36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

インプット倍増計画!

2012-06-30 15:30:58 | 読書
 今回のテーマはメルマガ執筆時に聞きに行ったライフネット生命社長の出口さんの講演でもたびたび登場していた「インプット」という言葉。この一言、実は簡単なようで、実践はなかなか難しいというタイプの言葉だと思います。 

 何をインプットすればいいのか?

という「そもそも論」もありますし、

 インプットを心掛けてるけどどうしたらいいのか分からない

というとまどいを感じることもあるでしょうし、

 インプットしても覚えられない!

という嘆きの声もあるでしょう。



 Ozaki流のインプットは以前にも紹介しましたが

 「とにかく読む。興味があるものは読む。忘れてもいいので読む。」

という至ってシンプルなもの。自分の興味のある事柄、出来事、人物、イベントなどなど本当になんでもいいと思います。

 例えばOzakiにとっては競馬関係の出来事は強い興味の対象ですし、将棋やピアノは自分では全然できませんが知りたいという興味だけはあります。そのため、将棋連盟のHPで毎日プロ棋士の動向をチェックしていますし、弾けそうもないピアノの楽譜集をとりあえずダウンロードして印刷だけしてみる、そんなこともやっています。

 自分が興味があることに関することならば、

 「今のインプットが短期的なアウトプットにつながらなくても構わない」

そのくらいの気持ちで、戸惑うことなくインプットすればいいと感じています。



 Ozakiの場合はとにかくインプットするためのプロセスとして
 
 インターネットであれこれ検索する
 読みたい本があれば思った瞬間にとにかく買う
 面白い話を聞いたら質問してみる

などという方法をとっています。

 既に紹介した出口さんの本(「思考軸を作れ」)でも書かれていますがインプットは早いもの順でいいと思います。いつなんどき、どんな知識や記憶が役に立つかわかりませんし、社会人となってしまえばこれは何年生の学習範囲、というカリキュラムなんかどこにもありません。新人だから読んではいけませんという本もなければ管理職にならなければインプットできない情報というものはほとんど存在しないのです。(人事や対外的な裁判といったケースは別ですが…)

 カリキュラムに縛られることがないのであれば、情報と出会った順にとにかくインプットしていくしかないと考えています。インプットする中で、別の疑問や気になるキーワードがあれば連想ゲームのように次々検索、調査、研究すればより効果がありそうですよね。



 でも、もし出会った情報が間違っていたら??架空の投資話やいろいろな詐欺手口がある今日、デマや誤報だってありますよね。なんでもインプットすると言われると急に不安になる方もいるかもしれません。

 確かに情報が氾濫している社会、何が正しくて何が正しくないのかもよくわかりません。とりあえず自分の体の中に情報を取り込んで、後から追加情報で補正してみてはどうでしょうか?巨額の投資詐欺やとんでもない健康法出ない限り命の危険はないはずです。(さすがにお金や命が絡む時は行動を慎重にしなければならないと思いますが、少々の痛い目を見ることで情報の真贋を見極める目も同時に養えるチャンスです。)

 もっと極端なことを言ってしまえば、今この時点で正しい情報であったとしても、一年後、二年後には間違った情報になってることもあり得る時代です。その場その場で情報をインプットして、アップデートして、またインプットする。その繰り返しを続けるからこそ、本当に正しいことは何度も体にインプットされるのだと考えます。



 最後に、インプットしても忘れてしまうということは気にしないでいきましょう(笑)。人間はどうがんばっても読んだこと、経験したこと100%すべてを覚えることはできません。Ozakiはもちろんのこと、みなさんも当然いろんなことを日々忘れていると思います。忘れるのは人間の特技ですから、インプットしたことが「流出」してしまうのはやむを得ないのです。

それでも忘れたことを気にしなくていい?

