36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

面白い取り組みって何?

2020-01-18 17:19:01 | 意識を整える


 小学校の算数や
 小1で習う漢字の書き取り

など

 できて当たり前のことは
どれだけテストですよ、と言われても
挑戦するには値しませんね、
というお話を前回しました。



 できるに決まっていること、
 過去に何度もやってきたこと、
 頼めば誰かにやってもらえること
  

 こんなことに取り組むのは
挑戦でもなんでもありません。
そのため、↑のことで成功しても、失敗しても
大して心や感情は動かないはずです。

 
 読者の皆さんに価値観を押し付けるのは
好みではありません。
が、Ozaki自身の価値観をお伝えするならば
できるとわかっていることを繰り返し
行い続ける退屈な生き方はしたくないのです。

 
 むしろ、

 今の自分がうまくできないこと、
 できるかできないかわからないこと、
 そもそも人生で一度もやったことがないこと、
 
に体当たりし続けることが面白い取り組み
ではないか、と感じるのです。



 想定以上にうまく行けば

 「自分は神なんじゃないか」
(根が謙虚でないことがばれます(汗))

と思ってしまいますし、

 手ひどく失敗した場合は

 「こんなダサいことになってしまうなんて」

とわかりやすく落ち込みます。

  
 正直に申し上げれば失敗は怖いです。
できれば失敗はしたくありません。
そして失敗する格好悪い姿を誰かに見られるのも
できれば避けたいと思っています。



 それでも、

 今の自分がうまくできないこと、
 できるかできないかわからないこと、
 そもそも人生で一度もやったことがないこと、

つまりは失敗におびえる気持ちを抱きかねない
そういう取り組みをしないと喜びは得られない、
というのがOzakiの考え方です。



 失敗を恐れてできることだけやるという選択は
爆発的な喜びを得られるような
面白い取り組みを放棄すること
と言い換えられないでしょうか?

 
 繰り返しますが、これはあくまでOzakiの価値観。
この価値観に従い無邪気に生きてきたので



 獣医師免許を持っているにも使ったことがなく
 証券アナリスト資格は形だけ持っており
 マニアックな安全管理の個人事業を営んでいる

という「こじらせ系」の人生であることを
自覚せざるを得なくなりました。
ただ、自分自身は周期的にやってくる
大きな挑戦とそれを克服した成功体験が
面白くてしょうがない、とも感じています。



 こういった生き方をしていますので、

 今の自分がうまくできないこと、
 できるかできないかわからないこと、
 そもそも人生で一度もやったことがないこと、

に取り組む場合でも自分で痛い目に遭いながら、
成功を目指すという面白い取り組みを
放棄する気にはなれません。

 新しく何かに挑戦する場合、
世の中には確実に自分よりも上手にできる方は
大勢存在しています。
そういう方に教えて頂くことはあっても
自分が挑戦したいことを「丸投げ」する、
という選択肢はありえないのです。
そうしないと挑戦そのものが面白くないですし、
何より自分が経年優化できないことを
理解しているからでしょう。



令和最初のお正月を迎えたタイミング。
せっかくの機会ですので
皆さんにとって

「面白い取り組み」

が何かを考えて頂くなど
皆様に多少の刺激になっていれば幸いです。

できることが分かっている=退屈

2020-01-11 00:08:10 | 意識を整える
 最近Ozakiの娘も学校で漢字や
算数のテストを一人前に受けてきて、
結果を持ち帰ってくるようになりました。



 一般的な公立小学校ですので、
テストと言っても大げさなものではありません。
「上」や「雨」、「千」といった
ごくごく基本的な漢字が書けるか、
繰り上がりの足し算、繰り下がりの引き算が
正しくできるか、といった程度のもの。
大人からすれば間違えようがない、
と言ってもいいくらいのテストです。



 ただ、勉強を始めたばかりの子供にとっては
漢字を思い出せなかったり、計算を間違えたり、
は致し方ない様子。
本人は本気で100点を目指しているので、
100点だった時には喜色満面。
反対に間違いがありやり直しをしたテストでは
真剣に悔しがっています。



 さて、娘のテストを見て感じたことが一つ。
それは自分が同じテストを受けても
ここまで喜んだり悔しがったり、
絶対にしないであろうということです。



 7+4=11

という算数の問題ができるかどうか、
Ozakiにとっては問題外です。

 「いちねんせい」

を漢字を書いてください、と言われて

 「一年生」

と書けないことも想像できません。
ですので、できたからと言って興奮はないですし、
万が一ケアレスミスをしても落胆しないでしょう。



 これはなぜでしょうか?
あまりにも問題が簡単すぎて、
Ozakiにとっては挑戦に値しない
「退屈」なテストだからではないでしょうか?



 水泳の金メダリストに

 「25メートル泳げた、すごいね! 」

というのは失礼以外の何物でもありません。
褒め言葉にすらなりませんよね。

 でも少し前まで顔を水につけることが怖かった
小学生が初めて25メートル泳ぎ切ったら・・・。
その日は興奮で寝付けなくても
仕方がないかなと個人的には思います。



 このような例はいくらでも挙げられます。
人間は当たり前のようにできることについて、
一喜一憂しなくなるのですね。

 この現象を逆手に捉えてみましょう。
本当の意味でドキドキワクワクしたいのであれば



 自分がうまくできないかもしれないこと、
 できるかできないかわからないこと、
 そもそも人生で一度もやったことがないこと、



に挑戦する必要があるのです。

 うっかりミスや何かの勘違い以外で、
失敗しようがないことばかりやっていては、
心の底から喜びを得ることができません。
そういったことばかりやっている、
すなわち本当の意味での挑戦のない人生は
Ozakiにとって「退屈」そのもの。



 生き方を皆さんに強要しようとは
毛頭思っていませんが、
少なくともOzaki自身は「退屈」の少ない人生を
送りたいと願っています。



 そのためにはどうしたらよいのでしょうか?
そう、

 今の自分がうまくできないこと、
 できるかできないかわからないこと、
 そもそも人生で一度もやったことがないこと、

に挑戦し続ける、の一手です。
思うように結果がついてこずに
心底悔しくて寝られない、という日も
もしかしたらあるかもしれません。



 でもそういう想いを一切せずに
心の底から嬉しいと思える日は来るのでしょうか?



 ということで、Ozakiは今年も懲りずに

 うまく行かないなぁ
 自分の能力が足りてないなぁ
 この世の中にはこんな世界もあったのかぁ

といった経験に挑戦し続けたいと思います。
あちこち傷だらけになるかもしれませんが、
個人的にはこういう生き方の方が
「退屈」しないだろうな、と思いますので。