36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

空いたスペースに走りこむ

2012-10-31 21:33:05 | 意識を整える
(このコラムが掲載されたメルマガは2011年2月に配信されています)
 
 サッカー日本代表がアジアナンバーワンになって一週間。決勝戦で完璧なアシストを決めた長友選手が世界最高峰のチームの一つ、インテル・ミラノに移籍するなどまだ盛り上がりは冷めていませんね。

 せっかくサッカーで盛り上がっている時期ですので、試合を見ていて思いついたネタを取り上げたいと思います。

「誰もいない、空いたスペースに走りこむからこそチャンスは生まれる」

というテーマです。

 イタリアの超一流チームに認められた長友選手はもちろん、
 完全に相手の守備の裏をかいて、決勝点を決めた李選手、
 大黒柱として試合をコントロールしていた本田選手、
 神出鬼没な動きで相手守備陣を撹乱した香川選手
 そして得点を取るために精力的に動いていた前田選手、岡崎選手



といった活躍の目立った選手にはある共通点があるように思います。

 それは敵が少なく、相手の守備が薄いところに突入する動きが多いことです。得点を取るため、もしくは精度の高いパスを出すためには自由な状況でプレーしたほうが有利です。自分の周囲に敵がおらず、普段練習しているような余裕ある状況でプレーできるようにすること。そんな状況を試合中に作り出すためには空いているスペースにいくしかありません。

 逆に言えば、どんなに能力のある選手でも敵味方が密集した場所では十分に力を発揮できないということでもあります。
 
 オーストラリアの大柄な選手の攻撃を防げた一因は、日本の守備陣が体を寄せて自由な動きをさせないようにしていたからではないでしょうか?韓国のキープレイヤーに対しては二人、三人で囲んでいたからこそ、陣形を崩されることが少なく、流れの中で失点をしなかった原因だと感じます。

 
 このアクションは仕事やキャリアプランにも適用できるのではないでしょうか?

 挑戦者が少ない市場に乗り込んでいく
 難しい、厳しいからみんなが避ける分野で存在感を高める
 日本人が行きたがらない中東やアフリカの国に進出する
 
などなど、挑戦者が少ない、前例が少ない状況に自ら突っ込んでいくことで大きな成果を挙げる可能性が高くなるはずです。特に日本人が「安定志向」「内向き」と言われている今はチャンスです。なぜなら、それは同じ場所にいる人が増えているからです。これは敵味方が密集したところでサッカーをしているようなもの。

「安定志向」「内向き」を裏返せばマイノリティがより少なくなっている、空いたスペースがあちこちにある、ということを意味しているのではないでしょうか?現在は「空いたスペースに走りこむ」絶好のチャンスです。

 もちろん事前の情報が少なく、トラブルや困難も多いでしょう。しかし、それらは「得点」を取るためには不可欠な苦労ではないでしょうか?

 空いたスペースに走りこむためには

 長友選手のように長距離を走ったり
 岡崎選手のようにダッシュを繰り返したり
 本田選手、香川選手のように敵の間を抜ける動きをしたり

体力的にしんどい動き、難しい動きを要求されます。(特にサッカーの場合、体力が落ちてくる後半戦はなおさら難しいそうです)
 
 しかし、挑戦が成功すると鮮やかなシュート、アシストを決められる。それが「空いたスペースに走りこむ」ということだとOzakiは感じました。



 読者の皆さんの中にはOzakiよりもサッカーに詳しい方がいらっしゃると思ます。非常に直感的な記述になっていると思いますがそのあたりはご容赦を!補足やご意見などあれば遠慮なくご連絡ください。

ストーン・キャット(その2)

2012-10-27 12:01:34 | コミュニケーション

 先週は先人の習慣、工夫がいつしか、時代に合わなくなってしまう例を猫の石像=ストーン・キャットという例えで取り上げてみました。Ozakiはこの事例で二つ大切なことがあるのではないかと思います。

一つは

時代や人が変われば、習慣(定型的な仕事)は変えざるを得ないということ

もう一つは

時代に合わない習慣や手続きがあれば当初の目的が何か調べてみること



 初代の神父さんは習慣として猫を飼っていたのでお祈り中に猫をじっとさせるように祭壇に結びつけていただけでした。

 先人の神父さんはその時のできるかぎりの工夫をして猫を飼っていました。しかし、その工夫の意味あい、背景が無視される形で後世に残ってしまっているのです。先週の例では代を経るたびに、先代の工夫が違った形で解釈されていました。その結果、時代変わって気付いてみれば猫は守り神になってしまっていました。



 ある事業を始めたばかりのころは製品の作り方や営業方法が不安定。人によって熟練度が違うので、結果もばらついてしまいます。そのばらつきを回避するための工夫が例えば、「マニュアル」です。

