このシリーズの最終回です。
短期の学びはもちろん重要ですが、それだけでは
「人生の自転車操業」
に陥ってしまう可能があるというお話を続けてきました。
Ozakiが今感じているのは、短期的、集中的な学習を行いつつも、
同時並行で少しずつ長期的な学びの時間を増やす必要性です。
長期的な学びで習得できるのは決して目の前の課題の解決に
役立つものではありません。
しかしながら、
これまでの人類の歴史の中で偉大な先人が
長い時間をかけて考え抜いてきた「哲学」
全世界の多くの人がすがって生きている「宗教」
全く同じ出来事は起こらないにせよ、韻を踏むように繰り返す「歴史」
様々な人がその美しさを語り継いできた「芸術」あるいは「古典文学」
といったものはここぞという時の判断力や自身独自の価値観形成に
必ず役に立ってくるはずです。
というのも、人間一人がこれまでの人類の歴史史上
全く誰も考えなかった、
全く誰も思いつかなかった、
全く誰も達成しえなかった、
ことをぱっとできるようになるのはほぼありえない話です。
つまり、我々が日々直面している問題のほとんどは
過去になんらかの答えやヒントがあるはず。
そうであれば先人が悩んだこと、考えたこと、感じたこと、を
自身の中に蓄積することは短期的な学びを包摂すると言えるでしょう。
哲学や宗教や歴史や芸術/古典文学を学ぶことはすなわち
自分自身が先人が積み重ねてきた知恵、人類の英知を得ること、
そう言い換えてもよいかもしれません。
壮大なる思考や試行錯誤の積み重ねを自分の中に取り込もうとする
そんな作業がちょっとやそっとでできるわけないですよね。
長期的な学びに時間がかかることを理解していただけると思います。
そして、すぐには役に立たなくとも
時間を経るにつれて=年齢を重ねるにつれて、
そういった学びが求められることもよくわかりますよね。
読者の皆さんの年齢や立場、役職は様々ですので、
Ozakiが一方的に長期的な学びをすべし!と言える状況ではありません。
それでもOzakiに近い世代や立場の方であれば、
最初は少し時間的に厳しくとも、毎日少しずつでも
長期的な学びに時間を費やすことを考え始めてもよいのかな、
とそんなことを感じているOzakiです。