そうです、Ozakiはそう思っています。

 昨日食べたものを覚えていなくても食べたものは着実に栄養素として取り込まれています。「食べた」という事実があれば、必ず情報という名の栄養素は脳に、体にインプットされます。そして継続的にインプットし続ければ情報は食物由来の栄養と違って蓄積されていきます。忘れてもいいからインプットし続けるその姿勢があればきっと脳も体も鍛えられると思います。



 インプットはそれほど負担にならず続けられる作業だと思います。ダイエットや節約のように「リバウンド」的な副作用も思いつきません。目に付くものをただただ、流し読みする、そんなことでもいいのだと思います。

 「あー今読んでるなー」

 そんなことを意識した時にはきっとインプット倍増計画が完了しているのではないでしょうか?

絵を描くために必要なこと

2012-06-28 11:15:49 | 仕事術
 Ozakiが昔インドでお世話になった専門家のセリフ。

「Ozaki君ね、ゾウの絵を描こうとするでしょ。
 そしたら意外と描けないんだよ。
 イメージでは描けるかもしれないし、だいたい雰囲気は伝わるだろうけど。
 細部まで普段はちゃんと見てないからきっちり絵は描けないんだ」

なるほどー、と3年半ほど前に言われたことが最近記憶の底から鮮やかに蘇ってきました。

 きっかけは通勤電車の中から線路を眺めていた時のことです。普段は注意をはらうことがない枕木の構造を見ていたらあることに気付きました。枕木はただまっすぐに線路と結合されているのではなく、枕木がずれないようにストッパー金具が付いていたのです。おそらくこれだけ書いてもよくわからないと思うので、皆さんもぜひ線路に注目してみてください。

 じっくりと観察しなくとも線路と枕木の絵はなんとなく描けてしまうでしょう。でも正確に線路や枕木の絵を描こうとすると、線路の鉄のくびれや枕木についているストッパー金具の存在にまで注意を払わなければなりません。

 普段よく見ているけれどもなかなか注意を払って見ないもの。そんなものをじっくり観察してみると意外なほど知らないことがたくさん出てきます。目に入っているけれども「観ていない」ことに気付く、これは非常に大切だと思います。気付くからこそ、好奇心を持ってもっと観察してみたくなり、深く知ることができるからです。

 上述の専門家はとにかく絵を描いてインドの様々な風物、人物を観察していました。(メルマガ掲載当時。現在はミャンマーでご活躍中です)ずっと描いているからでしょう、日本に帰国した時には個展を開催できるほどの腕前。


「本当にじっくり描こうとするだろう?
 そうしたら、トマトの房はいくつに分かれてるのか?、とか
 今描いている人物の目は何色か?、とか
 どんどん気になるポイントが出てくるんだよ。
 しっかりと意識を持って見なきゃ『本物』は描けないんだ」



 この専門家のプロジェクトにお邪魔した時には朝から晩まで「金魚のフン」状態でした。早朝の散歩からインドの州政府高官との面談、夕食、そして夕食後のインド映画鑑賞まで。とにかく一日中彼の後をついて廻り、カバン持ち(実際は何も持っていませんが)をしていました。

 プロジェクトの表面だけなぞるのではなく、なぜこの専門家が確固たる自信とともにプロジェクトを進められるのか?その秘密を何としてでもつかみたい、そんな気持ちがありました。その中で↑で書いてきたようなセリフが出てきたのです。彼の仕事のやりかたに通じる貴重な一言をもらったと今改めて感じています。



 インドから帰国してかなり時間が経過しています。それでもふとしたきっかけで思い出し、その言葉の奥にある深い意味合いを考えるたび、偉大な専門家に考えるきっかけをもらうことができた幸せを感じます。



 皆さんも周りを見渡して、普段見慣れているけどあまりまじまじと見たことがない、そんなものをどれか1つでもよーく見てみてください。そして下手でもいいので、絵を描いてみてください。きっと不思議なことがたくさん出てくると思います。あれ?ここってこんな風になっていたんだ、と思うことがあるはずです。