 その事業を始めたばかりのころは「マニュアル」は絶大な意味を持ちます。事業の発案者やベテランだけでなく、若手でも質の高い製品製作や営業ができるのです。しかし、マニュアルに固執していては、時代の変化に対応できません。時代が変われば、人々の生活スタイルも変わりますし、求める製品、営業も変わっていきます。事業を始めたばかりの「マニュアル」を金科玉条としていては生き残れません。

 同様に前の時代の「工夫」は必ずしも今、そして未来において守り続けなければいけないものではないのだと感じます。



 逆に古い「マニュアル」や「工夫」の意味が理解できない場合はどうでしょう?
たいていは

 「こんな時代遅れのことをやっていてはだめだ!」

とばっさり斬り捨てて全く新しい「マニュアル」を作ろうとすると思います。しかし、昔から伝わっている「マニュアル」「工夫」には必ずその時代、その時代の背景や、意味があるはずです。

 六代目の神父にはなぜ猫の石像が祭壇に祀られているのか分かりません。
 五代目の神父にはなぜ猫の石像が祭壇の足に結ばれているか分かりません。
 四代目の神父にはなぜ猫を祭壇の足に結ぶのか分かりません。
      ・
      ・
      ・

 なにも考えずにマニュアルや先人の習慣を守っていては分かりませんが、マニュアルや習慣、工夫ができたのか考えれば見えてくるものがあります。なぜそのマニュアルを作る必要があったのか、工夫しなければならなかったのか。なにかを工夫したということは工夫しなければならない背景があったということ。

 過去に遡って当初の目的を探ってみれば今何を変えるべきかも見えてきます。単純に「時代遅れ」として拒絶するのではなく、背景を探ってみる。そうすることでストーン・キャットにも意味が与えられるのではないでしょうか?

ストーン・キャット(その1)

2012-10-24 17:39:19 | コミュニケーション

 週末に面白い話を発見しました。
ちょっと長いですが、概要をまとめてみますね。

-------------------------------
 ヨーロッパの古い教会で、神父さんが野良猫を飼っていました。
彼が礼拝堂でお祈りするとき猫が邪魔をすることがあったので
祈りをささげるときには紐で猫を祭壇の脚に結びつけていました。



 やがて、この神父が亡くなり、二代目の神父がその猫を受け継ぎました。
同じように祈りをささげるときには祭壇の脚に結び付けていました。
猫が死んだ後、今度は別の猫を飼って同じようにしていました。



 三代目の神父はいつも猫を祭壇の脚に結び付けていた二代目に倣って、
自分も新しい猫を飼って同じようにお祈りをしていました。



 四代目の神父は猫を飼うのが面倒だったので、猫は飼いませんでした。
しかし、先輩が続けてきたことなので、石の猫を彫刻家に作らせました。
そして、祭壇の脚に結び付けられた猫の像ができました。
これがストーン・キャットです。



 五代目の神父は礼拝堂にある石の猫がなぜそこにあるかわかりませんでした。
お祈りのいろいろな動きに邪魔になると思い、祭壇の上に場所を移動しました。



 六代目の神父は先輩の神父が祭壇の上におかれた猫の石像に祈っていたので、
通常のお祈りに加えて猫の石像に向けてお祈りをするようになりました。



 それ以来この教会では猫の石像は聖なる存在となり、教会の守り神として
神父や修道士だけでなく、一般の人にも拝まれる存在となりました。
しかし、なぜこの教会の守り神が猫なのか、は誰も知りません。
-------------------------------


 いかがでしょうか?
この物語、いかようにもとれる話ですが非常に示唆に富んでいます。

 今の日本にはたくさんのストーン・キャットがあるように思いませんか?昔からやっているから、という理由で続けているものはないでしょうか?ひょっとしたら皆さんの会社にもあるのではないかと思います。

 Ozakiはそういった習慣を無条件に批判しようとは思いません。なぜなら、↑の例でもありますが、当初は非常に合理的なな意味があることだったからです。今となっては理由はわからないけど、続けている習慣や手続きにもはじめた当初は合理的な理由や経済的な理由があったはずです。



 時間が流れ、関係する人が移り変わる中で習慣や手続きの背景は失われます。そしてなにより同じ組織、同じ仕事であってもそれを取り巻く環境は変わります。全く同じことを理由も分からずやっているのでは全く無意味な作業です。



 ストーン・キャット=猫の石像を作らないためにはどうしたらいいのか?単に現在だけを見ていても解決はしないのではないか、とOzakiは考えています。



 次回に続きます。

集中しようとすると失敗する

2012-10-19 20:31:45 | 意識を整える
 
 日本人としてF1直下のカテゴリー(GP2)を初めて制した小林可夢偉さんの話です。(メルマガ発行は2011年の1月でした。小林さんは先日の2012年F1日本グランプリでは3位表彰台を獲得しています!)小林可夢偉さんは、現在モータースポーツ最高峰のF1で活躍中。日本人ドライバーとしては18人目になります。しかし、小林さんはこれまでの日本人ドライバーと大きく異なる点があります。それはスポンサーの出資を伴わず純粋に運転技術を買われて採用されたこと。これまではトヨタやホンダのような日本車メーカーのバックアップ、スポンサー料とセットでの日本人ドライバーがほとんどでした。

