36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

「人は皆十一面観音(その1)」

2017-01-21 23:55:18 | 意識を整える

 みなさんは仏像をご覧になる機会はありますか?
仏像の中には手がたくさんあったり、顔がたくさんあったり、
不思議な造形のものがありますよね。
一説によると顔や手がたくさんあるのは
仏様が多くの方の悩みに向き合い、救うためなのだとか。
そういわれてみると、そうか、と思わせてくれる話だと思います。
(仏教や芸術史等殆ど知りませんので、間違いであれば
 申し訳ありませんがこっそり教えて頂けると幸いです)


 今回からシリーズで人というのは色々な顔を持っているものだなぁ、
というお話をしてみたいと思います。
Ozakiが調べてみた中で最も顔の多い神仏は十一面観音という菩薩像。
文字通り十一の顔(場合によっては本体の顔+十一で十二の顔)を持ち、
現世で十種の、そして来世で四種のご利益をもたらしてくれるのだとか。


 この十一面観音像の顔は四方八方すべての方向を向いているらしく、
それぞれ微妙に違う顔が見えるように作られているそうです。
つまり、見る場所、方向によって少しずつ菩薩の顔が違って見えるのです。


 この話を読んで、Ozakiは人間でも似たような性質が
あるのではないか、と感じました。
一人の人間であっても、どの側面を捉えるかによって
その人の印象、記憶に残る特徴はまったく違ってくるのではないでしょうか?


 例えばOzakiの場合、

 競馬場で見た方は「競馬好きのおっさん」、
 「獣医」という資格に反応する方は、「動物に詳しい人」、
 職場で一緒に働く方は「ああ、危険地域専門の人ね」、
 もしくは、「ああ、昔役員室にいて本部移転やってた人ね」、
 金融等の話題で関係した方は「証券アナリスト勉強して基礎知識がある人」、
 メルマガ読者の方にとっては「毎週文章を書いている人」、
 同じマンションの方から見れば、「同世代の子供を持つ親」、
 保育園の先生からは「夫婦で分担して送り迎えしているお父さん」、
 不動産会社関係の方は、「買いもせず市場動向観察している変なお客」、
 近所のスーパーでは、「ポイントカードをよく忘れ頻繁に後から加算するお客」
 通勤電車ですれ違った方は、「無駄にスペースを占有するでかい奴」

といった感じです。
どのような立場に立ってOzakiを見るかによって
様々な「Ozaki」の捉え方があり、簡単に11くらいの顔が生まれます。
↑ではOzakiの事例を紹介しましたが、人間誰しも見る人によって、
またその時入っていったコミュニティによって多少顔が変わってくるはずです。
自分が普段関わっている人から見ると、自分がどのように見えるのか、
を考えてみる作業はそれだけでも興味深い結果が出ると思いますので、
是非やってみてください。


 さて、同じ人でも見る人によって大きく異なる印象を持つ、
つまり異なる顔が見えてくるということが分かりました。
これはどういうことを意味するでしょうか?
Ozakiは少なくとも二つの捉え方があると考えています。
一つは自分が「見る立場」に立った時の考え方です。


 Ozakiの事例でお伝えしたように、見え方一つで
まったく別の「Ozaki」が浮かび上がってくることは明白です。
そのため、一つの見方だけでOzakiという人間が分かったと言うのは
さすがに短絡的ではないかというのがOzaki自身の考え方。

 少なくとも一人の人物がどういう人なのかを判断するにあたっては
複数の顔を知った上で、総合的に判断した方がよいのではないでしょうか?

 職場では細かく、厳しい指摘ばかりして嫌な奴だと思う人でも、
実は地域でボランティアにいそしみ地元で評判の良い方だったという
話があってもおかしくないでしょう。

 職場ではほとんど仕事もせずに昼寝している人でも、
実は社長の釣り友達でここぞという時はいい仕事をする、
だから大切にされているという人だっていてもおかしくないはずです。


 十一面観音をぐるっと周囲から見つめて、初めてその美しさを
捉えることができるように、人間も短時間の面談、
一つの顔の印象だけで判断するのは好ましいことではないと考えます。
 

(次回に続きます)

成功率1%の挑戦を成功させる

2017-01-14 22:45:59 | 仕事術


 突然ですが、みなさんに質問です!!
 みなさんは

 「成功率は1%です」

と言われた場合、その1%に賭けて行動に移すでしょうか?
100回実行して成功するのは1回ですから、
読者の皆さんの中で即答で

 「やります!」

という人はほとんどいないのではないかと思います。


 では質問に戻りますが、

 「この挑戦の成功率は1%です。
 ただし、失敗しても殺されたり全財産を失うことはありません。
 また、繰り返し挑戦しても構いません」

 と言われたらどうでしょうか?