 そう感じた時、好奇心の扉は大きく開かれているのでしょうね。Ozakiも好奇心の扉を大切に生きていきたいと考えています。

水を運ぶ人、血液を運ぶ人

2012-06-24 11:35:06 | 意識を整える
 単調で誰でもできるような仕事のことを"Donkey work"といいます。donkey にはロバの意味のほかに「間のぬけた人」の意味もありますから、間のぬけたな人でもできるような仕事という軽蔑的な意味もこめられています。

 また村上春樹さんは、「雪かき」("Snow shoveling")という言葉をよく使います。雪国に住んでいた(住んでいる)方はご存知だと思いますが、雪が降った次の日に、家の前や近所の道路の雪をどけ、人々が安全に道を通行できるようにする作業です。

 実際にやってみるとかなり体力を使う仕事なので、大変なのですが、単純な作業です。長時間やり続ける場合や屋根の上の作業は別として、自宅周辺の雪かきは誰でもできます。雪かきが必要な地域ではみんなが同じように取り組んでいますので、雪かきをしたからといって誰かに褒められるたり、評価されたりはしません。インセンティブはあまり大きくなく、地味な行為ですが、誰かはやらなければなりません。そして誰もやらないと周辺に住んでいる人全員の社会生活が著しく滞ってしまいます。

視点の違いによってたとえ同じ作業をしていてもあるときは"Donkey work"に見え、あるときは"Snow shoveling"に見えるそんなことがあるかもしれませんね。



 サッカーのオシム元日本代表監督は、雪かきをする人の代わりに「サッカーでは Water Carrier (水を運ぶ人) が必要である」と繰り返し言っていました。(「水を運ぶ人」というのは有名ですが前後の文面は正確ではないかもしれません)

 この言葉、初めて使われた時の意味合いは自分で敵プレイヤーをかわす技術がなく、自分よりうまい選手にボールをパスするためだけに存在する選手という意味だったそうです。一般的な会社での仕事に例えれば「伝書鳩」「水道管」「ガキの使い」でしょうか。これらはあまり言われたくない言葉ですし、"Donkey work"といわれそうな行動ですよね。

 一方で、オシム元監督は肯定的な意味でこの言葉を使っています。報われることの少ない仕事を黙々とこなす選手がチームには必要だと訴えています。「水を運ぶ人」は集団で暮らす時、集団で目標を達成する時には必ず必要になります。スター選手であっても試合中のほとんどの時間は雪かき、水運びをして過ごしていますよね。


 例えば、ストライカーは得点を決めたその瞬間だけがテレビや新聞で取り上げられます。が、それ以外の 89 分間はいいポジションを取るために相手プレイヤーと競り合っています。また、いいパスをもらうため、または味方が攻め込むスペースをあけるために(それだけを見ると)ムダになってしまうランニングを続けているわけです。

 サッカーだけでなく、野球やラグビーといったチームスポーツでは必ず同様の例があります。雪かき仕事、水運び仕事をしない選手はチームメートから信頼されないでしょう。


 それは、雪かきをしない家の人が近隣住民からどう思われるのかというのと同じです。自分の仕事だけ見ているとばかばかしくてやってられない、そんな仕事でも全体像を見ると実は非常に意味のある仕事になっている、
雪かきや水運びはそんな仕事ではないでしょうか?



