先週参加したの将棋名人戦の解説会の際に感じたことです。(このコラムが掲載されたメルマガは2011年5月に発信されています)
これまでOzakiは現在勤務している組織だけでなく、
「本職」である競馬伝道師、馬主アドバイザーとしての活動
中高や大学の同窓会でのネットワーク作り
自分の興味ある分野の講演会やセミナー
など、比較的幅広く行動してきたつもりでした。
しかしながら、将棋の解説会で見た光景は今までのOzakiの経験ではまったく見えていなかった人々が見えてきたのです。
将棋の存在は知っていましたが、将棋愛好家の皆さんは想像上の存在であり、実態は全く知らないまま過ごしてきたわけです。かなりの数の愛好家がいるにも関わらず、Ozakiはその世界をあたかも「存在しない」ものとして、自分の世界観から消していたことに気づかされました。
そして初めて目の当たりにした熱気あふれる将棋ファンの集会に驚いたのです。これまで自分の世界の中になかったものを初めて見たのですから当然でしょう。
以前ブラインドサッカーの講習会に参加した際にも書いたのですが、
「日本国内の障害をお持ちの方の数」
と
「日本人の苗字五傑(サトウ、スズキ、タカハシ、タナカ、ワタナベ)の方の数」
はほとんど同じであるという事実があります。
我々が日本で生活していく中で出会う確率はほとんど同じであるはずなのに、実際には障害をお持ちの方と知り合う機会が少ないのではないでしょうか?これは障害をお持ちの方のコミュニティーと健常な方のコミュニティーが実質的に分断されているからではないかと思います。その結果多くの健常な方から見て障害をお持ちの方の世界はあたかも「存在しない」ように捉えられています。
鎖国中の日本では日本が世界のすべてだと考えている人が多かったでしょう。そういう人たちにとって、アメリカやイギリスという国は存在しないのと同じ。日本と言うコミュニティー以外を知らない人には「世界」は存在しません。そんな世界観を持った江戸末期の日本人が突然見たこともない黒船から見たことのないような容姿の人間と出くわせば、眠れないほど驚く結果になります。
人は興味の範囲に応じてグループを作る傾向にあります。共通の趣味を持つ人、関心を持つ人とばかり一緒に集まりがち。一方で、興味の範囲外のコミュニティーとは交わることが少なくなります。結果的に自分が交流を持つ人々は自分の興味の範囲内に偏ってしまいます。
そうするとどのようなことが起こるでしょうか?自分の興味の範囲にない分野は「存在しない」ものとして過ごしてしまいます。それでも日常生活を送る上で影響がないのかもしれません。ただ、現代は世界中の国や地域、人が様々な手段で交流する時代です。「存在しない」世界のことは想像もできませんし、その世界で暮らす人と言語を共有することも難しいですが、そういう世界とも共存せざるを得ません。
自分の好奇心を生かすためにも
情報を正しく受け取れる範囲を広げるためにも
自分の世界の外から眠れなくなる程の驚きを受けることを避けるためにも
自分の世界をできるだけ広げるためにも自分の中に「存在しない」世界はできるだけ少なくしておいたほうがいいなぁと考えています。
これまで参加したことのない将棋の解説会という舞台で感じたことでした。
これまでOzakiは現在勤務している組織だけでなく、
「本職」である競馬伝道師、馬主アドバイザーとしての活動
中高や大学の同窓会でのネットワーク作り
自分の興味ある分野の講演会やセミナー
など、比較的幅広く行動してきたつもりでした。
しかしながら、将棋の解説会で見た光景は今までのOzakiの経験ではまったく見えていなかった人々が見えてきたのです。
将棋の存在は知っていましたが、将棋愛好家の皆さんは想像上の存在であり、実態は全く知らないまま過ごしてきたわけです。かなりの数の愛好家がいるにも関わらず、Ozakiはその世界をあたかも「存在しない」ものとして、自分の世界観から消していたことに気づかされました。
そして初めて目の当たりにした熱気あふれる将棋ファンの集会に驚いたのです。これまで自分の世界の中になかったものを初めて見たのですから当然でしょう。
以前ブラインドサッカーの講習会に参加した際にも書いたのですが、
「日本国内の障害をお持ちの方の数」
と
「日本人の苗字五傑(サトウ、スズキ、タカハシ、タナカ、ワタナベ)の方の数」
はほとんど同じであるという事実があります。
我々が日本で生活していく中で出会う確率はほとんど同じであるはずなのに、実際には障害をお持ちの方と知り合う機会が少ないのではないでしょうか?これは障害をお持ちの方のコミュニティーと健常な方のコミュニティーが実質的に分断されているからではないかと思います。その結果多くの健常な方から見て障害をお持ちの方の世界はあたかも「存在しない」ように捉えられています。
鎖国中の日本では日本が世界のすべてだと考えている人が多かったでしょう。そういう人たちにとって、アメリカやイギリスという国は存在しないのと同じ。日本と言うコミュニティー以外を知らない人には「世界」は存在しません。そんな世界観を持った江戸末期の日本人が突然見たこともない黒船から見たことのないような容姿の人間と出くわせば、眠れないほど驚く結果になります。
人は興味の範囲に応じてグループを作る傾向にあります。共通の趣味を持つ人、関心を持つ人とばかり一緒に集まりがち。一方で、興味の範囲外のコミュニティーとは交わることが少なくなります。結果的に自分が交流を持つ人々は自分の興味の範囲内に偏ってしまいます。
そうするとどのようなことが起こるでしょうか?自分の興味の範囲にない分野は「存在しない」ものとして過ごしてしまいます。それでも日常生活を送る上で影響がないのかもしれません。ただ、現代は世界中の国や地域、人が様々な手段で交流する時代です。「存在しない」世界のことは想像もできませんし、その世界で暮らす人と言語を共有することも難しいですが、そういう世界とも共存せざるを得ません。
自分の好奇心を生かすためにも
情報を正しく受け取れる範囲を広げるためにも
自分の世界の外から眠れなくなる程の驚きを受けることを避けるためにも
自分の世界をできるだけ広げるためにも自分の中に「存在しない」世界はできるだけ少なくしておいたほうがいいなぁと考えています。
これまで参加したことのない将棋の解説会という舞台で感じたことでした。