36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

エースになれる舞台は『ありのまま』で(その1)

2015-12-26 22:25:52 | 読書

 前回のコラムで自分が力を発揮できる舞台を探しましょう、
と書いたところいろいろな方から反響をいただきました。



 その中で一番印象に残ったのは

 「自然体で6年間続けてこられているというのはすごいことですね」

というもの。

 すごいという過分な評価はさておき、
Ozaki自身が一番ピンと来た言葉は「自然体」というものでした。
前回もお伝えしたようにメルマガという舞台設定は
Ozakiにとって



 自分のキャラクターが活かせると感じられ、
 自分がやってきたことはそう簡単に真似されないであろう自信があり、
 自分自身も楽しみながら取り組むことができる、



言ってみればOzakiが「エース」になりうる舞台の一つだと感じています。

 自分にしてみれば普段と変わらず自分の感じたことを
飾らず素直に文章にしてみたのですが、反響が珍しく大きかったので
もう少し突っ込んで考えてみることにしました。
そうすると、興味深い仮説に気づいたように思います。



 自分が「エース」になれる舞台を探す時に最も重要なのは
先週お伝えした上述の三つの要素の奥にある

 「自然体で続けられる」

というポイントではないかということがその仮説です。



 自分のキャラクターを十分に活かせるということは
自分自身が無理なく演じられる、やりきることができるということ。

 自分自身に自信を持てるということは
そのままの自分でいいのだ、と自分を認めてあげられるということ。

 自分が楽しい、続けたいと思えるということは
変に着飾ったり、無理な背伸びをしていないということ。



 長期間、継続的に歩き続け、その結果大きな成長を得ることを
理想としているメルマガの読者のみなさんには
自分が無理していると感じずに済む、「ありのまま」で
自分が輝くことができる舞台を見つけることが重要であるのは
スッと理解いただけるのではないかと思います。



 言葉を換えれば、自分が「エース」になれる舞台を見つけるためには
まず自分自身とは何者なのかを理解した上で、その「何者か」に
適した取り組みを続けることが必要ということになりますね。



 前回もお話したように、現在超一流として世に名前が知られている方も
少し舞台設定を変えると途端に「凡人」になってしまうことがあります。
我々もそれは同じのはず。



 しかしながら、

 世の中には自分自身とは何者なのか、
 自分に適した舞台はどこにあるのか、
 楽しみながら努力を継続できるジャンルは何か、

といった問いをすっ飛ばして自分以外の人間がセットした
舞台設定で戦っている人が多いようにも感じます。



 (次回に続けます)

自分がエースになれる場所を選ぶ

2015-12-12 21:33:20 | 読書

 先日読んだ

 「エースと呼ばれる人は何をしているのか」(夏まゆみ、サンマーク出版)

の内容が印象的でした。
著者の夏まゆみさんはダンサー/振付師として
日本のトップに君臨している方です。
夏まゆみという名前は聞いたことがない方でも

 「モーニング娘。とAKB48のダンス指導をしている人です」

と言えばあーと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
また、アイドルに興味がないという方であっても
ナインティナインや雨上がり決死隊が所属していた
吉本印天然素材(天素)のダンス指導をしていたのも同じ夏さんです。



 ダンスを習ったトップアイドルからも

 「夏先生はダンスを教えてくれる先生ではなく、
 振付に心を入れてくれる人です。」

とまで称されるような仕事ぶりをしているとのこと。



 その夏まゆみさんがこの本で一番訴えたい内容は



 すべての人間は必ず輝くようにできている
 もし今あなたが輝いていないのであれば、それは

 自己を確立し
 自分に自信を持って
 前に進める

そういう状態にないだけ。
逆に言えば、

 自分の個性を発揮できて
 ありのままの自分でいられて
 さらにその分野を探求したいと思える

そんなステージを見つけることができれば
その時点であなたはその分野の「エース」として輝けるはずです。

というものだと感じました。



 この本で書かれていることのほとんどは芸能界の話で、
皆さんが普段経験する世界の話とは少しかけ離れているかもしれません。
しかしながら↑のように要約してみると、
これはどんな世界であっても当てはまる黄金律なのではないかと思うのです。