 スポーツを離れ、他の場面を想像してみてください。

 どんなに小さく、それ単独では意味をなさない行為であっても
 誰がやってもできそうな行為であっても
 それをやったからといって大々的な評価が得られない行為であっても

誰かがやらなければならない仕事というものがあるように思います。
 
 Ozakiが思い浮かべるのは医療現場、特に緊急手術の場面です。(特殊な例過ぎるかもしれませんが)

 緊急手術が成功したとき、それも難易度が高い手術のときに賞賛されるのは誰でしょうか?皆さん揃って執刀した外科医のお医者さんだと思うのではないでしょうか。もちろん、卓越した技術や集中力、絶対に助けるのだという熱意など、賞賛されるべきでしょう。

 でも、手術は執刀医一人の力では絶対に成功しないものです。

 麻酔の管理を適切に行う麻酔医
 執刀医にメスやハサミ、糸を通した縫い針などをタイミングよく渡す助手
 輸血用の血や消毒薬、アルコールをしみこませた綿花などを運ぶインターン
 そして術後の対応を行う看護師

おそらく他にもたくさんの関係者が関わっているはずです。

 麻酔薬を調節するだけでは患者は救われません
 器具を運んだからといって患者は救われません
 輸血用の血を運んだからといって患者は救われません

でも彼らの仕事がなければ患者は救われません。

 自分の仕事だけ見ているとつまらない、誰がやってもできる仕事ばかりでやる気が出ない、そんなことを考えてしまう場合はちょっと目線を変えて、

 サッカーグラウンド全体がどうなっているか?
 手術室全体が何をやっているか?
 自分の職場全体で何を目指しているのか?

を見直し、その中で自分の仕事は誰の仕事に役立っているのか考えてみてはどうでしょうか?そう考えれば、雪かき仕事、水運び仕事は決して"Donkey work"と揶揄されるようなものではなくなるはずです。

Ozakiは草食動物(その2)

2012-06-20 23:14:23 | 意識を整える
 先週は機会損失を避けるためにOzakiは勉強していますという話でした。
今週は視点を変えて尾崎が勉強する理由をつぶやいてみようと思います。

 Ozakiが好きな映画で『スパイゲーム』という作品があります。ロバート・レッドフォードと若い頃の彼にそっくりなブラッド・ピットの共演作。CIAの建物から一歩も出ずに中国で起こった事件を鮮やかに解決するレッドフォードの頭脳と行動に痺れる作品です。

 そのレッドフォードが序盤で弟子であるピットのファイルを秘書に隠すよう指示します。その時のセリフが

 "When did Noah built the Ark? ... Before the rain、before the rain!"
(ノアはいつ箱舟を作ったか知ってる? 雨が降る前だよ。いいかい、雨が降る前だ)

 というもの。
事実、首脳会談を成立させるため中国政府に拘束されたピットを身捨てるつもりのCIA上層部の手下が↑のセリフ直後に部屋に押し掛け強制捜査に乗り出します。
秘書が

 "You are right. It rains"
とレッドフォードに電話するシーンもあります。

 人生雨が降る前に準備をしておかなければならないですよね。言葉を替えればそれは備えあれば憂いなし、備えてなければ生き残れないですよ、ということです。

 今の時代本当にびっくりするくらいのスピードでいろいろなモノが進化していきます。そのため、とにかく勉強し続けなければ時代遅れになり、「憂い」に苛まれることでしょう。読者のみなさんもそうだと思いますが、避けられるトラブルは避けたいですよね?トラブル(雨)を避け、生き延びるためには対策を練る(箱舟を作る)必要があります。


 肉食獣から逃れるためには生き延びるために逃げ足を鍛えておかねばなりません。Ozakiは自分自身を草食動物だと思っています。次から次に進歩する「世界」が肉食動物。どんなに自分ががんばってもいろんな人がどんどん進歩していく時代です。いつ何時大雨に降られて大洪水に見舞われるかわかりません。少しでも生き延びるためにはさまざまなことを勉強しておくしかないのではないか? そんな風に考えています。(実際の野生動物界では体を大きくして群れるという牛や象が採用している戦略もありますが)

 前回はちょっと余裕のある話をしていましたが、実は生きるために日々追い詰められて勉強をしている、そんな感覚も持っているのです。

 
 ただ、そんなに瀬戸際の話ばかりしているとつらくなるのでシリーズの〆は明るく。
ある転職支援企業のコピーで

「5年後のトップランナーはもう走り出している。」

というものがあります。

 勉強をし始めたからといって今すぐ大きな成果がでるわけではありません。種をまいて収穫するまでには芽が出て、花が咲いてそして実ができ始めるという流れがあります。当然時間がかかるわけですよね。

