毎週月曜日にあるお客様と
定例のミーティングをしています。
プロジェクトスタートから順調に進んでいましたが
ここ数週間なぜか話が噛み合わず
当方チームも混乱していました。
なぜこちらの意見が理解されないのかわからず、
また先方の反論もこちらの伺いたいポイントとは
ずれた内容の回答になってしまっており、
完全に議論が空転していたのです。
反対に先方からすればなぜこちらが
同じ主張を繰り返すのか、
なぜ先方の意見を受け入れないのか、
理解できない様子。
メールや画像のやりとりなどもしてみたのですが、
さっぱりラチがあかず行き詰まってしまったので
本日フェイストゥフェイスのミーティングを実施。
結果的に直接お会いすることで、
お互いの前提条件、特に時間軸が違っていることを
確認して無事前進の条件が整いました。
日本人同士
プロジェクト開始から数か月
安全管理という共通の目的を共有
といった共通点があってもなお、
前提条件の整理ができていないと
意思疎通がまったくできなくなることがある、
というのは新しい発見でした。
コミュニケーションはかなり難しさを伴う行為です。
会話であれ文章であれ、普段あまり意識せずに
他人と情報を交換し、お互いわかったつもりに
なっているのですが、実際に相手の考えていることを
何パーセント理解できているか、はわかりません。
同じ言語、同じ文化、似たような仕事スタイルでも
前提条件がずれている
同じ単語でも意味合いが少し違う
当面の目標とする時期が違う
など知らず知らずのうちに意思疎通を妨げる
誤差が積み重なってしまうのでしょうね。
まして
言語が違う
社会的な文化が違う
宗教的背景が違う
生活習慣が違う
自己主張の度合いが違う
生活水準が違う
といった相手と意思疎通する際には
そもそも前提条件が違う確率の方が高くなります。
率直に相手に意見をするか、
オブラートに包んで意見を伝えるか、
否定的な意見を辞さないのか
3つ褒めて1つ否定的な意見を挟むのか、
などコミュニケーションのスタイルにも
各言語や文化によって違いがあるようです。
いま読み進めている
「異文化理解力」
で興味深い記述の一つが
否定的な評価をする際はできるだけ1対1で、という
日本でよく言われる「常識」は
必ずしも世界的に当たり前ではないということでした。
個人への否定的な意見を衆人環視の中で発することも
日常的なコミュニケーションの一環としている文化も
あるようです。
ビジネスであれ私生活であれ、
完璧なコミュニケーターでいられる方はほぼいません。
そして日本で通用するコミュニケーション技術は
外国に出ると全く通用しないこともあります。
よかれと思って丁寧に説明すると
「子ども扱いするな」
と言われてしまうこともあれば、
相手のいいところを褒めてばかりいると
「何か改善するところはありませんか」
と質問されてしまうこともあるのです。
今回Ozakiも苦しみましたが、
伝えようとしてもなかなか伝わらないのが
意思疎通の難しいところ。
伝わらないことの方が多いのだ、
という認識を持つこと、
言い替えれば様々な工夫をしなければ、
本当に伝えたいことは伝わらない、
と考えて努力する必要がありそうですね。