36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

人間関係は共鳴する

2020-03-14 13:26:54 | 人間関係


 人生の師匠の一人でもあるFさんが
最近ご覧になり、推奨されていた映画を
Ozakiも早速鑑賞しました。

 「リズと青い鳥」

という新しいアニメ映画です。



 吹奏楽部に所属する高校三年生の親友二人が
卒業前最後の(?)コンクールに出る前、
「リズと青い鳥」という物語をテーマにした
曲を仕上げていくまでのお話。



「リズと青い鳥」という物語は架空の本ですが、
曲は第三楽章までしっかりと作曲されており、
洗足学園大学オーケストラが本気で演奏した音が
映画中で使用されている、本格的な音楽映画です。



 レンタルDVDで店頭に登場していますので、
ぜひ一度ご覧ください。



 ストーリーがばれてしまわないよう
ここで映画の筋書きは詳しく書きません。
が、本題と関係するのであらすじだけご紹介。
映画の主人公二人は性格が違うものの、
お互いがお互いに対し憧れを秘めた少女です。



 物語の前半は一方がリズ、もう一方が青い鳥に
なぞらえて話が進んでいくのですが、
クライマックス直前のシーンでお互いに
自分がなぞらえる登場人物は実は反対だった
と両者が自覚することになります。



 内気な少女はいつも活発で、
多くの仲間に囲まれている少女に憧れを抱き、

 「あなたのここが好き、あれが好き」 

という感情を内に秘めています。

 他方活発な少女の側は内気な少女の
圧倒的な音楽的才能に対し、憧れと
自分では追い付けないという事実への嫉妬も
抱いているように描写されます。




 Ozakiによる映画の紹介はここまでにしましょう。
後は皆さんでぜひ作品をご覧になってみて下さい。



 さて、本題はここから。
この映画を見てOzakiが感じたのは、
人間同士、どんなに近しい関係であっても、
認識や感情が全く重なることはないんだな、
という(言葉にしてしまえば当たり前の)事実。



 夫婦や親子といった家族はもちろん、
幼馴染や親友といった関係性の場合、
付き合いが長く、関係も深いものになりますよね。

 お互い相手のことを分かっているつもりになり、
相手が自分のことをどう思っているかも
赤の他人のケースと比べれば推測しやすいはず。
それはいいことでもありますが、
時として、自分を変に縛ってしまうことも
あるのではないか、と感じるのです。



 例えば関係の深い相手が怒っている場合に
なんでもかんでも自分のせいではないか、
と感じてしまったり、
相手が期待していることを
自分が実現しなければならない、
と気負ってしまったり、
という経験はないでしょうか?



 特に関係性が深くなればなるほど、
相手への「忖度」が働き、
知らず知らず自由に動くのではなく、

「相手が期待する自分という役を演じる」

ということが起こっていないでしょうか?



 人間関係は文字通り「関係」ですから、
一人では絶対に成り立ちません。

 相手がいて自分がいる。
 自分がいて相手がいる。

お互いに影響を与え合い、共鳴し合うからこそ
深い人間関係が成立するはずです。
ただ、その共鳴が必ずしもポジティブな作用を
引き起こすとは言えないようにも思います。



 一旦相手や周囲との関係を忘れ、
自分にだけ向き合うことも必要かもしれませんね。
現在の共鳴関係をあえて抜け出すことで、
相手も自分もしがらみから解き放たれ、
新しいハーモニーを生み出せる可能性もあります。

 
 もし、皆さんが人間関係に関する
何らかのお悩みを抱えておられるなら・・・。
お相手の期待や自分が推測する相手の気持ちを
一旦横に置いて自分にだけフォーカスすることで
なにか解決策が見えてくるかもしれません。



 「リズと青い鳥」という作品を見て、
Ozakiが深く考えさせられたのは、
日ごろお世話になっている皆様や家族との関係。
人間関係は複雑で、様々な共鳴が起こります。



