36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

やる気のスイッチ

2012-08-30 02:03:39 | 意識を整える
 何かやらなければならないのに、なかなかやる気がでない。
 そんな時ってありますよね?
 やる気がなかなかでない時みなさんはどうしていますか?

 やる気はでないけど、無理やり始める?
 やる気が出るまで待つ?
 気分転換のために遊んだりお酒を飲んだりする?
 やる気がでなけりゃしょうがない、と寝てしまう?

どれもみなさんもやったことがある、一般的な対処方法だと思います。Ozakiは一番目と四番目の対応をすることが多いかもしれません。

 ただ、これらの選択肢はどれを選んでも生産性が高くないもの。やはり、やる気がある時に進めた方が断然効率よく進められます。気分が乗っている時にはいろんな仕事をあっさりと終えることができますし、どうしても帰らなければならない時間があるときは仕事が進みます。「火事場の馬鹿力」という言葉が昔から言われているのも納得ですね。



 では、どうやったらそのやる気がでるのでしょうか?だらだら時間を使わずに、やる気があっさり出る方法を探したいものです。 言ってみれば「やる気のスイッチ」を探すことを今回は提案します。

 やる気の源は意外と精神的な暗示のようなものです。やる気が出るきっかけはちょっとした外部からの+の刺激が多いです。

 ものすごい快晴だった
 褒められた
 悩んでいたことがなくなった
 100円拾った(!?)
 気になる異性と会話できた(笑)

などなど。
こうした出来事があるだけで気持ちが好転して、やる気が出たりしませんか?

 逆にやる気を失ってしまうきっかけは外部からの-の刺激が一つの原因です。

 小さなミスをして怒られた
 思っていた通りに物事が進まなかった(電車の遅延など)
 とばっちりで、他人から迷惑を被った
 気になる異性がメールを返してくれなかった(笑)

などなど。

 また、「やる気がでないなぁ~」と言っていると自己暗示をかけることになり、ますますやる気がでなかったりもしますよね?

 ということは、やる気を出すための一つのコツは自分でやる気がでるような+の刺激をつくってやる、ということではないでしょうか?何らかの+の刺激を与えることによって「やる気がでる」自己暗示を自分にかける。そうすればやる気のスイッチを押すことになるはずです。

 例えば、音楽を聞く。
プロ野球の選手が打席に立つ前にお気に入りの曲をかけるのはこれですね。

 Ozakiが知っている代表例は「銀座テーラー」の3代目社長鰐淵美恵子さんのお話。ご主人の正夫さんが亡くなった際にはバブル崩壊の影響もあり借金は約100億円。(当時銀座テーラーの年商は6~7億円。借金がいかに多いかわかります)ここから美恵子さんは不屈の闘志で老舗テーラーを立て直すことになります。その頃美恵子さんが習慣づけていたのは朝お風呂に入りながらワーグナーの 『ワルキューレの騎行』を大音量で聞くというものだったそうです。この曲で「戦闘モード」になってそのまま出社すると仕事が進むと語っていました。

  参考『ワルキューレの騎行



 特定の刺激をきっかけに必ず同じ反応を起こすように脳に覚えこませる。パブロフの犬になぞらえてしまうとちょっとイメージが悪いですが、この曲を聞くと「やる気のスイッチ」が入るという曲を見つけるのは一つの手です。

 
 音楽だけではなく、Ozakiがお世話になっている先輩は大きな声を出すとやる気がでると著作で書いていました。声を出して自分を奮い立たせるスイッチを入れれば、仕事がはかどるとのこと。他にも手で顔をばんばんと叩く、屈伸をする、など体を動かすタイプもありですね。

 音楽や声、体を動かす、などなんでもいいので自分なりの「やる気のスイッチ」がみつかれば、いつでもどこでもスイッチを入れられるはず。そうなれば多少たるんできたかな、と思ったところで「やる気のスイッチ」を入れて再加速させることができるようになります。

 皆さんなりの「やる気のスイッチ」があればOzakiに教えてくださいね!

