36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

番狂わせの秘密(その2)

2015-03-28 02:04:38 | 意識を整える


 先週はサッカーワールドカップにおける番狂わせを事例に
潜在能力(発揮能力の平均値)と実際の発揮能力の差
についてご説明しました。
Ozakiはスポーツに限らず、仕事の場面でもこういった差が
生じているのではないかと考えています。



 皆さんは毎日仕事をする中で、

 今日は自分が思っていたよりもパフォーマンスがよかったな
 
もしくは

 なんだか気分が乗らず、仕事が進まないまま一日が終わってしまった

というような経験をしたことはありませんか?
Ozakiの勝手な想像ではありますが、皆さんどちらも経験しながら、
これまで仕事に取り組まれているのではないかと思います。



 これはいずれも自分自身の潜在能力とその日の瞬間的な発揮能力の差を
自覚しているからこそ起こる現象だと言えるでしょう。
自分の思っている以上に力が発揮できた日もあれば、
自分が(自分に)期待したよりもうまく行かなかった日もある。
それが毎日仕事をするということだと思います。

 
 さて、こういった経験から何を考えるべきでしょうか?
日々の発揮能力がばらつかないようにする?
もちろんそれは大切な心がけだと思いますが、
世界トップレベルのナショナルチームですら、
ゲームごとに発揮能力がばらつくのです。
バラつきを完全に防ぐことは難しいでしょう。



 Ozakiが理想だと考えるのは自分のイメージよりも発揮能力が
上振れする日を少しずつでも増やしていくという取り組みです。
つまり現在の潜在能力よりも瞬間的な発揮能力が上回る日を
できるだけ多く作るということ。



 潜在能力と発揮能力の差はほんのちょっとした違いで
簡単に生まれてしまうもの。

 プライベートで些細ないいことがあったり、
 ちょっとした思いつきが新しい挑戦につながったり、
 テンポの早い音楽でテンションをあげたり
(人によっては静かな音楽のほうが効果があるかもしれませんが)

こういう時には自分のパフォーマンスが上がるな、と
感じることがあれば、似たような状況を作り出すことは可能なはずです。
そして、本当に自分が思っているよりも首尾よく仕事が進んだなら、
それは自分の能力が発揮できる「条件」の一つを見つけたということに
なるのではないかと思います。



 サッカーや競馬でも理想的な条件が揃えば、
本来の実力が発揮できる可能性は高まりますし、
実力以上の結果を得られるチャンスも生まれます。

 仕事においても自分の能力が発揮しやすい条件、
言い換えれば「自分の土俵」「勝ちパターン」に持ち込む方法を
発見できれば、発揮能力は上振れするはずですよね。
そして、発揮能力が(自分が思う)潜在能力よりも大きいのであれば、
自分自身はちょっと難しいかな、と感じるような仕事でも
時には「番狂わせ」によって目標を達成してしまうことも可能なはずです。



 そうやってブレを許容しつつも、発揮能力のピークを高めるための
努力を続けているとどうなるでしょうか?
自分自身の潜在能力は長期的な発揮能力の平均値と仮定するならば、
日々の発揮能力が高まれば、必然的に潜在能力はあがって来るはずです。
つまり、自分自身の「素」の実力が後からついてくるということですね。



 仕事においては目に見える形で自分の能力を評価することは難しいですが、
毎日の仕事の中で、

 どうすれば、自分の能力が最も発揮できるのか
 どうすれば、自分自身の能力が生きる仕事の仕方ができるのか
 どうすれば、発揮能力が高い状態を続けられるのか

と考え、挑戦し続ければその人の長期的な能力は知らず知らずのうちに
勝手に伸びていくのではないかと思います。
実力が伸びれば、当然「番狂わせ」で倒せる相手のレベル、
すなわち対応可能な仕事のレベルもあがります。

 「番狂わせ」をどうやれば起こせるだろうか?
上手くいかないことも多いでしょうが、こうした考えを持つか
持たないか、では成長曲線の角度はきっと変わってくるのだろうな、
Ozakiはそんな風に感じます。

