36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

情報の海を泳ぎ切る(その3)

2011-10-29 18:35:03 | 仕事術
 前回までは、

 情報はいつでも手に入る時代になったのだから入口を知っていれば必要な時に取りに行けばよい。
 取りに行くための鍵を手に入れるために、常日頃から体で情報を集めよう。

そういうお話をしてきました。



 情報シリーズ最終回は鍵を忘れないためのOzaki流記憶術をご紹介したいと思います。

 まずはすでにご紹介したとおりメモ。
Ozakiの家にはとにかく片面印刷済みのメモ用紙がたくさんあります。
(役員室に異動になってからは毎日役員用の新聞切り抜きが大量に広報室から送られてくるためより入手しやすくなりました。)
また、外出している時でも左ポケットにはハンディタイプのメモ用紙ホルダーを携帯しています。
今日からは言葉の断片をメモするだけでなく、絵や頭の中のイメージを整理するためのメモ用紙ホルダーも導入しました。

 メモを取る癖をつけると、記録に残るという利点だけでなく、メモを書こうとするたびに過去のメモを何度も読むことになり、忘れにくいという利点もあります。

 人間なんでも復習せずほっておくと記憶しておくべきことでも忘れちゃいますよね。
思いつきを忘れてしまうことなんか当たり前。
Ozakiも思いついたことを忘れてしまって「あーあれ、なんだったかなぁ。めちゃくちゃいいこと思いついたのに・・・」と後悔することが未だにあります。

 忘れることが当たり前だからこそ、基本に戻ってメモを取る。
取ったメモを折にふれて見直すことで記憶に刻みつけていくそういう習慣づけを心がけています。



 二つ目はワンフレーズ記憶法。
これはおそらく中学受験時代からのOzakiの記憶法だと思います。 この道20年以上(笑)
文字通り何かと何かをワンフレーズで結び付けていくもの。
ワンフレーズですから定義をそのまま覚えたり、公式を導く過程を覚えたりなんぞしません。

「◎◎と言えば××!」

をただひたすらに覚えるのです。
 そして、上のフレーズに続いて「××と言えば△△!」というのもワンフレーズ記憶術。
つまり「◎◎」という言葉を聞いたらああ、それは××がキーワードだったな、そして××と言えば△△が代表例だよな。
と連想ゲームのワンフレーズ記憶術を連続していくことができるようになればしめたもの。

 どこかで連想ゲームが止まるでしょうけど、その先はグーグルでもウィキペディアでも辞書でもなんでも調べればよいのです。
時々周囲の方に記憶力がいい、と驚かれるのですが、Ozakiの『記憶力』とはこのワンフレーズを長期間覚え続けられることとその場のハッタリで実際はワンフレーズしか知らないのに話を合わせてしまうことに由来しています(笑)

 最後に実際に経験してみること。
実際に体験したこととヴァーチャルで体験したことの記憶の残り方って違いませんか?
自分以外の体験を体感したことがないので(当たり前)わからないのですが、Ozakiの場合長期的に残る記憶とは自分が目で見た映像です。文字をそのまま覚えるのではなく、動画に変換して記憶することができれば忘れないように思います。


 では動画に変換するためにはどうしたらいいか?
自分が実際に経験してみればよいのだと思います。

Ozakiの競馬好きは有名な話だと思いますが、思い入れの深い競馬のレースであっても何年の勝ち馬は?と言われたって思いだせません。

それは単なる文字情報でしかないからです。
○年の■■賞で△△がm分s秒dで勝って二着は▼▼。配当金は□□円!
と言われても覚えられません。
Ozakiがこうなのですから、競馬に興味がない人にとってはもっと覚えられないんじゃいかと感じています。
(現実の世界では心底好きではないことも含めて覚えておかなければならないですよね)

そこでOzakiは文字情報よりも

武幸四郎(武豊騎手の弟)が勝利ジョッキーインタビューで一言目に「僕結膜炎なんです」と言った時の秋華賞と言えば…

 あーあのぐっちゃぐちゃな流れの中でティコティコタック号が外からぶちぬけて大穴が出た時のレースだね!

とワンフレーズ記憶術ならぬワンシチュエーション記憶術に変換して覚えています。
(具体例が非常に悪い気がしますが、Ozakiの頭の中を素直に紹介するという意味で自然体の例を挙げています)

 そして、できれば体験する以上は真剣に考えながら取り組むようにすると記憶の定着度が上がる気がします。
真剣に取り組むからこそ、実際に体験するまでの葛藤や悩みも体の中に刻み込まれますし、長期的に記憶に残ります。



 Ozakiにとっては当たり前のこと、日常的に取り組んでいることではあるのですが、皆さんにとってはどのように感じるのでしょうか?

