪いかもしれない」

ということにすら気づかないまま
トラブルに不意を突かれるためです。



 1989年の年末に最高値を付けた
日経平均株価を見て、当時の野村証券内で
1990年からの相場について

 「割高すぎないか」
 「これ以上顧客に買いを推奨してよいのか」

という声はほとんどなかったとのこと。
むしろ

 「日経平均は3年後、10万円になります」

が1989年の野村証券内運用会議の
〆のセリフだったのだとか。
89年~90年にかけて経済的もしくは政治的な
大きな変化がなかったにも関わらず、
90年に入った瞬間株価は急落し始めます。

 バブルの崩壊が始まった時は業界の殆どが

 「一体全体何が起こっているのだ!?」

とパニック状態だったことがこの本では
克明に描かれています。



 この状態こそ不意打ちを食らった状態。

 「まさか」のど真ん中、

の典型的な事例、
と言えるのではないでしょうか?



(次回に続けます)

『リアル』を生きろ

2019-08-24 17:09:30 | 意識を整える


 先日衝撃的な動画を発見しました。
まずはこちらをご覧ください
(音は出さなくても内容はわかるはずです)



A Magazine Is an iPad That Does Not Work




 アップル社のiPadに批判的と思われる
お母さんがアップロードした動画です。
タイトルを意訳すると

「紙の雑誌はタッチ操作が効かない壊れたiPad」

と言った感じでしょうか。



 
 生まれた時からiPadを触っている赤ちゃんは

 スワイプすれば画面が動く、
 ピンチインするとHome画面に戻る、
 ドラッグするとページが変わる

というのが当たり前だと思っているわけです。

 ところが、印刷された女性ファッション雑誌は
思うとおりに操作できません(当たり前!)。



 この動画を見てOzakiが感じたのは、
どれだけIT機器が便利になったとしても、
人間が現実世界で生きている以上、

 『リアル』な世界、
 五感を活用する経験、
 画面を通さず、肌で感じる実感



を大切にしないといけないのだろうな、
ということでした。



 デジタル化、IT化が進み、
我々の生活のうち、
かなりの部分は画面上だけでも
処理できてしまうようになりました。

 お隣に座っている人ともメールや
チャットアプリでしか「会話」しない、
家族同士が集まっていても、
みなそれぞれがスマホやタブレットを見ている、
という状況もあちこちで常態化していそうです。



 画面を通じた『バーチャル』の世界でも
暮らしていけるとはいえ、物理的に
生体を維持しなければなりませんので、

 食事や排せつ
 睡眠
 出勤(画面見ながらの人も多いですが)
 運動

などは最低限体を使っていると思います。



 Ozakiが懸念するのは、
『バーチャル』な世界が
あまりに身近になりすぎ、
生身の肉体を使う、
『リアル』な世界が、
遠ざかっていないか、という点。



 冒頭お見せした赤ちゃんのように、
画面上で効果のある体の動きは
必ずしも『リアル』な世界では意味をなしません。



 同じように、日常的に我々が画面の上で
行っている行為の大半は、
現実の世界で真の意味での付加価値を生みません。


 発生している問題解決のために
メールをやり取りすることはあっても、
実際に問題を解決するためには、
メールのやりとりの後、『リアル』な
アクションが必要です。


 コンサルティングのような情報提供サービスも
最終的にクライアントの行動が変化し、
さらにその先のお客様が喜ぶ成果がでる、
という『リアル』な世界の変化が生まれなければ
実質的な付加価値とまでは言えません。

 

 現在のビジネスシーンでは、

溜まっている受信メールに返信しただけで、
何となく仕事をした気になる、

必要な情報をインターネット経由で調査して、
データだけまとめて仕事をした気になる、

なんてことは日々の「あるある」でしょう。



 もちろん、それをやらなければ仕事が前に
進まない、というケースはあるでしょうが、
これだけで日々満足しているのであれば、

『リアル』な世界を生きている、
『リアル』な世界で付加価値を生んでいる、

とは言えないのではないでしょうか? 

