36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

知らない世界は『存在しない』世界

2012-11-28 23:59:38 | 意識を整える
 先週参加したの将棋名人戦の解説会の際に感じたことです。(このコラムが掲載されたメルマガは2011年5月に発信されています)

 これまでOzakiは現在勤務している組織だけでなく、

 「本職」である競馬伝道師、馬主アドバイザーとしての活動
 中高や大学の同窓会でのネットワーク作り
 自分の興味ある分野の講演会やセミナー
 
など、比較的幅広く行動してきたつもりでした。

 しかしながら、将棋の解説会で見た光景は今までのOzakiの経験ではまったく見えていなかった人々が見えてきたのです。

 将棋の存在は知っていましたが、将棋愛好家の皆さんは想像上の存在であり、実態は全く知らないまま過ごしてきたわけです。かなりの数の愛好家がいるにも関わらず、Ozakiはその世界をあたかも「存在しない」ものとして、自分の世界観から消していたことに気づかされました。

 そして初めて目の当たりにした熱気あふれる将棋ファンの集会に驚いたのです。これまで自分の世界の中になかったものを初めて見たのですから当然でしょう。



 以前ブラインドサッカーの講習会に参加した際にも書いたのですが、

「日本国内の障害をお持ちの方の数」
     と
「日本人の苗字五傑(サトウ、スズキ、タカハシ、タナカ、ワタナベ)の方の数」

はほとんど同じであるという事実があります。

 我々が日本で生活していく中で出会う確率はほとんど同じであるはずなのに、実際には障害をお持ちの方と知り合う機会が少ないのではないでしょうか?これは障害をお持ちの方のコミュニティーと健常な方のコミュニティーが実質的に分断されているからではないかと思います。その結果多くの健常な方から見て障害をお持ちの方の世界はあたかも「存在しない」ように捉えられています。



 鎖国中の日本では日本が世界のすべてだと考えている人が多かったでしょう。そういう人たちにとって、アメリカやイギリスという国は存在しないのと同じ。日本と言うコミュニティー以外を知らない人には「世界」は存在しません。そんな世界観を持った江戸末期の日本人が突然見たこともない黒船から見たことのないような容姿の人間と出くわせば、眠れないほど驚く結果になります。



 人は興味の範囲に応じてグループを作る傾向にあります。共通の趣味を持つ人、関心を持つ人とばかり一緒に集まりがち。一方で、興味の範囲外のコミュニティーとは交わることが少なくなります。結果的に自分が交流を持つ人々は自分の興味の範囲内に偏ってしまいます。



 そうするとどのようなことが起こるでしょうか?自分の興味の範囲にない分野は「存在しない」ものとして過ごしてしまいます。それでも日常生活を送る上で影響がないのかもしれません。ただ、現代は世界中の国や地域、人が様々な手段で交流する時代です。「存在しない」世界のことは想像もできませんし、その世界で暮らす人と言語を共有することも難しいですが、そういう世界とも共存せざるを得ません。

 
 自分の好奇心を生かすためにも
 情報を正しく受け取れる範囲を広げるためにも
 自分の世界の外から眠れなくなる程の驚きを受けることを避けるためにも
 
 自分の世界をできるだけ広げるためにも自分の中に「存在しない」世界はできるだけ少なくしておいたほうがいいなぁと考えています。



 これまで参加したことのない将棋の解説会という舞台で感じたことでした。

情報を正しく受け取るために(その2)

2012-11-25 10:33:51 | 意識を整える
 
 情報を正しく受け取るためには、受信側の努力が不可欠です。「受信」だからといって受身な姿勢で情報を待っているだけでは、なにも受け取れないままに時間が過ぎてしまいます。


 発信側がどのようなことを「常識」だと考えているのか?
 発信側が日常的に使用している言葉はどのようなものか?
 発信側が今どのような状況におかれているのか?

