36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

心技体と体技心(その2)

2013-07-31 17:58:00 | 意識を整える
 前回は仕事もスポーツも同じで「心」「技」「体」のバランスが重要です、
ということをお話しました。
スポーツの場合は形を真似ること、つまり「体」を鍛えるプロセスが先にあり、
そのうちその形の意味が分かってくる、つまり「体技心」の順ではないか。
そんな流れでした。

 たとえば、武道などでは道場に入る時、道場を出る時、
それぞれ一礼をするように指導されます。
これはOzakiが剣道を習っていた際も同じでした。
最初は形だけ、とにかく頭を下げるだけでした。
先生にやれ、と言われ仕方なくやっている、そんな感じです。
しかし、それをずっと続けているうちに、ある日突然、
自分と向き合う場に出入りするということの意味を感じた記憶があります。



 これはいわゆる「体技心」の順番なのでしょう。



 「心技体」とは言っても何事もまずやらなければ「心」はつかめません。
やりもしないうちに本質を悟ろうとしても、それは難しい話。
一つの形をやり続けてなければわからない。
体を動かし、形を繰り返しやっていくうちに、いつか自然と気づく、
それが「心」を体得するということではないでしょうか?

 「心」から変わるのが理論的には正しく、また理想的であったとしてとも、
それができる人はごくごく一握り。
どんなジャンルであれ一流の域に上り詰めた人も含め大部分の人は、
くり返すうちに後から動きや形の意味を悟り、「心」が後からついてきて
いるのではないかとOzakiは思います。



 これは仕事も同じだと感じるのですが、仕事の場合は一つ問題があります。
それはスポーツなどと違って仕事の場合「押し付けられている」感が強い事。
剣道の道場への礼を強制されることと比べ、
仕事で毎日3件新規顧客を訪問することや
経理書類を毎日50件処理させられることは非常に負担感が強いでしょう。

 「心」がないまま、つまり仕事の意味が分からないまま、
無理やり「体」つまり形式的な仕事をやらされているとなると
かなり強く強制されているという意識が生まれてしまうはずです。

 上司や先輩はいろいろな話をして部下、後輩に「体」の部分を強制します。
例えば、

「一日に五件、必ず商談のアポを入れろ。
『量』が『質』を生む。
新規顧客訪問の数を増やせば、必ず成長できる。
これは君のためでもあるんだ。
つべこべ言わずに五件アポを必ず取ってなにがあっても訪問しろ」

 などという指示はよくある話かもしれません。

部下は間違いなく 上司に従うでしょう。
しかしながら、多くの部下は同時にこうも思うはずです。

「上司のいうことはわかるけど、現実はそうはいかないよ。
 毎日五件、アポをこなすなんてムリだし意味がないんじゃないか」

そしてそのうち実際の顧客訪問数は減ってしまいます。
(報告書上はごまかせるのかもしれませんが)


 上司が部下一人ひとりを見張ってアポ五件の達成を強制することはできません。
まして部下が上手く嘘の報告をしたり、黙っていれば上司は気付きづらいもの。
そして、部下が「体」の部分であるアポ五件を実行し続けない限り、
仕事の本質、もしくは意味の「心」の部分を体得することも困難となるでしょう。
つまり、部下は成長できなくなってしまいます。

 
 スポーツであれば、強くなる人が選抜され、オリンピックやW杯など
世界最高峰の舞台で戦えばよいのかもしれません。
「体」の鍛錬をやってられない、と思った人は自然と退場していきます。
(趣味として続ける場合はそれでも構わないと思いますが)
一方で、仕事では大勢のさまざまな人の力を結集して
成果を出すようにマネジメントしていかなければなりません。

 
 「体」を強制しなければ成果は出ず、部下も成長しない。
でも「心」がわかっていない状態の人に「体」を強制させると
反発も強く、成果は出ない。
そんな二律背反が生じてしまいますよね。

 では、どうすればいいのか?
Ozakiは単純ではありますが上司と部下の信頼関係が重要なのだと感じます。
上司が部下から強く信頼されていれば強制は強制でなくなります。

