36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

『いつやるの?今でしょ!』は正しい

2014-10-29 14:13:55 | 意識を整える


 今回は年明け第一号ということで、

 今年はがんばるぞ!

という方に向けて極端なお話をしようと思います。
(このコラムは 2014年1月7日に配信したメルマガの
メインコラムを抜粋して掲載しています)



 新年は多くの人が目標を立てたり、新しい挑戦を始める時期ですよね。
区切りがいいですし、何より年末年始が休みということもあって、
じっくりと目標を考える時間もありますよね。

 ただ、一つ問題があります。
それは、お正月ムードに浸っているうちに

 なかなか実行に移せない
 初めて見たけど続かない
 思うような成果が見えてこない

といった理由で、一月のうちに断念してしまう、といった事態が起こること。
そういったケースで、

 「また区切りのいい来年から始めよう!」

と今年を投げてしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか?
極端な話をすれば2014年の最初の3日間ちょっとやって続かない場合、
次の目標設定、挑戦の開始は362日後の2015年1月1日というケースもあり得ます。



 Ozaki自身もかなり諦めるのが早いほうなので(汗)、
こういった経験を繰り返してきている側の人間であることは
正直に告白しなければならないと思います。



 ただ、ここ数年強く感じていることが一つ。
それは何も区切りのいいところで目標を立てたり、挑戦を始めたりしなくても
いいのではないだろうか?ということです。

 一年に一度だけ目標を立てて、がんばろう!と決意することは、
先ほど挙げた極端な例で言えば、
たったの3日間の試みで残り362日を捨てるということ。
次の区切りである翌年のお正月を待っていると、
目標のないまま過ごす時間が長すぎますよね。
3日間やった後、10日サボったとしても、そこから再開すれば、
まだ352日間は頑張れるはずなのにも関わらず…。



 読者の皆さんの中にはそんなことするわけないだろう、何を馬鹿げたことを!
と感じている方もいらっしゃるかもしれません。

 一年を例にするとちょっと極端すぎるかもしれませんが、
実は似たようなことを皆さんも知らず知らずやっているはずです。
例えば

 区切りのいい10時からこの仕事に着手しよう
 会議は区切りのいい1時間で設定しよう
 次の予定まで9分、時間が中途半端だから休憩しよう

といった具合に。

 人間不思議なもので「キリのいい」ところからなにか物事を始めたがる、
そんな傾向があるのではないか、とOzakiは感じています。
これはキリのいいお正月の心機一転と似ていませんか?
一年のうち360日を捨てることはないかもしれませんが、
一時間のうち9分を捨てる、13分を捨てるといったことは身に覚えがある、
そういう方もいらっしゃるはず。



 
 こういった人間の性質に気づいてから、Ozakiは「キリのいい」数字に
拘らないように心がけはじめました。
なぜなら、「キリ」を待っている時間がもどかしく、逆に落ち着かないからです。
むしろそのキリの悪さを利用して、限られた時間でやれるところまでやる、
そう考えるようにしています。



 前回の雑感コーナーでも書いた通り、やるべきことがあるのであれば
「キリのいい」タイミングを待つ必要は一切ありません。
今が残りの人生で一番若いのです。
まさに今、やろうと思ったことをはじめれば、それだけ長く取り組めるはず。

 こう考えていけば2013年の流行語大賞に選ばれた

 「いつやるの?今でしょ!」

という言葉は一年だけの流行語にするのはもったいない、
真理をついた言葉ではないだろうか、とOzakiは感じるのです



 「キリのいい」新年を機に、「キリのいい」タイミングを待たない習慣を
はじめてみてはいかがでしょうか?

