36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

嫌なこと先の法則

2014-05-31 09:15:22 | 仕事術


 みなさんは好きな食べ物を最初に食べるタイプですか?
それとも好きな食べ物は最後までとっておくタイプでしょうか?

 一説によると兄弟姉妹の一番上の人は好きなものを取っておいても、
弟や妹に取られる心配がないので、最後まで取っておくことが多いそうです。
(ちなみに弟がいるOzakiもこのタイプです)
真偽のほどはよくわかりませんが、そうかもしれないな、と思わせる説ですよね。



 さて、では皆さんは好きな仕事を最初にやるタイプですか?
それとも好きな仕事を残して、嫌いな仕事を最初にやるタイプでしょうか?
好きな、とは自分がやり慣れていて、苦にならない仕事。
嫌いな、とは自分が得意ではなかったり、面倒だと感じたりする仕事。
そう考えてみてください。



 一般的には好きな仕事から片付けようとするのではないかと思います。
嫌いな仕事は得意ではないがゆえに、なかなか進まなかったり、
アウトプットを出すまでの手間や時間がわずらわしく感じたりするはずです。
そういった仕事は締切ぎりぎりまで放置してしまったり、
場合によっては締切を過ぎて督促されて初めてやるか…、となることが多く
「よし、やってしまおう!」と気合を入れないとなかなか進まない、
そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 仕事上の立場や経験値、まして兄弟の構成(!)に関わらず、
どうしても、気が乗らない仕事は後回しになってしまっていがち。
Ozaki自身も、うーん、と思い当たる節がいくつも浮かんできます。



 しかしながら、ものすごく忙しく、オーバーロード(過負荷)に
なっていない状況であれば、むしろ面倒だと思う仕事を先にやったほうが
全体の仕事の効率が上がるように思います。

 これは最近家事をいろいろとやるようになって感じたことなのですが、
面倒な家事を済ませると一気に気が楽になるということが多々ありました。
例えば、Ozakiにとっては食器の洗い物は最も面倒な家事でした。
ところが、洗い物さえ終わってしまえば、
 
 洗濯物を干したり、たたんだり、
 翌日の娘の荷物の準備をしたり、
 自分たちのお弁当を準備したり(できた料理を詰めるだけですが)、
 
 といったことは負担にならないことに気づいたのです。
むしろ負担にならないどころか、あれだけ面倒だと思っていた
食器洗いが終わっているという事実が追い風になって、
残りの家事もすぐできてしまうなという気になれるのです。



 そして、この事実を自分の仕事に当てはめた時にも同じことが言えるのでは、
と考えるようになりました。



 普段面倒臭いという理由で後回しにしているルーチンを先に片付けてみる、
 普段苦手意識が強くて話を持っていきづらい人に作業依頼事項を伝える、
 普段手が付けられないでいる身の回りの書類整理をやってしまう、

こんな小さなことであってもよいのです。
嫌だなぁと思っていることが無事片付いたときの精神的な解放感は
自分が想像している以上に大きいのではないでしょうか?



 そして、その面倒なこと、嫌いなことを片付けた自分自身に
自信がもてるようになるかもしれません。
そうなれば、次の仕事もきっとうまくいくように感じるはずです。
そんな前向きな気持ちが持てる上に、面倒なこと、嫌なことが
一掃されているのであれば、残りの仕事はきっと円滑に終えられますよね。



 自分自身を信頼し、その後の仕事にもポジティブに取り組めることから、
仕事については「嫌な仕事先の法則」は有効なのではないかと考える次第です。



 ただし、どうしてもやらなければならないことが山積みになっていて、
一つでも多く処理しなければならない、そんな一杯一杯の状況では、
やりやすい仕事からどんどん片付けて、なんとか手持ちのto do listを
減らさなければならないと思います。

 他にもいくつか嫌な仕事を後回しにしたほうがいいシーンがあると思いますが、
面倒だな、苦手だな、と思う仕事から逃げず、後回しにしないほうが
二重の意味でいい結果が生まれることが多いですよというお話でした。

聞くことは学ぶこと

2014-05-28 05:17:17 | 意識を整える

 Ozakiがよくチェックしている社台ファームという日本最大の
競走馬生産牧場ホームぺージに


 「今年の新人がようやく仕事を任されるようになってきました!」

と書いてあるのを発見しました。
 

 気が付けばもう4月も終わり。
日本ではついこの前入ってきた新入社員の方も、一人だけで
仕事の一部を担当できるようになってきているんでしょうか?
(この記事2013年4月30日に配信したメルマガの
メインコラムを掲載しています。
 毎週月曜日夜配信の本編メルマガをご希望の方は
Ozakiあてご連絡いただくか、コチラから登録ください。 )
自分が働き始めたころは緊張でがちがちだったことを思い出しながら、
今年の新人さんたちはどんな様子なんだろうか、と想像してしまいました。