 「部長が言うならば、やってみよう」
 「課長のようになりたい」
 「あの先輩がいうなら、間違いないだろう」

こんな信頼関係を築いておけば、仕事の本質がわかっていなくとも、
つまり「心」がなくても部下や後輩は「体」をやってくれるはず。
そして、「体」をくり返すうちに、「心」に至るはずです。
そしてそのプロセスを知っているからこそ部下や後輩にも同じ
「体」の繰り返しを(意味が分かったうえで)指示できるようになります。
先輩後輩、そしてまたその後輩へ、これは理想的な好循環ですよね。



 Ozakiが会社に入った当初はまさに

「訳が分からないけれども上司、先輩の言うことはとにかく実行しよう!」

そんなふうに考えていたことを思い出しました。
今思えば、本当によい上司、先輩に恵まれて育てていただいたのでしょう。



 逆に、上司が部下との信頼関係を築かぬままに「体」を強制すると、
強制のマネジメント、恐怖に基づくリーダーシップがはびこります。
上司や先輩に叱られるのが怖くていやいや言われたことをやる組織。
部下の主体性や自発性はどんどんそがれていき、新しい挑戦も減ります。
そして居酒屋などで上司、先輩の悪口や愚痴を言い合う…。
「体」の強制だけをやってしまうとこんな職場になりかねません。
形を強制し、本質を理解するまでの間、信頼関係が続かなければ悪循環です。

 仕事の場合でも、スポーツの場合でも「体技心」の順で本質をつかんでいく
のだとOzakiは考えています。
スポーツと仕事が違うのは強制のされ方と受け取り方。
より多くの人を動かさなければならない仕事においては
上司と部下の信頼関係が「体技心」の実現に不可欠なのではないでしょうか?

心技体と体技心(その1)

2013-07-27 07:38:09 | 意識を整える


 世間一般で「心技体」という言葉が使われることがあります。
特に武道の世界で使われることが多いと思います。
その意味合いは精神力、技術、体力の総称ですが、
まず心を鍛え、技を鍛え、そして体を鍛えるという趣旨ですね。

 本質的な考え方をまず身に着け、
 その考え方に基づいてひたすらに技術を追求し、
 技術を使いこなすためにも体を鍛えていく。

そういった発想が言葉の順にも表れているように思います。
そのため言葉の順番が心→技→体の順になっているのではないでしょうか。


 しかし、プロゴルファーの青木功氏は順番が逆だとおっしゃっています。
青木さんに言わせれば体技心の順が正しいのだそう。

 まずは、「体」を鍛え、練習の習慣を作る。
 そのうち、「技」が磨かれ、さらに練習をを繰り返す。
 そうするとある日、その種目の本質である「心」に目覚める。

この順番で上達していくので体→技→心の順が正しいのでは?とのこと。



 確かに体ができていないければ技があろうと心があろうと負けてしまいます。
特にスポーツではフィジカル(体力)で外国人に負けるケースが多く、
敗因などでも体格差やパワーの差が挙げられることもしばしば。
少し前まではサッカー日本代表も体力差で負けていたように思いますが、
最近の日本サッカーは簡単に体力面で負けず、むしろ試合の最後まで
圧倒的な運動量をキープできるようになったように感じています。
その分、それまで磨いてきた心や技が活かせているのではないでしょうか?



 本質的な部分はやはり技もしくは心にあるのかもしれません。
理論的には心を整え、技を磨き、その上で体を鍛えることが正しいのでしょう。
しかしながら、そういった順番で体まで鍛えられる人はごくごく少数。
なぜなら、体ができていなければ心や技が活かされず、
むしろ心が折れてしまいかねないからです。

 逆に体を鍛えるということは自ずと心が伴ってくるのではないでしょうか?
体が強くなり、自在に動けるようになれば走りながら、
動きながらも頭を使うことができますから心も技も活きてきます。



 体を鍛えるトレーニングは地味で面白くもありません。
走り込みであるとかウェイトトレーニングであるとかのイメージですね。
ただ、そのトレーニングで体を鍛えあげ、まずは土台を作る必要があります。
その上で考えて技術を生み出し、安定した確実な技を磨く。
技を磨くためにもまた気が遠くなる反復作業が必要です。
多くの一流アスリートが基本を反復していますよね。
そして、その技が体の隅々にまで染み込んだ結果、
ある時本質が見えるようになるのでしょう。
そして心が伴った達人や怪物が現れるわけです。



 Ozakiはこの順番は仕事、ビジネスでも同じだなと感じています。
技術力や知識、仕事のビジョン、ミッションだけでは
真に成果があがるということはありません。
むしろやりたいことがあるのに、できないという苦しい状況になるでしょう。

