36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

言葉の力を磨く(その2)

2014-01-29 19:49:52 | コミュニケーション


 前回は言葉に宿る力を実例を交えて説明してみました。
今回は我々が言葉に力を宿すにはどういった方法があるか、
具体的に考えてみたいと思います。

 
 まず、言葉に力を宿すとはどういうことでしょうか?



 相手に伝わりやすい、
 相手に理解してもらいやすい、
 相手の共感を得やすい

そんな発信ができる能力、それが言葉に力を宿すということではないか、
Ozakiはそう考えています。



 前回取り上げた二つの事例でも多くの人に発信した情報が伝わり、
理解され、共感されたからこそ、大きな動きに至ったのだと思います。
他に事例を挙げるならばアップルコンピュータで
マッキントッシュ、iPodやiPhoneなどを爆発的ヒットに導いた
故スティーブ・ジョブズ氏も共感を呼ぶ力を持っていましたね。
自分の開発したアイテムの素晴らしさを伝え、
ユーザーに良さを理解してもらい、
そして自社の商品を使いたいという気持ちを喚起する天才でした。

 
 こういった事例を踏まえて考えていくと、
上記の三点を心がければ少なからず言葉には「力」が宿るはず。
つまり、

 相手に伝えるにはどうしたらいいのか、
 相手に理解してもらうにはどうしたらいいのか、
 そして相手の共感をどうすれば得ることができるのか、

について試行錯誤するうちに言葉に力が宿るということになりますね。

 
 情報が上手に伝わるために、まずは自分が考えている
ことをしっかりと発信できる必要があります。
そして、相手に理解してもらうためにはさらに
相手が自分の発信した情報をしっかり受け止めてもらわねばなりません。

 ある人が情報を発信した際に情報の受信者(聞き手、読み手)が
正しく情報を受け取り、理解できるかどうか、は

 (情報発信者の伝達力)×(情報受信者の理解力)

といった数式で表現できるはずです。



つまり、発信者側が伝わりにくい表現、手法を用いれば伝わりませんし、
受信者側がよく受け止められなかったり、背景を共有しなければ理解できません。
この「かけ算」が成立するかどうか、が重要なのでOzakiは繰り返し
コミュニケーションの齟齬はどちらか一方の責任ではない、と
主張してきています。



 今回のテーマは発信者側の要素を取り上げていますので
情報発信の際の伝達力と共感を呼ぶための工夫を考えてみましょう。

 まず、相手に伝える力を伸ばすにはどうしたらよいでしょうか?
いくつも方法論があるはずですが、大きく分類すれば二つ
大事なポイントがあるのではないかとOzakiは感じます。

 一つ目は言葉の選び方。
もう一つは自分の考え(気持ち)をストーリーに乗せること。



 一つ目のポイントは相手にもわかる言葉で発信するということです。
 どの業界にも必ず『業界用語』と呼ばれる言葉がありますね。
芸能界やテレビ局などで使われる用語は特殊ですよね。
「バッテラ」というのはバッテリーライトのことだそうですし、
どんな時間でも「おはようございます」と挨拶するのも業界ならでは。

 他の業界でもさまざまな特殊な単語が飛び交っているはずです。
Ozakiがこれまで経験してきた業界だけでも



 液クロ(化学実験に使います)
 単協(協は生活協同組合の協です)
 ピンスポ(舞台演劇などで使います)
 カンカン泣き(競馬用語の中でもマニアックです)

といった言葉をなんの説明もなく日常的に使ってきました。



 各業界に染まると必ずこういった用語を理解しなければなりません。
また、気が付けば違和感なく使っている自分に気づくはずです。
こうなると自分とは違う業界の方と話すためには言葉を選び、
相手に合わせた言葉づかいをしなければ意志疎通できませんよね。
他の業界の方からすれば、そういった単語は「外国語」に近い
といっても過言ではないからです。

 同じ日本語を話しているはずなのに、よくよく考えてみると
年代や性別、業界や地域といった属性によって全く違う日本語が
飛び交っている、実は我々が生きているのはそんな世界なのですね。



 相手に何か情報を伝達するという際に、気をつけなければならないこと。
それは特殊な用語を使っていては外の世界と会話できないということです。

 自分とは違う世代の人、
 自分とは業界が違う人、
 自分とは異なる日常を送っている人、

こんな「他者」に通じる言葉を持つためには
狭い範囲でのみ通じる『業界用語』を普遍的な言葉で表現できる、
そんな能力が必要になるのではないでしょうか?
相手に伝えるための言葉選びは非常に重要な要素だと思うのです。