つらつらと書いて気づけばこのメルマガも二か月以上続いてきました。(注:2009年7月当時。現在はメルマガ発行から2年経過しています)
Ozakiの頭の中を紹介することによって皆さんが一つでも二つでも面白い、そう思えるものがあればいいなぁと思います。
また、もう一歩踏み込んで、こういうことはやったことがなかった、これは取り組もうと思う!と言っていただけることがあればとってもうれしいです。

 あくまで自然体で、自分の考え方、やり方を紹介しながら、自分自身も成長して、皆さんも時々笑って、時々驚き、時々納得してもらうそんなスタイルで続けてまいります。

情報の海を泳ぎ切る(その2)」

2011-10-25 01:42:27 | 仕事術
 前回は情報そのものを記憶するのではなく、必要なときに必要な情報にアクセスできる鍵を持とう!というお話でした。
今回は必要な情報と必要でない情報の違いはなんだろう?という疑問からスタートしたいと思います。

 前回もお伝えしたとおり現代の日本人は江戸時代の日本人に比べて20000倍以上の情報を浴びて暮らしているそうです。
当然、その中には自分が知っておくべき情報もあれば、知らなくてよい(気にするだけ時間の無駄)情報もあるでしょう。
でも(おそらく)知らなくてよい情報はこれです!と決まっているわけではないと思うのです。



 その時、その場所でその人が知らなくてもいい情報というのはあると思いますが、

ひょっとしたら・・・明日必要になるかもしれない
ひょっとしたら・・・あなたの隣に座っている人が喉から手が出るほど欲しがっているかもしれない
ひょっとしたら・・・今は知らないけれども自分が別の立場になったときにものすごく大切だ!と思うかもしれない

 そんなことがきっとあるんだろうなと感じるわけです。



 つまり情報には出会うべき時、出会うべき場所、出会うべき人というものがあるんだということ。
別の言い方をすれば最初から「無駄な情報」といったものはなくて、あるのは出会うタイミングとそのタイミングをつかむ人なのではないでしょうか?
「ソムリエ」という漫画がありますが(テレビドラマ化もされているようですね)その中で主人公のソムリエが

「悪いワインというのはありません。ワインが最高に輝く時に出会えるかどうか、それがワインとの縁です」
(この通りのセリフではないのですが記憶をたどりながら書いております…。
 知ってる方訂正連絡と謝罪要求をください、汗)

というニュアンスの言葉を発するんですね。

 Ozakiはこの言葉が情報にもあてはまるように思います。
「根本的に無駄な情報というものはありません。情報が生かせるときに出会うかどうか、それが情報との縁です」
という風に。

ただし、ワインと違って情報は腐ったりはしませんよね。
(過去の情報であったとしてもその過去の情報の蓄積が歴史になるのです)

 ここで前回の話に戻します。
情報を生かせるかどうかは自分のその時の状況に左右されます。
ただし、その生かせる状況にあるにも関わらず生かすべき情報を知らなかったらどうなるでしょうか?
そういった状況を回避し、生かすべき状況、生かすべき時が来たら自分が持てる情報が輝きを放てるようとにかくいろんな情報に自らをさらしておく。

 情報のすべてをコントロールできない現代はこういう発想が必要なのではないか。
Ozakiはそう思うようになったのです。


(さらに続きます)

情報の海を泳ぎ切る(その1)

2011-10-15 23:43:45 | 仕事術
 
 今回からは同期A君リクエストのテーマで「どのようにOzakiが情報をさばいているか」を書いてみたいと思います。

 まず第一回目はOzakiが情報をどのように意識して日々暮らしているかをお伝えします。 
情報と一口にいっても現代はいろんなものが情報という形で我々に到着する毎日ですよね。
どこかで読んだ話ですが、

「今の日本人は江戸時代の日本人が一生かけて得る情報を一日で浴びている」

そうです。
当時の平均寿命をざっくり60年とすると平均して一日で得る情報量がなんと20,000倍以上!
人間そのものの姿形、脳のキャパシティはそれほど変わっていない(はず)のでこれはもう衝撃的な出来事です。

 この情報の嵐、情報の爆発に耐えること、そしてその中から自分に役立つ情報を見つけ出すのは大変なことではないでしょうか?
もう役立つ情報を見つけることが生きることの意味になってもおかしくない、そんな時代だと考えています。

 そこで逆説的ですが、尾崎はOzakiそのものに意味はないと考えるようにしています。
情報そのものに意味はないので、降りかかってくる情報を全部覚えたり、読んだりする必要はない。
記憶している情報(=知識)の量ではなく、「情報に触れた」という事実そのものに重点を置こうと。