 技術力、知識、ビジョン、ミッションを活かすためには
健康に動き続ける体力、行動力が必要なことはもちろんのこと、
身のこなしという意味では基本的なビジネス上の立ち居振る舞いも重要です。
商談をする、会議を開催する、プロジェクトを立ち上げる…。
どんな仕事であっても、はじめは「技」も「心」も持っていないのですから、
とにかく達人や先輩をまねて、「体」を動かすしかありません。

 何度も何失敗しながら繰り返し同じ「体」の使い方をするしかないのです。
見よう見まねで何とか形になるよう「体」をトレーニングするのです。
仕事でもスポーツと同じで、「体」を鍛えるトレーニングは地味ですね。
そういった、苦労、下積みを続けることで、徐々に「技」が見え、
ある日「心」が伴ってくる、これは仕事もスポーツも同じなのでしょう。



 ただ、仕事においては「体」を鍛えることを出発地点にすると
ある問題が生じてしまう危険性もはらんでいるように思います。

(次回に続けます) 

一年後に~未来は予測できない~

2013-07-20 15:25:27 | 意識を整える


 日本人全員が、そして世界の大部分が驚き、悲嘆した
あの日から一年が経過しました。
(このブログはOzakiが毎週お届けしているメルマガの
メインコラムバックナンバーを公開しているものです。
このコラムは2012年3月12日に発信しました。

本編のメルマガを購読していただける方は

http://www.mag2.com/m/0001596640.html

からお申込みいただくか、Ozaki宛にメールを頂ければ
と思います。)



 改めて東日本大震災及びその後の津波で
お亡くなりになった方のご冥福をお祈りします。

 また、ご家族、友人を亡くされた方、

   ご自宅、事務所等を失った方、
田んぼや漁船等の生計の中心となる資産を失った方
   住み慣れた故郷に戻れない状況の方、
   経済環境の悪化で仕事を失ってしまった方、

に心からお見舞い申し上げます。

 
 一年前にも書きましたが、今回の地震で、特に日本人は

「当たり前のことが当たり前でなくなる瞬間がある」

という事実を突き付けられたのだと思います。

 日本では、

 スイッチを押せば電気が使え、
 コックをひねればガスがあり、火が使え、
 蛇口をひねれば安全に飲める水道水が出て、
 ほとんど時間に正確な移動手段が複数あり、
 指先一つであちこちに連絡ができ、
 端末さえあれば、欲しい情報がすぐ手に入る。

そんな暮らしが当たり前でした。
それがある瞬間を境に何の準備も、抵抗もできないまま、
そういった「当たり前」がなくなる。
不便という次元ではなく、すべてが「手探り」の状況。
そんな急激な変化に従わざるを得ない事態がこの世の中にあったのです。



 あれから一年、悲しみの中にも前を向いて生きようとする
さまざまな立場の方の努力がありました。
私の友人にもボランティアとして週末東北で活動している
人間が複数います。
まだまだ十分ではないのでしょうが、復興に向けて確実に
進んでいるのだと感じています。



 途上国の災害復興を見ていると、政府の動きが遅かったり、
被災地で自分勝手な行動が増え(やむを得ないことですが)、
結果復興への歩みが極端に遅れたりという事態を経験することがあります。
そのため、復興中に次の災害がくるということもしばしば。

 東日本大震災では、混乱がまったくなかったわけではないですが、
途上国に比べ圧倒的に円滑に進んでいるように見えます。
(Ozaki自身も被災した)阪神大震災の際には向こう10年
このあたり一帯は「被災地」のままではないか、という
印象を当初受けましたが、かなりのスピードで復興を遂げました。
(もちろんその裏にはとてつもない努力があるわけですが)

 失った暮らし、故郷、財産、そして失われた命。
これらは帰ってきませんが、途方に暮れるだけではない、
日本人の前向きな取り組みに改めて敬意を表し、Ozakiも
自分ができることにしっかり取り組みたいと考えています。



 ただし、一点やはり忘れてはいけないと思うことがあるのです。
それは次いつ、どのような形で、どのような規模で今回のような災害が
発生するかまったくわからないということ。
予想はできても未来を確実に予測することは不可能です。