 もう一つは自分の考え方、気持ち、伝えたい趣旨を
相手が理解しやすいようなストーリーに沿わせることです。
例えば



 「こういう問題があり、
 こんな深刻な被害が出ています。
 ですからこういった解決策を考えなければならないのです」

 であるとか

 「この作業をお願いできますか。
 お願いしているのはこういう方針に基づいて進んでいる取り組みの
 この部分に相当して、こんな成果が期待されています。
 この成果が次のステップに進む条件なので大切です」

 といったようなもの。
聞き手、読み手に対して、過去、現在、未来といった時系列や
今自分がどこにいて、どちらの方角を目指せばいいのかを明確にする、
そんな語りかけができればドラマや漫画のように伝わりやすくなりますね。

 ロジカルな話し方、文章というと堅苦しくなりますが、
自分なりの物語を相手に提示すると言うと気楽にできそうです。



 突発的に

 「こういう解決策が必要なんです!」
 「とにかくこの仕事やってください!」

と言ってしまうのは手っ取り早いですが、
そうしてしまうと相手を共感させることはもとより、
その人の協力を得ることも難しいかもしれません。



 言葉に力を宿すためにまずは相手に自分の意思、考え方、気持ちを
少しでも上手に伝える方法を考えてみました。
 
(次回に続きます)

言葉の力を磨く(その1)

2014-01-24 22:19:47 | コミュニケーション


 先週火曜日に行われた全米での投票の結果、
バラク・オバマ大統領が再選されることになりました。
正式には12月の選挙人投票で決定するという仕組みですが、
全アメリカ国民が投票する一般投票の結果が重要ですので、
オバマ大統領の勝利はゆるぎません。

(この記事は2012年11月12日に配信したメルマガの
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 4年間ほどの熱狂はないものの、アメリカの国民は
オバマ大統領のスピーチに心を動かされ、もう4年の間
彼にアメリカという国のかじ取りを任せたということになるでしょう。



 ご存知の通りオバマ大統領はアメリカで初めて
黒人として大統領になった人物です。

 彼はもともと地元に密着した活動を行う弁護士でした。
弁護士業と並行して貧困層の支援を行うコミュニティづくりを経て、
政治的な働きかけも行えるような力を付けていきます。
その過程で多くの人、幅広い背景を持つ人を巻き込む「言葉の力」を身に着け、
それが今のスピーチ上手につながっているようです。



 4年前には

 「スピーチのうまさだけで大統領になった」

と揶揄されることもあったようですが、
逆に上手に話をして、多くの人から支持を得られるようになれば
名実ともに地球上最大、最強の国の最高権力者にだってなれるのです。
それほどまでに人間の発言、スピーチというのは重い意味を持つのですね。



 もう一つ事例を引いてみましょう。
それは中東チュニジアで発生したジャスミン革命。
2011年に発生し、23年間続いたベンアリー大統領の独裁体制を
崩壊に至らしめた民主主義革命です。

 この革命は大規模な戦火と呼べるような衝突がほとんどないまま、
デモ、ストライキ、そしてインターネットを介して活動が加速。
結果、大統領をサウジアラビアに亡命させるまでに広がりました。
その始まりは一人の若者の焼身自殺の様子がネットで広がったこと。



 Facebookやyoutubeといったインターネットサイトで情報が広がり、
口から口に、チュニジアの窮状、特に若年層の不満が拡散したのです。
そして、主として武力ではなく、情報の力、言葉の力で歴史が動いた、
そうまとめることもできるでしょう。
(欧米諸国の情報戦の成果という見方もあるようですが、
 そういった背景を抜きにしても、情報発信と拡散によって
 一国の運命が変わったという点は認めざるを得ない事実でしょう)



 多くの人の心を動かす力。
その源泉はかつてのように武力ではなくなりつつあります。
昔は銃や大砲といった武器であるとか、恐怖政治のような手法で
人心をコントロールすることが比較的容易でした。

 しかし、さまざまな媒体が発達し、多くの意見が幅広い層に
行き届くようになった結果、武力よりも言論のほうが影響力に勝る。
まさに「ペンは剣よりも強し」といった世界になりつつあります。

