36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

短期の学び、長期の学び(その3)

2016-04-30 00:45:33 | 意識を整える


 このシリーズの最終回です。
短期の学びはもちろん重要ですが、それだけでは

 「人生の自転車操業」

に陥ってしまう可能があるというお話を続けてきました。


 Ozakiが今感じているのは、短期的、集中的な学習を行いつつも、
同時並行で少しずつ長期的な学びの時間を増やす必要性です。
長期的な学びで習得できるのは決して目の前の課題の解決に
役立つものではありません。
しかしながら、

 これまでの人類の歴史の中で偉大な先人が
 長い時間をかけて考え抜いてきた「哲学」

 全世界の多くの人がすがって生きている「宗教」

 全く同じ出来事は起こらないにせよ、韻を踏むように繰り返す「歴史」

 様々な人がその美しさを語り継いできた「芸術」あるいは「古典文学」

といったものはここぞという時の判断力や自身独自の価値観形成に
必ず役に立ってくるはずです。
というのも、人間一人がこれまでの人類の歴史史上

 全く誰も考えなかった、
 全く誰も思いつかなかった、
 全く誰も達成しえなかった、

ことをぱっとできるようになるのはほぼありえない話です。
つまり、我々が日々直面している問題のほとんどは
過去になんらかの答えやヒントがあるはず。
そうであれば先人が悩んだこと、考えたこと、感じたこと、を
自身の中に蓄積することは短期的な学びを包摂すると言えるでしょう。

 哲学や宗教や歴史や芸術/古典文学を学ぶことはすなわち 
自分自身が先人が積み重ねてきた知恵、人類の英知を得ること、
そう言い換えてもよいかもしれません。
壮大なる思考や試行錯誤の積み重ねを自分の中に取り込もうとする
そんな作業がちょっとやそっとでできるわけないですよね。
長期的な学びに時間がかかることを理解していただけると思います。
そして、すぐには役に立たなくとも
時間を経るにつれて=年齢を重ねるにつれて、
そういった学びが求められることもよくわかりますよね。



 読者の皆さんの年齢や立場、役職は様々ですので、
Ozakiが一方的に長期的な学びをすべし!と言える状況ではありません。
それでもOzakiに近い世代や立場の方であれば、
最初は少し時間的に厳しくとも、毎日少しずつでも
長期的な学びに時間を費やすことを考え始めてもよいのかな、
とそんなことを感じているOzakiです。

短期の学び、長期の学び(その2)

2016-04-23 20:08:57 | 意識を整える


 前回は学びには時間軸によって二つに分類できるというお話でした。
ノウハウのように比較的短時間で習得でき、
実践で役立てるのも短期間で可能な「短期の学び」。
古典や哲学論のようにじっくりと読み込まなければ理解できず、
実生活で直接役立つというより人格涵養につながるような「長期の学び」。



 これまでOzakiはどちらかというと「短期の学び」を重視してきました。
それは何より日常生活を送る上で、仕事の場面でも、プライベートでも、
とにかく今解決すべき直接的な課題があったからです。
今直面している問題を解決するために必要な情報、技術、能力は
短期的な学びで習得し、できる限り早く対処することになります。

 これまではOzaki自身若く、日々目の前に突き付けられる現実に
立ち向かう能力も不足していました。
そのため、自転車操業、あるいは泥縄式であったとしても
目の前の課題を解決するために短期的な学びに頼ってきたのです。

 具体的には



議事録の作成術であったり、
会議の進め方であったり、
報連相のやり肩であったり、
情報収集にあたっての「あたりのつけ方」だったり、
関係者をできる限り自分の望ましい方向に動かすための根回しであったり、
金融関係の知識であったり、
パキスタンを取り巻く情勢やテロリストの考え方であったり、



とその場その場のOzakiのニーズを踏まえて自分自身を鍛えてきたわけです。
これは一定の社会人経験を持つ読者のみなさんであれば
ご自身も同じように必要な能力を身に着けてこられた記憶があるはず。

 過去Ozaki自身、多少なりとも短期的な学びで
技術や能力を磨いてきたという経験を持っていますので、
短期的な能力を否定するつもりはありません。
むしろ、Ozakiよりも若い人は積極的に今直面している困難を
乗り越えるために勉強してもらいたいと感じています。
そして中堅に差し掛かりつつあるOzaki自身も
まだまだ経験不足であることは明白ですので、
新しい挑戦をする場合には短期的な学びを積み重ねる必要があります。