 日本で暮らされているみなさんはご承知の通り、
現在東京直下型地震の危険性が指摘され始めています。
東北地域と比べれば被災する人口は圧倒的に多いでしょうし、
経済的にも被害は想像を絶する額になるかと思います。
(日本の年間国家予算90兆円に対し、112兆円という被害額予想です)
また、東南海・南海地震、東海地震でも被害はかなり大きくなるはずです。



 不安を煽る意図は全くありませんが、一般論として
東日本大震災が発生したからといって、地震が当面来ないということはありません。
ひょっとすると日本を取り巻くプレートの動きが活動期に入っており、
それほど時間を空けずに次の大きな地震(群)が来るかもしれないのです。

 そしてそれらはいついかなる状況で発生するか、は不明です。
我々が死んだ後であろう100年後かもしれませんし、
我々の体が弱ってきている30年後かもしれませんし、
ひょっとすると明日、明後日であってもおかしくありません。



 地震の他にも富士山の噴火であるとか、
地球規模の気候変動に伴って洪水や大寒波などもあり得ます。
一時的な気温の変化だけでなく、日本の平均気温が上がり、
東南アジア諸国のような亜熱帯、熱帯になるという予測もあるようです。
こうなると四季がなくなり、日本での生活を大きく変えざるをえないでしょう。

 日本は世界中の国で最も暮らしやすい国の一つではありますが、
多くのプレートがせめぎ合っている地域に位置しています。
そして人間は地球という大きな「器」の上のほんの表面に
しがみついて生きているに過ぎないのです。
そのため環境の変化が起これば否応なく巻き込まれます。

 昨年の地震は改めて

災害が常に起こりうるということ、
明日、明後日にも現在の「当たり前」は強制的に転換されうるということ、
そしてそれでも人間は生き残れる可能性があるということ、

を我々日本人に強く思い起こさせた出来事でした。



 であればこそ、一日一日を大切に、そして悔いのないよう生きる
そういった姿勢が常に大切なのではないでしょうか? 
常に全力疾走は無理であっても、自分のペースで一歩一歩走り続け、
「このくらいはいいか」と手を抜かない。
経年優化の発想の繰り返しになってしまいますが、この考え方が
とても重要なのではないか、とあの日の出来事から考えさせられました。



 上述したような突発的な大転換が起こったときサボっていたことを
後悔しても遅いはずです。
自分なりのベストを尽くしていてもどのような状況に置かれるか
予測できないですし、きっと被害もあるのでしょうが、
手を抜いているとそんな時にその分しっぺ返しがきます。
自分自身が日々納得し、後悔のない一日を過ごす。
そんな生活を送りたいと心から願っています。



 辛いようですが、過去は変えることができません。
そして未来は予測できません。
過去と未来の中間、すなわち現在は英語でpresent。
どんどん過ぎ去ってゆく現在という時間はまさに自分に与えられた
貴重な貴重な「プレゼント」なのです。

 そのプレゼントをどう使うかは我々次第なのだ、そんな風にOzakiは考えます。

メルマガ発信時の心がけ(その2)

2013-07-13 21:47:28 | コミュニケーション
 
 前回に引き続き、Ozakiがメルマガを中心として情報発信をする際に
心がけていることを説明していこうと思います。
ブログやメルマガ、SNS等で情報発信している方に少しでも
参考にしていただければ幸いです。



 3.フィードバックを求める

 メルマガでも何度か説明していますが、Ozakiはコミュニケーションを
双方向的なものだと考えています。
発信者だけでも受信者だけでもコミュニケーションは成立しません。
発信する側は受信者にわかりやすく、価値ある情報を提供しようとし、
受診する側は発信者の意図をできるだけ汲もうとします。

 それでも人間同士のコミュニケーションでは齟齬が生じます。
100%発信者の意図が受信者に伝わることはまれでしょう。
これは読者の皆様も日々実感されているのではないでしょうか?



