今回のテーマはメルマガ執筆時に聞きに行ったライフネット生命社長の出口さんの講演でもたびたび登場していた「インプット」という言葉。この一言、実は簡単なようで、実践はなかなか難しいというタイプの言葉だと思います。
何をインプットすればいいのか?
という「そもそも論」もありますし、
インプットを心掛けてるけどどうしたらいいのか分からない
というとまどいを感じることもあるでしょうし、
インプットしても覚えられない!
という嘆きの声もあるでしょう。
Ozaki流のインプットは以前にも紹介しましたが
「とにかく読む。興味があるものは読む。忘れてもいいので読む。」
という至ってシンプルなもの。自分の興味のある事柄、出来事、人物、イベントなどなど本当になんでもいいと思います。
例えばOzakiにとっては競馬関係の出来事は強い興味の対象ですし、将棋やピアノは自分では全然できませんが知りたいという興味だけはあります。そのため、将棋連盟のHPで毎日プロ棋士の動向をチェックしていますし、弾けそうもないピアノの楽譜集をとりあえずダウンロードして印刷だけしてみる、そんなこともやっています。
自分が興味があることに関することならば、
「今のインプットが短期的なアウトプットにつながらなくても構わない」
そのくらいの気持ちで、戸惑うことなくインプットすればいいと感じています。
Ozakiの場合はとにかくインプットするためのプロセスとして
インターネットであれこれ検索する
読みたい本があれば思った瞬間にとにかく買う
面白い話を聞いたら質問してみる
などという方法をとっています。
既に紹介した出口さんの本(「思考軸を作れ」)でも書かれていますがインプットは早いもの順でいいと思います。いつなんどき、どんな知識や記憶が役に立つかわかりませんし、社会人となってしまえばこれは何年生の学習範囲、というカリキュラムなんかどこにもありません。新人だから読んではいけませんという本もなければ管理職にならなければインプットできない情報というものはほとんど存在しないのです。(人事や対外的な裁判といったケースは別ですが…)
カリキュラムに縛られることがないのであれば、情報と出会った順にとにかくインプットしていくしかないと考えています。インプットする中で、別の疑問や気になるキーワードがあれば連想ゲームのように次々検索、調査、研究すればより効果がありそうですよね。
でも、もし出会った情報が間違っていたら??架空の投資話やいろいろな詐欺手口がある今日、デマや誤報だってありますよね。なんでもインプットすると言われると急に不安になる方もいるかもしれません。
確かに情報が氾濫している社会、何が正しくて何が正しくないのかもよくわかりません。とりあえず自分の体の中に情報を取り込んで、後から追加情報で補正してみてはどうでしょうか?巨額の投資詐欺やとんでもない健康法出ない限り命の危険はないはずです。(さすがにお金や命が絡む時は行動を慎重にしなければならないと思いますが、少々の痛い目を見ることで情報の真贋を見極める目も同時に養えるチャンスです。)
もっと極端なことを言ってしまえば、今この時点で正しい情報であったとしても、一年後、二年後には間違った情報になってることもあり得る時代です。その場その場で情報をインプットして、アップデートして、またインプットする。その繰り返しを続けるからこそ、本当に正しいことは何度も体にインプットされるのだと考えます。
最後に、インプットしても忘れてしまうということは気にしないでいきましょう(笑)。人間はどうがんばっても読んだこと、経験したこと100%すべてを覚えることはできません。Ozakiはもちろんのこと、みなさんも当然いろんなことを日々忘れていると思います。忘れるのは人間の特技ですから、インプットしたことが「流出」してしまうのはやむを得ないのです。
それでも忘れたことを気にしなくていい?
そうです、Ozakiはそう思っています。
昨日食べたものを覚えていなくても食べたものは着実に栄養素として取り込まれています。「食べた」という事実があれば、必ず情報という名の栄養素は脳に、体にインプットされます。そして継続的にインプットし続ければ情報は食物由来の栄養と違って蓄積されていきます。忘れてもいいからインプットし続けるその姿勢があればきっと脳も体も鍛えられると思います。
インプットはそれほど負担にならず続けられる作業だと思います。ダイエットや節約のように「リバウンド」的な副作用も思いつきません。目に付くものをただただ、流し読みする、そんなことでもいいのだと思います。
「あー今読んでるなー」
そんなことを意識した時にはきっとインプット倍増計画が完了しているのではないでしょうか?
