36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

短期は悲観、長期は楽観(その1)

2014-07-30 02:36:39 | 意識を整える


 経営の世界では

 「短期悲観、長期楽観」
 
という言葉がよく使われているようです。


 経営者は短期的には

 新製品が予定通り開発できるだろうか
 注文を受けた商品を期日までに納品できるだろうか
 今季末の資金繰りは大丈夫だろうか

といった日々の問題点を常に心配しているはずです。
自分自身の明日はもちろんのこと、
自分が経営する会社、取引先、従業員とその家族…。
さまざまなものを背負って、決断を迫られているのですから、
どれだけ心配してもし尽せないといったところでしょうか?
おのずと短期的には悲観的にならざるを得ないのかもしれません。

 
 しかしながら、大抵の経営者は長期的な自社の展望について
「未来は明るい」と考えているのだとか。

 自分たちが提供するモノやサービスに自信がある、
 自社の仕事が社会に価値を提供していると胸を張れる
 今解決すべきことが片付けば、次回、同じ問題は深刻ではないと言える

などなどいろいろな理由はあると思いますが、総じて経営者は
長期的な展望について楽観的に捉えているようなのです。



 給料をもらいながら、任された範囲の仕事をしている立場では
同じような仕事の繰り返しに思えたり、
目の前の問題が出口のない迷宮に感じてしまったり、
そういったことで日々悩んでしまうことはありませんか?

 経営者の立場になると、思いもよらないトラブルが
次から次へと降ってくるので、心配しているうちに、
もう次のトラブルシューティングに向かわなければならない、
そんな状況だからこそ、短期的に一つ一つの問題を
心配することはあっても、

 毎日変わりばえのない仕事だ
 自分の将来はこのままでいいのか?
 本当はいったい何をやりたいんだろうか? 

といった得体のしれない将来の悩みに苛まれることはないのかもしれません。

 逆に言えば、それだけ毎日頭を使って考えているからこそ、
経営者としての責任も生まれてくるのかもしれませんね。



 さて、そんなことを考えていたら、面白い文章に出会いました。
それは富裕層を相手に商売をしていると思しき方が

 「少なくとも3億円以上の資産を持っているお金持ちは
 驚くほど似た共通の特徴を持っている」

というタイトルで書いた文章です。


 8つほど項目があるのですがOzakiが注目したのは次の一節。



 「お金持ちは短期的にネガティブ、長期的にポジティブである。
 よくお金持ちはポジティブな人が多いと言われるが、
 実際には、そうでもない。

 短期的には悲観的だったり不安に思ってたりすることが多い。
 避けられる失敗はなるべく避けようとする。

  一方で、将来的に自分がどうなるか、
 などに関しては驚くほどポジティブである。
 長期的に悲観になっても無駄だということを知っている。

 逆に、短期的な小さな心配ごとに『まあいいか』と楽観的になると、
 のちのち悪いことが起きるのを知っているので、
 目の前のことに対しては真剣に考える。」 



 お金や資産をたくさん持っているだけが人生の価値ではないでしょうが、
一定の「成功」の目安にはなるはずです。
そのお金持ちに多く触れた方が実感を込めて書いた文章を見ると、

 未来の自分のありかたを楽観的に見るが
 目の前の課題には全力で取り組む

という姿勢が重要なのだと感じさせられますね。


 短期的には、自分の目の前の問題、課題に一生懸命取り組む。
でも長期的には問題が解決していること、そして自分の人生を楽観的に見る。
今現在経営者でなくとも、お金持ちでなくとも
生き生きと日々楽しむためにはこの考え方は見習いたいところです。



(次回に続けます)

時代の流れを捉える(その2)

2014-07-23 19:52:13 | 読書
 
 前回はイスラム教の誕生を勉強している過程で改めて
時代の流れ、歴史上の出来事同士の横のつながりを理解する必要性に
気づきましたというお話しでした。


 Ozakiがこういった歴史上の横のつながりの重要性を痛感したのは
日本のキリシタン大名がローマ教皇に派遣した天正遣欧少年使節団の
物語を読んだ時でした。
日本の歴史だけを見れば、キリシタン大名が迫害を受けていた際、
何とか権威づけのためにローマ教皇との接点を持ちたいと考えていたため
九州の大名の子息らが渡欧したというストーリーになります。

 しかしながら、実態としてはローマのほうが日本からの使節を強く望んでおり、
当時国内で布教していたキリスト教団体が出身母体であるローマと
布教先の日本での現実をうまく組み合わせ実現させたと言えます。

 当時日本など世界地図の端の弱小国でしかありません。
その国から使節団を欲していたローマでは何が起こっていたのでしょうか?
それは
 
 カトリック教皇権限の強化
 教皇権限強化に伴う汚職の横行
 反発する信者らによる宗教改革の発生
 印刷技術の進歩に伴う聖書の明文化(教会権力の希薄化)
 プロテスタント信者数の急速な増加