 そのため、Ozakiの文章に疑問があれば質問をしていただきたいですし、
反論があれば、遠慮なくぶつけていただきたいですし、
この文章はこういう意味?という確認や同意も大歓迎です。
こうすることでこのメルマガを発信者=Ozaki、と受信者=読者の皆様、が
共に成長していけるような装置にしたいと思っています。

 また、お互いの意見を言いながら主張をぶつけあい、意見を磨いていく。
そんな機能も果たせるのではないか、とOzakiは考えています。
古代ギリシャ時代に行われていた弁証法という方法論があります。
これは双方が意見を述べ、質疑応答しながら真理に迫っていくというもの。
(対話法、問答法とも言うようです)



 現代においても、意見を述べ合い、質疑応答をしながら、意思疎通を続け、
お互いが発信した中身を磨きあうという流れは理想的ではないでしょうか?
発信者が一方的に発信していてはその中身は磨かれる機会がありません。
どんなに素晴らしい発信者であっても最初から完璧なアイディア、意見は
なかなか生み出せないもの。
であればこそ、発信者と受信者が質疑応答、意見交換することで
重要な考え方、革新的なアイディアに迫れるのではないかと思います。



 ですので、Ozakiは情報を発信したら積極的に意見を求めていくべき
ではないかと考えています。
もちろん批判や反論などは怖いのですが、それ以上に集まってくる
情報や自分では気づかなかった視点をいただけることを経験済み。
できる限り読者からフィードバックをいただき、自分もそして
意見を出していただいた読者の方も成長できるようにしたいところです。



 そのため、Ozakiはメルマガを疑問形で終えるように心がけています。
フィードバックの種を読者の皆さんに求める仕掛けですね。



 4.具体的な読者を想定する

 Ozakiがメルマガをはじめとする記事を書くときには必ず
具体的な読者像を想定するようにしています。

 前回お付き合いしたい価値観、人生観を持っている人を惹きつけるように
自分の価値観、人生観を素直に表現するという項目を書きました。
それを情報発信の原則とすれば、こちらは運用方法に該当するものです。

 漠然とした価値観、人生観を書いているだけでは毒にも薬にもなりません。
Ozakiが言いたいことを伝えることも難しいでしょう。

 そこで、具体的な事例や実際にメッセージを送りたい読者の方を想定して
コラムのテーマ、文章の構成、取り上げる事例などを工夫しています。
誰に向けて書いているか、は明記していませんが具体的に

 この人に読んで欲しい
 この人からのフィードバックが欲しい
 この件に関してこの人の意見を聞いてみたい

そんな意図を持ってテーマを選び、文章を書くようにしています。



 意図の通りになっているかどうかはわかりませんが、
こうすることによってテーマが絞り込まれ、
具体的な事例から一般的な話へと論を進めることができます。
特定の業界の話から、社会一般、ビジネス一般に適用できそうなポイントへ。
実際に悩み相談を受けた友人の話から同世代の悩み解決に役立ちそうな論点へ。



 具体的にメッセージを届けたい相手を頭の中で思い浮かべ、
その話から読者のみなさんにも分かってもらえるように話を組み立てる。
そんな帰納的な発想を意識してメルマガを書いているのです。

 こうすることによって、言いたいことを明確化しつつ、
できる限り多くの読者の方に分かってもらえる文章にしようと努力しています。



 5.時間をおいて文章を読み返す

 文書を書いているとある種のハイになってくることがあります。
Ozakiの場合、恥ずかしながら稚拙な自分の文章に酔うこともあります。
こういった時に書いた文章は当然のことながら、独善的で、
誤解を生みやすく、意図が不明確もしくは意味不明な文章になってしまいがち。

 そんな文章を発信してしまうと読者のみなさんには
Ozakiの文章を何度も読み返していただいたり、主張や意図について
想像、推測する時間を割いてもらうことになってしまいます。
これでは情報を発信する意味がありませんし、読者の皆さんの
貴重な時間を浪費させてしまう結果になりかねません。



 Ozakiには世に出版されている書籍やニュース記事と違い、
プロの編集者、校閲者はいません。
しかしながら↑のような目も当てられない結果を避けるためにも
せめて自分なりの編集作業をしたい、Ozakiはそう考えています。

 そのための手段、作戦が「時間をおいて読み返す」こと。
このメルマガに限らず情報を発信する前にはたとえ短い時間であっても
別の作業を挟み、いったん頭をリセットしてから読み返しています。

 この一連の手続きを経ることで自分の文章を冷静に読むことができ、

 誤字脱字、
 変換ミス、
 論理構成の不明確さ、
 分かりづらい言葉づかい、

などを一つ一つ訂正する機会を持てるはず。

 読者のみなさんには毎週一回、数分の貴重なお時間をいただくわけですから、
万全ではないにせよ、多少はましな文章をお届けしたい。
(相変わらず文章が下手だなぁと自分でも情けなく思ってはいますが)
そう思って、自分なりの校閲、編集を仕組化するように心がけています。