 
 そこで今回は新入社員を切り口にコラムを一つ書いてみたいと思います。
新人の頃は誰しも、十分に仕事ができないことも多いもの。
そして、同期の中には何人か必ず

 「ああ、こいつはできるなぁ」

という人がいたりするものです。
また、そういう人が花形部署でバリバリと仕事をしている(ように見える)と
彼我の差を痛感し、なんとなくコンプレックスを感じてしまう…。
もしくは、友人が他社で面白そうな仕事を担当している(ように聞こえる)と
これもまた、思い通りにならない自分の仕事との違いを感じる…。
こんなこともあるかもしれませんね。



 しかしながら、新人同士の差はそんなに大きなものではないよなぁ、と
働き始めて8年目に入ったOzakiはそう思うようになりました。

 どの大学を卒業しているか
 TOEICの点数がどのくらいか
 どんな専門性をもっているのか

こういった目につきやすい特長に差はあるかもしれません。
しかしながら、それだけで十分に仕事ができるようになるか、
と言われたらその答えはNOであることに気づいてきたからです。



 新人全体の平均を1とすれば、同じ企業に入った新人の能力は
せいぜい0.9~1.1くらいの間に収まっているでしょう。
また、もし全新社会人の能力をあえて数値化したとしても、
0.75~1.25くらいの幅に入るのではないでしょうか?
上司や先輩から見れば、新入社員のレベルの差というものは
誤差でしかない、という気がします。



 上司や先輩が期待しているのは、今現在の能力差ではありません。
むしろ、そこから年率何パーセントで成長してくれるのだろうか、
ということではないでしょうか?

 新人の立場ではどうにもならない人事や組織環境にあったとしても、
常に努力し続けられる人、素直に学び続けられる人は成長しますよね。
同じ会社にずっといるかどうか、は別としても、仕事人生という意味では
少なくとも40年、場合によっては50年以上続くはずです。
それだけの長期間あれば、入社当初のごくわずかの違いは文字通り
「誤差」でしかありません。

 
 このメルマガでも何度か取り上げていますが、複利の効果はすごいのです。
年に1%ずつ40年間成長すれば、最初に「1」でスタートした人は、
40年後に約1.5になります。(1.01の40乗)
年に5%ずつ成長できれば40年後には7を越えますし、
毎年20%ずつ成長する人がいれば、元は同じ「1」でも、
40年後には約1470です。
成長率の違いで仕事人生を終えた際に1000倍も違いが生じることになりますね。



 あくまで単純化した数式ではありますが、この違いを見れば
入社直後の小数点以下の差は大したことがない、ということがよくわかります。

 
 こういった年間の成長率の違いはどうやって生まれるのでしょうか?
多くの要素があるとは思いますが、人の話を上手に聞けるかどうか、
というのは一つ重要な要素かもしれません。

これまた、最近気になり始めたことではありますが、後輩や新人にも

 「いいものをもっているな」

 と思わせる人もいれば、

 「うーん、なんだかもったいないなぁ」

 という気持ちを禁じ得ない人もいます。

この違いはなんだろうか、と考えた結果
話をしている時の態度の違いが一番違うのではないかと気づきました。


 話をしていても、そもそもあまり熱心に話を聞かない人や、
Ozakiが伝えたいポイントをうまく生かせない後輩には
せっかく成長の機会なのにな、と残念な気持ちになることもあります。

 Ozakiの話に価値があるのかどうか、は不明ですが、
貴重な経験談をしてくれる大先輩や
先輩の大失敗を踏まえた重要なノウハウといった話でも
そういう人はきっと真剣に話を聞かないのではないかと感じてしまいます。

 必ずしも先輩の話が役に立つとは限りませんが、人の話を聞かなければ、
人の知恵を活かせず、自分が大きくならないのも事実です。
聞くことを通じて自分自身の成長を促すこともできるはずです。
いわば聞くことは学ぶことそのものである、といっても過言ではありません。 