 例えば、Ozakiはかれこれ6年ほどこのメルマガを書いています。
この6年間メルマガを続けてきたという経験(実績)から
Ozakiにとって自分の考えや感じたことを文章にするという個性は
少なくともOzakiというキャラクターを構成する重要な要素だと確信できます。
また、このメルマガは開始当初から常に自然体を意識して書いていますので、
絶対の自信はなくとも、変に「盛って」文章を書く必要がない、
ということも認識できています。
そして、書けば書くほど、まだあのテーマでも書いてみたい、
もっと多くの人にすんなり理解してもらえる文章を書いてみたい、
と前を向いて進める取り組みでもあります。



 こういった要素を満たしているこのメルマガは
Ozakiという人間が輝きうる舞台であると言えるでしょう。
その結果でしょうか、Ozaki自身毎週のメルマガのネタを考えたり、
実際に文章を書く作業は全く苦になりません。
しかしながら、同じ

 「週に一度メールマガジンを発行する」

という行為であっても人によっては苦痛以外の何物でもない、
というケースもありうるのだと思います。

 ただ、それはその人にとってメルマガという舞台が
自分がエースとして輝ける場所ではないというだけであって、
メルマガが発行できないからと言って
その人がOzakiよりも劣る、ということでは決してないことは
皆さんもすぐに理解いただけると思います。

 

 反対にもしOzakiがメルマガではなく、将棋やテニスやバレエや絵画で
輝きを得ようとしてもそれは全く叶わないはずです。
なぜならそういった分野で

 自己流の楽しみ方を知って
 自分の取り組みに自信を持ち、
 次はもっと別のことをやってみようという前向きな気持ちを持って

いるような人はたくさんいるからです。
そういった人たちの中にOzakiが飛び込んでも埋没してしまい、
日々自分の至らなさを痛感し、その分野だけでなく、
生きていくことそのものを苦痛に感じてしまう、
そんな事態になってもおかしくないと思うのです。



 こう考えてみると、夏さんがおっしゃるように
今自分が必ずしも輝けていないと感じるのであれば、
それはちょっと舞台設定があっていないだけのかもしれません。

 将棋のスーパースター羽生善治名人も
テニスコートで錦織圭選手には勝てませんし、

 錦織圭選手の運動神経をもってしても
天海祐希さんのような宝塚トップスター級の表現はできないでしょうし、

 天海祐希さんのような芸術的センスをもってしても
奈良美智さんのような印象的な絵を書くことはできないでしょうし、
 
 奈良美智さんの感性をもってしても
羽生さんのように将棋盤の上で駒たちを躍動させることはできないはず。



 どんな人でも少し舞台を間違ってしまうと
途端に輝きを失ってしまいかねないのではないでしょうか?



 人間みながステージの中心でスポットライトを浴びるアイドルとして
ヒットを飛ばせるわけではありません。
しかしながら、自分がこれなら

 自分にあったジャンルだし、
 そこそこやれる自信があるし、
 なによりも楽しめる!

というものがあるのであれば、それが皆さんが「エース」になれる
そんな舞台設定なのではないか、と思います。

 『One Piece』の連載は2時間揉めた末の決定だった

2015-12-05 01:28:18 | 仕事術


 現在株式会社集英社で専務取締役を務めておられる
鳥嶋和彦さんのインタビュー記事を拝見しました。
鳥嶋さんは集英社に入社後、一時代を築いた
「週刊少年ジャンプ」の編集者として活躍。