 自分の生き方が共鳴に引きずられていないか、
 共鳴した状態では見えない別の関係性がないか、



といったことは意識して人間関係を見つめないと
気づかないものなのかもしれないな、
と感じました。

若い人から刺激を受け続ける

2017-04-01 10:31:42 | 人間関係

自分自身の変化を除けば、少し休みをいただく前と
復帰した後で最も大きな変化は今年4月に新卒で入ってきた新人さんが
同じ課に所属している点でしょうか。

 10年ひと昔、とはよく言ったもので、
Ozakiと少なくとも10歳以上違う新人のフレッシュさはまぶしい限りです。
一生懸命に仕事を覚えようとする姿、
そして一つ一つの仕事のポイントは何だろうか、と先輩や上司に質問する姿を
見ているだけでも、自分が仕事を進める上での刺激になります。


 こういう記述をすると、なおさら自分がおっさんになったことを
自覚させられるわけですが(涙)。
今回のテーマはそんなozakiのおっさん化ではなく、
おっさん化したからこそ、若い人から刺激を受け続けることが
大事ではないかというozakiの仮説です。


 社会人として仕事を始めると高校生や中学生、はたまた小学生と
話をしたり、一緒に何かをやるという機会はほとんどないはずです。
同様に社会人になって数年~10数年が経過すると、
大学生と話をする機会もほとんどなくなってくるでしょうし、
場合によっては20代の社会人との接点も少なくなるかもしれません。

 しかしながら、着実に自分自身は歳をとりますし、
若い世代は(いかに少子化の時代といえども)着々と社会に参入してきます。
好むと好まざるとに関わらず、自分の持っている価値観、生活習慣は
下の世代のそれとずれていきます。
やがて自分が「老齢」になった時、その時点で社会の中心を担っている
下の世代の価値観や生活習慣が世の中の潮流となることは間違いありません。
何もせず、自分の世界に閉じこもって自身の価値観だけに固執していると
時代遅れになってしまうわけです。


 昭和の常識が平成の常識と大きく異なるように、
2016年の常識と2040年、2050年の常識は全く異なるのは
いわば「既に起こった未来」の一つ。
時代遅れの存在になってから慌てて下の世代や若い人と
意思疎通を図ろうと思っても、時すでに遅しです。
同じ日本語をしゃべっているとは思いますが、
それでもそもそも「共通言語」があるかどうか、は怪しいのではないでしょうか?
(皆さんのおばあちゃん、おじいちゃんに「ツイッター」「タブレット」等の
単語を説明なしに使っても意味が伝わりますでしょうか?)


 若い世代、下の世代からの刺激は気づいたときから受け続けなければ、
どんどんと取り残される一方ではないか、とozakiは感じます。
自分の父や母がそうであるように、年齢を経るごとに
新しいIT機器や流行のゲーム、漫画、アイドル等への関心は薄れがち。
だからこそ若い世代からの刺激を受けて、時には(恥を忍んで)教えてもらうことで
感覚的な若さは失わずに常に世界を広い視点でみられるようにしたい、
ozakiはそう考えています。


 皆さんの職場にもし新入社員がいらっしゃるようであれば
ぜひとも会話を通じて彼・彼女らの世界をのぞいてみることをおススメします。
さらにもし可能であれば彼・彼女が日常的にどういった生活をしているのか、
どんな道具を使っているのか、どんな趣味を持っているのか、
といった話を聞いてみてもいいかもしれませんね。

 仕事ぶりを見て初心に帰るだけではなく、
自分とは異なる価値観、世界のとらえ方を学ぶという意味で
若い人から刺激を受け続けることは非常に重要なのではないでしょうか。

目上の人に何を提供できるか(その1)

2016-06-25 10:27:37 | 人間関係

 今回は目上の人と会う時に、どういうことを意識したほうがよいか、
Ozakiなりに書いてみようと思います。
もちろん、これは実際に面談する方と皆さんの関係性にもよるでしょうし、
確固たる一つの答えがあるとも思っていません。
あくまでOzakiが意識していること、そしてその考え方の背景のご紹介です。



 Ozakiは縁あって「時間単価」が極めて高い方々にお時間を頂く
という機会がしばしばあります。
それは例えば先週ランチに呼ばれた緒方貞子さんであったり、
日本一のメルマガを配信されている
鮒谷周史さん(http://www.2nd-stage.jp/profile/)であったり、
各国大使級の方々、またそのお知り合いの方々等と
ご一緒させていただくこともあります。



