36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

人が休む時に動く意味

2013-08-28 22:15:20 | 仕事術


 今週は30日、3日、4日と日本がお休み。
一方でパキスタンは1日がLabor Dayで休日です。
パキスタンにゴールデンウィークはありませんが、
仕事がバリバリ進むという一週間ではありません。
(この記事は2012年4月30日に配信したメルマガのメインコラムです。
本編メルマガではメインコラムのほか、おススメ本のコーナーも
設けております。
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 日本で勤務されている方は1日、2日にお休みを取れば
かなりの長期休暇も可能な休日の並びですよね。
読者の皆様もいろいろな計画をされているかもしれません。



 休暇ムードに水を差すようで恐縮なのですが、
今回は人が休む時に動く意味を考えてみたいと思います。



 仕事の効率を考える際、緊急度、重要度を縦横の軸に置いて

 重要性が高く、緊急度の高い仕事
 重要性が低いけれども緊急度の高い仕事
 重要性が高いけれども緊急度の低い仕事
 重要性が低く、緊急度の低い仕事

という四つの分類をすることがありますよね。

 時間がなく、緊急度の高い仕事が次から次にやってくる時期には
重要性を考えながらも緊急度の高い順(締切順)に仕事せざるを得ません。
その結果、「重要性が高いけれども緊急性の低い仕事」はどうしても
後回し、後回しになりがち。

 今すぐやらなくても、誰も困らない。
でもその重要性の高さを考えればいつかはやったほうがよい。
そんな仕事がどんな業界、企業にも、そしてプライベートにもあるはず。



 溜まった書類を整理して仕事の効率を高める
 新規顧客の開拓のため、営業戦略を練る
 これまでの失敗事例を分析して、体系的にまとめる
 仕事には直接関係ないけれども、読みたかった小説を読む

例えば、こういったことは今すぐやらなくとも

 仕事が急に行き詰ることはないでしょうし、
 企業はいきなり倒産することもないでしょうし、
 100%成功が続くようになるわけでもないでしょうし、
 私生活のリズムが壊れたり、破たんしたりすることもないでしょう。



 しかしながら、こういったことに取り組まなければ
将来自分が効率的に仕事をしたり、新たな収益源を見つけたり、
自分の人間味を深めたり、といったことはなかなかできないもの。



 問題は限られた時間の中で、

 次から次にやってくる「緊急性の高い」目先の仕事」、と
 先送りされがちな「重要性の高い」将来に役立つ仕事、

をどうやって両立させていくか、ではないでしょうか?



 GWや年末年始など大多数の人が「休み」に入れば緊急性の高いものは
普段よりも減るはずですよね。
そんな機会は、重要性が高いのに後回し、先送りにされてきた
仕事やプライベートでの取組みをするチャンス。

 「休み」が終わるとまた緊急性の高い仕事が戻ってきます。
いろいろな楽しみもありますが、人が休む時期こそ、新しい取り組みや
これまでやりたかったこと、やったほうがいいよなぁと感じていたもの、
そんなことに取り組むべき時期なのかもしれません。



 経年優化を目指している読者のみなさんは毎日一歩一歩歩き続けることは
一つの目標なのではないかと思います。
そういう意味では、多くの人が休んでいる時期に「一歩」歩けば
その一歩の意味は大きくなりますよね。
人が休む時に動く意味、それは自分にとっての日常が、
相対的により大きな価値を持つのではないでしょうか?



 24時間365日仕事をする必要はありませんが、
仕事に限らずこれまで後回しにしてきたような取り組みを
周囲の人が休んでいる間に一歩踏み出してみるてはいかがでしょう。

量が質を変える

2013-08-23 21:23:42 | 意識を整える

 先週に引き続き「数に強くなる」(畑村洋太郎、岩波新書)
の内容から考えたことを書いてみたいと思います。

 畑村先生は過去「失敗学のすすめ」という本を著されています。
その時の経験から先生は

「本にとって『10万冊』という数は臨界点である」

ということに気づいたとのこと。

 どういうことかと言えば、ある本の販売冊数が10万冊を超えると、
当初全く想定していなかった読者層にも広がり始め、
社会的な影響度がポンと一段上がるのだそうです。

 テレビの視聴者数や新聞の読者数と比べれば10万冊という数字は
大した数ではないのかもしれません。
しかし、能動的に本を手に取り、自分でお金を払って購入した人数が
10万人ということを考えれば、その意味は大きいのでしょう。

