36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

自分自身を『リストラ』する(その1)

2014-03-29 09:09:45 | 意識を整える

 
 
 日本企業の業績が悪化するとよく「リストラ」という名前の下に
企業の社員の解雇が行われるようになって久しいですね。

 「リストラされる」という動詞や「リストラ予備軍」といった新しい名詞も
日本国内では馴染んだという印象すらあります。
そして、その言葉の意味するところはほぼ「整理解雇」と同じです。
つまり、特段犯罪行為や極端な勤務不良がなくとも、会社の都合で
従業員を解雇するという意味合いで「リストラ」という単語が理解されています。



 しかし、「リストラ」の由来になった‘restructuring'という英単語には
従業員の解雇というネガティブな意味合いはあまり含まれていないようです。
本来の意味は事業を再構築する、抜本的に改革するという意味合いです。
(もともとはロシア語の「ペレストロイカ」と同義という説もあるようですね)

 英語を知ると、ネガティブな意味合いよりも「再出発」「新たに作り直す」といった、
視点が強調されているように感じませんか?

 
 国家機関に属し、そうそう簡単に「リストラ」されることはない尾崎が言うと
反発を受けそうですが、本来の意味合いを重視するのであれば、
日本的「リストラ」もそこまでネガティブに捉える必要はないのかもしれません。
なぜなら、「リストラ」は今までの自分を新たに作り直す格好の機会、
とも言えなくはないからです。



 人はなかなか自分から人生を変えることができません。
日常の行動パターンですら意識しなければなかなか変わりません。
まして何年か、もしくは十数年勤務した会社、組織を辞める、
これまで築き上げてきた職能を捨て去る、のは殊更難しい決断になるでしょう。
そう考えると「リストラ」されるということは、今まで慣れ親しんだ日常を
すべて壊してくれる、またとないチャンスでもあると思います。



 今の自分から一歩踏み出したい、違う生き方に脱皮したい、
そんな気持ちを抱えているのであればなおさら、強制的な変化である
「リストラ」は好都合かもしれませんね。



 もちろん会社勤めの方にとってはそう簡単に失業してたまるか!
という声もあるでしょうから、「リストラされること」をおススメする
わけではありません。
しかしながら、想像上だけでも自ら自分自身を「リストラ」してみる、
というのはどうでしょうか?
もし、不安に感じるようであれば、それはあなたが今の仕事、会社から
安心感を得ているという証拠。
逆に、もし自由な感じがするとしたらあなたは今の仕事、会社に対して
プレッシャーや束縛を感じているのかもしれません。



 自分自身を「リストラ」しようとすると自分自身を考え直す必要に
迫られます。

 たとえば、今の仕事が急になくなったとイメージしてみてください。

 会社勤めの方は明日から出勤できなくなります。
 自営業の方は明日から顧客がいません。
 学生の方であれば、自分の所属する場所はなくなります。

 明日から一日やることがない、稼ぐ手段がない、となったら
皆さんはどのように対応しますか?
はじめの数日~二、三週間はのんびり過ごすかもしれません。
しかし、いつまでもやることがないとなると、
その時は真剣に今までとは違う生き方を見つけようと
必死に、文字通り死に物狂いにならざるを得ませんよね。
他人との付き合い方、自分の発言の在り方、お金の稼ぎ方やビジネスモデル、
なにより、日々の行動すべてを一から考え直すはずです。
そういった取り組みこそ本当の意味で自分自身を変革することができる、
そんなきがしませんか?



 今の自分を一旦「リストラ」して、もう一度再構築を試みる。
例え想像の世界であっても、思いがけない効用があるかもしれません。



 (次回に続けます)

身の回りに変化を

2014-03-21 22:02:38 | 意識を整える

 これまでこのコラムでは繰り返し

 新しいことにチャレンジしよう、
 やったことのないことを経験しよう、
 自らの常識を破ろう、

といった趣旨のことを書いてきています。
何度もテーマとして登場している理由は↑の行動こそ「経年優化」を実践する上で
必須の考え方、行動パターンだとOzakiが考えているからです。

 こういったことを書くと、かなり大きな「変化」を起こさなければ!
と受け取る読者の方もいらっしゃるかもしれませんね。
しかしながら、実はそんなに身構える必要はないんですよ、ということを
今回はご説明したいと思います。