メルマガ発信時の心がけ(その1)

2013-07-06 15:13:21 | コミュニケーション



 お陰様でメルマガの読者数も増加傾向にあり、
メルマガバックナンバーをご覧いただいている数(IP数)も
Ozakiが思っている以上に伸びて来ています。
(このブログはOzakiが毎週発行しているメルマガの
メインコラムを順次掲載しているものです。
メルマガ本編にご興味をお持ちいただいた方はこちらから登録できます)

 更新をお知らせしていない日でも50以上の閲覧がありますので、
Ozakiが想定していない読者の方もチェックされているのかもしれません。
 

 大きな大きなネットの海のなかで50程度の閲覧は大した数ではありませんが、
Ozakiが定期的に情報発信をし、表現を公開しはじめた時と比較すれば、
ずいぶんと多くの、そしておそらくは多様な方に見られていると感じています。
その分、身近な友人や付き合いの長い方以外も読者に含まれるようになりました。

 そういった方にも誤解なく、言いたいことを伝えるために、
またOzakiのメルマガを読んで嫌な思いをされないように、
いくつか心がけているポイントがあります。
今回はそれらを紹介したいと思います。
読者の皆さんの中でメルマガやブログ、ツイッター等で
情報発信されている方はご参考になれば幸いです。



1.ネガティブなことは一切書かない

 Ozakiがメルマガをはじめ文章を書くときの大原則です。
このメルマガでも負のエネルギーが強く周囲の方に影響することを
お伝えしたことがありますが、負のエネルギーを発信しないようにしています。
ネガティブなことを書けば文章を通じて読者の皆様に
負のエネルギーを「感染」させてしまいかねません。



 仕事が不調であっても、プライベートで嫌なことがあっても、
そういったことは一切書かず、皆さんの目に触れないよう文章を書いています。
逆に精神的にネガティブな時ほど、

 最近こんな面白いことがありました!
 今勉強している○○のおかげでこんなに成長できました!
 こんな素晴らしい方との出会いがありました!
 今、公私ともに絶好調です!
 
と(その時の自分にしては)大げさにポジティブな書き方をしています。
こうすることで、自分も少し元気になりますし、
なにより読者の方に負のエネルギーを与えずに済みます。



2.自分の考え方、価値観、特徴、行動などを素直に表現する。

 情報発信をする目的の一つは、長くお付き合いでき、考え方を磨いてくれる、
そんな人と出会い、さらに良質の情報を発信できるようになることです。
少しずつでも発信できる情報の質を上げ続けるように心がければ、
自分の生き方も経年優化していくはず、そんな考え方ですね。

 この考え方に基づけば、
 
 長くお付き合いしたいと思う人、
 自分の考え方を理解した上で、違う視点で意見をくれる人、
 自分と目指す生き方、価値観がおおよそ同じ方向を向いている人、
 
に自分の文章を読んでもらえるように工夫していかなければなりません。
そのためにOzakiはできる限り自分の考え方、価値観、特徴、行動を
素直に表現するようにしています。
ウケがいいから、と言って自分が思ってもいないような内容、主張はしません。



 このメルマガ発行時に「おススメ本」として紹介した
変われる人」の中にも取り上げられていますが、

「より高みに成長しようという考えで情報を発信すれば、
 同じ志をもった人たちが集まってきますが、
 犯罪すれすれのことをしてでも金儲けをしようという考え方をもっていれば、
 そのような人たちばかりが集まってしまう」

のだと思います。



 自分が発信する情報が自分と似た価値観の方を集め、
集まってくれた読者の方を思い浮かべながら価値観や行動をさらに開示する。
このサイクルを回すことによって、真に長くお付き合いできる方が
メルマガを読み続けてくれるのではないでしょうか?



 Ozakiは週刊誌や夕刊紙のような短期的な読者数増、売上増は求めていません。
長期的に自らと読者の皆様が成長し続けられる、そんな場を創りたい。
そんな思いを大切に、Ozakiに基本的には共感していただける方を探せるよう、
考え方、価値観、特徴、行動などは素直に表現するようにしています。



 (次回に続けます)