36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

名前がなければつければいい

2020-08-29 05:13:36 | 意識を整える


 日本経済新聞の「私の履歴書」で
デザイナーのコシノジュンコさんの担当された
一か月がありました。
普段からこの「私の履歴書」は愛読していますが、
特に芸術家や建築家、音楽家、といった、
Ozakiが明らかに感度の低い分野の方が登場する時は
じっくりと読むようにしています。



 先日読んだ記事で非常に印象的な内容があり、
今日はその感想をお伝えしたいと思います。
記事の中で、コシノジュンコさんが
こんなエピソードを紹介していました。

 青山にブティックを開いた際、
お店の場所を説明したくても
近くの通りによい名前がなかったそうです。

 そこでコシノさんは堺屋太一さんに
助言を求めたところ

 「好きな名前を付けちゃえばいいんだよ」

とのアドバイスを得たのだとか。
その通りは青山霊園につながっていたことから
『キラーストリート』と名付け、
お店の案内状にはもちろんのこと、
近くで乗ったタクシーの運転手さんにも常に

 「キラーストリートにお願いします」

と伝えてお店に戻っていたのだとか。



 いつの間にか、これが「キラー通り」として
世の中に定着したそうです。
少し調べてみると、コシノさんは
青山キラー通り商店街のGM=ゴッドマザー、
という肩書を得ているみたいですね。

 

 「名前がなければつけちゃえばいい」 



 という堺屋さんの発想もすごいですし、
それを実際に実践してしまうコシノさんもさすが。



 新しい分野に挑戦する時や、
自分の得意分野を組み合わせた取り組みを始める時、
その活動にピタッとはまる言葉がない、
と感じることもしばしば。
そんな時、自分の活動に新しく名前を付ける、
自分の立ち位置を造語で表現してみる、
というのは面白いかもしれません。

 自分にその言葉を毎日言い聞かせてみる、
 積極的に自己紹介で使ってみる、
 さりげなくその言葉をメールに忍び込ませる、

といった、

 「名前がなければつけてしまえばいい運動」

はやってみて損はないように思います。
定着しなければ周囲の記憶から
フェードアウトするでしょうし、
定着すればめっけもん。
 

 最近話題の「片付けコンサルタント」
近藤麻理恵さんも登場したての頃は
 
 「片付けコンサルタント」ってなんだよ!

と言われていたはず。



 Ozaki自身、競馬関連の案内をする際には

獣医師免許+証券アナリスト+競走馬出資が得意、
という特徴を詰め込んで

 「レースホースアナリスト」

という(おそらく)他に誰も使っていない肩書を
勝手に名乗っています。
Ozakiは特段馬券が上手ではありません。
調教師や騎手といった公式な競馬関連資格も
保有していませんし、牧場関係者でもないのです。



 が、

 強い競走馬とはこういう馬ですよ
 このレースで素質上位の馬はこれとこれです
 この競馬場ではこんな競走馬が穴をあけやすいです
 コスパのいい競走馬を見つけるにはこうするんです

というお話が得意な人間として、

 「レースホースアナリスト」

という自称は役に立っているように思います。



 あまりに意味不明の名前を付けると、
周囲の人がついてこられないかもしれませんが、
自分の取り組んでいることや自分の立場を
表現する単語がない場合に

 「名前がなければつければいい」

という発想は役に立つように思います。

心を安らかに保つには

2020-08-22 12:43:59 | 意識を整える



 前回までオタクのすばらしさ(!?)を
存分に語らせていただきました。

 あくまで独自路線を突き進むが故に
オタクになるわけですが、
多くのが疑問に思うであろう問があります。
それは

 「そんなことしていて浮きませんか?」

という問いかけです。



 確かに特定の分野で

 知識量が圧倒的であり、
 熱意もハンパなく、
 時間をいくらかけてもかまわないと思っている、

という方はちょっと浮いている人が多いもの。
周りのマジョリティと違う生き方を選ぶと、
必然的に溝ができてしまうのは致し方ありません。

 生き方を選択する上で、
周りから浮いてしまうオタクになり切れない、
そこまで熱意を一つのことに振り分けきれない、
といった思いを抱く方が多いのは当然でしょう。

 
 今回はこの問いに対してOzakiなりに回答します。


正直に申し上げればOzaki自身はオタクです。
そして日本の一般的な方々からすると
やや浮いている、もしくは完全に浮いている身です。

 とはいえ、浮いた状態が不安か、と問われると、

 「いや、その点について不安は一切ないですよ」

というのが率直な感想。
少なくともオタクでいること、
周囲からちょっと変わった目で見られること、は
もはや慣れっこですので不安はありません。

 
 もちろん、Ozakiも人間ですから、
不安が全くないわけではありません。

 先の見えない家族・親族のケア
 家族・親族全体の経済問題
 自分自身の健康問題
 お仕事の依頼を継続していただけるかどうか
 災害や事故に巻き込まれないか
 子供の教育方針や学校内の様子
  