 そういう方々の「時間単価」が高いということは想像に難くないですが、
具体的に言えば、上記で取り上げたような方の場合、
2時間の講演をやれば数百万円単位の報酬が必要なケースもあります。
1000人規模の会場を借りて一人数万円の料金でも定員が埋まる人であれば、
会場費用と手数料(スタッフ人件費、広告費等)を差し引いて、
講演者への謝礼はそのくらいになりますよね。



 実際にHPでざっと検索してみましたが
1対1でコンサルティングをやって1時間数十万円というケースや
弁護士報酬の平均が1時間2~3万円、高い人では数十万円なのだとか。
こういった報酬はサラリーマンでいうところの「税込収入」ですので、
その稼ぎに必要なインプットであるデータの収集やプレゼン・文書作成の
手間や経費も含まれています。
正確な「時間単価」ではないのですが、もしその方と1時間なり2時間を
1対1で過ごした時に支払わなければならない金額を考えれば
報酬として支払う必要がある金額がベースになると思います。



 同じ時間でこれだけの金額を得られる人
(=アウトプットとして世界に付加価値を提供できる人)
と無料でお会いできるのであればそれは素晴らしい機会ですよね。
Ozaki自身、このことを強く意識して、面談する目上の方に
少なくとも「損」をさせないように心がけています。



 しかしながら、それだけの時間単価を誇る皆さんのこと、
Ozakiごときが簡単に何かを提供できるわけではありません。
何か提供できるとすれば、お会いする方の専門とは少し違う、
Ozakiが知識や経験を積み重ねてきている分野の話くらいでしょう。
それも人脈が広い方々からすればより詳しい方から直接お話を聞いて
既にある程度は把握済み、というケースもあるかもしれません。



 実際にOzakiが目上の方とお会いするときには
Ozaki独自の知識や経験の隠し味として加えているものがあります。
それは感覚的な表現になってしまいますが、
勢いや若さという言葉で表されるようなものです。
具体的には直線的な発想をぶつけてみたり、直球の質問を投げてみたり、
礼儀は踏まえつつも、「お上品」な会話で終わらないようにしています。



 会社の組織でもそうですが、より上位の役職に就けば就くほど
反論や直言を受けにくくなる傾向にあります。
「時間単価」が高い目上の方も恐らくは日ごろ、
自分とは異なる意見を受けたり、批判されたり、
また「そもそも論」に属するような質問を受けたり、
といった機会が少ないのではないでしょうか?

 もしそうであれば、彼らからすると、時々普段付き合いの少ない
若者との会話に求めている要素の一つとして

 最近のトレンドを聞き取る
 若さを生かしたがむしゃらな生き方を思い出す
 素朴な疑問をぶつけられることで、物事の本質を改めて考える

といったものがあるのではないかと尾崎は感じています。
このため、Ozakiは目上の方とお会いする際には、
自分自身が提供できる付加価値を準備してお会いするとともに、
具体的かつ素朴な疑問を一つ、二つ用意して臨むことを心がけています。



 そして、実はここからが一番大事だとOzakiは考えているのですが、
こういった「時間単価」が高い目上の方にお会いする際、
絶対にやってはいけないことが一つあるのです。



 (次回に続きます)


子育ては人材マネジメントに通ず

2016-01-24 14:02:34 | 人間関係

 イスラマバードに滞在中、自分の娘と娘の同い年(3歳)のお友達、
そしてそのお姉さん(小学生)の三人を連れて、
動物園に行くという経験をしました。
平日だったので、大人はOzaki一人。



 これまで日本人会のイベントで娘のお友達のお母さん方が
料理や受付作業をされている間、ごくごく短い時間だけ
複数人の子どもたちと遊ぶという経験はありましたが、
数時間にわたる長い間、しかも子ども3人を相手に
しっかりと引率するという機会は初めてでした。

 「まぁなんとかなるやろ」

と思って引き受けたはいいものの、
いざ実際に二人の御嬢さんを預かって動物園に向かい始めると
不安が先行し始めたのも事実です。

 動物園の駐車場から動物園までの道のりを無事に歩けるだろうか、
 道沿いの池に3歳の子たちが落ちたりしないだろうか、
 ちょっと目を離している隙に万が一誰かがさらわれたらどうしよう、