番狂わせの秘密(その1)

2015-03-21 00:24:46 | 意識を整える


 今週もサッカーワールドカップを見ていて感じたことから。
(2014年6月、ブラジルW杯中に配信したメルマガのメインコラムです)
今回のワールドカップではスペインやイングランドといった
ヨーロッパのサッカー強豪国が次々に敗退し、番狂わせが起こっています。

 スペインは前回大会の優勝チーム、
イングランドはサッカー発祥の地でもあり、
予選リーグ敗退はなんと56年ぶりとのこと。
この2チームが決勝トーナメントに進めないという事実だけでも、
番狂わせが続いていると言えるでしょう。
この2チーム以外にもポルトガルやイタリアといった
サッカーファンにはおなじみの国も苦戦している様子です。

 その一方で、躍進が目立つのは開催地ブラジルに近い中南米勢。
↑で挙げたような苦杯をなめている欧州勢を次々と撃破しています。



 なぜこういった番狂わせが起こるのでしょうか?
もし、番狂わせの秘密がわかるのであれば、

自分自身が優位の場合、思いがけず足元をすくわれずに済むはずですし、
自分自身が劣位の場合、強大な相手と対峙した際に金星を狙えます。

 100%これだ!というものを説明するのはなかなか難しいと思いますが、
(もし完全に説明できてしまうのであれば、
 それはもはや番狂わせではないですよね)
一つ確実に当てはまるな、と尾崎が感じるのは

 コンディションやメンタルによる潜在能力と発揮能力の差

が思いがけない逆転生むという点です。



 例えばスペインと日本の代表チームの潜在能力を仮に表現するとして、
100段階のうちスペインが70、日本が55くらいだとしましょう。
普通に潜在能力だけを比較すればスペインのほうが優勢です。

 しかしながら、いかにスペイン代表チームとはいえ、
常に70の能力が発揮できるわけではありません。
条件、状況によっては60しか力が出ない時もあるでしょうし、
歯車がうまくかみ合うと芸術的なサッカーで80の力を発揮する、
そんなこともあるでしょう。
つまり単純化するとスペインは最低60、最高80、
平均すると70くらいの力を発揮できると言えます。

 同じように日本の発揮能力は最低40~最高70のレンジだと仮定します。
平均値は55ですが、スペインよりもバラつきが大きいイメージです。



 例えば
 スペインの主力メンバーがケガで出場できない、
 日本国内のスタジアムで試合を行う、
 しかもスケジュールの都合上日本到着翌日に試合を行う、

といった悪条件が重なればスペインは60に近い能力しか発揮できない一方で、
日本代表は潜在能力の55よりも上、60、65、70あたりの力が出せる、
そんなことも理論上あり得るということになります。



 サッカーというスポーツは面白いもので、
どんなに素晴らしいプレーを連発しても、相手よりもゴールの数が
少なければあっさりと負けてしまうという性質があります。
言葉を換えれば、潜在能力が高くともその試合中の発揮能力が芳しくなければ、
勝てないのがサッカーというもの。
潜在能力で劣る日本代表が好条件に恵まれて65の力を発揮し、
スペイン代表チームが悪条件もあって最低の60の力しか発揮できなければ
日本代表がスペイン代表に勝利することも可能ということになりますね。

 Ozakiはこの潜在能力(=長期的な発揮能力の平均値)と
その瞬間の発揮能力の差が生じることが、
番狂わせの大きな要素ではないかと考えています。
尾崎の専門分野である競馬はまさにこの「差」こそが
大穴馬券の根源となっているというのも根拠の一つです。

 さて、この潜在能力(発揮能力の平均値)と実際の発揮能力の差は
スポーツに限らず仕事の場面でも生じているのではないかと感じます。

 (次回に続けます)

仕事で大切なことはすべてサッカーの試合で学べる

2015-03-14 01:26:09 | 仕事術

 いよいよサッカーW杯が始まりました。

(このコラムは2014年6月17日に配信したメルマガの
メインコラムバックナンバーです。
メルマガ本編購読ご希望の方はこちらから登録お願いします)