 小林さんもF1キャリアのスタートはトヨタのチームからでした。しかし、親会社の赤字化を受けて2009年シーズン終了後トヨタはF1から撤退。F1キャリア開始からわずか3戦で「拠り所」を失ってしまいます。その後、その3戦で見せた素晴らしいパフォーマンスを評価したチームがスカウト。2010年は新人最高の結果を残し、今年はチームのエースドライバーとなりました。

 そんな小林さんがおよそ2時間にわたるレース中

 「どのようにして集中力を保っているのか?」

という質問に対する答えがとても印象的でした。

 「集中しようとすると失敗するんです。平常心。
 映画なら1、2時間、集中しようなんて思っていなくても勝手に入ってくるでしょ。
 (F1レースも映画と)同じです」
 
とのこと。

 自分の能力目一杯を出そう、出さなきゃいけない!と意識をするから変に力が入ってしまったり、疲れが溜まってきたり、条件が悪くなっると集中力が切れたりしてしまう。集中力が切れると発揮できる能力は当然下がり、パフォーマンスが落ちる。これは当然の流れだと思います。



 ですので、超一流同士のぶつかり合い、最高峰の戦いですら平常心で戦えるように準備をしておくことが大切なのだと小林さんは言っているのです。集中しなければ!と思わなくても十分に能力が発揮できるようにしておくこと。その結果意識をしなくともいいパフォーマンスを続けることができるはずです。

 日本語の映画もしくは日本語字幕の映画を2時間見ても集中力が切れないのは映画を見るには我々の日本語力が十分すぎるほどに高いから。これが字幕なしで英語や第二外国語の映画を見たらどうでしょうか?

 最初の10分、30分、1時間くらいはついていくことができるかもしれません。しかし、慣れない言葉を聞き取ろうと意識しているといつか限界が来ませんか?集中力が切れると頑張れば聞き取れる言葉は聞こえなくなってしまいます。日常的に英語で仕事をしているOzakiも長時間の英語のミーティングでは必ず一度や二度フッと集中力が切れてしまうことがあります(涙)

ここぞ!という時に集中力を高めることは必要ですが、平常心で高いパフォーマンスを出し続けられるように普段から努力しておく。そんな心がけが超一流の世界へのカギなのかもしれません。(だからといって普段はだらだらやる、というのは本末転倒ですが)
 

人生における最大の機会損失

2012-10-17 20:05:11 | 意識を整える

 皆さんもお気づきかもしれませんが、Ozakiは年末の海外旅行からこちらほとんど休まず動き続けています。自分でも体力があるほうだろうな、とは思っていますし、しぶとい、というか「ばてない」ことが長所だと自認しています。(直接Ozakiを知っている方、いかがでしょうか?)

 インドに海外OJTで赴任した際も下痢にはなりましたが (汚い話でスミマセン…インドでは誰しもなるものだと思います) それ以外病気や怪我で出勤できなかったことはありません。もちろん精神的に凹むことはありますが、出勤できないような状況、一週間以上やる気が起こらないような状況になったことはありません。

 そんなOzakiなので、研修の最後に当時の所長から頂いた言葉は

 「一日も休まなかったOzaki君だから学ぶことが多かったんじゃないか、休んだ日は学びはゼロだけど、出勤すれば確実に学びがあるからね」

 というものでした。

 この言葉はハードスケジュールの時には必ず思い出します。どんなにスケジュールが詰まっていてもばてないために大切にしている言葉です。人生における最大の機会損失は体調を長期間崩すこと。だから、Ozakiは自分の限界を超えない範囲でできる限り動き続けようとしています。
 

 改めて考えれば当たり前のことですが、
一年のうち1週間×4回(季節ごと)ばてて休む人
    と
一年の間に体調の波はあるものの、大きくばてない人

では旅行や人との面会、読書などができる日が7日間×4回×70年=1960日も違ってきてしまいます。1960日はなんと5年と4か月に相当する期間。同じ70年間生きていたとしても寝込んでしまったり、倒れてしまうことによって65年弱しか活かせない人と70年分活かせる人が出てしまうことになります。季節の変わり目ごとに体調を崩すと大変大きな時間的な損失になるのですね。

 大きな怪我や病気をしないということは人生をフル活用すること。一度しか生きられないのであれば、「持ち時間」は活かしたいですよね。毎日ばてずに少しでも本を読んだり、体験を積み重ねることが
「経年優化」の一番の近道だと思います。

 そんな「持ち時間」を最大限に活用した「経年優化」に必要なこと、それは体調を大きく崩さないようにするということだと思います。

 個人の体質や体力はそれぞれに違うでしょう。しかし、興味のあることにできるだけチャレンジしつつ、自分自身の限界を超えないように心がけたいものですね。