 現時点では肉食獣から逃げるために必死に走っている(=勉強している)状況でも、気が付いたらいつのまにか逃げる必要がないくらい足が速くなっている、そんな状況になるかもしれません。そうなったのであればまさに「トップランナー」ではないでしょうか?トップランナーになれば自分の意思で先頭を走ることができます。そうすれば次々と現れるチャンスをつかめる機会も増えるでしょう。



 まずは万事に備えるために、生き延びるために勉強をする。勉強をし続けることによって生き延びるだけでなく、チャンスをつかめるようになる。そしてつかんだチャンスを生かす(前回の話)ことができれば真の「トップランナー」です。



 まだまだ草食動物のように一瞬一瞬気が抜けないと感じているOzakiです。それでも、いつの日か「トップランナー」になることを信じて勉強し続けています。 



Ozakiは草食動物(その1)

2012-06-17 22:16:05 | 意識を整える
 今回からは久しぶりに独白系(?)のコラムをお届けします。

このメルマガのコンセプトは自然体で日々成長すること。毎日無理なく勉強すればきっと成長するはずだ、という思い込みの元に暮らしているOzakiのつぶやきの集合体がメルマガという形で皆様に届けられています。

 このシリーズではOzakiはなぜ勉強しているのか(勉強したいのか)?を説明したいと思います。一番最初に結論を言ってしまうと勉強しなければ生きていけないと感じているからです。


 今の時代様々な情報やモノやサービスやシステムが次々に生まれています。そのなかのごくごく一部しか生き残らないでしょうし、100年後に残る情報やモノ…はほんの一握りでしょう。しかしながら、1つの革新的な「何か」が生まれるまでにはイノベーションのきっかけとなる「元ネタ」がいくつもあったはずです。



 具体的に例を挙げるならば
 
 蒸気機関があり、馬車があったからこそ機関車ができ、
 機関車があり、石炭があったからこそ鉄道が生まれ、
 鉄道の運転技術や線路、車体の進歩が新幹線を生み、
 新幹線の存在があったからこそリニアモーターカー構想が現実のものになろうとしている。

 非常に単純化に話をすると↑な流れでリニアモーターカーが実用化されつつあります。(鉄道関係者の読者の方は間違っていたら指摘してください)皆さんご承知の通り蒸気機関や馬車、石炭といったモノは大流行のまま生き残っている、とは言えません。 それでもそれらがなければ現時点での最先端技術は生まれていないはずです。


 リニアモーターカーはある日突然、ぱっと生まれてくるわけではなく、さまざまな基礎知識、基本的な技術があり、中には手ひどい失敗事例などがあり、その延長線上に生まれているわけです。先人がその当時の最先端をしっかりと研究し、勉強してきたからこそ生まれた、そう言い換えてもいいのではないでしょうか?



 個人にあてはめれば、将来的にそれだけでは意味をなさない様々な情報やモノを知っておくこと、勉強しておくことが自分をより成長させることにつながるのだと考えています。リニアモーターカーと同じように、過去いろいろなチャレンジをし、経験を積み、様々な人に出会ってきたからこそ、今があると言えるような日がくるということです。逆に言えば、知っていれば生み出せたはずの革新的な何かが基本的な知識の欠如によって生みだす時期が遅れたり、生み出せなくなったりする可能性だってあります。そういったOzakiにとって「嫌な状態」を招きたくないので、

 とにかくなんでも知りたい!
 初体験を積み重ねたい!
 人があまりしたことのない経験をしたい!
 人がたくさんしている経験は本やウェブで読みたい!

そういう発想になるわけです。



(次回に続きます)