日本代表は残念ながら初戦を落としてしまいましたが、
残り二試合で決勝トーナメント出場目指して頑張ってほしいところ。

 せっかくサッカーで世界的に盛り上がっているタイミングですので、
サッカーに絡めたコラムをお届けしたいと思います。



 サッカーの試合を見ていていつも感じるのは、



 相手ゴールに向かってパスを出し、
 相手陣内に全力疾走を繰り返し、
 何とかゴールを奪うべくシュートをうつ、



愚直なまでのこの繰り返しが初めて貴重な得点を生むということです。
日本代表のサッカー選手たちであっても、
もしくはもっと上手なドイツや、ブラジル、オランダの選手であっても、

 百発百中でパスが成功する
 走れば必ずディフェンダーを振り切れる
 シュートを打てば必ず得点につながる

などということは絶対にありません。
相手の動きを踏まえながらも自分たちができる最良の動きを繰り返す。
ある時は自分たちのプレーのどこかでミスが出たり、
連携がうまくかみ合わなかったりするでしょう。
またある時は相手のディフェンダーやキーパーの素晴らしいプレーが
自分たちのベストのパフォーマンスを邪魔することもあるでしょう。

 それでも、プロのサッカー選手たちは繰り返し繰り返し
得点を取るという目的のために相手ゴールに向かって
同じような取り組みを続けるのです。



 これらは我々が日々行っている仕事とほぼ同じ構図ではないでしょうか?
我々ができるのは自分にできる最良の仕事をして他部署に引き継ぎ、
同僚や他部署の最良の仕事を引き出すために全力で下準備をし、、
チームとして、契約や成果(得点)を得るために全力を尽くす。

 サッカーで良いパスが来ても必ずしも得点につながらないように、
仕事でも自分たちが良い仕事をしただけでは、
必ずしも成果につながらない こともあると思います。
しかし、全力で、よい仕事を続けているうちに、
すぐに上手くいかない場合でもやがて気運が高まり、
周囲の環境とうまくかみ合うこともあります。



 一度や二度失敗をしたからと言って
失敗を恐れ、慎重になりすぎてしまってはチームは機能しなくなります。
一度失敗したからと言って臆病になるのではなく、
同じようなチャレンジを現状打破できるまで根気強くやり続ける。
そしてチームとして最高の連携が実現できるまで頑張りとおす。

 サッカーでも仕事でも、最高の結果(得点)を得るためには
日々泥臭い努力を積み重ねつつ、ズバッとすべてがうまくいく瞬間を待つ、
そういったことが一番大切なのではないでしょうか?

価値観はひっくり返る

2015-03-07 02:05:45 | 意識を整える


 NHKの某番組で任天堂のファミリーコンピュータ用に発売された
ゲームソフトをすべて集めたコレクターの方が紹介されていました。
さぞや「ファミコン」世代のど真ん中の方かと思ったのですが、
意外や意外、登場したのはどう見てもOzakiよりも年下の女性。

 
 番組の中では18歳で上京して寂しさを紛らわせるために
レトロゲームにはまっていったとコメントされていました。
今では「ファミコン」の全ソフトを収集するだけにとどまらず、
様々なレトロゲーム(携帯デジタルゲームの初期のモノなど)を
大量に所有しているのだとか。

 また、彼女の凄いところは集めたゲームを自宅の一部で公開し、
自由に遊んでもらうことによって地域のコミュニティセンターとして
機能させているところ。
自宅周辺の子供たちはもちろん、海外からもお客さんがきて
ゲームはもちろん、ゲーム愛好家同士で交流を深めるのだとか。

 番組の中で爆笑問題の太田光さんは

 「昔はファミコンのせいで子供同士の交流がなくなった、
 って言われてたんだよ。
 それが、こうやってファミコンを介して人と人との交流が
 取り上げられるってのが面白いよなぁ。
 価値観が変わっちゃってるんだよ」