 しかしながら、最近になって、短期的な学び一辺倒では
「その日暮らし」から抜け出せないのではないか?
という疑問を感じるようになってきたのも事実です。

 短期的な学びを繰り返すことによってなるほど、
目の前の問題を解決したり、乗り越えたりはできるでしょう。
そして、後々似たような問題が生じた時もそれなりの答えを
比較的短時間で導き出すことも可能になると思います。
ただ、この状態は↑でOzakiが既に触れたように、
日々発生するトラブルに対するリアクション的な勉強が多く、
多少先を見越したとしてもせいぜい数年先に自分が挑戦する物事への
準備作業の域にとどまると思います。
この状態では、常に短期の学びを繰り返し続けなければ
また次の問題、また次の問題・・・と自転車操業が続いてしまいます。

 
 年齢を経てくると任される範囲が拡大する一方で、
徹夜してもなんとかなる!という体力は維持できなくなるもの。
ということは、仕事をしながら短期的な学びを延々と続けることが
徐々に難しくなってくるということですね。

 つまり、ある程度時間が経ってくると短期的学びが追い付かず、
その日直面した問題が解決できないままに、
また別の問題に対処しなければならない状態が発生する、
短期的な学びだけに頼っているとそういう事態になりかねないのです。



 こういった状況を未然に防ぐためには、
今すぐ効能は現れないかもしれないけれども、
将来短期的な学びを自転車操業的に続けずとも、
問題を解決し続けることができるようになるための
長期の学びに時間を割く必要があるのではないか、
Ozakiはそう考えるようになりました。

 (次回に続けます)

 「短期の学び、長期の学び(その1)」

2016-04-09 20:25:52 | 意識を整える

 
 今回の記事は本編メルマガ第300号(2015年6月16日配信)に掲載した記事です。
本編メルマガは週に一度、配信しておりますので、
メルマガ配信開始から約6年間にわたり続けることができた計算です。
これだけの長い間継続することができたのは
ひとえに読者の皆様からのご支援、叱咤激励のおかげです。
引き続きOzakiの日々の学び、経験談を展開していこうと
思いますので、来週以降もどうぞお付き合いください。



 さて、300回目のテーマですが、最近Ozakiがよく考えていることを
率直に発信するというスタイルにしようと思います。
今Ozakiが関心を持って考えているのは
短期的な学びと長期的な学びのバランスのとり方です。



 短期的な学びとはおおよそ一年未満で結果を出すためのもの。
業務上必要であったり、生活の上で必要に迫られて技能を習得する、
そういったパターンが当てはまるかと思います。
この種の学びは成果が見えやすいというのも特徴の一つ。
語学や業務上のスキル・資格といった仕事に役立つものや
料理や楽器の演奏といった趣味関連のものもあります。
短期的に学んで、自分を変えることができるので、
波に乗り始めると一気に習得が進むこともあるかもしれませんね。



 
 その一方で、長期的な学びとは最低でも数年、
場合によっては数十年単位で継続的な努力が必要な学びもあります。
極端なことを言えば、伝統芸能であったり、
○○できるようになるまで10年といった職人の世界は代表例。
そこまで極端ではなくても、数年~数十年かけて徐々に
人間としての円熟味を増していくために、研鑽を続けている
そんな人も多くいらっしゃるように感じます。

 上述の短期的な学びと異なり、長期的な学びの場合、
すぐに目に見えて自分自身が変わったと感じづらいことが多いはず。
日々の少しずつの変化、上達の積み重ねの結果が
数年後にふっと気づくレベルまで到達するというイメージでしょうか。

 ハウツーもののように本を読んでできるようになる
 2~3度自分でやってみるとコツがつかめる
 日程が決まっている試験で結果がはっきりわかる

といった目に見える形での成果が出ないため、
取り組みを続けることは短期的な学びに比べて難易度が高いです。
時には何でこんなことやっているのだろうか、
と感じることすらあるかもしれません。



 最近Ozakiが思案しているのは長期的学びにどの程度重点を置くか、
という点です。
短期的な変化、成長というのはもちろん大切ですし、
顧客が望む納期に必要な質・量の製品を納入するのと同様、
自分の周囲の人の期待に応えるために自分の能力を質・量ともに
揃えるという努力はプロフェッショナルとして必要不可欠です。
その結果として、自分自身も達成感を味わうことができますし、
実力をつけていることが実感できれば自信にもつながるでしょう。



 しかしながら、最近Ozakiはもしかしたらそういった
目の前の顧客、課題への対応だけでは人間性に深みが出ないのでは?
と感じるようになってきているのです。
一見、目の前の問題解決や成果につながらないかもしれないけれども、
後々

 「ああ、あの時こういったことを勉強しておいてよかった」

と振り返ることができるような学びの重要性を感じている、
そう言い換えることもできます。



(次回に続けます)