などなど、不安はむしろ尽きません。

 とはいえ、こうした不安の中に
自分が周囲から浮くことは入ってこないのは
なぜでしょうか?

 

 Ozakiの答えはただ一つ。
専門とする分野を極めようとすれば、
専門外の人の声を聞いている暇がないから。

 自分自身の振舞いや発言が
不適切な場合の批判は謙虚に受け止めます。
が、オタクでいることそのものへの評判は
正直放置する以外に選択肢がありません。

 なんでそんなことをやっているんですか?
 何が面白いんですか?
 どうして「普通の」生き方をしないんですか?
 それをやって何の意味があるんですか?
 毎日そうやってしんどくないんですか?
 ちょっと気持ちが悪いです(!?)
 むしろ変態なんじゃないですか(!!?)



 といった声を頂くこともありますが、

 まぁそう思われても仕方ないですよね、

と思って聞き流すことがほとんど。
テロ・犯罪のオタクになった今
浮いていることを自覚しつつも、
誰もやったことがない地平を目指している以上
この道を進むことに迷いがないからです。



 そもそも、オタクにとって
自分の専門とする分野では、
滅多に対等に話ができる相手がいないもの。
(逆に言えば、対等に話ができる人が多い間は
オタクにはなり切っていないとも言えます)



 話し相手が少なくなればなるほど、
おのずと周囲に理解されるよりも、
自分が目指す道を進むことの方が
大切であることに気づかされます。
(だからと言って倫理に悖ることも
好き勝手やって言いというわけではありません。
あくまで専門分野を極めるという行為
そのものに対する実感です)



 あくまでOzakiの実感ですが、
中途半端に物知り顔で話をしている時期は
周囲の反応が気になって心が穏やかでいられません。
しかしながら、

 一般的なレベルを突き抜けた!
 ここから先は自分の熱意と興味に従うのみ!
 この分野を極めてやろう!

と感じるようになってからは
 
 「あの人はちょっと変わっているよね」
 「なんでこんなことやってるんだろうね」
 「ここまでやらなくてもいいのに・・・」

といった声で心が波立つことはなくなりました。



 プロのスポーツ選手や芸術家などの
お話を多く見聞きしていると、
似たようなご経験をされている様子。
駆け出しの時は周りの声に振り回されるものの、
自分の道を追究する段階になると、
少なくとも周囲の雑音は聞こえなくなるようです。



 何か専門分野を極めたいという方、
 関心のある分野で独り立ちしたい方、
 オタクになり切ることが不安という方、
 消耗戦のない世界で生きてみたいという方、

まずは周囲の声に心が乱れないところまで、
努力を継続してみてはいかがでしょうか?



 ある一定のレベルを突き抜けた先に
心を安らかに保つころができる世界がある、
そんなことをOzakiは感じています。

オタクは消耗戦と無縁

2020-08-15 07:33:17 | 意識を整える


 前回は指示や命令で物事に取り組む人と
自分の興味・関心で取り組む人(オタク)の
比較をしてみました。

 ある特定の分野で「オタク」になる、
ということはすなわちその分野において
 
 知識量が圧倒的であり、
 熱意もハンパなく、
 時間をいくらかけてもかまわないと思っている、



という存在になるということ。
与えられた指示に基づいて、
決められた時間だけ取り組んでいる人とは
知識量、熱意、技能、上達スピード等
全ての面で差が出るのは必然と言えるでしょう。



 オタク論ついでに今回はもう一つ
「オタクが最強である」という話を続けます。



 一般的なビジネスでは必ず競争相手がいます。

 メーカーなら類似製品を作る競合他社
 流通業なら数多ある同業他社
 サービス業なら同じ効果が得られる別サービス
 映画、ゲームやギャンブル等の娯楽産業同士

 などなど、ライバルとの競争に勝つため、
日々しのぎを削っているのではないでしょうか?