 特にOzaki世代では知らない人はいない鳥山明さんの

 「Dr.スランプ」
 「ドラゴンボール」

は鳥嶋さんにとって編集者時代の代表作となっています。

 その後系列のゲーム雑誌を経て1996年に週刊少年ジャンプの
編集長に任命されました。
編集長に着任する少し前、ジャンプはライバル誌である
週刊少年マガジン(講談社)に発行部数で逆転されており、
数年前には考えられなかった苦境を迎えていました。
つまり鳥嶋さんはジャンプの立て直しを命じられたわけです。



 この前後の出来事がインタビュー記事では
ありありと語られているのですが、Ozakiが一番印象に残ったのは
タイトルにもある

 「『One Piece』の連載は2時間揉めた末の決定だった」

という一言。



 今でこそ主人公が海賊王を目指す「One Piece」というマンガは
「ドラゴンボール」に比肩する国民的大ヒットマンガとなりましたが
連載開始前には編集部でこのマンガを継続するかどうか、
意見が分かれ、議論が揉めたようです。



 一つの作品の連載可否だけを二時間以上議論し続けた結果、
編集長だった鳥嶋さんは

 「意見が分かれたものは当たる確率が高い」

という経験則に従って連載にゴーサインを出します。
これが英断だったことは今や論を待ちませんね。
 

 この前後のことを語って鳥嶋さんはこうおっしゃっています。

 「私が思うに、みんなが賛成するものというのは、
 すでにどこかで見たことのあるものだから
 判断しやすいのだと思います。

  みんなの賛同を得にくいものは、
 何か新しいものを含んでいます。
 そういうものこそ、やってみる価値があるのです」



 言われてみると人間は既に存在するもの、
ある程度価値観が確立されているものについては
好きか嫌いか、好ましいか好ましくないか
比較的楽に判断することができますよね。

 その一方で、見たこともない、聞いたこともないものが
突然目の前に登場したとしたらどうでしょうか?



 これは触っても大丈夫なのか?
 何に使うものなんだろうか?
 これは社会全体にどんな影響があるのだろうか?


といった様々な考えが頭に浮かんでしまうはずです。
あまりにも迷うポイントが多いと、人によって
好きか嫌いか、好ましいか好ましくないかの判断が
かなり激しく分かれることになるでしょう。



 とはいえ、既に存在するものを改めて世に問うても、
それはあくまで先行事例のマネごとでしかありません。
賛否が分かれず、すんなり受け入れられるかもしれませんが、
圧倒的なシェアは獲得できないでしょうし、
大ヒット商品には育たないタイプの取り組みです。



 逆に賛否が分かれ、激しい議論が巻き起こる新商品は
鳥嶋さんがおっしゃるように得体のしれない、新しい要素が入っています。
もしかしたら大失敗する危険性もありますが、
同業他社のマネでもない、過去の成功体験の延長線上にもない、
そんな商品であると言えますね。

 マンガの事例に戻れば、今まで実績のある漫画家を起用し続け、
過去にヒットした作品の焼き直しのような作品を掲載したとしても、
人気が持続できないのは容易に想像できます。
編集者の立場からすれば、ヒット作のある漫画家は安心感がありますし、
ブランド力から

 「売れるだろう」

という計算が成り立ちますが、読者はそういった考えよりも
既に次の新しい視点を持っているもの。
そのため、実績はなくても抜擢されて連載が決まった若手漫画家から
大ヒット作が生まれるということになるのだと思います。

 世の中の変化が早くなった現代ではなおさら、
消費者、顧客のニーズの変化も早くなっています。
そのため、サービス、商品、コンセプトも過去にない、
賛否両論が拮抗するようなものが求められていると言えるかもしれませんね。



 過去の体験に学ぶということ、そのものは大切だと思いますが、

 大ヒットした『One Piece』のスタートは
二時間に及ぶ白熱した連載可否の議論であった 

 という事実も踏まえて、チャレンジを続けることは
もっと大切なのではないかと考えるOzakiです。