芸は砂の山

2012-08-25 18:33:48 | 意識を整える
 落語の名人として有名な六代目三遊亭圓生(故人)の言葉から。三遊亭円丈さんという圓生さんの弟子が「芸を語る」というHPで逸話を紹介しています。


 ~~~ここから引用~~~

(円丈)「師匠!初めてその噺を覚えたネタ下ろしの時はそこそこウケルのですが、
ところが二度目にやるとどう言う訳か、しらけるコトが多いのはどう言う訳でしょう?」

(圓生)「そりゃあ当り前だ、いいか!芸と言うものは砂の山だ」

(円丈)「砂の山?」

(圓生)「砂山を登ると崩れてズルズルと滑べる、それが芸でげす。
     良いか芸てえものは、なにもしないとドンドン下がるもんだ。
     毎日少しずつ下がってる。
     だから最初にやった時は、一生懸命覚えて必死にやるから受ける。
     ところがそれからなにもしないと芸が下がる。下手になるから受けないんだ」

(円丈)「はあ、なるほどではどうしたら受けるようになるんでしょう?」

(圓生)「良いか。芸人はすぐ勘違いをする。
     おれは稽古をしてるから芸が上達してるだろう。
     ところが砂山はいつもズルズル下がっているから、
     少しぐらい稽古したんじゃあ、滑った分だけ上がる。
     つまり同じとこを行ったり来たりするだけだ。
     つまり自分じゃ上手くなってるつもりでもちっとも上達してない。
     だから上達しようと思ったら崩れる以上にいつも稽古をしないと上には登れない。
     それが芸でげす」

(円丈)「はは~~~~っ!」
 
 ~~~ここまで引用~~~



 落語という非常に特殊な、「芸を磨く」ことが要求される世界の逸話ではありますが、一般的な世界に住む人間にとっても示唆に富む話だと感じました。

 毎日同じような仕事をしていると、あるとき

 「自分自身は成長したなぁ!この程度のことは簡単にできるよ」

と感じる時があります。しかしながら、自分の実感とは裏腹に周りの評価がイマイチになってしまうもの。なぜ自分の成長を誰も評価してくれないんだろう??愚痴の一つもこぼしたくなりますよね。


 新人の頃、もしくは不慣れな時期は一生懸命資料を調べ、自分の文章を校正します。ところが慣れてくるに従って、

 これは以前こうやって処理したから今回も大丈夫
 まぁこんなもんで企画書の体裁は合格ラインかな
 本文は最前回に部長にOKを貰ったものと同じだし確認しなくていいだろう

などと、「手抜き」を覚えてきます。手抜きをすると先輩や上司はもちろんのこと、顧客にもその「手抜き」は伝わります。自分の成長は実は砂上の楼閣。成長したと実感して、「いつも通り」やり始めると途端に「手抜き」「退化」が始まります。

 自分自身で成長したなぁと実感することはモチベーションを保つためには重要です。しかしながら、もうこの仕事は大丈夫、この仕事ならマスターした、と考え始めると危険。それこそ砂の山を滑り落ちるように、ちっとも上達しないまま時間が過ぎてしまいかねません。


 もう少し上手く仕事をするにはどうしたらいいか?
 このプロセスを手早く終わらせるにはどうしたらいいか?
 もっと顧客満足度をあげるためにはどんな工夫ができるだろうか?

など常に今よりも一歩前に進むための方法を考えていなければ崩れ落ちていきます。

 自分の力が崩れ落ちるスピードよりも努力が上回らなければ退化してしまうという現実。陰の努力も含め、「砂の山」と毎日格闘していかなければならないのでしょう。

 
「社会人として大切なことはみんなディズニーランドで教わった」(香取貴信)にも同様なエピソードが収録されていた記憶があります。

 シンデレラ城のガイドをしていた香取さん。はじめはセリフも詰まりながら、しかもアドリブなんか利かせている余裕もない・・・。そんな駆け出し時代と、場慣れしてアドリブを入れるようになった時代と。なぜか前者のほうがお客さん(ゲスト)の反応がいいのは何故なんだろうか?

 そんなときに新人ガイドとして後輩がやってきました。当然自分のほうが上手くできるので、余裕をもって同行していたら・・・。なんと時々間違いながらツアーを進めるガイドデビューの後輩が喝采を受けるところを目撃してしまいます。

 そんな馬鹿な!?

と感じた香取さん。

 よくよく心当たりを探していろんな先輩に相談してみたところ

 自分では職場に慣れて上手くなったと思っていたけれども
 実は「手抜き」を覚えていただけであり、
 お客さんにとってはマニュアルどおり説明しているただの人

に成り下がっていたことが判明します。落語でもサービス業でも日々稽古をして、上達を心掛けなければ退化してしまうのですね。
 
 落語も、サービスも仕事も「芸は砂の山」。その瞬間、その瞬間に努力を積み重ねていくことが成長するための絶対条件だと思います。

チャップリンのステッキ(その2)

2012-08-19 00:28:11 | 読書
 前回はほとんどは既存のものであってもある一つを組み合わせた時に他のいろんなものを活性化できる「チャップリンのステッキ」があるというお話でした。自分のオリジナルが10%であったとしても他の90%が生きる「ステッキ」となれば、それまで世の中になかった価値や強みを発揮することができる、とういわけ。

 ただし、その「ステッキ」を見つけようと努力すると大変難しいのではないでしょうか?