 
 そう、まるで冒頭映像の赤ちゃんのように
自分はちゃんと行動しているのに、
反応しない『リアル』の方がおかしい、
なんてことを考えていないか。



 あくまで我々が生きているのは
『リアル』な世界が中心のはずです。
どれだけ、技術が進歩しても、
一人一人が生身の体を持ち、
その集合体が人間社会を形作っているならば、
やはり『リアル』な世界を生きている人が
付加価値の源泉になるのだと信じています。


だらしのないベジタリアン

2019-08-17 00:19:01 | 意識を整える



 習慣化の話が続いていますが、
今週もその流れでお話したいと思います。



 何かに取り組むときには、
なによりもその取り組みを習慣化することが、
大きな目標達成の近道です。
ただ、いきなり難易度の高い取り組みを
習慣化しようとしても、

 「三日坊主」

という言葉通り、数日で挫折する、
というのが大方の趨勢でしょう。



 そのため、まずは難易度を下げて、
拍子抜けするくらい簡単な行動から
習慣化していくのがよいのでは?
ということを書いてきました。



 例えば、

 ダイエットが目標なら、
 とりあえず毎日体重計に乗り体重を記録する



 テニスが上手になりたいなら、
 とりあえず毎日ラケットを握る時間を作る



 特定の資格試験に合格したいなら、
 とりあえず毎日テキストの目次を眺める

と言った具合に。



 取り組み初期から
 
 腹筋を日課にしたり、
 週一回のレッスンに参加したり、
 毎日一章ずつ勉強したり、

というのは数日で挫折しがちで

 「習慣」

になる前に取り組みが終わってしまいかねません。



 そのため、習慣が定着するまでは
まずは簡単なことから取り組みを!
というのが尾崎のおススメメソッドです。



 でも、簡単なことですら
ある日忘れてしまったら・・・。
きっちりした性格で、
完璧を追い求める方ほど

 「ああ、自分は意志薄弱だ、ダメなやつだ」

とご自身を責めてしまいがちです。
そしてそれまでの取り組みも含めて、
もうやっても意味がない、とも
考え、取り組みをやめてしまうことも。

 そんな時にヒントになるのが

 長野県の諏訪中央病院名誉委員長であり、
チェルノブイリや東日本大震災の被災者や
イラク戦争被害者救助を続けている
鎌田實さんの言葉かもしれません。

  「〇に近い△を生きる」(ポプラ新書)



という本に以下のような一節がありました。

 「ぼくがおすすめしているのが、
 『だらしのないベジタリアン』。

  どんな人のことかと言うと、
 ベジタリアンですと言って野菜を
 たくさん食べているが、
 焼き肉に人から誘われると断ることができず、
 三人前も四人前も食べてしまうような人。
 本人は、自分をダメな人間だと攻めているが、
 これがなかなかいいのだ。



  ベジタリアンと言っているくらいなので、
 普段から野菜をよく食べる。
 時々、気が弱くて断れずにステーキハウスや
 焼き肉屋に行ってたっぷりと肉を食べてしまう。
 これがちょうど健康にいいのである。



 徹底した何々主義はかえって危険なのです。」



 Ozaki自身もいろいろな取り組みに
挑戦しては習慣化に失敗してきた歴史があります。
ただ、数少ない習慣化の成功体験からも、

 一度や二度習慣が途切れたからと言って、
過度に悲観せずに、また始めればいいのだ、

 ということを知っています。

 まさに「だらしのないベジタリアン」そのもの。

 正真正銘のベジタリアン、
 ストイックに目標達成を追求する完璧主義者、
 ルーチンの塊

のような生活はできなくても構わないのです。

 例外になる日はあるけれども、
原則取り組みを継続しています!



 と言えるものがあれば、それは立派な

 「習慣化された取り組み」

ではないでしょうか?

 
 もちろん目標達成をないがしろにして、
習慣化も日々の取り組みも手を抜いては
意味がありません。
ただ、あまりにも厳格に

 毎日やらねば、
 決めた分量やらねば、
 一日でも欠かしてはならぬ、

と自分自身を縛りすぎても逆効果。
鎌田先生のおっしゃる「ちょうどいい」
なのではないでしょうか。



 のびのびと自分のやりたいことに取り組み、
結果的に多くの人に感謝される生き方を
実践されている鎌田先生のお言葉に
習慣化と目標達成の極意が
潜んでいるのではないか、
と感じたOzakiでした。