といった出来事です。

 教皇の権威を保ちたかったローマ教皇側は東方からの三賢者がやってくるという
聖書の象徴的なシーンを再現できる機会としてとらえていました。
これが、日本では虐げられていたキリシタン大名がキリスト教の本家本元、
ローマ教皇に使者を送りたいという思惑とマッチ。
この結果実現したのが天正遣欧少年使節団ということになりますね。



 これらの複眼的な見方は

 
 若桑みどり著「クアトロ・ラガッツィ」
 遠藤周作著「沈黙」
 村木嵐著「マルガリータ」
 塩野七生著「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」
 惣領冬実「チェーザレ」
  

といったこの時代を描いた様々な作品を読んでようやくOzakiが気づいたものです。


 繰り返して申し上げますが、歴史上の出来事は
一つ一つの出来事を単独で理解しようとしても、
正しく捉えられるものではないと思います。
実際にはその出来事に至るまでに、当事者や関係者の思惑が絡み合い、
また、その当時の強者、弱者の論理、立場が相まって
一つの出来事につながるからです。



 さて、数百年から数千年前には、ごく限られた人が外国へ旅行し、
決死の覚悟と大変な努力を経て文化や技術を伝承してきました。
しかしながら、今やインターネットで世界中の情報がコンマ何秒で
検索できてしまう時代です。
また、言葉の違いも翻訳ソフト等を使えば、簡単に解決できますので、
外国の人との意志疎通も難しくありません。
なにより、外国とのコミュニケーションもダイレクトかつ
リアルタイムで実現できてしまう世の中であるのはご存知の通り。



 これらは、我々が生きている現代は歴史で描かれるような過去に比べ
地球上のあちこちでの出来事が各地の政治や経済に及ぼす影響が
大きくなったという意味を持つのではないでしょうか?
もしそうであれば我々は歴史を学ぶ時以上に、
世界各地で日々発生する出来事の意味合いを
自分の頭で関連付けしていかねばならないということでもあります。



 歴史を複眼的に捉えることで、初めて出来事の意味合いがわかるように、
我々は今自分たちが生きている時代の流れを多角的に捉えなければならない。
Ozakiはそう感じます。
 

 自分たちは今どういう立場に置かれているのか?
 自分の周辺では今どういう事態が発生しているのか?
 世界で大きな影響力がある人たちの関心はどこに向かっているのか?

こういったことを日々意識することによって、今まさに作られている
「歴史」の一ページを正しく認識できるのではないでしょうか。

時代の流れを捉える(その1)

2014-07-23 19:52:13 | 読書

 歴史関係の本を読んでいていつも感じるのは、
一つの閉じたストーリーとして、登場人物や出来事を捉えるだけでなく、
同時期に周辺で発生した様々な要素の影響も考える必要があるということです。


 Ozakiはそれぞれの歴史上のイベントごとを
単発のストーリー仕立てで捉えることは比較的得意です。
いわゆる受験勉強的な歴史の学び方ですね。

 しかしながら、複数の出来事同士の連関、またはお互いの影響を
瞬時に理解することがまだまだできません。
ですので、同時代の各地での出来事を頭の中で連携させられる人は
純粋に尊敬に値する人物だと感じるのです。

 歴史というのは、単純に自分たちだけの都合では動きません。
日本の歴史であれば、日本国内の事情に加え、
中国や韓国、また欧米からの情報やプレッシャーが加わって、
日本国内の政治や経済が動き、大きなイベントの発生につながってきたはずです。
 

 ですので、同時代に別々の地域で発生した出来事を瞬時に連携できる人は、
各国の歴史を並列に記載した「教科書」を離れ、
自分の頭の中にその当時の世界勢力図、各地の要人の思惑などが
自然と描けているということになりますね。
 

 今「イスラームから見た『世界史』」という本を読み進めていますが、
イスラム教の成り立ちを解説した部分だけをとっても
そもそも預言者ムハンマドが暮らした世界がどのような社会であり、
イスラム教が(キリスト教に比べれば)はるかに短時間で受け入れられたのか。
また、その後の指導者らが簡単にイスラム教支配圏を急速に拡大できたのか。
こういった点は当時中東に影響力が強かったササーン朝ペルシアや
ビザンツ帝国での出来事を把握していなければ理解できません。


 具体的にはイスラム教が成立した頃の時代背景として

 ゾロアスター教とキリスト教の二大帝国が衝突しており、
 ゾロアスター教のササン朝ペルシア没落のタイミングであったこと

 キリスト教支配のもとでは高い税金に苦しめられていた住民らが、
 新しいイスラム教の下ではより安い税金で済んだこと、

といった事実があったそうです。
預言者ムハンマドの影響力や戦争の才能、武運の影響もあったのでしょうが、
それ以上にこうした歴史の底流がイスラム教の急拡大に一役買っていたはずです。