 このことに気づいてからなおさら、ちゃんと人の話を聞くことができる
若い人はそれだけで素晴らしいなぁと捉えるようになりました。



 「聞くことは学ぶこと」というのは新入社員や若手に限った話ではありません。
メルマガ読者のほとんどは社会人生活が5年~20年近くになる方々ですが、
Ozakiも含め、自分自身がしっかりと人の話を聞いているだろうか、
ということに気をつけなければならないことは言うまでもありません。

 後輩や新入社員を含め、様々な関係者を動かす立場になればなるほど、
人の話を聞き、人の知恵を活かさなければならないからです。
そしてなによりも、残り短くても20年以上残っている仕事人生において、
いや死ぬまでを考えれば40年以上残されている人生そのものの中で、
日々成長するためにも話を聞くことはとても大切だと感じます。

 もし、

 最近しゃべってばかりで人の話をあまり聞かなくなったなぁ、
 人の話を聞いている時も何となく聞き流していることが多いなぁ、
 どうせまた同じ話だと思ってしまうことが増えてきたなぁ、

なんてことが万が一あるのであれば聞く態度を見直す必要があるのかもしれませんね。

 「セオリーと現場の現実(その2)」

2014-05-21 22:51:29 | 仕事術


 前回はセオリーは重要だけれども、それですべてが語れるほど現実は
甘くないといった話のさわりでした。
今回は具体例をご紹介しながら結びたいと思います。



 その具体例とはワークライフバランス論で有名な佐々木常夫さんの経験です。
以前ご紹介した

「これからのリーダーに贈る17の言葉」

の中からOzakiが印象的だったエピソードをシェアします。


佐々木さんは東レという繊維を中心とした企業にお勤めでした。
1980年頃、佐々木さんは課長として現場の責任者として活躍されながら、
日々経営の勉強をしていました。

 そこで出会ったのがボストンコンサルティンググループが開発した
「ポートフォリオ理論」。
市場の成長性と自社の市場占有率をそれぞれ縦軸、横軸にとり、
自社の様々な事業がどの位置に配置されるかを見て
経営戦略を考えるというもの。

 例えば市場は成長が止まりつつあるけれども自社の占有率が高い場合
それほど新規投資をしなくとも利益はそれなりに得られることになります。
そこでこういった事業を「金のなる木(cash cow)」と名付けます。

 逆に市場の成長が止まりつつあるのに自社のシェアが低い場合は
新規投資をしてもそれほど将来的な利益が期待できない分野ということです。
こういった事業は「負け犬(dog)」と名付けられ、撤退が推奨されるわけです。



 当時の佐々木さんはこのセオリーに飛びつき、自分の担当する事業を
「ポートフォリオ理論」に基づいて設備投資や人材配分の指標にすべき、
と提案書をまとめたのだそうです。
佐々木さんはこの時の自らの行為をセオリーを過信しすぎた結果として
「後悔した」と同書で書かれています。



 この一連の回顧の後、東レの炭素繊維事業について説明があります。
この炭素繊維、今でこそ軽くて強い、理想的な素材としてロケットや航空機、
テニスラケット、釣竿といった様々なものに使用されるようになりました。
佐々木さんによれば「東レの将来を担う事業にまで成長している」のだとか。



 しかし、1980年代、東レの中では

 「開発費用が膨大なわりに将来性が不明」

という理由で「負け犬」扱いされ、開発中止の決定が下されました。
もし

  赤字事業は撤退
  選択と集中で利益が上がる部門にのみ投資
  炭素繊維の市場は成長性がない

という理由で開発を中止していたならば、今の東レはないと言っても
過言ではないかもしれませんね。

 この時開発継続を必死で訴えたのは東レの社長を務め、名誉会長になった
前田勝之助さん(先ごろお亡くなりになりました)だったのだとか。
セオリーには表れない

 自社技術の優位性、
 アメリカ(デュポン社でしょうか?)との競争状況、
 そしてチームの熱意

といった要素を踏まえ、経営陣に対して開発継続を直訴。
東レの中核事業はセオリーの外から生まれたとも言えるエピソードです。



 先ほど開発中止の決定をいくつか挙げましたが、
セオリーは事業のある側面だけを見て判断するものです。
逆に別の見方をすれば、セオリーに基づく判断は意味をなしません。
例えば、

 どんな事業も一般的には赤字からスタートです。
 選択と集中だけでは、新規のチャレンジは生まれません。
 市場の成長性は新製品の使い方次第で無限に広がります。

こういった、考え方に基づけば「ポートフォリオ理論」をはじめとする
各種セオリーどおりに経営を行うことはできないことがおわかりでしょう。
セオリーとはあくまでダイナミックな現実の世界を一面的に切り取ったもの。
経営にセオリーは必要かもしれませんが、現場の現実を直視し、自らの頭で考え、
ツールとしてセオリーを使えるようにならなければなりません。
 