などなど、「最悪」な事態というのは次々と思い浮かんでしまうもの。
動物園に着くまでに疲弊してしまうのではないかとまで感じました。



 動物園の中に入ると今度はあちこちに面白そうな動物が
たくさんいるわけですから、女の子たちがじっとしているはずありません。
三者三様、好きなように気になる動物を見に行ってしまいます。
かと思えば、

 「○○ちゃん、こっち来てゼブラ一緒に見よう!」

と呼ばれた子がでこぼこした坂道を全速力で走り始める、
といったシーンもしばしば。
転ぶと怪我しそうだなぁと思いながらも、
走らせないようにするというのも至難の業です。

 
 そういった不安と闘いながら一時間、二時間が過ぎてくると
だんだん肝が据わってくると言いますか、状況に適応してきて

 ま、本当に危ない時だけは止めればいいか。
 それ以外は彼女たちそれぞれのレベルに応じた遊び方に任せよう。

と思えるようになった自分に気づいたのです。



 そして三人を動物園に付属したすべり台やブランコのある公園にまで
誘導し終えた時に、ふと

 子どもたち三人を一人でケアするのは
 チームのメンバーをひっぱって大きな「事故」が発生しないように
 人材マネジメントをするのと共通点が多いな

と感じました。



 小学生のお姉さんは当然三歳の二人よりもしっかりしているから、
長いすべり台に向けて階段を上っていてもそれほど心配しなくても大丈夫。

 三歳の二人も、万が一転んだり、落ちたりしても骨折するような
大けがをしそうにない時は、多少危なっかしくても挑戦させてみよう。

 池に落ちたり、園内の運営車両に轢かれることがなければ
三歳の二人がばらばらに動いているときは均等な距離で見ていよう、
そして必要があれば小学生のお姉さんに一人を任せよう。

 こういった考え方に基づいて、三人をなんとかもとの駐車場まで
誘導し終えることができたのですが、こういった考え方は

 今の仕事の経験が長いAさんという後輩にはここまで任せても大丈夫

 新人のBさんはまだ不慣れな部分があるから、大きなミスにならない
範囲で出来そうなことに挑戦してもらおう

 自分が手一杯な時にはAさんにBさんの一部の仕事を監督してもらい、
チームとして大きなミスが発生しないような体制を構築しよう



 というチームビルディング、チームの人事マネジメントと
非常に相似性が強いと言えるのではないでしょうか?
その意味では複数のお子さんを一人で引率するという経験は
人材マネジメントのよい訓練になりうると言えるかもしれませんね。



 もちろん今回のように誰一人大きな怪我をせず、迷子にもならず
三人の女の子を誘導するというケースでは、

 どういう場合に怪我をするのか、
 どういうことが起こるとに迷子になるか、
 自分の注意力が及ばない距離はどのくらいか、

といった大人であれば自然に身についている感覚があれば
ある程度成功するので、慣れればそれほど難しくないかもしれません。
仕事の上で人材マネジメントをしながら売上を上げたり、
新しい企画を立ち上げるといった成果を出すことと
単純に比較はできないのは明らかです。

 誰に何を任せられるのか、
 どこまでなら任せられるのか、
 どういった状態になるまでは自分自身の介入を我慢するか、
 チーム全体として大けがをしないために行える予防策はなにか、
 (上司への報告・連絡・相談等)

といったことを判断するには日常生活とは異なる、
ビジネス経験に基づく知恵が必要でしょう。

 ただ、ひとたびそういったビジネス経験に基づく知恵が
身につけば、あたかも子どもたちに動物園で楽しんでもらえるよう
全体を見渡しながら引率するようなイメージで、
チーム全体の活力を引き出す動きができるようになるのではないでしょうか?