 競争に勝つための差別化戦略、
 他社がまねできないような技術の囲い込み、
 独自の効率化、低コスト化の取り組み

がしばしば経済紙等でももてはやされていますね。



 しかしながら、時としてこうした

 差別化
 技術囲い込み
 効率化

の努力が行き過ぎたのではないか、と感じる
ケースもしばしば発生しています。

 
 競争相手よりも有利になるために
顧客の利益にならない販売方法に手を染めたり、
決算や品質を改ざんしたり、というケースは
つい最近もニュースになっています。
利益率を上げることだけが目的になってしまい、
本来は大切にしなければならない従業員や
協力会社に過酷なノルマや労働条件を押し付ける、
なんてことも現実に発生しています。



 こうした争いはスポーツの超一流選手同士が
人体の極限レベルでパフォーマンスを競い合う、
そんな前向きな競争ではないですね。
自社の健全な成長、事業活動よりも
ライバル関係に勝ち抜くためなら何でもする
という消耗戦になっているのではないでしょうか?



 他よりも少しでも安く
 他よりも少しでも速く
 他よりも少しでもアピールできるように

・・・とある種不毛ともいえる消耗戦は
資本主義社会の負の側面の一つかもしれません。



 ところが、オタクの世界に突入してしまうと、
こうした消耗戦とは無縁になります。
消耗戦は仕事として業務を行う会社や団体同士が
争うからこそ起こりうるネガティブな競争です。



 オタクはそうした会社や団体としての業務から
浮世離れした取り組みをするからこそオタク。

 安さのために品質を犠牲に…
 速く提供するために関係者に無理をさせなければ…
 PRのためなら多少のウソも許されるはず…

といった思考回路にはなりません。
むしろオタクの思考回路は正反対。

 受けのいい価格よりも納得の行く品質を!
 商品の本質を極めるために関係者の待遇改善を!
 うわべに騙されるお客はうちには必要ない!

といった具合に、
自ら高みを目指す思考回路こそ
オタク的発想と言えるのではないでしょうか?



 これは↑で例に挙げた超一流スポーツ選手の
考え方にも通じるところがありますよね。



 オタクとして特定の分野を突き詰め、
周囲の方からも認められる(生計が立てられる)
ようになったならば消耗戦は不要になるはずです。



 Ozaki自身、講演などで

 「テロ・犯罪オタク」

であると自称しています。

 「海外における安全対策の専門家です」

と自己紹介してもよいとは思いますが、
自分にとっては消耗戦にさらされかねない専門家より
そういった消耗戦と無縁のオタクになりたい、
との気持ちも込めています。



 「テロ・犯罪オタク」という自己紹介は
聞き手からすると、謙遜のように
あるいは頼りなく聞こえるかもしれませんが、
自分にとっては消耗戦を突破した先にある
オタクの世界こそOzakiの理想の舞台であろう、
という仮説を持っているのです。

オタク最強説

2020-08-08 01:10:57 | 仕事術


 先週はOzakiの「仕事」ぶりをご紹介しました。
趣味の延長ともいえるテロ・犯罪情報の収集が
世の中の一部の方から求められている、
という大変ありがたい現状があるようです。



 日々テロ・犯罪のことだけを考えている人間
(表現が穏当ではないですが、Ozakiのことです)
にとって様々なテロ・犯罪の手口を知ることは
日常の一コマ。
多少の時間はかかりますが、精神的には
エネルギーを使って取り組んでいるというほどの
取り組みではないのです。
同じように、テロ・犯罪の被害を避けるために
どうしたらいいのか?も日々あれこれ考えています。



 他方で、海外で事業を行う皆さんからすれば、
本業の片手間に海外での安全情報を集めるのは
そう簡単なことではありません。
テロ・犯罪オタクと同じレベルで
情報収集に時間をかけられませんし、
そもそもどこから情報を取ればいいのか、
じっくり下調べをする余裕もないでしょう。

 さらに言えば、テロや犯罪のような
他人の死傷情報を含む情報ばかり眺める行為は、
一般的には精神的にかなり負担がかかります。
誰だって暗いニュースよりは明るいニュースの方を
見たい、知りたいと思うはずですよね。