 そういった基本的な知識なしに情報を正しく受け取ることはできません。そして時としてその基本知識なしに受け取った情報が生死を分けることもあります。例えば、東日本大震災級の地震を経験してOzakiが想定したのは

 「もし外国でこのような災害に遭遇したとき、どう行動するか?」

ということです。

 日本ではNHKやその他メディアで次々と日本語で情報が入ってきます。もし途上国で想像を絶する災害に出遭ったらどうなるでしょうか?何をしゃべっているか分からない現地語でまくし立てられ、現地の人たちも混乱のまま、右往左往する中に日本人の自分がいるのです。

 そしてもし原発事故のような事態が起こったとしたら・・・。英語やフランス語といったメジャーな言葉であっても理解は困難でしょう。今回日本語で原発の仕組み、事故の状況を説明されてすんなりと理解できた、とはとても言えないことを考えればご納得いただけるのではないかと思います。(日本語よりも英語やフランス語が楽!という方はちょっと別の話になりますが)

 
 上記の例は極端すぎるかもしれませんが、日常的にも他人の話を聞いていて

 「話がかみ合っているはずなのに、相手の言うことが理解できない」

ということを経験したことはありませんか?

 相手が話を聞いていた自分に期待していた行動が違っていた

なんていうことはビジネスの場でよく起こっているはずです。

「早めにやっといて」といわれた際の
「早め」が5分なのか、1時間なのか、1日なのか…、は

発信者側と認識を一致させて受信しなければずれてしまいます。

 相手が言いたいことを受信し、正しく理解するためには、共通知識、共通言語、共通の文脈が必要であり、これは自分で身につけるしかありません。ビジネスという狭い、そして共通言語の多い世界ではなおさらです。


 一般的に言えば、当然のことですがどれだけ努力したとしても

 この世の中のすべての知識(人類がまだ知りえないことも含め)を記憶し、
 人類がしゃべっている地球上すべての言語を理解し、
 どんな相手の立場であっても想像して発言の文脈を理解できる

ようにはなりません。だからと言ってそれは受信のための努力をやめる理由にはなりません。自分がなじみの深い分野、共通言語でしゃべっている人だけでなく、幅広い年代、全く異なる業種、文化や宗教の違いなども含め、様々な人、組織、社会と接点を持つ必要があるのだとOzakiは考えます。



 最後にみなさんの「受信力」を確認してみましょう。



 以下に特徴を記したDHMO(Dihydrogen Monoxide)を規制すべきか考えてください。



DHMOの特徴。

・DHMOは無色、無臭、無味であるが、毎年無数の人々を死に至らしめている。
・吸入すると多量の発汗、多尿、腹部膨満感、嘔気、嘔吐等が症状として現れる。
・重篤なやけどの原因となりうる。
・固体に長時間触れるとその部位は著しく損傷する。
・末期がん患者の悪性腫瘍から検出される。
・水酸と呼ばれる物質の一種で、酸性雨の主成分である。
・温室効果を引き起こす。
・地形の侵食を引き起こす。
・多くの材料の腐食を進行させ、さび付かせる。
・電気事故の原因となり、自動車のブレーキの効果を低下させる。

その危険性に反して、DHMOは頻繁に用いられている。

・工業用の溶媒、冷却材として用いられる。
・原子力発電所で用いられる。
・発泡スチロールの製造に用いられる。
・防火剤として用いられる。
・各種の残酷な動物実験に用いられる。
・防虫剤の散布に用いられる。
・洗浄した後もDHMOは残留し、産物に悪影響を与える。
・各種のジャンク・フードや、その他の食品に添加されている。
・企業は使用済みDHMOを大量に河川、海洋に投棄しており、それは違法ではない。
・自然生物への影響も限りないが、我々は今のところ何も出来ないでいる。
・政府はこの物質の製造、頒布に関する規制を「経済的理由から」拒んでいる。
・各国の軍や中東の政府関係機関は巨額の費用を用いてDHMOを研究中である。



 いかがでしょうか?