 セオリーはあくまで教科書に書いてある内容だとOzakiは感じます。
教科書を全く読まなければ勉強ができるようになりませんが、
教科書をそのまま覚えたからと言って好成績が取れるわけではありません。
教科書に書かれてあるセオリーどおりの問題は出ないからです。



 もしそうであるならば、セオリーを数多く学ぶことや丸暗記することは
それほど重要ではありません。
(セオリーそのものは教科書やグーグル検索で再読できます)
大切なのはセオリーを学んだあとに自分が直面している課題に応用すること。
そして、トラブルが起こった際にいろいろな教科書から応用できそうな
セオリーを適宜参照できることなのではないかと思います。



 Ozakiも本を読んで、その中で紹介されているセオリーやノウハウ、
もっと具体的なハウツーを採用することがあります。
しかしながら、それらのテクニックはあくまで著者が編み出したものであり、
Ozakiが直面する現場の現実は必ずしも想定されていません。

 そのため、採用したテクニックを自分なりにアレンジし、
時間をかけて目の前の現実に適合させるようにしています。
そうしなければ学んだセオリーやテクニックは机上の空論のまま。
目の前にある問題をセオリーやテクニックを踏まえて解決すること、
これが仕事の醍醐味なのではないでしょうか?

セオリーと現場の現実(その1)

2014-05-17 17:45:34 | 仕事術


 この世の中にはいわゆる「セオリー」というものが溢れています。
ハウツー本に代表される

 メールの書き方
 ビジネスマナーの基本
 コンピュータやその他ガジェットの使い方 

といった単純なものから

コンサルティングファームでも活用されるような

 SWOT分析
 ポートフォリオ戦略
 バランススコアカード

といった経営戦略にも役立つ考え方まで

様々な思考、発想の基本となる理論・型があります。



 これらは、先人が成功事例や失敗事例から抽出した重要なポイントを
時間をかけてブラッシュアップし、セオリーとしてまとめたものです。
自分が現在直面している問題は過去にもたいてい発生しています。
身近なところで発生していなくても、海外では日常的に
発生しているかもしれません。

 セオリーとは今目の前にある問題と似たような問題が発生した際に
人間がどう行動すれば成功するのか、もしくは失敗するのか、といった
経験が凝縮されているもの、と定義することも可能ですよね。



 そのため、セオリーを学ぶことは非常に重要です。
場合によってはセオリーを全く知らずには何もできない可能性もあります。

 これはビジネスだけではなく、スポーツや将棋の世界でも当てはまります。
特に将棋の場合セオリー(『定跡』と呼ばれます)は

ある局面において

 こうすると有利になる、
 こうしないと圧倒的に不利になる
 
ということが数十手先まで研究され尽くされて出来上がっています。
そのため、既に研究されている局面で定跡を外れるということは
よほど斬新な新手を繰り出さない限り負けが決まることを意味します。
(あくまでプロ棋士のレベルのお話、ではありますが)



 ビジネスにおいてセオリーを知らなかったから、
もしくはセオリーを外れたからといってすぐさま大失敗を引き起こす
といった決着にはならないかもしれません。
将棋に比べれば研究され尽くしていない理論も多いですし、
必ずしもすべての局面に当てはまるセオリーがないのも事実です。



 しかしながら、多くのビジネス上の課題、例えば

 何らかの問題を解決しなければならない場合
 新しい営業戦略を打ち出さなければならない場合
 大胆な組織改革を実行する場合

といった様々なケースにおいて、数多く存在する過去のセオリーを参考にすることは
解決策を打ち出したり、意思決定の土台を整えることを助けてくれるはずです。



 多くのビジネススクールや経営管理学講座(いわゆるMBA)で
ビジネスにおける思考のフレームワークを教えるのも、
コンサルタントと呼ばれる人たちが顧客の問題解決のために
基本的な解決策のフォーマットを持っているのも、
「セオリー」を活用するための手段なのだと思います。



 
 しかしながら、勉強熱心なあまり、「セオリー」ばかりを追求し、
一つでも多くの理論を知ることに価値がある、と勘違いしてしまうと
大きな間違いを犯すのではないか、とも考えます。



(次回に続きます)