 毎日処理すべき書類がたくさん降ってくる
 上司の指示が二転三転して、方針が決まるまでに時間がかかる
 仕事に不慣れなのか、自分の能力が低いのか、毎日終電まで残業だ
 仕事を終えたらくたくたで本を読んだり、勉強する余力がない・・・

などなど、Ozakiも含め読者の方も「ステッキ」探しに割ける時間はなかなかないもの。そして探してもなかなか見つからないのが「ステッキ」のような素敵なもの。また、探して見つからないとストレスも溜まってしまいます。

 探して簡単に見つからない上に、探すためのコストも大きい・・・。ではいったいどうしたらいいのだろうか?と考えが行き詰ってしまいます。

 そこでOzakiはある仮説を立ててみました。
その仮説とは・・・

「ステッキ」は探して見つけるのではなく、ある瞬間に見えるようになるのではないか

というもの。

 血眼になって探していてもなかなか見つからないならばいっそ探さない。その代わり、今自分が見えている世界をしっかり見つめるということに力を注いでみよう。そのうち「ステッキ」になるものが見えてくる、そして組み合わせられるようになるはず。「見つける」のではなく、「見えてくる」という感覚が大事なのではないかと感じています。



「千年働いてきました」のエッセンスとして前回Ozakiがまとめた要旨では

「老舗の企業は本業を守りつつ、その応用分野への進出を行う」

と書きました。

 応用分野への進出に成功する企業は必ず今自社が持っている技術や商品を核に持っています。時代の流れや思いがけない発見が自社の核と融合して応用分野での成功につながるようです。本業をおろそかにして何か新しい技術、商品を開発していくのではなく、もしくは本業で得た利潤を財テクによって増やそうとして利益を生もうとするのではなく、本業の核を突き詰めることによって、応用分野を開発できるのではないでしょうか?



 人間に例えれば自分の「強み」を突き詰めることが「ステッキ」発見の第一歩。自分のやるべきことをきっちりやる。そんな日常の繰り返しの後、ある時それまで気づかなかった何かに気づく。 その結果、何かと自分の強みが融合でき、結果「強み」が「ステッキ」になる。そんなことが起こりえるのではないかと考えているわけです。

ですので、今の段階でのOzakiの結論は

 「チャップリンのステッキ」は実は自分のすぐそばにある。
でも「ステッキ」が見えるようになるには自分の強みを意識しつつ、仕事をすることが大事。

というようなものです。

 いかがでしょうか?

今の段階では↑はOzakiの仮説です。皆さんからのご意見をお待ちしていますね。

チャップリンのステッキ(その1)

2012-08-15 22:41:47 | 読書
 今回取り上げる内容はメルマガ掲載時点と現在で若干事情が違ってきているのですが、あえてそのまま転載することにしました。



 少し昔の本なのですが、

 「千年、働いてきました」

というタイトルの、なぜ日本には老舗が多いのかを考察した本を読みました。


 この本のエッセンスは

 成功し続けている老舗の企業は本業を守りつつ、その応用分野への進出を行う。
 本業が何かという原点を見失わなずに時代の変化に柔軟に対応するから生き残る。
(日本以外では身内しか信用せず、世襲が多いので、いずれ柔軟さが失われ老舗になれない)

というもの。


 この本の中で印象的な話がありました。今や食物や薬などに欠かせない糖類であるトレハロースの大量生産に成功した会社が林原。創業1883年で、創業当初は水あめ屋だったそうです。

 様々な糖類を研究するうちに夢の糖類と呼ばれたトレハロースの大量生産に成功。世界で唯一トレハロースの製造特許を持つだけに、隠れた超優良企業になりました。今では乾燥血液や抗がん剤、点滴用輸液剤なども製造しているとのことです。

 多くの独創的な商品を生み出してきた林原の成功の秘訣は何なのか?現社長の林原健さんの答えは「単なる組み合わせだと思う。」

 「本業の知識がAとすると、異分野の知識Bが組み合わさると、全く新しいものになる。
 さらにCが加わり、Dが加わるとなると、組み合わせはもうほとんど無限になっていく。
 発明とか発見とかってこのことだと思うんです。」



 著者の野村さんはこの回答から「チャップリンのステッキ」という例えにたどりつきます。どた靴もだぶだぶの服も山高帽も付け髭も使い古された喜劇役者の小道具としてはありきたり。チャップリンは、それらを組み合わせ、さらにステッキを加えたことで独創性が生まれました。

 彼がステッキをクルクル廻すシーンをご覧になった方もいらっしゃると思います。それだけで高揚した気分を表現でき、紳士然とした歩き方やしぐさの面白さも生きてくる。そういう意味では旧来あった物を組み合わせつつ、一つステッキを加えることで、他の小道具たちも生き生きとした意味を持たせることに成功したのでしょう。その結果全く新しいスタイルのコメディアンが誕生したと観客の目には映った、というわけ。

 
 新しくできたものの90%が既存の物、もしくは他人から吸収したアイディアであっても、そこに新たな10%を加えてにできるかどうか。その10%が、あちこちから集めてきた90%を再活性化させられるならそれは素晴らしいことです。



 自分の本業、得意分野はなんであるのか?
 それを認識した上で、自分の持ち味と何を組み合わせると独創的になるのか?