やってみるから理解できる

2014-10-22 01:24:00 | 意識を整える

 前回のメルマガで英文のメルマガも発行したいというお話をしました。
(このコラムは週刊で配信しているメルマガのメインコラムバックナンバーです)
しかしながらいざ英語のメルマガを書くとなると
いろいろと悩ましい問題に直面するのです。

 具体的には

 あまり長く書いても伝わらないのではないか?
 日本人には有名でも海外で有名ではない話では比喩として意味がない
 ワントピックに絞らなければそもそも読んでもらえない

など日本語で文章を書く時とは違う「産みの苦しみ」があります。



 こういった「産みの苦しみ」は

 自分が実際に英文メルマガを書こう!と決め、
 実際にノートの上でコンセプトややり方などのメモを取り、
 書きはじめ数号のネタを書きなぐってみる

といった取り組みを経て具現化し、解決すべき課題として認識されるように
なるのだということを身を持って体験しました。



 その後一週間経って、現在第一号の原稿を書き始めているところですので、
なんとか2013年のうちに発行開始という目標は達成できるかもしれません。
つまり、一週間前までに整理した課題をかろうじてクリアしたというわけです。
(2014年10月現在英文メルマガも20号まで配信済みです)

 しかし、宣言してスムーズに発行開始といかなかったのはご承知のとおり。
まして、英文メルマガが大量の読者を獲得してウハウハ、ともいきません。
なんだか調子のいいことをメルマガで皆さんに宣言しておきながら、
実際には悩みながら進んでいる、それがOzakiの現実なのです。



 決してスマートなやり方ではないのですが、それでも今回Ozakiは
皆さんに対して

 「英文メルマガをやります!」

と声をあげてよかったなと感じています。
なぜなら、↑のような課題を具体的に認識することができ、
またそれを乗り越える取り組みに着手することができたから。

 もし皆さんに宣言しなければ

 「まぁ、急ぎの用事でもないし、いずれできればいいや」

と、真剣に英文メルマガ発行までの準備作業を進めることは
なかったのではないかと想像しています。
(意志が弱いので、想像ではなく確信に近いのですが(涙))



物事はやってみようとするからこそ、

 やろうとしていることの難しさであったり、
 実現するまでに解決しなければいけない課題であったり、
 もしくはやってみて理論通りに進まないといった問題であったり、

にはじめてぶつかることができるのだと思います。
「やればできる」と言っているだけではこういったことは到底理解できません。



 Ozakiは恰好つけたがりですので、

 「何事も自然体で、あっさりクリアする」
 
なんていう生き方には強くあこがれを持っています。
そして失敗することにはかなり臆病なタイプであると自覚しています。
だから、できれば失敗したくないですし、
恰好悪い泥臭い努力を好んでやりたいとも思いません。
読者のみなさんのなかにも似たような「理想像」を
お持ちの方がいらっしゃるかもしれませんね。



 ただ、問題はやってみない分には良い結果も悪い結果も得られないということ。
そして、自分自身で頭と手を動かしてみない分にはどこが良いか、どこが悪いか、
そして何をどう改良しなければいけないのかすら理解できないということ。
何をどうすればいいのかわからなければそこから先に進めませんし、
どこが問題かわからなければ、それ以上解決策も見つかりません。

 見た目が悪くても、まずは行動に移し、苦しみながら、悩みながら
一歩ずつ前に進むというプロセスなしには本質は理解できないのでしょう。

 何か取り組みを始めるということは、+であれ-であれ
何らかの役に立つフィードバックを得られるということでもあります。
そのフィードバックの積み重ねが本質の理解に連なっているのだと思います。



 
 百発百中で企画が当たるプランナーも
 すべての設計図が絶賛される建築士も
 新人時代からどんな仕事も完璧にこなせるビジネスマンも

この世の中にはいないのです。 

 あまり恰好にこだわらず、まずは何事もやってみる。
自分自身の頭と体を動かしてみる。
そうするだけでも、あなたの頭の中にいろいろな問題と解決策が
浮かんでくるのではないでしょうか?