 10万冊売れたことで、一気に注目が集まり、先生が言うには

「さまざまな場所、さまざまな人たちが筆者を招いてくれて、
 一緒に議論をし、共同して動くようになった」

のだそうです。
5万冊しか売れていなければここまでの変化は起こらなかったはず、
ともコメントされています。

 単に大学教授が本を出版した、というのは比較的よくあるお話。
しかし、「10万冊」という臨界点を突破したことによって、
畑村先生は一躍注目を浴びる立場になり、「失敗学」という言葉、
分野が確立されるまでに至りました。
つまり、「失敗学のススメ」が臨界点である10万冊売れたことによって、
畑村先生の人生大きく変わったのです。



 畑村先生はこういった量的な変化の裏側には質的な変化がある、
そうおっしゃっています。
ある時突然劇的な、桁違いの量的変化が起こるのは静かに進んでいた
「質的な変化」が表出したことによるもの、という仮説です。



 その後、畑村先生は『直感でわかる数学』という本も出版。
こちらも10万部以上の売り上げを記録しており、先生はこの説に対する
自信を深めたようにOzakiは感じます。

 『直感でわかる数学』が当初予想していた読者層は
「数字に自信を失った中高年男性」だったそうです。
にも関わらず、書店に並ぶや否や、意外な面白さに様々なメディア、
人物に紹介され、女性や学生なども買って読むようになりました。
そして、当然の結果として販売部数は大きく増加したのです。

 本来出版社ですら取らぬ狸の皮算用にも入れていなかった読者層、
女性や学生がが購入しているのですから、売れ方の「質」が変わっています。
その結果として売り上げ冊数が一気に伸びたのですね。

 大学教授の本、ということで専門書、学術書として、書店の隅で
埃をかぶって終わりということもあり得た本が10万冊以上売れた。
これはつまり、量の変化が進む裏で読者という質の変化があったということ。



 なんらかの量が増えることによってその質も変わってくるというのは、
興味深いテーマですね。
たとえば、我々の仕事にしても同じことが言えるかもしれません。
日常の仕事であっても、ある一定量の経験を積み重ねることで、
その経験自体に質的な変化が起こるということがあり得ます。
言い換えれば、仕事の経験等たくさんの量をこなせばこなすほど、
その裏側で仕事の質的な変化が進み、外部から評価される度合いが
まったく違った次元のものになるということです。



 仕事であれ、趣味であれ最初は「素人」でしかありません。
素人なのですから、失敗することも多いでしょう。
それでも失敗を含めて仕事なり趣味なりを続けることでしか、
上達する方法はないはずです。



 具体的にイメージしてみましょう。
二人の新入社員がいたとして、

一人が任された仕事をするために失敗もしながらがむしゃらに手を動かし、
一人は上手に仕事をするために考え続け、あまり手を動かさなかった場合。

 どちらが結果的に優れた成果を上げるようになるでしょうか?
失敗を含めてがむしゃらに手を動かした新人のほうが早い段階で
成果を上げるようになるはずですよね。



 最初から考えることに時間を費やすと頭でっかちになり、経験が積めません。
失敗するからこそ反省が伴い、量の変化の裏側で質の変化が進むのです。
当然なにも考えなくてよいからルーチンワークをやっていてはだめですが、
まずは経験を積み、その経験から得られるものを積み重ねる。
その積み重なった量が臨界点を超えたとき、質の向上を伴う
大きな成果を得られるようになるのではないでしょうか?



 畑村先生の仮説に拠れば、大きな成果が得られるようになれば、
これまでとは「ケタが違う」世界に突入することができるとのこと。
一定の行為を一万時間継続できればその分野の大家になれる、
そう言われているのも同じことですね。



 最初から上手にやろうとする必要はないはずです。
それは最初から爆発的に売れる本を書こうとするのと同じ。
まずは臨界点を超えるまで一定の量を迎えるまで何かを続けること。
初めは大きな変化がなくとも、続けるうちに質の変化が起こり、
質の変化が表面的な量の変化につながる。



 本の売り上げのみならず、仕事や趣味においてもこの連鎖反応が
当てはまるのではないかと考えているOzakiです。

1割が変われば過半数が変わる

2013-08-17 00:35:30 | 仕事術


 2週間前に畑村洋太郎さんの「数に強くなる」という本を紹介しました。
(このブログはOzakiが毎週発行しているメルマガのメインコラム
バックナンバーを掲載しているものです。
本編メルマガ内ではメインコラムのほかに毎週のおススメ本コーナーがあり、
こちらで同書を紹介していました。
本編メルマガの配信をご希望の方はこちらからどうぞ。)
本のエッセンスは