 イスラム教の勢力拡大だけを見ていると、イスラム教があたかも
暴力に訴えながら強制的に信仰を広めていったという話になりがちですが、
実態はそうではありません。
むしろ、イスラム教に望んで改宗した人たちがいたからこそ、
一気に勢力が拡大し、またその勢いを保てたのではないでしょうか?
実際に当時のイスラム教徒は信教を強制しておらず、
イスラム教徒としての義務を果たすか、税金を払うかどちらかを選べ、
という方針で、支配地域を広げていったようです。
(こういった周辺国の事情もきっちりと解説してくれているので、
「イスラームから見た『世界史』」は歴史をうまく解説した本だと感じます)

 こうしたいくつかの国、地域の事情がつながってはじめて
「イスラム教の誕生と拡大」という史実が理解できるのだと思います。


(次回に続けます)

受け取る月収と支払われた月収は違う

2014-07-19 08:42:13 | 仕事術


 
 読者の皆さんの大部分は一定の金額を企業や組織から受け取って
生活している方ではないかと思います。
いわゆる給与所得が生活の糧になっているのだと思います。
そういった生活の場合、給与所得の増加は即生活水準の向上につながりますので、

 「月収がもっと上がるといいなぁ」

と感じている方も多いのではないでしょうか?



 今回のお話はそんな月収のお話からスタートしたいと思います。
と言っても、どうやって月収を上げるかという話ではありません。
月収をもらう側と支払う側では、同じ金額でも意味合いが違うという話です。

 一般的に月収をもらう側がもっと増えるといいなぁと感じる場合、
いわゆる「手取り」給与のことを指しているはずです。
実際に銀行に振り込まれ、自分が使い道を決められる金額が増えれば、
当然好きなモノが買えますし、思い通りの暮らしに近づきますよね。

 そのため手取りの金額を見て、

 「やっぱりもうちょっと給料が欲しい」

などと思ってしまうのだと思います。

 
 では、「もうちょっと」と言われる雇用者の側から見るとどうでしょうか?
皆さん頭では分かっているとは思うのですが、給与を支払う側は税金や
社会保険料、雇用保険などなどを含めた「支払額」を払っていることになります。
そのため、「手取り」と「支払額」では少なくとも数万円の差が生じます。

 そして、勤務場所である事務所の経費や光熱費、通勤手当などを含めれば、
その差はさらに拡大することになりますよね。
つまり、給与を支払う経営側から見れば、

 「あなたにお支払しているのは『手取り』額だけじゃないんですよ」

と言いたくて仕方がない状況なのではないでしょうか?



 お金の話はちょっと生生しいですが、人間関係でも似たことが起こります。
例えば、

 「彼は俺が育てた」

と言うシニアな方に時々お目にかかります。
実際にその方が四六時中彼を指導している(いた)のであれば、
その言い分も理解できるのですが、恐らくそうではないはずです。

 育てられた人からすれば、シニアな方はお世話になった上司の一人、
大先輩の一人といった位置づけにとどまることもしばしばではないでしょうか?
社内の先輩、上司、そして社外の人や卒業した学校の先生などなど、
そういった数多くの「恩師」のおかげで成長できるのではないかと思います。

 つまりシニアな方が思っているよりも、指導を受けた側は
その人の指導に依存していないことがありうるということです。
(もちろん、何から何まで教えてもらったという師弟関係もありうるでしょうが)



 こういった事態はすなわち、自分が他人に与えていると思っている大きさと
受け取った人が感じるありがたみに差が生じることがあるということを意味します。
まるで支払われた月収と受け取る月収が異なるように、
人間関係の恩義や後輩育成に賭ける情熱にも差額が生じるのかもしれません。



 もしこういった説が正しいとすると、自分が

 「この人にはいつも面倒をかけているなぁ」

 と感じる先輩や上司の方がいるのであれば
その場合には、実は自分が感じていない部分でも気を使ってもらっている、
そう考えたほうがいいかもしれませんね。
 自分が思っている「手取り」以上に先輩や上司が対価を支払ってくれている。
そう思って心の底から感謝すべきなのではないでしょうか?