 もしOzakiのこの仮説が正しいとするならば、
子育て経験というものは決して

 仕事と両立できない
 仕事ができる時間が無駄になる
仕事比べて生産性が低い
 
といった類のものではないと言えるのかもしれません。
仕事の経験は子育ての上でも生きるでしょうし、
子育ての経験をも仕事に生かせるチャンスがあるということですから。



 イスラマバードで休日を過ごすうちに気づいた
興味深い仮説をご紹介しました。

貴重な情報を大量に集めるためのただ一つのコツ

2015-10-24 00:09:46 | 人間関係


 在イスラマバード日本人会の餅つき大会を支えた実行委員、
ボランティアで集まり、実行委員長のお宅でバーベキューを楽しみました。
実行委員長は大使館の方でしたので、大使館からもボランティアが
多く集まっており、普段あまり接点のない方からもお話を伺いました。



 会の途中、「政務班」と呼ばれる駐在国の政治情勢に関する情報を分析し、
本国の政治家や外務省に伝達する役割を担う方ともお話ができました。
政務班の皆さんは相手国の政治家や官僚、財界人等と面談し、
その国の表や裏の方針、他国との外交事情を調査することが仕事です。
もちろん情報収集だけではなく、日本側の事情を含めた
日本の立場発信も彼らの大切な役割です。

 パキスタンの政治の裏側についてメルマガで書いても仕方がないので、
話の内容そのものは割愛しますが、情報収集術については、
メルマガのネタになると感じましたので可能な範囲でシェアします。
Ozakiがシェアしたいと感じたのは政務班の皆さんの情報収集のコツ。

 外交の世界では、いかに重要な情報、あまり公開されていない情報を
しっかりと集めてこられるかが非常に重要になります。
インターネットで検索して出てくるような首相の記者会見での発言や、
省庁による公式発表を集めればよいということであれば、
優秀な政務班の精鋭を揃えている意味がありません。


 実際にお話をじっくり伺ってみると、情報収集のカギは

 「自分たちが欲しい情報の価値と同じか、
  それ以上の情報を提供すること」
 
なのだそうです。
こちらの欲しい情報を一方的にもらうといったことはありえません。
一度や二度、情報をもらえたとしても、見返りがない相手には
それ以上情報提供はしてもらえないでしょう。
そのため、貴重な情報を大量に、継続的に集めるためには、
手持ちの貴重な情報を提供することが必須なのだとか。

 こういった場合に提供する貴重な情報とは
相手にとっての貴重な情報という意味ですので、
日本側にとって極秘の情報を漏えいするわけではありません。
自分以外の第三者の動向や、国際社会での相手国の真の評判、等
その時、その時で相手が知りたい情報というのは多岐にわたります。
そういった「相手が知りたい情報」を提供できるかどうか、
が情報収集の肝であり、腕の見せ所なのだそうです。



 このお話を伺っていて、人間関係と相似だなと感じました。
自分自身にとってはごく当たり前であったとしても、
多くの人にとって

 面白いと感じる話、
 勉強になる話、
 滅多に経験できない体験談、

といった話題を提供できるのであれば、その人は
常に人に囲まれ、話を聞かせてほしいと言われるはずですよね。
コミュニケーションは通常双方向でなされますから、
人が集まり、人と話す機会が多い人ほど、入ってくる情報も
多くなると思います。

 そして、入ってくる情報が多くなればなるほど、
その中には自分が知らなかった

 「自分にとっての貴重な情報」が

混ざってくるはずです。
つまり、他人にとって貴重な情報提供を行い続ければ、
自然と周囲から貴重な情報が入ってくる確率も上がるのです。
言葉を換えれば情報が入ってくる量、入ってくる情報の質が
自分自身が発信する情報の量、情報の質に比例すると言えるでしょう。



 外交の場合には、絶対に公開できない話というのもおそらくは
かなり多いのではないかと想像しているのですが、
自分自身の経験談や経験からの学び、知識、知恵といった話題であれば、
隠す必要は全くないのではないでしょうか?



 日常生活において、またビジネス社会において
「貴重な情報」を大量に集めるために何をすればよいか。
それは、

 自分自身が持つ情報の量と質を向上させ、それを公開し続ける

ことではないか、とOzakiは考えています。
プライバシーに関わることや誰かの誹謗中傷は別として、
公開できる情報があるのであれば、それを公開することが、
さらに質の高い(自分自身が知らなかった)情報を得るための
唯一の秘訣ではないかと感じます。