「数におびえるのではなく、日常生活の中で上手に数と付き合っていきましょう」

というもの。


 この本で「数に強い」とは計算が早いであるとか
事実としての数字をたくさん覚えている、
といったポイントではありません。

例えば身の回りのものを見てパッと

 この大きさ、密度であれば、重さはこのぐらいだろう
 一階の高さは〇m程度だから、二階への階段の段数はこのぐらいだろう
 自分の歩数で〇歩だから、この距離はこのぐらいだろう

といった数字が推測でき、10倍、100倍といった誤りがないことを「数に強い」と表現しています。
推測の場合2倍や半分といったズレは許容範囲内。
つまり大体30キロくらいかなと思って60キロだったり15キロだったり、
という推測は「正解」になるということです。
30キロだと思っていたけど300キロだったと「ケタ」が違う場合は、
さすがに考え方を見直さなければならないようですが。

畑村先生は

 「数字のケタがあっていれば十分数字に強いと言えますよ」

という立場ですので、算数や数学のような唯一絶対の「正解」を
求めなくても数に強くなれるわけです。
これまで数字が苦手、という人にもそれほど恐怖心を与えない本ですね。

(こういった考え方を詳しく知りたい方は本を読んでみてください)


 さて、その本の中でOzakiが一番興味を持ったのが2-6-2の法則。
2-6-2の法則とは例えば

 「会社の利益の8割は2割の社員が稼いでいる」
 「最初の2割の努力で成果の8割は達成される」

と言った法則を少し細かくしたものです。
端的に言えば同じ会社の中にも、

 高い成果を上げている人2割、
 可もなく不可もなく、期待通りの人6割、
 どちらかと言えばぶら下がり社員に分類される人2割、

がいるといった内容です。

 これは働きアリの世界でも似たような現象が報告されており、
皆が働いているように見えるアリの世界にも働いていないアリが
2割いることがわかっています。
面白いことに働いていない2割のアリを取り除くと別の2割が
サボりだす、というのですから興味深いところですね。



 少し話がずれました。
Ozakiが興味を持ったのはこの上位2割の人たちが残りの6+2割の人たちの
オピニオンリーダーになっているという畑村先生の説。

 日本の場合大抵の意思決定は過半数が条件になっています。
そのため、

 「全体の5割以上の賛成がなければ物事は変わらない」

という発想になりがち。
ところが、上記の法則を踏まえれば組織を実際に引っ張っているのは
全体の2割でしかありません。

 その人たちの半数、つまり全体の1割が変われば、強い影響力があります。
その結果、上位層の1割が変化を唱え始めれば、
6割の中間層の大部分が影響力になびき、2割の下層はほぼ全部が賛成する。
そんな構造になっていると考えられます。

 つまり
 
「過半数=5割を確保しなければ変えられない」

 のではなく、

「組織に強い影響力を持っている1割を変えれば変革は起こせる」

のです。
 

 これは決して独裁や少人数による寡頭政治を肯定するわけではなく、
あくまで、人間が組織や集団を作ったときの特性を分析したもの。
この特性を上手に利用し、イノベーションを比較的小さい力で
起こすこともできるはずです。

 
 時代に沿わず、明るい未来が見えない、そんな会社や組織も多い時代。
多くの人が変化に対応したくない、ヘタに新しいことはやりたくないと
思っているのかもしれません。
そんな時、改革に対する過半数の賛成を真正面から取り付けようとすれば、
多大な労力と時間が必要になってくるでしょう。

 しかしながら、この法則を踏まえれば1割の賛成が改革の「コア」になります。
「コア」が動けばてこの原理よろしく、小さな力で大きな変化も起こせるのです。
組織の中でどういった人たちの考え方や行動を変えればいいのか。
そういったポイントを押さえた発想、根回しが重要なんでしょうね。



自分の常識は世間の非常識(その2)

2013-08-07 19:41:37 | 意識を整える



 先週はレンゴー社長の大坪さん、フリーアナウンサーの小島慶子さんの
お二人の発言、コラムから自分の認識に拘る危険性をお話しました。

 個人であれ、企業であれ、狭い範囲の「常識」にとらわれると危険です。
特にその「常識」を疑う余地のない当たり前だと思っているほどリスク大。
自らが気づかないうちに、広い世間との間に強固な壁を築き上げてしまうからです。
その結果、

