36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

子育ては人材マネジメントに通ず

2016-01-24 14:02:34 | 人間関係

 イスラマバードに滞在中、自分の娘と娘の同い年(3歳)のお友達、
そしてそのお姉さん(小学生)の三人を連れて、
動物園に行くという経験をしました。
平日だったので、大人はOzaki一人。



 これまで日本人会のイベントで娘のお友達のお母さん方が
料理や受付作業をされている間、ごくごく短い時間だけ
複数人の子どもたちと遊ぶという経験はありましたが、
数時間にわたる長い間、しかも子ども3人を相手に
しっかりと引率するという機会は初めてでした。

 「まぁなんとかなるやろ」

と思って引き受けたはいいものの、
いざ実際に二人の御嬢さんを預かって動物園に向かい始めると
不安が先行し始めたのも事実です。

 動物園の駐車場から動物園までの道のりを無事に歩けるだろうか、
 道沿いの池に3歳の子たちが落ちたりしないだろうか、
 ちょっと目を離している隙に万が一誰かがさらわれたらどうしよう、

などなど、「最悪」な事態というのは次々と思い浮かんでしまうもの。
動物園に着くまでに疲弊してしまうのではないかとまで感じました。



 動物園の中に入ると今度はあちこちに面白そうな動物が
たくさんいるわけですから、女の子たちがじっとしているはずありません。
三者三様、好きなように気になる動物を見に行ってしまいます。
かと思えば、

 「○○ちゃん、こっち来てゼブラ一緒に見よう!」

と呼ばれた子がでこぼこした坂道を全速力で走り始める、
といったシーンもしばしば。
転ぶと怪我しそうだなぁと思いながらも、
走らせないようにするというのも至難の業です。

 
 そういった不安と闘いながら一時間、二時間が過ぎてくると
だんだん肝が据わってくると言いますか、状況に適応してきて

 ま、本当に危ない時だけは止めればいいか。
 それ以外は彼女たちそれぞれのレベルに応じた遊び方に任せよう。

と思えるようになった自分に気づいたのです。



 そして三人を動物園に付属したすべり台やブランコのある公園にまで
誘導し終えた時に、ふと

 子どもたち三人を一人でケアするのは
 チームのメンバーをひっぱって大きな「事故」が発生しないように
 人材マネジメントをするのと共通点が多いな

と感じました。



 小学生のお姉さんは当然三歳の二人よりもしっかりしているから、
長いすべり台に向けて階段を上っていてもそれほど心配しなくても大丈夫。

 三歳の二人も、万が一転んだり、落ちたりしても骨折するような
大けがをしそうにない時は、多少危なっかしくても挑戦させてみよう。

 池に落ちたり、園内の運営車両に轢かれることがなければ
三歳の二人がばらばらに動いているときは均等な距離で見ていよう、
そして必要があれば小学生のお姉さんに一人を任せよう。

 こういった考え方に基づいて、三人をなんとかもとの駐車場まで
誘導し終えることができたのですが、こういった考え方は

 今の仕事の経験が長いAさんという後輩にはここまで任せても大丈夫

 新人のBさんはまだ不慣れな部分があるから、大きなミスにならない
範囲で出来そうなことに挑戦してもらおう

 自分が手一杯な時にはAさんにBさんの一部の仕事を監督してもらい、
チームとして大きなミスが発生しないような体制を構築しよう



 というチームビルディング、チームの人事マネジメントと
非常に相似性が強いと言えるのではないでしょうか?
その意味では複数のお子さんを一人で引率するという経験は
人材マネジメントのよい訓練になりうると言えるかもしれませんね。



 もちろん今回のように誰一人大きな怪我をせず、迷子にもならず
三人の女の子を誘導するというケースでは、

 どういう場合に怪我をするのか、
 どういうことが起こるとに迷子になるか、
 自分の注意力が及ばない距離はどのくらいか、

といった大人であれば自然に身についている感覚があれば
ある程度成功するので、慣れればそれほど難しくないかもしれません。
仕事の上で人材マネジメントをしながら売上を上げたり、
新しい企画を立ち上げるといった成果を出すことと
単純に比較はできないのは明らかです。

 誰に何を任せられるのか、
 どこまでなら任せられるのか、
 どういった状態になるまでは自分自身の介入を我慢するか、
 チーム全体として大けがをしないために行える予防策はなにか、
 (上司への報告・連絡・相談等)

といったことを判断するには日常生活とは異なる、
ビジネス経験に基づく知恵が必要でしょう。

 ただ、ひとたびそういったビジネス経験に基づく知恵が
身につけば、あたかも子どもたちに動物園で楽しんでもらえるよう
全体を見渡しながら引率するようなイメージで、
チーム全体の活力を引き出す動きができるようになるのではないでしょうか?