 現在の世界においてアメリカの大統領選挙や独裁体制を動かすことすら
可能な強力な力、それが「言葉の力」なのだと思います。



 しかしながら、すべての言葉に力が宿るわけではありません。 
自分自身が考えたことが自分の中にとどまっているうちは
世論を動かす大きな力にはなりえませんよね。
誰にも見せない日記帳や独り言によってあなたが大統領なり
首相に選ばれる可能性はゼロに違いありません。
なぜなら、その「言葉」は外に向けて発信されていないからです。



 また、自分がいつも付き合っている、いわば「身内」で交わされる
狭いコミュニティでのみ通用するやりとりも世界を動かすことはないはず。


 昔馴染みとの思い出話
 社内の同僚との飲み会での愚痴の言い合い
 特定の業界でのみ当てはまる前提を踏まえた意見交換

 
こういった話には大衆を動かすだけの力はありません。
なぜなら、ある程度前提となっている知識を分かち合える
「井戸の中」の人たちにしか伝わらないからです。

 それでは、どうすれば言葉に力を宿すことができるのでしょうか?



 (次回に続きます)

自問G討で進路を定める(その2)

2014-01-18 22:04:22 | 仕事術


 先週は自分の脳内に複数の人物、それも自分の尊敬する人や
憧れの人を呼び込んでグループ討論をするという話でした。
今週はその自問G討(じもんじーとう)を活用する質問の紹介です。

 
 その質問とは

 「この○○(行動)が終わったらどうなっていたいか?」

 という質問です。

 この仕事が終わったら、
 この課題が終わったら、
 今日一日が終わったら、

自分自身がどうなっていたいか、を問う質問です。
この質問を自分自身に投げかけ、頭の中の何人かで考えてみましょう。
そうすると不思議なことに自分なりのゴールが見えてきます。

 何かに必死に取り組んでいる最中には忙しさのあまり
本来の大きな目的を忘れてしまうこともあるでしょう。
時にはどうしても行き詰ってしまうこともあるはずです。
そういった際に一番厄介なのは

 自分はやりたくないけれども仕方なく仕事をしている

といった受け身の姿勢になってしまうことだとOzakiは考えています。
受け身になってしまうと、どうしても目の前のやるべきタスクに
身が入りません。



 ところが、

 「この○○をクリアしたらどうなっていたいか?」

という質問をいろいろな目線で考えるとどうなるか。
不思議なことに自分自身が目指すべきゴールがはっきりと見えてきます。

この仕事を終えた時、こんな経験を積めていればOK
この課題を無事克服できれば、次は似たような課題は朝飯前
今日一日が終わったら、理想の自分に一歩近づけるはず


自分なりに設定したゴールが見えていることは非常に大切です。

 ゴールがないというのはどこに向かっているかさっぱりわからない状態。
まるで先の見えないくらいトンネルを進むのと同じで不安で一杯。
視界も狭くなり、広い視野で考えることは難しくなります。
逆にトンネルの先に光が見え、出口があそこだ!とわかっていれば…。
自信を持ってその光に向かって進むことができますよね。

 
 上司に言われて、
 会社の仕組みだから
 とにかく月給をもらうために 

仕方なくやっているという姿勢から自ら積極的に取り組む姿勢に
転換することができる、そんな魔法のような手段がこの質問です。



 自分の尊敬する人も含めた複数の人にも意見を聞きながら、
果たしてこの目の前の試練が終わった時にどうなっていたいか考える。
そしてその次の障害に向かうためにどんな力が欲しいか聞いてみる。

 その結果主体的に課題に取り組めれば、たとえ短期的には失敗に
直面したとしても、その課題から得られる学びは確実に自分自身を
鍛えてくれるはずです。
そして、その成果、経験は次の挑戦に必ず役に立つことになるでしょう。



 自問G討という手法で、自らの進路を定め、
目指すべきゴールを自分自身で設定する。
この組み合わせが今日の一歩、明日の一歩を生む原動力に
なるのではないでしょうか?