チーズ職人に必要なこと

2014-10-18 10:45:24 | 読書


 先週事務所の共有書棚に追加されていた新書を読みました。
吉田全作さんという「牛飼い・チーズ職人」の方の本でした。
プロフィールを見ると北大の農学部卒とありましたので、
Ozakiの大先輩にあたる人です。



 吉田さんは5年間のサラリーマン生活の後、いわゆる「脱サラ」をして
岡山県で酪農業を始められた方。
当初はとにかく販売する牛乳の量を増やそうとして努力されていました。
しかし、今は量ではなく、こだわりを持って牛乳を生産し、
その牛乳で美味しく、そして牧場の風土にあったチーズを生産することに
心血を注いでおられるようです。
その結果、今では知る人ぞ知るチーズ職人(フェルミエ)として活躍中。



 さて、この本の中で吉田さんはこれまで自分を導いてきてくれた出会いを
いくつか紹介されています。
今回はその中でもOzakiが特に感銘を受けた言葉をシェアさせてください。



 吉田さんがチーズを作り始めてから比較的早い時期から定期的に
チーズを購入していたM夫人という方がいらっしゃったそうです。
そのM夫人、昔はチョコレート工房を切り盛りされており、
ご自身が「職人」として活躍していたとのこと。

 その先輩職人がある日吉田さんに電話をかけ、食事に誘いました。
その頃の吉田さんは牛を飼い、チーズを作ることで精いっぱい。
年中無休、とにかく必死で仕事をする毎日だったのだとか。

 しかし、ひいきにしてくれている常連のお客様の誘いということで、
街中のフランス料理店でごちそうになったらしいのですが、
そのレストランというのが天井が高く、美術品も多く飾られているグランメゾン。
吉田さんいわく、サービスも気品に溢れ、洗練されたものだったと書いてあります。



 そして本題はM夫人が吉田さんに伝えたかったメッセージ。
そのまま、同書から引用すると

 「職人はね、ずっと一生懸命働いていなければいけない。
 それが基本だけれど、それだけではないのよ。
 うまく息抜きをして、いろんなことを吸収しなければだめよ。
 おいしいものを食べたり、良くできた芝居をみたり、
 素敵な人とおしゃべりしたり、そういうことを通して
 その職人の技が磨かれていくのだから、
 それもおろそかにしてはいけないのよ。
 だから時々、(吉田牧場のある山の上から)出てきなさいね」
 
 というもの。



 実直に、日々自分の領分で技術を磨きあげるのは職人としての基本。
職人の技術というものは、

 毎日試行錯誤をしたり、
 研究をしてみたり、
 先輩職人の技術を盗んだり、

そういった日々の取り組みの中でしか磨かれないのではないか。
だからこそ、一つのものを突き詰める、「究極」の技術が生まれるのだ、と。
Ozakiはそんな印象を持っていました。



 しかしながら、M夫人の教えは「それだけではだめ」というもの。
一生懸命仕事をして、いわゆる技術を磨くのは当然としても、
その技術を使って作るモノは職人の価値観、生き方によって
出来栄え左右されるというのです。

 そのために、M夫人は時々外に出て、

 美味しい食品
 美しい芸術
 勉強になる話

を求めなさいとお店を選び、アドバイスしたのだと思います。

 技術を磨くという大義名分のために余裕のない生活をしていると、
どうしても狭い世界に入り込むことになります。
しかし、チーズにせよ、チョコレートにせよ、美術品にせよ、
職人の世界観、哲学があってこそ、生み出されるものに味わいが加わる、
魂のこもった作品が出来上がる、そう言えないでしょうか?



 技術第一の職人ですら、広い世界を見ることが必要というのですから、
様々な人と触れ合い、話し合い、認め合って新しい価値を生む我々は
なおさら、幅広い世界で見聞を広めなければならないのは当然ですよね。

 世の中に数多ある

 美味しい食品
 美しい芸術
 勉強になる話

 などなど自分の世界を広げることで、仕事に魂が宿るのだと思います。

 そのためには積極的に自分で外の世界を覗き、
自分がしたことのない経験を求めなければなりません。
本来はチーズ職人向けのアドバイスだったのだと思いますが、
M夫人の教えを通じてOzakiも学ばせてもらいました。

志が人を動かす

2014-10-11 10:53:48 | 意識を整える

 土曜日に参加した保育園の発表会で印象的だったことをお話しします。
それは

 どうしてもこの問題を解決したい
 なんとかして、この人の力になりたい
 
という志があると、人間は力を発揮できるようになるということ。
そして志を軸に動いている人間の周りには自然とサポーターが
次々と集まってくるという事実です。

 娘を預けている保育園の女性経営者がこの事業を始めたのは11年前。
自分自身が母親として仕事をしながら保育園に娘を預けていたそうですが、
そのお嬢さんは通っていた保育園とあわず、結果退園してしまいました。
その時、なんで子供本位の保育園がパキスタンにはないんだろうか?
と疑問に思った彼女は