 もしOzakiのこの仮説が正しいとするならば、
子育て経験というものは決して

 仕事と両立できない
 仕事ができる時間が無駄になる
仕事比べて生産性が低い
 
といった類のものではないと言えるのかもしれません。
仕事の経験は子育ての上でも生きるでしょうし、
子育ての経験をも仕事に生かせるチャンスがあるということですから。



 イスラマバードで休日を過ごすうちに気づいた
興味深い仮説をご紹介しました。

「エースになれる舞台は『ありのまま』で(その3)」

2016-01-16 00:42:26 | 読書


 前回までの二回は変に格好つけることなく、
現時点で自分が実力を発揮できる舞台を大事にしましょう、
というお話を進めてきました。



 シリーズ最終回では、自分を曲げない、飾らない、ことが
自分を応援してくれる人の惹きつける求心力になるというお話をします。



 極端な話から始めてみましょう。

 実はお金を持っていないのにお金持ち自慢をするタイプの人
 一度見た程度でいろいろな有名人と知り合いだと主張する人
 あまり決まっていないにも関わらずリーダー役を演じようとする人

といった人に皆さんは心を開くでしょうか?

 おそらくはつかず離れず、なんだか変なヤツだなぁと思いつつ
それなりの人付き合いをするという選択肢か、
もしくはこういう人間とは付き合いたくない!ということで
距離を置くか、どちらかではないでしょうか?
その理由は、やはりありのままではない、不自然に着飾った自分を
演出しようとする「嘘くささ」「底の浅さ」が見えるからでしょう。



 Ozakiとメルマガを素材にして考えるとすれば、
Ozakiが実力がないにも関わらず「上から目線」で発言をしはじめれば、
過去6年間(!)我慢強くついてきていただいている読者のみなさんを
あっという間に失ってしまうであろうということは容易に想像できます。
(注:このコラムを掲載した当時の状況です。
2016年になった今、おかげさまで7年目に入りました)


 逆に、完ぺきではないし、失敗もよくしているけれども
それを隠さず、至らない点は克服しようと頑張っている人がいれば
その人は「なんとなく憎めないキャラ」ということで多くの人が
集まってくるように思います。
もちろん人のキャラクターと人気の相関は一概に言えませんが、
少なくとも一貫してありのままで自分の舞台に立ち続けている人を
心の底から嫌いになるという方はかなり少数派ではないかと感じるのです。



 なぜこういうことが起こるのかなと少し考えてみたのですが、
これはその人から日々発せられる有形無形のメッセージに
一本軸が通っているからではないでしょうか?



 変に格好をつけている人は意識的な演技、過剰な自慢によって
その人自身の軸がよく見えなくなってしまいます。
反対に、至らない部分も周りに見せるような、ありのままでいる人は
欠点も含めてその人自身の軸がはっきり見えます。
言い換えると、後者の方が

 この人はこういうキャラクターなのだ
 この人はこういう場面で強みを発揮するのだ
 この人の欠点は別のあの人が補えそうだから二人は名コンビかもしれない

とはっきりと周囲の方に特徴が認知されるということになるでしょう。
変に格好をつけるよりも自然体でいる方がいわゆる「キャラ立ち」する
というのは面白い仮説かもしれませんね。



 ネットが急速に発達して様々な情報が溢れるようにして入ってくると
受け取った情報のうち本当に心に残るのはごく一部です。
そのため、自分自身をしっかりと覚えてもらおうと考えた場合、
しっかりとした軸を打ち出して自分はこういう人間ですよ!と
相手の心に残る印象を与えなければなりません。

 そういった印象が積み重なることで

 「ああ○○と言えばAさんだよね」
 「Bさん?あの▲▲がすごいって聞くあの人?」

という口コミで評判が広がるような「エース」と呼ばれる存在に
徐々に近づくのではないでしょうか?