 他人の話を聞かなくなってしまう、
 聞いても理解できなくなってしまう、
 自分の意見や主張が理解してもらえず苛立つ、
 自分の「常識」外の世界に興味が持てなくなってしまう、

などの弊害が出てくることもありえます。



 特に毎日同じ人と顔を合わせ、同じ前提条件で話を進め、
同じ「常識」を分かち合いながら暮らしていると壁はさらに強固になります。
自分ひとりではなく、自分の周囲の人も同じ認識を分かち合っているのだ、
そう思うようになると人は自分たちの「常識」を疑わなくなりますよね。



 一般的な会社(企業)での生活は、

 同じ職場の人と毎日顔を合わせることになるでしょうし、
 共通認識を踏まえて会話が続くことになるでしょうし、
 一定のルール、慣習を大切にしながら仕事を進めるでしょう。

 もしそういった閉じられた世界だけで生きていたとしたら。
自分とその会社の「常識」という分厚い壁をより強固にし続ける、
そんな暮らしを続けていると言えないでしょうか?
ひとたび強固な壁が完成してしまったら自分の「常識」から
抜け出すのは容易ではありません。 



 自分の「常識」は知らず知らずのうちに出来上がってしまうもの。
そして自分の「常識」は自らの力では破れないもの。
だからこそ「自分の常識は世間の非常識」になりやすい。



 そうならないためにも自分の「常識」は絶対ではないことを意識し、
様々なバックグラウンドを持った方との交流が必要なのだとOzakiは考えます。
自分の「常識」に凝り固まらないために自分で壁を壊していくのです。
レンゴーの大坪社長が大切にしている「バウンダリレスネス」という言葉、
これはまさに、自分の周囲に境界をなくすことではないでしょうか?

 普段自分が知らず知らずのうちに設定してしまっている境界を取り払い、

 経験したことのない世界、
 出会ったことのない人たち、
 にわかには信じられないような「常識」を持つ業界、
 びっくりするような挑戦をしている団体、

そういったものとの出会いが自分の狭い「常識」を打ち破ってくれるはずです。

自分の常識は世間の非常識(その1)

2013-08-03 15:31:59 | 意識を整える

 仕事をしているとよく

 「自分の会社の常識は世間の非常識」

という言葉を聞くことがあります。
自分の会社では当たり前となっている習慣やお作法は
他の会社に行くとまったく通用しないという意味合いですね。
特に行政機関に対しては批判的に使われていますよね。
行政の論理と一般の方の生活は確かにかけ離れている部分があると思います。
(わが社でも例にもれずよく使われています…。)


 さて、この言葉、個人レベルでも当てはまることなのではないか、
とOzakiは感じています。
つまり自分では当たり前だと思っていることも他人から見れば
まったく当たり前ではない、逆に異常と思われることすらあるかもしれません。

 
 少し前、ダンボール最大手、レンゴー社長である大坪清さんの
インタビューが日経新聞のHPに掲載されていました。
大坪さんは2000年に住友商事の副社長からレンゴー社長に就任。
当時段ボールは「もうからない商売」と言われていましたが、
「業界として利益を出す体質に変える必要がある」との考えに基づき
意識改革を開始。
今では就任前の3倍近い年間160億円の純利益を生み出しています。

 その大坪さんのインタビューで印象的な話が登場していました。
大坪さんは英語が堪能で、アメリカのゼネラルエレクトリック社(GE)の
経営者として名高いジャック・ウェルチの本を英語で読まれているそうです。
その際気づいたのはジャック・ウェルチは辞書にない単語を使っていること。
自分で独自の言葉を創り出しているのだそうです。


 ジャック・ウェルチが創り出した言葉の中で大坪さんが大切にしているのは
「バウンダリレスネス(boundarylessness」という言葉だそうです。
意味するところを日本語に訳すならば「障壁をなくした状態」
といった意味になりそうです。
自分や自分の会社と他人の考え方や他の業界との障壁をなくす、
そんな使われ方をしている単語なのだとか。