自問G討で進路を定める(その1)

2014-01-15 20:18:41 | 仕事術


 先週読了した「子供が「やる気」になる質問」の内容を踏まえて
Ozakiが考えたことをご紹介したいと思います。



 この本は先週もご紹介したとおり大人が子供たちに対して効果的に
質問をすることで子供たちの積極性を引き出し、やる気を導くことができる、
そんな趣旨の本です。

 ただし、著者のマツダさんは本書で取り上げた質問を
子供だけに問いかけるのではなく、大人が自身に投げかけることも重要です、
という考えをお持ちのようです。
自らなんとかしようという心持ではなく、毎日怒っていたり、
暗い顔をしている大人にそういった質問をされても効果がないと断言しています。

 プロローグでも

 「質問は『誰が言うか』が決め手」

と書かれており、

 「この人が投げかけてくれる質問には答えたい」

そんな風に子供が感じてくれるような大人(親)になりましょう、
と筆者自身で書いています。

 
 この本は子供を育てるためのヒントを紹介する本という面だけでなく、
既に大人になった我々が自分に自信を持つための応援本といった側面も
あるのかもしれないな、とOzakiは感じました。



 この本の中で二つOzakiがこれは!と思った質問をご紹介します。

 一つ目は
「○○(尊敬する人等)だったらどんなやり方をすると思う?」

です。

 一つ目は途方に暮れている自分の発想にとどまることなく、
自分が尊敬している人ならどう事態を打開するだろうか?と考えてみる、
そのための質問です。

 たとえば、

 プロ野球のイチロー選手ならどう考えるだろうか、
 ワンピースのルフィだったらどう行動するだろうか、

といった現実、フィクション問わず自分の憧れの人物の知恵を借りるための
質問です。

 経営者の方が

 「(経営の神様と言われる)松下幸之助さんならどう考えるだろうか?」

といった発想方法を実践されているといった話を読んだこともありますが、
これは全く同じ質問ですね。



 Ozakiが大学時代に所属していた大学生協の組織ではグループ討論のことを
G討(じーとう)と呼んでいました。
何らかのイベントを始める前やイベントの振り返り(反省)の際には
G討を行って、多様な意見を集める、そんなやり方をしていたのです。
新しいことを始める時には人によって意見が異なりますし、
イベントの目的や運営方法を固めるためには全員の意識統一が必要です。

 G討はいろいろな立場の人が独自の意見を言い合う、
そして思いつく限りのトラブルを想定しながら物事を進めていく手法でした。
当然のことながら、G討参加者は違う角度で意見を表明しますので、
自分とは違う考えも場に出されることになります。
G討をやれば一人では思いつかないようなイベントのやり方であるとか、
想定しきれなかったトラブルといったものもカバーすることができますよね。



 Ozakiはこの質問の解説ページを読んで

「自問G討」をすることで自分の考えの枠を取り払い、
新しい発見や今までとは違う手法に気づくことができるな、 
と感じました。

 自問G討とは文字通り自分一人で自分自身に問いかけるけれども、
頭の中であこがれの人を何人か招集し、グループで議論しているように
結論を導き出すプロセスを意味する造語です。



 現実の世界で行うグループ討論のように、
自分以外の誰かに置き換えて現在直面している困難を見つめてみると
思いがけない解決策が見つかることもあるかもしれません。
自分ひとりで考えているとどうしてもいつも同じような発想で
答えを出そうとしがちです。
自問G討をすることで、視点を外に動かすことができますよね。
そうすれば新しいアイディアも見えてくる可能性があります。

 
 そしてこの自問G討は来週ご紹介するもう一つの質問と組み合わせると
より効果が大きくなるんじゃないか、とOzakiは感じています。
 

(次週に続きます)

ローカルを極める

2014-01-11 17:33:53 | 意識を整える


  ギルギット地方へ出張した際、道中はパキスタン人三人と一緒でした。
一人はドライバー、もう一人はその地域に詳しいガイド、
そしてもう一人はギルギット地方までの陸路を担当する安全対策アドバイザー。

 パキスタン人のうち特にガイドとアドバイザーは移動中よく会話していました。
運転はドライバーがやるわけで、当然その二人は特段やることがありませんよね。
ですので会話の中で、ガイドには日本のことをいろいろと聞いてきたのです。

 わかる範囲で回答しましたが、まったく基礎知識のないパキスタン人に対し、
自分自身も理解に自信がないことを英語で答えるのは骨が折れました。
今回はそんな経験からコラムを書いてみたいと思います。