何をインプットすればいいのか?
という「そもそも論」もありますし、
インプットを心掛けてるけどどうしたらいいのか分からない
というとまどいを感じることもあるでしょうし、
インプットしても覚えられない!
という嘆きの声もあるでしょう。
Ozaki流のインプットは以前にも紹介しましたが
「とにかく読む。興味があるものは読む。忘れてもいいので読む。」
という至ってシンプルなもの。自分の興味のある事柄、出来事、人物、イベントなどなど本当になんでもいいと思います。
例えばOzakiにとっては競馬関係の出来事は強い興味の対象ですし、将棋やピアノは自分では全然できませんが知りたいという興味だけはあります。そのため、将棋連盟のHPで毎日プロ棋士の動向をチェックしていますし、弾けそうもないピアノの楽譜集をとりあえずダウンロードして印刷だけしてみる、そんなこともやっています。
自分が興味があることに関することならば、
「今のインプットが短期的なアウトプットにつながらなくても構わない」
そのくらいの気持ちで、戸惑うことなくインプットすればいいと感じています。
Ozakiの場合はとにかくインプットするためのプロセスとして
インターネットであれこれ検索する
読みたい本があれば思った瞬間にとにかく買う
面白い話を聞いたら質問してみる
などという方法をとっています。
既に紹介した出口さんの本(「思考軸を作れ」)でも書かれていますがインプットは早いもの順でいいと思います。いつなんどき、どんな知識や記憶が役に立つかわかりませんし、社会人となってしまえばこれは何年生の学習範囲、というカリキュラムなんかどこにもありません。新人だから読んではいけませんという本もなければ管理職にならなければインプットできない情報というものはほとんど存在しないのです。(人事や対外的な裁判といったケースは別ですが…)
カリキュラムに縛られることがないのであれば、情報と出会った順にとにかくインプットしていくしかないと考えています。インプットする中で、別の疑問や気になるキーワードがあれば連想ゲームのように次々検索、調査、研究すればより効果がありそうですよね。
でも、もし出会った情報が間違っていたら??架空の投資話やいろいろな詐欺手口がある今日、デマや誤報だってありますよね。なんでもインプットすると言われると急に不安になる方もいるかもしれません。
確かに情報が氾濫している社会、何が正しくて何が正しくないのかもよくわかりません。とりあえず自分の体の中に情報を取り込んで、後から追加情報で補正してみてはどうでしょうか?巨額の投資詐欺やとんでもない健康法出ない限り命の危険はないはずです。(さすがにお金や命が絡む時は行動を慎重にしなければならないと思いますが、少々の痛い目を見ることで情報の真贋を見極める目も同時に養えるチャンスです。)
もっと極端なことを言ってしまえば、今この時点で正しい情報であったとしても、一年後、二年後には間違った情報になってることもあり得る時代です。その場その場で情報をインプットして、アップデートして、またインプットする。その繰り返しを続けるからこそ、本当に正しいことは何度も体にインプットされるのだと考えます。
最後に、インプットしても忘れてしまうということは気にしないでいきましょう(笑)。人間はどうがんばっても読んだこと、経験したこと100%すべてを覚えることはできません。Ozakiはもちろんのこと、みなさんも当然いろんなことを日々忘れていると思います。忘れるのは人間の特技ですから、インプットしたことが「流出」してしまうのはやむを得ないのです。
それでも忘れたことを気にしなくていい?
そうです、Ozakiはそう思っています。
昨日食べたものを覚えていなくても食べたものは着実に栄養素として取り込まれています。「食べた」という事実があれば、必ず情報という名の栄養素は脳に、体にインプットされます。そして継続的にインプットし続ければ情報は食物由来の栄養と違って蓄積されていきます。忘れてもいいからインプットし続けるその姿勢があればきっと脳も体も鍛えられると思います。
インプットはそれほど負担にならず続けられる作業だと思います。ダイエットや節約のように「リバウンド」的な副作用も思いつきません。目に付くものをただただ、流し読みする、そんなことでもいいのだと思います。
「あー今読んでるなー」
そんなことを意識した時にはきっとインプット倍増計画が完了しているのではないでしょうか?