 逆に、もし自分が後輩や部下を自分一人で指導している気になっているのなら、
それは「ちょっと勘違い」しているかもしれないと自制が必要でしょう。
彼らはあなたの熱意や手間を全額受け取っていない可能性もあるからです。
自分の時間を削り、仕事を後回しにしてまでも後輩や部下を育成する、
そのくらいの覚悟を決めたとしても、

 「『手取り指導量』がもっと増えたらいいのに」

と思われていてもおかしくありません。



 自分自身が指導する側、面倒を見る側に立つか、
 自分自身が指導される側、面倒を見られる側に立つか、



それぞれの立場で「手取り」と「額面」の違いを意識すると
人間関係を見直すきっかけになるかもしれませんね。

ゴールシーンをイメージする

2014-07-12 14:36:59 | 仕事術


 宮崎駿監督と言えば、日本を代表するアニメーターです。
過去約30年にわたってスタジオジブリを率い、「風の谷のナウシカ」や
「となりのトトロ」といった名作アニメを生み出してきました。

 スタジオジブリの作品はご存知の通り海外でも高く評価されており、
日本アニメの代名詞といっても差支えないかもしれませんね。
空間の奥行を表現したり、動物の柔らかな手触り、衣服の揺れといった
これまでのアニメーションでは表現できていなかった表現を生み出したことで、
ストーリーのみならず、その技術力も一目置かれる存在です。
日本では7月20日から最新作、「風立ちぬ」が公開されますね。
(このコラムは2013年7月15日に配信したメルマガのメインコラムです。
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 さて、その宮崎駿監督、長くコンビを組む鈴木敏夫さんによれば、
約2時間の映画の構想はたった一枚の絵に集約されるのだそうです。
例えば、1989年公開の「魔女の宅急便」。

 いろいろと新しい構想を練っていた宮崎駿監督が最終的に
行きついたのは大きなリボンをした女の子の絵だったそうです。
後に名作の主人公としていきいきとした動きを見せる「キキ」が
アニメのキャラクターとして誕生した瞬間だったのでしょうね。



 宮崎駿監督は



 「1枚の画があれば映画はできる」

 とお考えのようで、
想像力を膨らませるきっかけになる、これだ!というたった1枚の画があれば、
映画という1本の作品になると考えているそうです。
これまで数多くの名作、大作を世に生み出し、
日本のみならず世界的にも評価されている宮崎駿監督の構想の素は
たった一枚の絵、完成をイメージさせてくれる画なのですね。



 レベルは違いますが、実はOzakiも似たようなことをやっています。
それは競馬のゴールシーンをイメージすること。
ゴールシーンが明確にイメージできる時はほぼその結果通りになります。
時には、本当に自分がイメージしたとおりの着順、着差で決まることもあり、
ズバリ予想が当たった時の快感はなんとも言えないものがあります。

 Ozakiの話はさておき、実は騎手も「ゴールシーンをイメージ」することで、
どうやればライバルに勝つことができるか必死に考えているのです。
それぞれの馬の個性、つまりは強み、弱みを踏まえて、作戦を練るわけです。

 実例を挙げるならば皆さんも名前は聞いたことがあるであろう
ディープインパクトが唯一日本国内で負けた有馬記念でしょうか。
この時勝ったのはハーツクライという馬でした。
乗っていたフランス人のルメール騎手はそれまで、追い込み型だと
思われていたハーツクライを先頭集団に誘導しました。
同じ追い込み型のディープインパクトと似たような位置では勝てない。
むしろハーツクライのスタミナを活かすために、積極的な走りをさせれば、
絶対王者と目されるディープインパクトを逆転できるのではないか。



これがルメール騎手が描いた「ゴールシーンのイメージ」でした。
ゴールでは外から猛然と追い込むディープインパクトのほんの数センチでいい、
すこしでも前に出ている、そんな絵を描いていたのではないでしょうか?
結果、このレースではディープインパクトがハーツクライを抜けず二着惜敗。
日本国内で唯一負けたレースはルメール騎手が描いた「ゴールシーン」通りに
なってしまったレースでもあるのです。



 我々の仕事もプロセスの違いこそあれ、「ゴールシーン」の大切さは同じ。
プロジェクトでも、小さな事務作業でも完成した状態、理想的な終わり方を
イメージするところからすべてが始まるのではないかと思います。

 「ゴールシーン」が明確にイメージできれば、プラモデルを作るように、
その一歩手前、さらにその一歩手前と手順を逆算できますよね。
また、宮崎駿監督のように「ゴールシーン」を基にそこに至るプロセスを
いろいろと妄想し、アイディアを膨らませることもできるかもしれません。

 ライバル企業とのコンペティションであれば、相手の強み、弱み、
自分の強み、弱みを踏まえて、

 「この形ならば、自分たちが数センチでも前に出られる!」

というゴールシーンを描いたうえで、プレゼンを作り始めれば、
やみくもに作業し始めた時と比べ、やる気も結果も違うはずです。



 何から手をつけていいかわからない時
 新しい仕事に取り掛かる時
 チームで一つの目標に向かうためのきっかけが欲しい時

そんな時はまず「ゴールシーン」を思い描くという作業から
スタートしてみてはどうでしょうか?