 一時的な評判を得るためであれば奇抜な行動や破天荒な振る舞い、
本来の生活を大きく離れた演出をするのはアリかもしれません。
ただ、逆説的ではあるのですが、ありのまま、格好をつけずに
自分自身が自然体で活動し、自分という存在をPRすることが
長い目でみてエースに近づくのではないかとOzakiは考えています。

エースになれる舞台は『ありのまま』で(その2)

2016-01-02 17:26:12 | 読書


 前回に引き続きありのまま、自然体をテーマに書いてみます。

 Ozakiはメルマガという舞台をつかって
ありのまま、自然体に成長しているという自覚を持っています。
これは

 自分のキャラクターが活かせると感じられ、
 自分がやってきたことはそう簡単に真似されないであろう自信があり、
 自分自身も楽しみながら取り組むことができる、

という三要素が揃っており、自分のやりたいようにやれば
そのまま自分自身の成長につながるからです。



 このメルマガの読者のみなさんもきっと
既にそういった自分がエースになれる舞台をお持ちだと思います。
しかしながら、前回のコラムでお伝えしたように
しばしば明らかに自分に合わない舞台で無理をして、
無理をしているが故に、空回りが続き、
空回りが続くが故に、さらに不必要な背伸びをする、
という悪循環に陥っている人を見ることもあります。

 例えばもしOzakiが同じメルマガという舞台で成長しようと
目論み、実際に取り組んでみようとしたとしても、
始めたばかりの頃に身の程をわきまえず

 自分はこれだけすごい!
 こういう取り組みをしたら絶対にうまくいく!
 これが成功への最短距離だ!

といった「上から目線」の発信を続けていたとしたらどうでしょうか?
Ozakiは自分のやり方が絶対無二である、100%成功する方法がある、
といった考え方はしません。
また、残念ながらそこまで自分自身に確固たる自信も持てていません。
そのため、↑のような発信を続けているとおそらくは
本来の自分自身とウソによって「盛られた」メルマガ上のキャラクターとの
ギャップが大きすぎることに耐えられなくなるように思います。

 自分を(メルマガ発信者として)必要以上に大きく見せようと
すればするほど、メルマガを書く時には背伸びが必要となり、
ある時背伸びしきれなくなって挫折する可能性があったということです。

 読者のみなさんは良くご存知のとおり、
Ozakiは「天才肌」といったタイプとは正反対の存在です。
泥臭く、とにかく時間をかけて努力を積み重ねる以外に
成長する方法がありません。
そしてそのコツコツと努力をするというのも、
本当の意味での努力家、秀才型の方と比べれば
圧倒的に低いレベルでの努力しかできていないと思います。



 それでも、メルマガを6年間継続的に配信できてきたこと、
今でも読者の皆さんに愛読いただける内容の文章を発信できている、
この秘密は何かと言えば、

 「変な背伸びをせず、現時点で至らない点もすべて公開しているから」

なのではないかと思うのです。



 今はまだこういう能力が足りないので、ここまでしかできません。
でも、その能力不足を克服すべくがんばっています。



 こういったパターンの時には自力でなんとかできるけれども、
そのパターンを外れると、なすすべなく失敗してしまいました。



 自分はこういう経験をして、自分自身の至らなさを痛感したので、
今後は今回の経験を活かして日ごろの行動パターンを変えてみました。



などなど、現時点での至らないOzakiを飾らずに記録することで
メルマガの中の自分と自分が捉えている自分自身が
大きくかい離するということがありません。
(その分皆さんからするとなんだこのバカは…となっているでしょうが)
その結果、自分自身を実験台にした人生の成長方程式を
編み出すプロセスを共有するというメルマガが成立しています。
そしてこういったメルマガはOzakiにとって
ありのままでエースになれる舞台、

 つまり

 自分自身とは何者なのか、
 自分に適した舞台はどこにあるのか、
 楽しみながら努力を継続できるジャンルは何か

のOzakiにとっての解ではないかと思うのです。 
 

 (次回に続けます)