情報を正しく受信すること、正しく理解するためにはこの例の場合少なくとも知識と共通言語(ニュアンスも含めて)が必須です。皆さんの理解の正しさによって行動や判断が大きく変わって来ると思います。
 

 なお、DHMO=Dihydrogen Monoxideは日本語にすると一酸化二水素。Hが2つに0が1つ、つまり水です。上記の例は正しく情報を受け取ることが難しいことを示す有名なジョークです。決して真に受けないでくださいね。

情報を正しく受け取るために(その1)

2012-11-17 19:01:14 | コミュニケーション


 「情報を受け取る」という行為は思いのほか難しいです。原発事故については

 情報が欲しいというメディア、一般の方(受信側)

    と

 どう情報を出していいか分からない政府、東京電力、原子力保安院など(発信側)

震災後、受信側と発信側でうまく意思疎通できていない状況が続きました。受信側は情報が「足りない」と感じているのですが、発信側は情報を「できる限り出している」と感じているのです。

 この情報伝達の齟齬は何が原因なのでしょうか?発信側が意図的な隠蔽をしていない限りは情報が伝わっているはずなのですが、受信側はそう感じない理由がいくつかあるはずです。



 Ozakiが思いつくいくつかの理由は

 発信側と受信側の「常識」が違っている
 受信側は発信側の「言葉」を理解できていない
 受信側は発信側が意図している「意味」を解釈できていない

といったところでしょうか?

 最近強く感じたことは特に受信者側に情報を受け取る準備が要るということ。以前コミュニケーションをテーマに取り上げたときにも

「情報伝達は発信側と受信側の共同作業である」

という内容を書いたことがあります。今回のコラムでは受信する側に焦点を当てて書いてみたいと思います。(発信者側の問題は今回取り上げません)



 受信側に準備が必要ということはどういうことか?受信側の準備ができていないとどうなるか、Ozakiのイメージは、

 「アナログアンテナで地上デジタル放送の電波を受信しようとしている」

という喩えになるように思います。

 発信者側が意図したように情報を捉えられければ、その情報はただのノイズ。アナログ放送が終了すると、アナログアンテナではテレビ画面が「砂嵐」になるのと同じようなものです。



 つまり情報が正しく発信されていたとしても、
 
 受信できないアンテナで受信していたり、
 発信者側と共有できる共通言語がなかったり、
 共通言語を使っていても、背景や経緯を理解していなかったり、

といった事態が生じていれば発信者側の伝えたい情報を受け取ることができません。

 受信者側の準備として
 
 アンテナを調整して情報を受信する体制を整え、
 発信者側の言語が理解できるように「共通言語」を増やす努力をし、
 さまざまな立場を理解できるように経験を積み、想像力を鍛える、

 そういったものがなければ情報をノイズにしてしまうことになります。

 ちょっと抽象的になっていますので、具体例を挙げたいと思います。


 例えばある新聞に

 「いまさら聞けない携帯電話」

という記事が掲載されていたのですが、その記事で一番大切な文章は

「もったいないと思わず、使わない時も携帯電話の電源は入れておきましょう」
 
というものでした。おそらくこのメルマガの読者の皆様にはどういうこと?と思われるかもしれません。おじいちゃん、おばあちゃんに対して携帯を買ってあげたとします。

「はい、これ電話だから持っててね。いざっていうとき連絡できるからね」

と言われたらおじいちゃん、おばあちゃんはどうするでしょうか?若い人であれば携帯電話がどういうもので、どうやって使うのか知っています。ですので、↑の言葉で十分通じるでしょう。

 しかしながら、そういった「常識」がない人にとってはどういう意味になるか。

「持っておけ、と言われたから持ってるが、電話がかかってこない」
(実際は電話をかけていても電源が切れているから話せない)

そんな状況になってしまいますよね。(もちろんすべてのお年寄りがそうとは言いませんが)

 これは極端な例だと思いますか?似たようなことが皆さんの周りにも起こっているのではないでしょうか?


