先週は「子どもへのまなざし」という育児書からヒントを得て、
「表に見えず評価されにくい基礎工事は重要でかつ、そう簡単に変えられない、
見た目に派手に見える内装や家具は実はいつでも変えられるし、やり直しがきく」
というお話をさせていただきました。
Ozakiが本当にお伝えしたいことは↑の二行に詰まっているわけですが、
少し別の見方をすると一味違った大切なことがあるように感じたので、
シリーズとして続けたいと思います。
先週もお話したとおり、教育においても仕事においても
基本的な考え方やマナーは建物における「基礎工事」に相当します。
こういった部分はやり直すということは極めて難しいですし、
実際にこの部分を改めようとすると非常に大きなエネルギーが必要です。
しかしながら、人間の本質とも言える↑のようなポイントは
履歴書にはなかなか現れてきませんし、
また、他人から見てわかりやすい特徴というわけでもありません。
逆に
最終学歴や取得資格、勤務先、
プレゼンテーション術やロジカルフレームワークといった仕事方法
所有している車や家、服に装飾品
果ては恋愛相手や結婚相手、
といった類の話は単純に人を評価するときには非常に目立つ項目ですよね。
しかしながら、いつでもやり直し、取り換えができてしまいます。
家で言えばリフォームで比較的安価に交換できる壁紙や
新しく買い替えられる家具のようなもの。
得てしてこういった目につきやすい特徴や物品がその人の評価として、
定着する傾向にあるのは、皆さんも経験的にご存知と思います。
例えば、最近の就職活動では「学歴フィルター」なるものがあるようです。
所属している大学によっては同じ企業の就職説明会でも
当初から準備されている空席数に差がつけられていたり、
どんなに一生懸命エントリーシートを書いても学校名だけで
採用対象から除外されたりするのだとか。
(これが本当かどうかを判断するのは難しいですが)
「人は見た目が9割」という本が流行したこともありましたが、
人間どうしても目につく「すごさ」を評価しがちです。
そして、多くの人物の中から短時間で一緒に仕事をする相手やパートナーを
選ぶ場合にはますますもって評価しやすい部分で判断せざるを得ません。
時間があればじっくりと建造物の基礎工事の出来具合や
コンクリートの質を解析できますが、
時間がなければ内装や調度品のみを見て
「この空間はいいな」
と結論づけるのと同じですよね。
頭の中ではあくまで表面的な価値とは思っていても、次々に判断を求められれば
一目でいいか、悪いかを振り分けなければならないことになるわけです。
こう考えてくると先週は基礎工事の大切さを説いたわけですが、
どうも基礎さえよければそれでよいのだ、という簡単な結論にはなりませんね。
情報が増え、接触する人間の数が増え、それらの良し悪しを
素早く決定する必要に迫られて自分も他人も日々生きています。
人間の根幹である基礎工事を丁寧に確認してくれる人はごくごく稀。
本当に付き合いがいのある相手かどうか、考え方やマナーや、暮らしぶりを
じっくり観察して判断してくれる人はむしろ希少種かもしれません。
もしそうであるならば、自分がどれだけ基礎工事をしっかりやっていても、
内装や家具がみすぼらしければ、本来掴めたはずのご縁やチャンスをみすみす逃す、
そんな不幸な結果につながるかもしれません。
基礎工事をしっかりやることはチャンスをつかむ第一歩。
その上で最低限見逃されないための内装や家具の配置をして初めて
様々な人から
「おっ、あの人いいんじゃないか」
「付き合ってみると非常に立派な人物だ」
「あの人なら自分の大事なお客(仕事)を任せられる」
といった将来につながる人脈が出来上がるのだと思います。
自分自身の基本的な立ち居振る舞い、ポリシー、人間性を磨くことに加えて、
一見外見的で即物的な部分ではありますが、服装や使っている道具や
あるいは資格や大学、大学院での学びなおしも含めて、
評価されるための素地を演出することも大事なのでしょう。
「内装は変えられる、基礎は変えられない」というタイトルは
先週お話したような
「基礎部分が変えられない一番大事なので、しっかり基礎を鍛えましょう」
という意味がもちろん第一義なのだと思いますが、
「基礎をしっかりやった上で、その都度必要な内装はどんどん変えてしまおう」
という意味にもとれるのではないかとOzakiは考えました。