 Ozakiがグローバルな視点で考えよう、文章を書こう、と考えると

 「自分自身は自分の国(ローカル)を知っているか?」

という問いが自分に返ってきます。



 グローバルというとあたかも世界的、世界通、というイメージです。
しかしながら、外国で働くうち、世界の多くの国に行ったことがあっても、
どんなにいろいろな外国のことを知っていたとしても、それだけでは
グローバルな人物になりえないのではないか、と感じるようになりました。
なぜか。
 それは歴史、文化、伝統、地理、政治や経済、宗教等、自分の国に関する
多岐にわたる知識を(できれば英語で)説明できるだけの教養が
必要だと思うようになったからです。



 たとえ、世界の国の様子をそれほど多く知らなくとも、
 たとえ、英語をはじめとする各国語を流暢にしゃべれなくとも、
 たとえ、外国人の友人がそれほど多くなくとも、

自分が生まれ育った国、自分のアイデンティティの軸となる国、を
知り尽くしているというのは一つのグローバル化の在り方かもしれません。



 元国家公務員、今は国内各地を旅しながら行く先々で地元に溶け込み、
仕事をしてはバイクで日本中を回っている友人がいます。
彼はつい先日一台のバイクで8万キロ(地球二周分!)を達成しました。
それだけ日本国内をあちこち走破しているということになりますね。



 彼は国外にほとんど出たことがありませんし、
英語を使ったことも数えるほど、だそうです。
しかしながら、Ozakiは彼を日本のことを実体験とともに
世界中の人に伝えられる人物だなぁ、と強く思うのです。



 彼は世界を股にかけて活躍しているわけではありませんが、
自分の国、地域、すなわちローカルを極めた人であることは間違いありません。
Ozakiはこういう人もグローバル化の一翼を担う貴重な人材だと考えます。



 グローバル化が今より一層進めば国籍という概念はは無意味だ
という考え方をお持ちの方もいるかもしれません。
ビジネスを進める上で相手のバックグラウンドは不問という方もいるでしょう。

 果たしてそうなるのでしょうか?
想像してみてください。
我々が世界に出て行ったとき相手をどのように理解しようとするでしょうか?
相手が何を考え、どんな利害を持っているか、言葉を替えれば
相手がどんな「属性」を持つか考える時、国籍は依然として重要です。
「属性」は国とは限りませんが、バックグラウンドとしての
出身地と人種はずっと意味を持ち続けるのではないか、Ozakiはそう思います。
なぜならアイデンティティとは知らず知らず、自分の育った環境によって
形作られるものであり、出身地、人種はその代表と言えるからです。
(これは出身地や人種で差別するという話ではありませんので念のため)


 例えばビジネスの相手がどこの人であろうとビジネスのシーンが終わり、
ひとたびプライベートの場面になれば相手の国の文化や伝統、
景勝地や歴史などが話題になることは間違いありません。
(宗教や政治は若干機微なので信頼関係ができてからの話でしょうが)

 その際語るべきものが何もなかったとしたら…。

「あの人はビジネスはやり手だけど、人間としては面白くないよ」

 そんな評判が出回ってしまうこともありえますよね。
あの人は自分の出自に誇りを持っていないのだろうか?
そんなことを思われてしまうかもしれません。
人間の味わいというのは、その人がこれまでどういう人生を送ってきたか、
どこで、どんな文化を経験して生きてきたのかだとOzakiは思うのです。
それを語れない人、自身の人生の背骨を表現できない人は、
どんなに英語が流暢でもグローバル社会では評価されにくいのではないか、
そんなことも感じます。



 つまり、グローバル化が進み、より多様な人と出会う機会が増えれば増えるほど、
自分の国、地域(ローカル)を知らなければ対応できないということになります。
逆に世界中を旅していても、自分の国、地域に関心がなく、
ほとんど語るべきものを持たないという人はグローバル化した人ではなく、
自分の「軸」を表現できない、放浪者でしかないのかもしれません。



 グローバル化は世界の大きなうねりなので、
同じ時代に生きている人間として避けられません。
しかし、単に語学ができる、多くの国に渡航したことがある、
そんな単純な指標でグローバル化度合が決まるわけではないはずです。

 世界のあちこちを知る、多くの言葉が話せるようになる、
多様な国籍、人種に友人を作る。
これらも当然グローバル化への対応策だと思います。
しかしながら日本国内で徹底的に自身の背景を知る、
歴史、文化、伝統、…自分の国、地域の多岐にわたる知識を
徹底して学ぶ。
 言い換えれば「ローカルを極める」ことも立派なグローバル化の在り方でしょう。
グローバル化にどう対応するか、はさまざまな方法論がありそうですね。