人生の師匠の一人でもあるFさんが
最近ご覧になり、推奨されていた映画を
Ozakiも早速鑑賞しました。
「リズと青い鳥」
という新しいアニメ映画です。
吹奏楽部に所属する高校三年生の親友二人が
卒業前最後の(?)コンクールに出る前、
「リズと青い鳥」という物語をテーマにした
曲を仕上げていくまでのお話。
「リズと青い鳥」という物語は架空の本ですが、
曲は第三楽章までしっかりと作曲されており、
洗足学園大学オーケストラが本気で演奏した音が
映画中で使用されている、本格的な音楽映画です。
レンタルDVDで店頭に登場していますので、
ぜひ一度ご覧ください。
ストーリーがばれてしまわないよう
ここで映画の筋書きは詳しく書きません。
が、本題と関係するのであらすじだけご紹介。
映画の主人公二人は性格が違うものの、
お互いがお互いに対し憧れを秘めた少女です。
物語の前半は一方がリズ、もう一方が青い鳥に
なぞらえて話が進んでいくのですが、
クライマックス直前のシーンでお互いに
自分がなぞらえる登場人物は実は反対だった
と両者が自覚することになります。
内気な少女はいつも活発で、
多くの仲間に囲まれている少女に憧れを抱き、
「あなたのここが好き、あれが好き」
という感情を内に秘めています。
他方活発な少女の側は内気な少女の
圧倒的な音楽的才能に対し、憧れと
自分では追い付けないという事実への嫉妬も
抱いているように描写されます。
Ozakiによる映画の紹介はここまでにしましょう。
後は皆さんでぜひ作品をご覧になってみて下さい。
さて、本題はここから。
この映画を見てOzakiが感じたのは、
人間同士、どんなに近しい関係であっても、
認識や感情が全く重なることはないんだな、
という(言葉にしてしまえば当たり前の)事実。
夫婦や親子といった家族はもちろん、
幼馴染や親友といった関係性の場合、
付き合いが長く、関係も深いものになりますよね。
お互い相手のことを分かっているつもりになり、
相手が自分のことをどう思っているかも
赤の他人のケースと比べれば推測しやすいはず。
それはいいことでもありますが、
時として、自分を変に縛ってしまうことも
あるのではないか、と感じるのです。
例えば関係の深い相手が怒っている場合に
なんでもかんでも自分のせいではないか、
と感じてしまったり、
相手が期待していることを
自分が実現しなければならない、
と気負ってしまったり、
という経験はないでしょうか?
特に関係性が深くなればなるほど、
相手への「忖度」が働き、
知らず知らず自由に動くのではなく、
「相手が期待する自分という役を演じる」
ということが起こっていないでしょうか?
人間関係は文字通り「関係」ですから、
一人では絶対に成り立ちません。
相手がいて自分がいる。
自分がいて相手がいる。
お互いに影響を与え合い、共鳴し合うからこそ
深い人間関係が成立するはずです。
ただ、その共鳴が必ずしもポジティブな作用を
引き起こすとは言えないようにも思います。
一旦相手や周囲との関係を忘れ、
自分にだけ向き合うことも必要かもしれませんね。
現在の共鳴関係をあえて抜け出すことで、
相手も自分もしがらみから解き放たれ、
新しいハーモニーを生み出せる可能性もあります。
もし、皆さんが人間関係に関する
何らかのお悩みを抱えておられるなら・・・。
お相手の期待や自分が推測する相手の気持ちを
一旦横に置いて自分にだけフォーカスすることで
なにか解決策が見えてくるかもしれません。
「リズと青い鳥」という作品を見て、
Ozakiが深く考えさせられたのは、
日ごろお世話になっている皆様や家族との関係。
人間関係は複雑で、様々な共鳴が起こります。
自分の生き方が共鳴に引きずられていないか、
共鳴した状態では見えない別の関係性がないか、
といったことは意識して人間関係を見つめないと
気づかないものなのかもしれないな、
と感じました。