 この問いかけられ方でもまだしり込みしてしまうかもしれませんね。
100回やっても1回しか成功しない、という成功率1%という表現が
知らず知らずネガティブな判断をしてしまうのかもしれません。


 では、この挑戦を繰り返した時にどうなるか考えてみましょう。
成功率1%の挑戦とはすなわち失敗する確率が99%です。
二回同じ挑戦をして、二回とも失敗する確率は

 0.99×0.99 = 0.9801

で98%ということになります。
これを裏返すことで二回同じ挑戦をして一回以上成功する確率は約2%、
ということが言えますね。
(数学や確率が苦手な方は以下、数式は読み飛ばしても大丈夫です!(笑))


 さらに挑戦の回数を増やしてみるとどうなるでしょうか?
成功率1%の挑戦を20回やってすべて失敗する可能性は

 0.99^20 =0.8179

ということで、20回やれば1回以上成功する確率は約19%になります。
20回の挑戦を一区切りで考えれば5回に1回は成功する計算です。
そろそろそのくらい成功するならやってみようかな、と
思う人が出てきそうですね。
とはいえ、「成功率20%を下回る」わけですから、
これはイケる!という判断にはなかなかなりづらいでしょう。


 もうちょっと挑戦を進めてみるとどうなるでしょうか?
50回連続で失敗する確率は

 0.99^50 = 0.6050

100回連続で失敗する確率は

 0.99^100 = 0.3660

となります。
つまり成功率1%の取り組みであっても
50回やれば1回以上成功する可能性は40%であり、
100回やれば1回以上成功する可能性はなんと64%ということです。
さすがに60%以上の確率で成功します、と言われると

 「それならちょっとやってみますわ」

と考えを改める人が出てきているように思います。
ちなみに200回やれば1回以上成功する確率は87%、
300回なら95%、500回なら99%以上の確率で1回以上成功します。

 今回は数式を多く使いましたが、結論としては至ってシンプル。
例え一回あたりの成功率がたったの1%しかなくとも、
複数回継続することによって、すべて失敗、という確率は
回を重ねるごとにグンと下がる、すなわち1回でも成功する確率は
グンと上がるということです。
数撃ちゃ当たる、ではないですが、成功するまで
継続するということがいかに大事かがわかりますね。


 エジソンが

 「私は一万回失敗したのではない、
 うまくいかない一万の方法を発見したのだ」

と発言したとの逸話を聞いたことがあるのではないでしょうか?
エジソンほどの超一流発明家でもうまくいかないことの方が多いのです。
超一流ではない尾崎は1万回以上の失敗を重ねても仕方がないはず。
ただ、一万回の失敗を重ねられるほど心が強くないのもまた事実。

 しかしながら、今日の計算結果は凡人であっても
1万回と言わず数百回程度(エジソンの数パーセント程度)の努力で
成功確率を高められることが確かめられました。
例え成功率1%と言われてもその挑戦を成功させる秘訣はあるのです。

自分がコントロールできないことは悩むだけムダ

2017-01-07 12:42:24 | 意識を整える


 悩みをテーマに数回コラムを書き続けています。
今回で一旦悩みシリーズは打ち止めにしようと思います。



 悩むことは数多くありますし、悩み始めればきりがないのが
人の世、というもの。
これはここ数週間書き続けていますし、皆さんも実体験として
十分ご承知かと思います。
ですので、あまり悩みすぎても仕方がないですよ、ということを
提案してきているわけですが、
とりわけ悩む価値のないものを最後に一つだけお伝えします。
それは「自分がコントロールできないこと」に関する悩みです。


 一般的に悩むという時には自分に選択肢が複数あり、
そのどれがいいかを判断しかねる時に悩むことが可能になります。

 例えば 
  
 日々の食事であったり、
 お付き合いする(したい)パートナーであったり、
 自分がやりたい仕事であったり、
 どの馬を本命にして馬券を買うかであったり

という状態です。

 上述の例は相手の出方に左右されないものばかりなので、
こういった悩みは最終的には自分自身が情報を集め、
その状況でベストと思える判断を下すことによって解消できます。 


 もう一つの悩みのパターンは相手がどう出るかが分からないために
自分の望ましい結果を得るためにどのように努力すべきか悩むというもの。

 具体的には

 気になる相手に好意を持ってもらうためにどうしたらいいか?
 契約を取り付けるために相手をどのように説得したらいいか?
 子どもをしっかりと躾けるためにどのように振る舞えばいいか?

といったもの。

 こちらは相手の出方をいくつか想定して、その上でそれぞれに対応を
検討し、最終的にはベストと思える判断を下すということになるでしょう。


 こうした悩みの特徴は「最後は自分で決める」ことで
悩みに一旦終止符を打つことができるという点です。
こういった悩みについては悩む価値があるでしょうし、
悩み過ぎにならない程度に考える時間をかける意味があると思います。


 ところが、世の中には自分では一切コントロールできないものを
真剣に悩んでいる、という事例が多く存在しているもの。
例を挙げるとすれば

 上司の機嫌がよくならないだろうか(そうでないと相談できない)
 景気がよくなってくれないだろうか(そうでないと利益が増えない)
 失敗してしまったことを変えられないだろうか(そうしないとツラい)

といった悩みがしばしば、頭の中に紛れ込んでくることはありませんか?
よくよく考えてみるとこういった悩みは自分がどう行動しても
変化させることが難しいものばかりであることに気づきます。
極端に言えば、

 明日晴れるかどうかで悩む
 自分の住むエリアに地震が来ないか悩む

といった天気や天災について深く悩んでしまっているようなもの。
最悪の状況を想定して、自分がどう対応するか、について悩むのであれば
まだしも、そもそもコントロールできない事象について
時間をかけ、エネルギーを使って悩んでも状況はよくなりません。


 繰り返しになりますが、Ozaki仮説では悩みがゼロになることはない
というのが人生です。
であれば、なおさら、悩まなくていいことは悩まず、
悩んだ末に意味のある結論を引き出せる悩みだけ残したいですよね。