という趣旨のコメントを発していました。



 これを聞いてOzakiも確かにそうだなぁと膝を打ちました。
今の時代先進国ではスマートフォンが普及し、特に日本では
電車の中でみな自分のスマホ画面を凝視している、といったことも日常です。
ゲームがオンラインでできるようになると、面と向かって他人と交流する
ということも少なくなっているのかもしれません。
(Ozaki自身はオンラインゲームをやったことがないのでなんとも言えませんが)

 
 逆にゲーム初期のファミコンの場合、同じゲームをやっていますが、
数人で同じTV画面を観ながら

 「ああでもない、こうでもない」
 「うわー、やった!」
 「あー、だめだ~!!」

などと言葉を交わしながらゲームが進んでいくことになります。
Ozakiが小学生のころは「ドラゴンクエスト」という
ロールプレイイングゲーム(RPG)が全盛期でしたが、
いまでも同級生と一緒に集まってプレイしたり、
お互い自分がどこまで進んだかを自慢し合ったり、
そんな思い出がよみがえってきます。
今思えば、一人用のゲームであるにも関わらず、同級生とみんなで
やっていたというのはゲームを軸に交流が生まれていたということですね。



 太田さんがおっしゃるように、ゲームに親しみのない世代からすると
例えば竹馬であるとか、ゴムとびであるとか、メンコであるとか、
実際にみんなで体を使って遊ばないという姿が

 「ゲームは子供同士の交流の妨げになる」

という思いにつながっていたのかもしれません。
それが、オンラインゲーム、スマホゲームが主流になるにつれ
レトロゲームを介して人と人との直接の交流が生まれると言われるのですから、
興味深いところです。



 ファミコンが発売されてから今年で31年。
たった30年で、それも大きく国家の根幹が揺らぐような事態がないにも関わらず
価値観が大きく逆転している点は注目に値します。
30年と言えば、一人の人生の約3分の1と言い換えることができますので、
一人の人間が生きている間に3回世の中の価値観が変わりうるということです。



 実際に価値観が変わったなぁと、ぱっと思いつく直近の事例を挙げれば


 それまで「良かれ」とされてきた安い食品が
不祥事や異物混入事件などで、高価格でも安心な食品に人気が移った。

 それまで「良かれ」とされてきた自由主義経済や利益追求型経営が
リーマン・ショックを境に急激に規制が進められることになった

 それまで「良かれ」とされてきた終身雇用制度が
バブル後の不況期には時代遅れとされ、多様な雇用形態が生まれた。

 それまで東大生の多くは省庁に就職していたにも関わらず、
最近では外資系の会社もしくはコンサルタントファームが多くなった。

といったところでしょうか?

 こういった価値観の転換が繰り返されて社会が進んでいくのだと仮定すると、
今後、自分たちが生きていく社会はどのような価値観が軸になるのだろうか、
そんなことを考えるヒントが得られるかもしれませんね。

 
 例えば、30年前に「悪いもの」とされていたものが
間もなく再評価され始めるかもしれませんし、
今良いものとされている技術、サービスが社会の活力を奪ったとして、
30年後の社会からは糾弾されるかもしれません。



 今世の中でもてはやされているものが必ずしも将来にわたって
評価され続けるわけではないということ、

 また、

 今世の中で諸悪の根源のように扱われているものが将来も
叩かれ続けるわけではないということ、



 この二つの事実を忘れないように生きていきたいと感じるOzakiです。
温故知新という言葉があるように、過去の価値観が現代に蘇ることもあれば
盛者必衰という言葉があるように、未来の価値観は現代と同じではないでしょう。



 近視眼的に最新の価値観を追うのではなく、長い目でみて
さまざまなモノ、サービス、技術、がどのように評価されていくのか、
その上で、自分の人生をどう生きていくのかを考えてみる。
そういった思考実験をすることもまた生きる楽しみかもしれませんね。

 少しカジュアルな事例からOzakiなりに考えを進めた結果を
コラムの形にまとめてみました。