 情報化社会とはすなわち、自分が記憶していなくても欲しい情報が手に入る状況であるということ。
それなのであれば、核になる自分の知識、発想、意見があれば枝葉はそのつど入手すればいいのではないか?
入手するために、どのサイト、どの本、どの人にコンタクトすればいいか、過去情報に触れた実績さえあればわかるはずだ!
そういう発想です。
言い換えれば、文字そのものよりも見た、聞いた、触った、味わった、感じた、そういう記憶を通じて正確ではないけれどもきっかけを残していくことで情報の再入手の入口を作っておく。

これがOzakiの情報収集術です。
 
 このように考えているOzakiにとって本や新聞やまして分厚い報告書の類、無数にあるHPなどは読むものではなく「見る」ものです。
初めて見るときには内容まではほとんど覚えていません(笑)
(だから初めて会う人の顔と名前を覚えられないかもしれませんね…)
とにかく目を通して「読んだ」ということを脳にインプットする、こうすることによってあとから「そういえばあの本にこんなこと載ってなかったかな?」というときに調べるきっかけになるのです。

じっくり読むのは情報を本当に必要としている時でいい、そう感じるのです。



 また、この発想があるからこそ、Ozakiがよく「生き急いでいる」といわれる所以であろう、経験を先取りする意欲につながるのではないかなとも考えています。というのも↑の考え方に基づくとさまざま情報にいち早く触れることで、その情報に関連するより詳細な情報が次々と入ってくる、情報収集の新たな核になるからです。

情報そのものに意味があるのではなく、情報が鍵を開けてくれる扉の向こうにより意義深い体験が待っています。
だからこそ、より多くの有意義な情報をつかむためにもいち早くたくさんの鍵をつかんでたくさんの扉を出入りできるようにする。

 そのためにOzakiは情報を集め、経験を積んでいる、そういう気がします。



(次回に続きます。)

時間に追われるか、時間を追いかけるか(その5)」

2011-10-10 17:05:02 | 仕事術

 時間シリーズの最終回です。
Ozakiが本や他人から学び、そして自らやってみてこれは!と思ったもの、
自分で思いついたもののうち今でも続いているものをご紹介します。

 単純なリストアップですので皆さんもまずやってみてはいかがでしょうか?
時間術については「手帳をフル活用せよ!」という本もあれば「手帳は持つな!」という本もあり、十人十色です。
今までよりも効率的だけど、ちょっと居心地がわるいなというやり方もあるでしょう。
自分自身に一番合うやり方を試行錯誤しながら見つけるというのが我々若手世代に必要な取組みなのかもしれません。



 1.思いついたこと、興味があることは考える前にまずやってみる。  
 ⇒「実体験」に勝る財産はない。うまくいかない場合でもあれこれ考えることで貴重な学びがその瞬間から生まれる。


 2.思いついたことは必ずメモを取る。またメモが取れる環境を確保する。
 ⇒人間は忘れる生き物。無意識のうちにも脳は考えているので、メモ帳を持って考えるぞ!というとき以外のひらめきも拾おう!


 3.何か始めるときには今すぐやらざるを得ない状況に追い込む。
 ⇒他人に「これをはじめた」と宣言する、入門セットや教科書、参考書を買ってみる、旅行であればチケットの購入から・・・。
  忙しくなってくると人間は(Ozakiだけかもしれませんが・・汗)できない言い訳を考え始めます。
できない言い訳を考える暇を与えずにやらざるを得ない方向に自分を誘導してあげるやりかたです。


 4.心にはつねに「思ったら言え、言ったらやれ」を
 ⇒暗示です(笑)



ここからは早く帰るためのティップス。

 5.一つのアクションが終わったら次のアクションの下準備をしておく。
 ⇒会議のセッティングを終えたら議事録のフォーマットは準備しておく。
 
 例えば・・・。  

  参加者や開催時間の欄に参加予定者、開催予定時刻を入れておく
  議題の見出しは最初から記載しておく
  結論も(たいてい落ち着くところに落ち着くので)書いておく
  議事録をチェックしてもらう必要がある参加者のアドレスと本文を事前に入力してメールソフトの「ドラフト」に保存しておく。議事録本文を添付して、送信ボタンを押せば送れる状態にしておく)
 
 これだけでかなり時間の短縮になります。
 特に議事録などは時間が経つにつれて会議の内容が思い出せなくなりますから、必ず会議の当日に書ききることをオススメします。 (Ozakiは↑のメールドラフトで必ず「本日は」ご足労いただきありがとうございましたと書き始めていました。3.と5.のあわせ技ですね)