背水の陣で効率的に時間を使う

2014-05-10 00:53:30 | 仕事術

 個人的なことですが、妻が育児休業を終えて同じ事務所に職務復帰しました。
(この記事は2013年4月に配信したメルマガのメインコラムです。
約1年前のバックナンバーとなっております。
リアルタイムでの配信をご希望の方はコチラから登録ください)
今週から1歳の娘と一緒に出勤し、同じ敷地内にある保育園に娘を預け、
両親は9時から5時まで仕事をした後、5時にお迎え、というスケジュール。
仕事は仕事で当然のことながらしっかりとやらねばなりませんが、
何よりも一番のプレッシャーは保育園は5時15分で閉まるということ。


 仕事場と同じ敷地内に保育園があり、お迎えの手間がない、
 子供の数に比べて保育士の人数が日本の約2倍いる、
 保育園に預ける際の料金は日本よりも安い、


などと聞くとうらやましいと思われるかもしれませんが、
その裏に一つだけ日本ではありえない条件が隠れています。

 それは

 「6時以降の営業許可が取れていないので、
 できる限り5時15分までに迎えに来てください」

というもの。
これは相当なプレッシャーです。
なぜなら自分の仕事を5時までにきっちり終わらせる必要があるからです。

それも

 「この日は5時まで」、や

 「特定の曜日は5時まで」、

ではありません。
娘が保育園に行っている平日は毎日5時までに仕事を完了し、
5時15分までには保育園に行かなければならないのです。



 以前このメルマガのコラムで

 「だらだら残業をせず、効率的に時間を使うためには、
 夜6時から外部の人との会食や勉強会を入れるといい」

という趣旨のことを書いたことがありますが、このコラムを書いた時点では、
毎日全く残業せず、5時に帰宅するといったことは想定していませんでした。
あくまで、残業できない日を決めておくと、仕事のスピードが上がる、
仕事中の集中力が上がるのではないでしょうか?という話だったはずです。



 しかしながら、今回思いがけず「毎日5時帰宅」が必須となり、
Ozakiは「効率的な仕事の仕方」を編み出さざるを得なくなってしまいました。
まさに「背水の陣」で効率化に取り組むぞ!といった気持ちです。



 これからは何が何でも仕事を5時に終える方法を考えねばなりません。
しかしながら、仕事の重要性は下がるどころか上がります。
さらに、実際に毎日5時に帰らなければ娘が放置される可能性もあります。
(日本では絶対にありえませんが、こちらではありえないと断言できません)

 
 こうなってくると必然的に仕事の優先順位や
本当に自分がやらなければならないことを考えざるを得ません。

 これまでやってきたことのうちムダなことはないか、
 なんとなく過ごしてきた時間はないか、
 時間に余裕がある時にやっていたものの、それほど重要でないものはないか、
 チームのメンバーに任せればもっと効率的に完了できることはないか、

こういったことを一つずつチェックして、自分の仕事の効率を
極限まで上げなければならないと考えています。
以前おススメ本欄(こちらはメルマガ限定コーナーです)で紹介した
佐々木常夫さんも管理職になってから
自分と家族の時間を確保するために、同じような取り組みをされていましたね。



 Ozakiの場合、実際にはこれからいろいろ変えなければいけないのでしょうが、
先週のシミュレーションと今日一日の実践だけでも課題が山積み。
これからしばらくは時間とのせめぎ合いに追われそうな予感もしますが、
背水の陣に追い込まれると人間これだけ考え、実践することができるのか、
とこんな状況を楽しんでいる自分がいるのも興味深いところ。
自らの行動にイノベーションを起こすチャンスととらえているのかもしれません。



 もしかすると皆さんも「背水の陣」を敷くことでまだ活用していない
皆さんの能力や時間術、仕事術が生み出されるかもしれませんね。
ご自身で、

 もっと効率よく時間を使いたい!
 自分が楽しみにしていることに時間を配分したい!
 仕事以外の活動に時間を使えるようにしたい!

といった気持ちをお持ちの方は、新年度や新しい生活のスタートを機に
「背水の陣」で効率的な時間の使い方を開発してみてはいかがでしょうか?



 ただし、一言お断りしたいのは背水の陣はあくまで兵の指揮を高めるための
古代の高度な戦術に基づくものであるということ。
まったく勝算もなく、

 ただただ毎日定時に帰る、
 手におえないほどの仕事を請け負う、
 仕事よりも趣味を優先させてみる、

といったやり方は背水の陣ではなく、ただの「やけっぱち」でしかありません。
あくまで、日々やるべきことをやれるように工夫する、
こういった前提を守ることで効率が上がるということを意識したいと思います。