 つまり、一般的には安全対策関連の情報を
集めるという行為そのものが

 やっている時間がない
 やり方がわからない
 やっても面白くない/つらい

という三重苦になっているわけです。

 こうなると、

 仕事だから
 仲間の安全を守るためだから
 
と言えども、熱量を込めて毎日情報収集する、
というのは至難の業と言えますね。

 しかしながらそういった至難の業を
いともたやすく、あたかも呼吸するかの如く
自然体でやり切ってしまうのがいわゆる「オタク」。
Ozakiはテロ・犯罪「オタク」ですので、
上述したように、毎日情報を集めることも、
熱量をもって情報の裏を取ってみたり、
歴史を遡りテロリストの思考回路を読み解こうと
試みてみたり、という行為も苦にならないのです。



 そう、こうして比較してみると明確なのですが、

 特定の分野の「オタク」
 
   と

 仕事の一環としてその分野もやっているという方、



を比較してみると、
知識量、熱意、時間のかけ具合等全てにおいて
前者に該当する方が圧倒的な存在である、
という事実が見えてきます。
「オタク」の要件からして、
特定の分野において

 知識量が圧倒的であり、
 熱意もハンパなく、
 時間をいくらかけてもかまわないと思っている、

というものでしょうから、当然です。
「オタク」には一般人は勝てないのです。
 

 そしてまた、「オタク」という
言葉から受ける印象とは裏腹に、
突き抜けた「オタク」には一般の方からの
問い合わせが集まる傾向にありそうです。
 
 例えば先週お伝えしたOzakiへの講演依頼。
海外の安全対策の情報収集・発信を
淡々とやり続けている人が少ないからでしょうか?
ありがたいことに講演が講演を呼ぶ、
といった状況になってきています。



 「安全対策オタク」「テロ・犯罪オタク」
とも言えるOzakiは
誰もやりたがらない安全対策の情報を
ぱぱっとしゃべってくれる存在です。
変わり者、個性的ではあるけれど
役に立つ情報が聞けそうだ、
と期待値が高まるのでしょうか。

 
 Ozaki以外にもこうした事例は
たくさんあるように思います。
例えば、現在日本人で活躍中の方を
何人かイメージしてみます。
 
 「お笑いオタク」
 「サッカー戦術オタク」
 「受験勉強方法論オタク」
 「映画評論オタク」
 「バッティングオタク」
 「将棋オタク」
 「ヒグマ研究オタク」
 「片付けオタク」
 「流通効率化オタク」
 「新素材開発オタク」

などなど、けっこうな「オタク」がいそうですね。
(誰をイメージしたかは皆さんのご想像にお任せします)



 皆さんの中にも何かの分野で「オタク」な
部分というものがあるのではないでしょうか?
少し前までは「オタク」に対するイメージが
あまり良くなかったようにも思いますが、
Ozaki自身の経験からも「オタク」は
マイナスばかりではないように思います。

 
 もし皆さんが何かしらの分野で
仕事でちょっとかじった人とは比べ物にならない、
圧倒的な存在になりたいと願っているのであれば、
まずはご自身の中の「オタク」心を隠さずに
むしろ前面に押し出して磨いてみる、
という方法もいいかもしれません。

『仕事』をせずに生きる

2020-08-01 00:04:38 | 仕事術

 興味深いことに、講演を何本か対応していると、
次々に別の講演依頼も頂けることに気づきました。
本日も獣医学部での講演直前に、
アフリカの大学と共同研究をしている大学の情報交換会で
アフリカに特化した安全対策の講演をお願いしたいとの依頼が。
具体的に来年早々の東京での総会にて
講師としてお呼びいただけることになりました。

 また、獣医学部ではなく、北海道大学全体の
国際交流/国際連携を担当する国際部の方も
大学職員向けの勉強会を実施したい、とのこと。
こちらは具体化がこれからですが、
なにかしらの相談を頂ける可能性もありそうです。

 
 タイミングはたまたまですが、
本日はもう一件、全国160以上の大学が加盟する
互助組織から講演をお願いされました。

 今週はOzakiの出身高校での講演依頼を頂き、
快諾していますので具体的な講演のお話が三本、
立て続けに決まったという計算になります。



 講演をさせてください!
 安全対策の話を聞かないとまずいですよ!