 それはすなわち自分自身にとっての「チャップリンのステッキ」を探すことでもあります。一生のうちに自分なりの「チャップリンのステッキ」をいくつか見つけたいですよね?ただ、日々の仕事に追われているとステッキに相当するものを見つけるのは難しいでしょう。


  (次回に続きます)

三連勝の法則

2012-08-11 15:34:06 | 意識を整える
100社以上の経営を立て直したことで有名な長谷川和廣さんの著書に書いてあった内容に関連して書いてみたいと思います。それは「三連勝の法則」というもの。 (このメルマガ発行の前の週に読んだ本が長谷川さんの『社長の手紙』でした。)

 本の内容から一部引用します。

 『小さな成功でも三回続くと盤石になるというもの。
 例えば部下が商談を三回連続して成立させたら、
 それだけの実力が付いてきたと考えていいのです。
   (中略) 
 この三連勝の法則には、実は二つの効果があります。
 何かをするとき、一回の成功で安心せず、
 とりあえず三連勝を目指すことで緊張感を保てるというメリット。
 そして、もう一つはステップアップを自分でも確認できる点。』



 この三連勝の法則、実は尾崎が大学一年生のころに「マイルール」として採用していた法則に近いものがあります。それは三回続けて課題をクリアすれば課題を出した人の信頼が得られるというルール。

 一回目の評価は良い評価であってもそれは第一印象でしかないので、安心はできない。

 二回続けて良い評価をもらうと、この人に任せても大丈夫かなと思われ始める。二回目で期待を裏切るとなるほど、そこそこはできるけどこの程度かと思われてしまう。

 三回続けて良い評価をもらうと、信頼は盤石。こいつに色々やらせてみよう、と思われるようになる。その後少々失敗しても、「そんなこともあるだろうから、次がんばってくれよ」と信頼されるようになる。

 つまり三回続けて期待通り、もしくは期待以上の成果を出すことはその後余程のことがない限り、その人からの信頼をがっちりつかむことができるはず、そういうマイルールです。



 大学に入りたてのころ基礎実験という選択科目がありました。理系学部の学生が生物、化学、物理、地学の四分野の基本的実験を二つ選んで行う授業です。まだ純粋でまじめだった(笑)Ozakiは最初の授業後、非常に丁寧にレポートを作成したのです。

 一回目のレポートを提出した後の二回目の授業の間に担当の先生から

「Ozaki君っていうのは君かぁ。まじめなんだねぇ」

と声をかけられました。

 それを受けて、ここが勝負どころか、と勘違いした(笑)若き日のOzakiは二回目も真面目に
取り組んだわけです。二回目のレポートを提出した後の三回目の授業の時には特に何もなし。

 二回目のレポートの評価に手ごたえがなく、よしそれなら!と、三回目は二回目以上の気合でレポートに取り組んだところ、四回目以降の授業ではなにかとヒントをもらったり、レポートに詳しくコメントが入ったりしたことが記憶に残っています。これが自分自身で「なるほど、三回続けて頑張るといいことがあるんだな」、と思いついた瞬間でした。

 Ozakiはその後大学生協や学生同士のサークル活動などでこの「マイルール」を大切にしながら数年間を過ごすことになります。


 自分が他の人を見る時にも、三回続けて

 「おっ、この人はすごいな」

と思うようなシーンがあるとその人はそこから先妙に気になる存在になります。

 一回目はまだ様子見。
期待を超える内容であっても、たまたまかもしれません。

 二回続けてとなるとさすがに印象に残ります。
しかしながら、三回目に裏切られると期待が高まっていた分ちょっと残念。連続での成功に油断が生まれてしまったのかなと邪推したりもしてしまいます。ところが三回続けて好印象となるとコンスタントに仕事を任せられるということ。一気に好印象が定着し、信頼が芽生えるそんな気がします。



 Ozakiが頭の中で漠然と大切にしてきていたマイルールを長谷川さんに明文化、再提示していただいたことで、これは汎用性があるのだと納得。これからも自分自身三連勝を狙いたいと思いますし、三連勝する人を信頼しよう、そう思います。