 6.急な依頼事項ほど「瞬殺」する。
 ⇒組織で仕事をしていると、自分が何かの仕事をしている途中に依頼事項が挟まってくることがあります。
  そういった場合はよっぽどどうでもいい(笑)こと以外すぐに片付けてしまうこと。
  依頼者側の信頼も勝ち取れますし、なにより依頼されたこと=本来は自分の業務でないことは忘れやすいので。
  自分の上司や同僚の癖がわかっていれば周囲の会話を聞いて次のアクションの下準備をしておくというのもよいと思います。
  ↑5.の変形版ですね。
  これができるようになるともちろん「空振り」も時にはありますが、「あ、それは既にやってありますよ」というせりふが増えてきます。

  Ozakiにとっては「やっておきましたよ」「(さりげなくプリントアウトしながら)これですね!」というせりふを言うときに万馬券を取ったような感覚になります(笑)


 7.帰る時間を事前に設定する+そのために18:00開始や18:30開始のプライベートスケジュールを先に入れる。
 ⇒不思議なもので、人間やればできることが多いのです(笑)。
  今日は何時に帰る!と決めて堅く心の中で誓うと、その時間に変えるために脳が猛烈にがんばってくれます。
  ある種自分を追い込むのと同じ趣旨ですが、本当に効果があるので一度やってみてください。
  Ozakiが自分に約束していたのは「クリーニング屋に行く!」とか「プールでアクアビクスクラスが始まって水泳コースが少なくなるまでに40分泳ぐ!」など。毎日誰かに会うのは大変ですから、自分ひとりでも時間制限をかけられるようにしていました。

  別にそれを逃したからといって死ぬことはないのですが、それでも「堅く心の中で誓う」と効果が出ていました。



 ちょっと今回は長くなりました。
また、時間についてはその概念や捉えかた、時間術も含め取り上げる機会がくると思いますので、またそちらでも。
このテーマについて書くきっかけをくれた同期のShoko本当にありがとう!
そして次回以降は別の同期からのリクエスト(サンクス!)を受けて、Ozakiの情報のさばき方について新シリーズをはじめるつもりです

時間に追われるか、時間を追いかけるか(その4)

2011-10-07 11:53:31 | 仕事術
 時間に関するOzakiの考え方を書くにあたって、タイトルを「時間に追われるか、時間を追いかけるか」としました。
 今回はこのタイトルの説明を通じて、もう一度時間の扱い方を考えたいと思います。

 このメルマガ、いわゆる「サラリーマン」が読者の大多数を占めています。
みなさんが「時間がない!」という場合、たいていは「(仕事に追われて)時間がない!」という意味かと思いますがいかがでしょうか?


 日中は仕事を片付けながら、電話対応に追われ、上司からの指示に追われ・・・。
 夕方になってようやくじっくり集中して一人の仕事に取組めるようになる。
 そして気づけばもう外は真っ暗。
 そんな一日を送らざるを得ないときもありますよね。
 毎日だよ!という方、それは「時間に追われている」という表現がぴったりではありませんか?


 Ozakiは「時間に追われる」のではなく、「時間を追いかける」ように過ごしたいと思っています。

 「時間に追われる」のはやむを得ずやらなければいけないことに時間を使うこと。
 「時間を追いかける」のはやりたいことに時間を使うために、やむを得ずやらなければいけないことは自分が追いかけて見つけ出した時間の中で処理してしまうこと。

 こんな風に考えています。

 別の言い方をすると・・・
「時間に追われている」とやらなければいけないことがたくさんあるのに気づけばもう7時。
何かをまとめて片付けた気はしないけど、気づけば残業時間に突入している、そんな時間の使い方です。
いわば「受身ですごした結果、時間が流れてしまう」という状態。

 「時間を追いかけている」とは逆に7時から予定があるので、何が何でも7時までにやらなければいけないことを片付けてしまうような行為です。
自分がやりたいことがあるので少しのあいた時間も逃さず、できることからさっさと片付けて自分の時間を確保する、そんな時間の使い方です。
いわば「能動的に自分の時間を確保するために時間を活用する」という状態。


 いかがでしょうか?
時間の捉えかた一つで同じ時間働いていても、時間の使い方が全然変わってくる気がしませんか?
最近、恋愛に関して淡白で、受身=「草食系」という表現が使われるようになっています。
自分の恋愛がどうか、は知りませんが(苦笑)、時間に関してだけは能動的で常に追いかける姿勢=「肉食系」でありたいと思うOzakiです。

 次回は時間シリーズの最終回としてOzakiが取組んでいる具体的な行動をリストアップしたいと思います。