 (次回に続けます)

三寒四温

2012-11-14 22:55:13 | 意識を整える

 今年の日本の気候は非常に不思議な感じです。(このコラムが掲載されたメルマガは2011年3月7日に送信しています)冬場から急に初夏のような温かさになったかと思うような日があれば、その次の週には真冬のような寒さ、そして都心でも積雪がある日が来ます。東京でそれほど暮らしているわけではないですが、本当に先が読めない気候が続いているなぁ、とそんな風に感じるここ数週間です。

 「三寒四温」とは中国大陸で冬に三日寒い日が続くとその後四日間は比較的温かい日が続く、という経験則を表した言葉だそうです。それが日本に伝わり、春先、なかなか一気に温かくならない状況にマッチしたので、使われるようになったのだとか。

 
 温度や気候もそうですが、何事も悪い時のあとにはいい時がくるものです。一例を挙げるとするならば日本のODAを実施しているJICAも少し前までは仕分けなどで随分と叩かれました。

 「なぜ海外に行くのにエコノミークラスで行かないのか?」
 「公務員でもないのに外交官の8割もの手当があるのはおかしい」
 「協力隊はフリーター対策ではないのか?」

などなど。

 海外で仕事をしている立場から見ていて、極端な批判のされ方をしているのではないか、と感じていました。もちろんJICAに無駄が全くないとは思いませんが、外交の一端である援助の本質とはズレたところで、現実をよく知らないままに批判をされていたとも感じていました。

 しかしながら、それからたったの一年程度で随分と潮目が変わってきています。日経や読売などでJICA事業やODAが好意的に取り上げられました。経団連も早期にODA予算を増額すべしと訴えるようになりましたし、衆議院の予算委員会でも

 「ODAと防衛は国家の必要コストである!」

というJICAを支援するような発言もあったようです。

 ほんの少しの期間で援助不要論は一気に下火になったと思います。気候ではありませんが、移り変わりは激しいものですね。



 振り返ってみれば人生も似たようなことを繰り返しているなぁと感じます。
ちょっとした成功で

 「俺ってもしかして天才!?」

と勘違いしてしまう時期もあるでしょう。(←Ozakiだけだったらすみません)でもそんな時期はなかなか長くは続きません。


 逆に、天狗になっている自分を戒めるように大失敗をしてしまい、

 「もうダメだ…。こんな大失敗をやらかしてしまっては生きていけない」

と完全に自信を喪失してしまう時期もあります。

 ちょうど中間で精神状態が安定できればベストなのかもしれませんが、Ozakiの場合は恥ずかしながら短期間でのアップダウンの繰り返し(汗)。「三寒四温」を思い出しながら、

 悪いことはそんなに長くは続かない(だから悲観しすぎるな)
 良いこともそんなに長くは続かない(だから油断せず一歩ずつ頑張ろう)

と考えるようにするといいのではないかなと考えています。

凡事徹底

2012-11-09 23:17:56 | 意識を整える

 日経新聞のスポーツ欄にプロ野球の西鉄ライオンズで活躍された(といっても尾崎は西鉄ライオンズ時代を知りませんが・・)豊田泰光さんが「チェンジアップ」というコラムを連載されています。

 先週おもしろいなぁと思って読んでいたのはこんな内容でした。
(このコラムを掲載したメルマガは2011年2月に発行しています)
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(日経新聞の記事をもとに尾崎要約)

 川上哲治さんに野球が上手くなるコツを聞いたときの答えは

 「まずバットを丁寧に扱うこと」

という拍子抜けするような回答だった。自分のバットだけでなく、ベンチ前のバットも転がっていたらすぐに片付けろ、と。馬鹿にされているのか、おちょくられているのかと感じたが、よく考えてみると弱いチームほど放置されたバットやボールを踏んで捻挫する事故が起こりやすい。