 「それなら自分が保育園を作ろう!」

と一念発起。
パキスタンにおける保育園事情や各国の教育制度などを調べはじめたのです。
結果、彼女が始めた保育園はパキスタンで最初の民間経営の認可保育園となり、
今年で創設11年目を迎えています。
(第一号の園児だった経営者の娘は14歳になっています)



 そしてOzakiが最も感銘を受けたのは
彼女が現在取り組んでいる事業展開とそのきっかけ。
彼女はいま、自閉症やダウン症といった発達障害の子供たちを積極的に
自分の保育園で受け入れるようにしています。
そして、健常とされる子供たちと一緒に、ともに学び合える関係、
個性を理解しあえる関係をサポートするようにしているのです。



 ことの始まりは保育園創業時の「第一期生」である男の子が教えてくれました。
彼が言うには、妹が生まれてから家族の生活は一変したのだそうです。
なぜなら妹が発達障害だということがわかったから。
どうも普通の子どもじゃないということはわかるのですが、
どの病院に行ってもその原因が分からないまま時間がすぎ、
外国の病院もいくつか回ってようやく発達障害の一種であることが判明しました。

 お母さんはもとより、祖父母も総出で妹の世話をすることになり、
いろいろと我慢してきたこともたくさんあった、と彼は話してくれました。



 その事実を知った保育園経営者はなんとかして創業時の恩を返したい、
この家族の力になりたい、そう感じて新しい取り組みを始めたようです。

 発達障害の子供たちとの接し方
 どうすれば同じ教室で他の子供たちと一緒のプログラムで学べるのか
 子供たちを預けてくれる親への対応
 パキスタンの人々に対して発達障害とは何か、を啓発する

などなど、時には自分の子供にも我慢をしてもらって必死に頑張ってきたとのこと。

 こういった取り組みが実を結びつつあり、今や尾崎の娘が通っている保育園は
パキスタンでも最先端といっていい「インクルーシブ教育」の現場となりました。
Ozakiの娘がいるキャンパスにも発達障害の子供が2,3人います。
現在は発達障害教育のコンサルタントという方も雇用している状況です。
(そのコンサルタントもお子さんの発達障害をきっかけに勉強したそうです)



 こういったストーリーを聞くと、なるほど今の保育園の活気は
彼女の熱意が原動力になっているのだということを理解させられました。
ただただ、ビジネスとして仕事をしているのではなく、

 困っている人の役に立ちたい
 こういった社会を作りたい
 自分を助けてくれた人たちに恩返ししたい

そういった「志」が保育園の経営者を突き動かしているのでしょう。
その「志」に共鳴するスタッフが集まっているということもわかりました。



 発表会の場ではより一層の受け入れのために、今子供を預けている母親の
ボランティアを募っていました。
経営者と↑のコンサルタントの話を聞いた、パキスタン人の母親たちが
かなりの数手伝いますと手を上げていたことも印象的でした。
熱意が伝わる瞬間、仲間が集まる瞬間というのはこういう時なんでしょうね。



 娘の成長を見に行った保育園の発表会で、逆に自分が貴重な学びを得る。
そんな一日でした。

忙しい忙しいオーラを消す

2014-10-08 00:55:12 | 仕事術

 さて、いよいよ12月に入り「師走」となりました。
先生方のみならず、読者の皆様も文字通り走り回るような日々を
過ごされているのではないかと思います。
(この記事は2013年12月2日に配信されたメルマガのメインコラムです)


 さて、そんな中でも

 忙しい、忙しいと騒ぐ人
 忙しそうにしていて「今声かけないでね!」というオーラを出す人
 いつも通り淡々と仕事をしている人

のように仕事がたくさんある時ほど、人々のキャラクターがはっきりと
出てくるような気がします。
今回は忙しい時にどのように振る舞うかを経年優化の観点で
少し考えてみましょう。