 大坪さん自身も仕事をする際に

「自分の領域だけで仕事をしていては新しいものは生まれない」

と、壁を取り払うことの重要性を意識しながら仕事をしているようです。

 おそらく段ボール業界の既存の概念、レンゴー社の慣習に縛られていたら
今のような安定した利益を上げる会社に変革することはできなかったでしょう。
自社の技術、ネットワークを生かしながらも、新しい領域に踏み込んでいく。
そのためには自社の常識は世間の非常識であるという発想に基づいて、
障壁をなくし、領域を広げていかなければならないのだとOzakiは理解しました。



 もう一つの事例をご紹介したいと思います。
こちらは会社の同期に勧められて購読している宋文州さんのメルマガから。

と言っても、宋さんのメルマガには多くの友人が寄稿されており、
今回ご紹介するのは元アナウンサーの小島慶子さんの文章。
Ozakiは小島さんをあまり詳しく知りませんが、15年間放送局で
アナウンサーとして働かれた後現在は独立してご活躍中です。
以下少し小島さんの文章を引用してみます。

-----------------ここから引用--------------------
 なぜ、いまだに毎年何千人ものそこそこ可愛い有名大卒の女子が、
局アナ試験に殺到するのでしょうか。
彼女たちが高い授業料を払って予備校に通ってまで「女子アナ」になりたい!
と執念を燃やすのは、結局のところ、全部いいとこどりをしたいからです。
正確に言うと、誰からも羨ましがられたいという、とてつもなく
欲深い動機がないと、あんな仕事を志したりはしません。

 入社1年目から全国ネットで顔出しをして名を知られる上に、
うっかりおどけることもあるけどほんとは賢いお嬢様として人々に愛され、
有名企業のブランドをスーパーパスのように使いながら、
待遇面でも大企業の特権を享受できる局アナ。

 表現活動をするのでも、報道の最前線に立つのでもなく、
放送局の奥座敷で紺のスーツや柄のワンピースにめまぐるしく着替えながら、
出番の時だけ舞台に出て行って言われた通りにするのがお仕事です。
アイドルだけど、OL。
キャスターだけど、箱入り娘。
うん、女子の欲しいものが、全部ある。

 優等生で、まとめ役もできます。
だけど、目立ち過ぎて和を乱すのは、組織の一員として有能であることを
証明する役には立たないことを直感的に知っています。
常に光のあたる場所を選び、埋没しないように気をつけています。
自信家であることがばれないように、無欲で無作為な好人物を注意深く装い、
いかにも要領よく、自然体で主流に乗るよう立ち回ります。
そのための執念と戦略は並はずれたものがあります。



 そういう人が、前時代的語感でありながらいまだに記号として
機能し続けている「女子アナ」としての、天賦の才を持った人です。
私もやろうとしましたが、どうやってみても結局は空気の読めない
目障りな女でした。
よく15年も続けたと、自ら絶賛です。

 ただそれは、タレントが会社員よりも低く見られていた
「経済成長期のママの娘たち」の時代の話。
今は賢い女子大生は早くからタレント活動を始めていますし、
かつては生娘志向だった放送局も、タレント女子大生をむしろ即戦力として
歓迎するようになりました。



 しかし、本当に敏い学生は、大卒後にも事務所を辞めず
「フリーアナウンサー」として働き始めます。
「女子アナ」という記号の持つ既得権益には与りつつ、局アナより
広いマーケットで、戦略的に仕事のできる事務所に所属している方が、
狭い特権組織の中で人脈と運頼みで小さなパイの奪い合いをする局アナよりも
ずっと自由で効率的だとわかっているからです。

 つまり、放送局の社員が思っているほど、「放送局社員」というブランドには
以前ほどの輝きはないということに、放送局社員だけが気づいていないんですね。

-----------------ここまで引用--------------------



 小島さんは15年務めた放送局で少し居心地が悪くなって
退職された方なので、多少過激な表現も見受けられますが(笑)
大よそ言いたいことはわかっていただけるのではないでしょうか。

 放送局のアナウンサーという仕事は非常に目立ちます。
そして、一般の人から見れば花形のお仕事です。
でも、既に放送局社員としてのアナウンサーは賞味期限を迎えている。
だからこそ、放送局社員というブランドにすがるのではなく、
ましてしがみつくのではなく、より広いマーケットで仕事をする人が
賢い人の選択になりつつあるんですよ。

 そんなコラムになっていますね。
放送局という特殊な世界の話ではありますが、小島さんのお話は
自分の業界の常識が崩れつつある時期に業界内の人はなかなか気付けない、
そんな深い意味合いを示唆しているように感じます。
 

 (次回に続けます)