道具を大事にすることは個人だけの問題ではなくチームプレーの問題でもある。誰でもわかることだが、それを実践し続けることは非常に難しい。平凡な信条を徹底できることが天才なのだ、と実感した。

 天才への扉は必ず平凡な日常のどこかにあるはずなのだが、凡人には決して見えないということの不思議。世の中、天才ばかりでも困るので上手くできているのかもしれない。

 注)川上さんは黄金時代の巨人で大活躍した野球選手です。「打撃の神様」と呼ばれ、年間三振がたったの6という記録を持っています。
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 このコラムを読んで思い出したのは「凡事徹底」という言葉。イエローハットの創業者で相談役だった鍵山秀三郎さんが同名の本の中で伝えている考え方で、本の副題には「平凡を非凡に努める」とあります。



 この「凡事徹底」という言葉の意味は当たり前のこと(凡事)を人には真似できないほど一生懸命、繰り返し(徹底)やるという意味です。豊田さんのコラムを読んで、改めてこの言葉の意味を噛みしめました。

 ビジネスマンとして結果を作り出していくということを考えた時、難しい業務を円滑に進められる人がすごいという認識があるかもしれません。しかしながら、業務上必要なことの大半は実は難しいことではなく簡単なことの積み重ねだと尾崎は感じます。



 例えば営業マンの日常といえば、毎日お客様のところに電話をし、お客様の事務所を訪問し、お客様とコミュケーションをとり、自分の扱っている商品を提案するという当たり前の作業の繰り返しです。

 例えば販売支援業務であれば定型的な書類、議事録をきちんと作成する、問い合わせに対し法律や社内の規程、データベースを踏まえて回答する。その結果を営業や商品開発チームに忘れずにフィードバックする、の繰り返し。



 評価が高い人というのはそれら一つ一つの行動に徹底的にこだわり、売れない営業マン、評価が低い人はそこそこほどほどにやっているように思います。挨拶ひとつをとってみても明るく元気に満面の笑顔で行うのと、下を向いてぼそぼそと形だけ挨拶するのでは結果は全く違ってきます。


 ビジネス現場ではプロ野球選手のように160キロの剛速球を打ち返すような特別な能力を求められることはごくごく稀なのではないでしょうか?むしろ当たり前のことを徹底的にやるだけでほとんどのことは達成できます。

 
福岡県の「ユニティー」という会社では業績悪化の際漂っていた悪いムードを払拭するため、新たに就任した営業部長の方が小さな約束事から組織を変えていったそうです。

 最初の約束事はたったの3つ。

 まずは『元気よく挨拶』。
 つぎに『不快感を与えない服装』。服装の乱れは心の乱れ。
 そして最後が『社用車の整理整頓』。

これを聞いた社員の反応は

 「幼稚園じゃないんだから」
 「そんなのでこのシラケた雰囲気が変わるものか」

などなど。

 しかしながら、毎日徹底的にこの約束事を守るように社員が心がけたところ(実際心がけさえあれば特別な能力、努力はいらないものばかりですよね)一年間で業績が急回復したそうです。

 当時の営業部長さんの記録をそのまま引用すると
 
「売上高約12億8千万円(前期比+2億3千万円)、営業利益約1千5万円(前期比+5千万円)と、 業績は前年度に比べると急激に回復してきたものの、まだまだこれから、ひと踏ん張りもふた踏ん張りもしないと勝ち残れないという厳しさの中にあります。」

 とのこと。
ちなみに翌年は売上・営業総利益とも+15%とさらに伸長を続けたそうです。挨拶と服装と整理整頓から社員全員の意識が変わり、成果がでたのでしょう。


 野球の話に戻れば、あのイチロー選手も特別な練習をしているわけではなく、淡々と基礎練習を行い、体調を整え、試合に出場し続けて結果を出しています。


 当たり前のことを馬鹿にせずちゃんとやりつづける。この「凡事徹底」こそ天才的な結果を生み出す根源と言えるのではないでしょうか。