 多くの仕事を抱えていると、新しい仕事を頼まれても、

「いま忙しいんです。これ以上は無理です」

という人がいます。
もしかしたら仕事をしている人の過半数はこのタイプでしょうか。



 ところが、「忙しい」が口癖の人ほど、実はそれほど多くのことを
達成していないという事例もあるように思います。
もし、「忙しい」と口で言っておきながら、達成している成果が少ないのであれば、
本当は仕事が遅いから忙しいということになります。

 つまり、

 仕事の段取りや要領が悪く、ムダな時間が多い
 忙しいと言いながら仕事と関係ないことをやっている
 やらなければいけないことが貯まっているが、休憩はたっぷりとる

といった事態が発生しているかもしれません。
当然、12月や3月のようなタイミングでは仕事の締め切りは待ってくれませんので、
いつも以上に「忙しい」を連発する羽目になってしまいます。



 その一方で、ビジネスの世界では、仕事を依頼するなら、
忙しい人に頼めという格言がありますよね。
本当に忙しく、多くのことを次々に片付けている人は、
仕事ができる人が多く、質もスピードも及第点で仕事を仕上げてくれるのです。

 ここで『忙しい人』というのは日々「忙しい」と言っている人ではなく、
本当の意味で忙しい人、つまり忙しいなどという暇もなく、
淡々と仕事を次から次に完成させ、成果を上げている人ということになります。



 そういった人は仕事ができますので、外部のクライアントからも、
上司や同僚といった社内の人たちからも信頼が厚く、どんどん仕事が
舞い込んでくることになります。
彼らが仕事をすればするほど、依頼される仕事の量が増える、
とも言い換えることができるかもしれません。

 こういった、本当に『忙しい人』は時間の使い方がうまく、忙しいがゆえに
次々と仕事をしてくれる、つまり驚くほど仕事が早いと言えるでしょう。
「忙しい」が口癖の人と『忙しい人』は外見上見分けがつきにくいのですが、
時間の使い方、仕事への取組み方には大きな差があるように思います。



 自分が抱えている仕事を素早く処理するためには

 なんだかよくわからず面倒くさい
 気乗りがしない
 やったことがないからどうしたらいいかわからない

などといちいち考えている暇はありません。
まして「忙しい」などと文句を言っている時間はなおさらありません。

 やらなければいけない仕事が目の前にあるのであれば、
また、新しく依頼された仕事があるのであれば
(それがよほど長期的な仕事でない限り)
即断、即決、即実行が見せかけの忙しさを解消するための最善の方策でしょう。



 こうした、効率的な仕事の仕方を身に着けるには自分が限界だ!と感じる
以上の仕事量を抱えてみるのが一つのやりかたでしょう。
人は「異常事態」になるとなんとか限界を突破しようとして、
考えをめぐらせ、手を動かし、工夫するようになると言われています。
余裕がある状態では気づかない、仕事の効率化、ポイントを押さえた処理方法、
短時間で議論をまとめる方法などなど、がある程度自動的に身に着くはず。
修羅場を経験することによって、つまり自分の許容範囲をはるかに超える
仕事量をなんとか乗り切った!と言える経験が自分を育ててくれるのです。



 しかし「忙しい」と口に出してしまうと、周囲の人からの依頼が減り、
そして自分にとっても

 「忙しいからこれができなくてもしょうがない」
 「忙しいからこのくらいの質でしょうがない」
 「忙しいから●●さんの依頼を断ってもしょうがない」

と言い訳の種ができてしまします。
これは実際に口に出さず、話しかけるな!というオーラで表現しても同じ。
これでは尋常ではない量の仕事を乗り越えてもう一歩、自分を成長させる
そんな取り組みはできそうにありませんね。



 使い古された言い方ではありますが「忙しい」は

 「心」を「亡」くす

という二つのパートに分解することができます。
忙しいと口にすること、もしくは忙しいから話しかけないでね!という
オーラを出すことは、知らず知らず、自分のそして周囲の人の「心」を
亡くしていくことにつながるのではないでしょうか?