日本企業の業績が悪化するとよく「リストラ」という名前の下に
企業の社員の解雇が行われるようになって久しいですね。
「リストラされる」という動詞や「リストラ予備軍」といった新しい名詞も
日本国内では馴染んだという印象すらあります。
そして、その言葉の意味するところはほぼ「整理解雇」と同じです。
つまり、特段犯罪行為や極端な勤務不良がなくとも、会社の都合で
従業員を解雇するという意味合いで「リストラ」という単語が理解されています。
しかし、「リストラ」の由来になった‘restructuring'という英単語には
従業員の解雇というネガティブな意味合いはあまり含まれていないようです。
本来の意味は事業を再構築する、抜本的に改革するという意味合いです。
(もともとはロシア語の「ペレストロイカ」と同義という説もあるようですね)
英語を知ると、ネガティブな意味合いよりも「再出発」「新たに作り直す」といった、
視点が強調されているように感じませんか?
国家機関に属し、そうそう簡単に「リストラ」されることはない尾崎が言うと
反発を受けそうですが、本来の意味合いを重視するのであれば、
日本的「リストラ」もそこまでネガティブに捉える必要はないのかもしれません。
なぜなら、「リストラ」は今までの自分を新たに作り直す格好の機会、
とも言えなくはないからです。
人はなかなか自分から人生を変えることができません。
日常の行動パターンですら意識しなければなかなか変わりません。
まして何年か、もしくは十数年勤務した会社、組織を辞める、
これまで築き上げてきた職能を捨て去る、のは殊更難しい決断になるでしょう。
そう考えると「リストラ」されるということは、今まで慣れ親しんだ日常を
すべて壊してくれる、またとないチャンスでもあると思います。
今の自分から一歩踏み出したい、違う生き方に脱皮したい、
そんな気持ちを抱えているのであればなおさら、強制的な変化である
「リストラ」は好都合かもしれませんね。
もちろん会社勤めの方にとってはそう簡単に失業してたまるか!
という声もあるでしょうから、「リストラされること」をおススメする
わけではありません。
しかしながら、想像上だけでも自ら自分自身を「リストラ」してみる、
というのはどうでしょうか?
もし、不安に感じるようであれば、それはあなたが今の仕事、会社から
安心感を得ているという証拠。
逆に、もし自由な感じがするとしたらあなたは今の仕事、会社に対して
プレッシャーや束縛を感じているのかもしれません。
自分自身を「リストラ」しようとすると自分自身を考え直す必要に
迫られます。
たとえば、今の仕事が急になくなったとイメージしてみてください。
会社勤めの方は明日から出勤できなくなります。
自営業の方は明日から顧客がいません。
学生の方であれば、自分の所属する場所はなくなります。
明日から一日やることがない、稼ぐ手段がない、となったら
皆さんはどのように対応しますか?
はじめの数日~二、三週間はのんびり過ごすかもしれません。
しかし、いつまでもやることがないとなると、
その時は真剣に今までとは違う生き方を見つけようと
必死に、文字通り死に物狂いにならざるを得ませんよね。
他人との付き合い方、自分の発言の在り方、お金の稼ぎ方やビジネスモデル、
なにより、日々の行動すべてを一から考え直すはずです。
そういった取り組みこそ本当の意味で自分自身を変革することができる、
そんなきがしませんか?
今の自分を一旦「リストラ」して、もう一度再構築を試みる。
例え想像の世界であっても、思いがけない効用があるかもしれません。
(次回に続けます)