といった、いわゆる「営業活動」を
本格的に行っているつもりはないのです。
本音を言えば、Ozakiはネクラですから、
講演をやるよりも一人でテロや犯罪の手口、
最新のテロリスト勢力分析などを
読んで勉強していた方が性に合っています。
(もちろん講演を行うことで、
聞いていただく方の反応から学べますし、
自分のプレゼンスキルも上がりますので、
これはこれで楽しいのですが)



 大勢の前で話をしていると、
やはり本人の実力以上に知識やノウハウがあるように
見えてしまうものなのでしょうか?

 うちの団体でも一度やってもらえませんか?
 安全がテーマのセミナーを共催しませんか?
 アドバイザーとして意見をもらえないか?

などなど、Ozakiが役に立てるチャンスを
頂けることは大変ありがたい限りです。
(正直組織の後ろ盾もない、
世間的には若造のOzakiへの依頼で
本当にいいのでしょうか?という感覚ですが)

 
 
 この講演が講演を呼ぶ現象、を体感してみると
自分が強く働きかけなくても、
定期的に講演依頼が入ってくるというのは
理想的な「仕事」の在り方かもしれない、
という仮説にたどり着きました。



 Ozakiが日々やっているのは、
趣味の延長線上とも言える世界中のテロや犯罪、
政情不安等のニュースの収集と分析。
その情報をOzakiのメモも兼ねて
ウェブサイト(海外安全.jp)に掲載している程度。
情報収集もウェブサイトの更新も
Ozakiにとっては「仕事」カウントにはなりません。



 また、Ozakiが呼んで頂ける各種会合や
セミナーでお話している内容の大部分は、
上述の通りOzakiが好きで集めている情報、

 世界各地のテロや犯罪事件の詳細
 被害の発生状況
 被害を防ぐための教訓

などを最新の時事ネタや聴衆の属性にあわせて
おしゃべりしているにすぎません。
「仕事」の依頼としては講演ですので、
格好をつけてこのメルマガでも
講演という表現を使っていますが、
実態はOzakiの一人語りではないか、と
自分では感じています。



 こんなおしゃべり会、一人語りの会を
思いのほか多くの方が評価してくださっているのは
まさに「有り難し」というほかありません。
自分では「仕事」だと思っていないこと、
テロ・犯罪オタクの活動が社会に役立つ講演に
なるのであれば、可能な限りお応えしたいと
お話を受けていたところ、
講演が講演を呼んできてくれる状況になりました。

 念のため、Ozakiの現状として、講演だけで
お金をたくさん稼げるわけではありません。
むしろ、お金のために趣味の延長線上にない
「仕事」もたくさんやっています。

 が、もしかしたらこの先日々呼吸するように
眺めているテロ・犯罪情報をしゃべるだけで
生活費を頂けるのではないか、という期待を
持ってもよいのか?と思うほど
講演の依頼が続いたことは驚きです。 

 たまたま依頼が続いている今が
バブルなのかもしれません。
講演内容がどこかで期待を下回れば、
Ozakiの皮算用に終わるかもしれません。
ただ、もし期待が現実になれば、
なんて理想的なんだろうかとも感じるのです。 



 本人にとって「仕事」にカウントされない行動が
いろいろな方には「仕事」として一定の評価をされ、
さらに次の「仕事」がもらえる。
趣味だと思って取り組んでいることが
お客様にとって非常に役に立つ情報に変換できる。
つまりは「仕事」をせずにお金を稼げる、
という状態まで想像できてしまうからです。
もしこの状態に到達することができれば
「仕事」という概念すら不要とも言えます。



 必ずしも皆さんが「仕事」をしないで生活するを
是とするわけではないと思います。
 
 生活習慣として出勤しないと居心地が悪い
 日々役に立っている感覚を得たい
 より大きな社会貢献のために組織で取り組みたい

などなど、考え方は様々あって当然です。
それでも一つの選択肢として
「仕事」をしないで生活しようと思えばできる、
そんな状況に達することができれば、
人生はもっと楽しく、豊かになるのかもしれません。

 
 Ozakiがテロ・犯罪の情報収集、分析を
自身の成長につなげ、
それが社会への価値提供につながれば
Ozakiは「仕事」をせずに生活できるかもしれません。
同様に、皆さんも何らかの分野で
日々一歩一歩成長を追い求めていると、
いつかは「仕事」をせずに生活する権利を
得られる日が来るかもしれませんね。
(あくまで権利であって行使するかどうかは
皆さんの自由だと考えています)