先週は成人の日の祝日がありました。
そのおかげもあって三連休を満喫していたわけですが、
街行く晴れ着姿の新成人を見ていて感じたことを書きたいと思います。
(この記事は2016年1月19日に配信した
メルマガのメインコラムを掲載したものです。
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成人式や新成人を見てのメッセージ、となると
大人としての責任を持て、であるとか
人生これからだから体を大切に、であるとか
常識にとらわれず、自分の可能性を信じろ、であるとか
説教くさい言葉が一般的かもしれません。
Ozaki自身、最近は年のせいか、説教くさい言葉を言う機会も
やや増えてきたという自覚があります。
が、今回お伝えしたいのは説教くさい話ではなく、
むしろ成人式を迎えた世代より少し上の世代、
つまりはOzaki前後の世代の等身大の姿です。
これから年を重ねていく彼らに対して、
実はこういうこともあるんだよ
といったメッセージを書いてみたいと思います。
Ozakiが成人式を迎えたのはもう15年も前ですが、
その時を思い起こしてみると35歳なんてのは
「すっかり一人前でしっかりと世の中を渡っていける人」
なんじゃないか、と考えていたような気がするのです。
具体的に誰かをイメージしていたわけではないですし、
いまでも未熟なOzakiのさらに幼稚な想像の産物ではあるのですが。
同様に、10年前に社会人として本格的に仕事をし始めた時、
10年上の先輩はそれはもう、自分とはレベルの違う仕事ぶりに
毎日愕然としていたものでした。
いつか、こんなふうに何もかも完璧にこなせる日が来るんだろうか?
とかかってくる電話に対応するだけで精一杯の日が懐かしく
思い出されます。
時間を進めて、今の自分を見てみると、
20歳の自分や新人時代の自分が想像していた35歳とは程遠いですね。
毎日仕事のことでも、家族のことでも、
それはもう悩んでばかり、ちっとも一人前になんぞなっていません。
若かりしOzakiの期待と予想を派手に裏切っているわけです(涙)。
ただ、そんなOzakiでも、この15年の歳月が無駄だったか、と
言われるとそうではないな、と感じています。
新成人はもちろんのこと、自分の世代とそしてその間の少し若い世代の
皆さんに、ぜひお伝えしたいことは、
いつだって悩みはなくならないよ、
ということ。
20歳少し前までは
高校でいい成績が取れるのか
気になる異性に好意をもってもらえるのか
志望している大学に入れるか
といったことで悩んでいたでしょうし、
大学生になってみると
今期いくつ単位がとれるのか
やっぱりモテたい
就職活動どうしようか
といったことで悩んでいたでしょうし、
社会人になりたてのころは
どうやったらもっとちゃんと仕事ができるだろうか
結婚できるだろうかand/or誰と結婚しようか
お金を上手に使ったり、貯めたりできるだろうか
といった悩みに変わってきますが、
30代過ぎになっても
どうやったらもっと高いレベルの仕事ができるだろうか
結婚できるだろうか、もしくは子育てをどうしようか
家を買ったり、車を買ったりできるだろうか
親の介護や遺産相続どうすればいいんだ
といった悩みで現在に至る、
のではないでしょうか?
そんなショーモナイことで悩まないよ!(悩んでこなかったよ)
という方もいらっしゃるかもしれませんが、
上記はOzakiの偽らざる悩みの遍歴です。
そしてここ数年で気づいたのですが、
実は悩みというのは人それぞれでありながらも
その時点、その時点で必ず何らかの悩みがあるということです。
Ozakiがまだ未体験ではありますが、
課長レベルは課長レベルで
どうやって部下を管理したらいいんだろう
どうやってマネジメントと自分の作業を両立させればいいのだろうか
独立/転職という選択肢もあるのではないだろうか
子どもがいじめにあわないで学校に行けるだろうか
いよいよ両親が年老いてきて介護が大変だ
といった悩みがあるような気がしますし、
部長レベルは部長レベルで
自分一人ではどうにもならないほど大きい問題の判断に迫られている
役員に向けての競争を勝ち抜けるんだろうか
子どもの就職や結婚はどうなるんだろうか
自分の体も昔のように思うにまかせない
老後の資金計画が本格的に気になってきた
といった悩みが想像できます。
これは役員になっても、社長や理事長になっても続きそうです。
つまり、役職や立場、財産の多寡といったものに関わらず、
人間生きている限り悩みの種は尽きないのではないでしょうか?
Ozakiはこの仮説を悩みの第一法則と名付けたいと思います。
(次回に続けます)