 
 これまで自分が未体験の経験をする、
 見たこともない風景を見に行く、
 全く生活環境の違う人と出会う、

といったことをしようとすると、どうしても大がかりな準備が必要です。
精神的にも、肉体的にも身構えてしまうでしょうし、
お金や時間だってばかになりません。
そんなことを考えているうちに、「そのうちに」なんていう結論になって、
結局何も行動に移せなかった、という苦い思い出になってしまうことも。
(Ozakiもそういえば…というシーンがいくつも思い出されます)



 どんなことをやろうとしても、

 「変化を起こさなければ!」
 「昨日と違うことを!」
 「何としてでも成長するぞ!」

といったハードルを自らに課してしまうとなかなか動けなくなってしまうもの。
しかしながら、そういった高いハードルを設定しなくとも、実は身の回りに
変化の種はいくらでもあるのではないでしょうか?

 
 例えば毎朝の通勤経路や通勤時間を変えてみてはどうでしょう?
通勤経路を変えれば普段同じ電車で通勤している人たちとは
異なる駅に向かう人たちにも出会うことになります。
また、通勤時間を変えれば乗っている人たちの層が変わることが実感できます。

 思い切って始発に近い電車で乗ってみると同じ経路、同じ路線でも、
通勤客がほとんど乗っていない、不思議な空間が広がっています。
通勤時間を早めるだけであれば、有給休暇を取る必要もありませんし、
普段使っている定期券に上乗せして追加料金を払う必要もありません。



 また、駅までの経路もいつも同じ経路ではなく、違う路地を歩いてみると、
思いがけない発見があるかもしれません。
 
 気になるカフェがあったり、
 きれいな花壇が自慢の家を見つけたり、
 野良猫の集会所(?)を発見したり、

と普段アンテナに引っかからないような情報が見つかることもあるでしょう。
(迷った時に困らないようゆとりを持って出発してくださいね)



 
 休日に簡単にできることの例を挙げるならば、

 動物園であるとか、
 博物館であるとか、
 何かのイベントであるとか、

片道30分あればいろいろな催し物があるはずです。
たいていの催事は日本でも1000円~3000円出せば参加できるはず。
思い立ってふらっと行ってみるだけでもOKです。
イベントに限らず、これまで行ったことのないお店に入ってみるだけでも
いいかもしれませんね。
なにも買う義理はないのですから、投資がゼロでもいいわけです。



 変化を起こす、というとものすごく大きな変化をイメージしがち。
しかしながら、身の回りに変化を起こすという意味では、なんでもアリ、
どんな小さなことでもOKなんじゃないか、がOzakiの持論。



 なぜなら普段とは違うことに取り組むことがきっかけで、

 関連する事柄に興味が湧いて来たり、
 頭の中にいつもと違うアイディアが浮かんだり、
 違う立場の人間の気持ちが想像できるようになったり、

そんな「変化」が起こりうるからです。 
いきなり大それた変化を起こそうとして、一歩も踏み出せないよりは
例え他人から見ればどうということがなくとも、
自分なりに身の回りに変化を起こしてみたほうが前進しているはず。
その延長線上に大きな変化、イノベーションが見えるかもしれませんね。



 えー、本当に?と思われるかもしれませんが、

 「小さくてもいつもと違うものに触れる機会」

を何度も、何度でも繰り返すことが我々の無限の可能性を
刺激するきっかけになるのだとOzakiは信じています。

言葉を大切にする(その2)

2014-03-15 07:19:37 | 意識を整える


 前回は自ら

 「しなければならない」
 「してはならない」

といった決めつけを設定してしまうことはないだろうか?
そして、その決めつけがあるがゆえに、経年優化を妨げることに
なっていないだろうか?

というお話でした。



 言葉には力が宿る、であるとか言霊(ことだま)という表現があるように、
言葉によって人間の行動、思考、発想がよくも悪くも左右されてしまうのですね。



 映画『スターウォーズ』に登場する「フォース」をご存知でしょうか?
『スターウォーズ』でジェダイと呼ばれる正義の騎士は
ライトサイド(光明面)と呼ばれる良いフォースを使います。
このフォースを使って予知能力や手を使わずに物体を動かしたり、
人間離れした格闘技を繰り出して戦っているのです。

 その一方で、シスやダークジェダイと呼ばれる暗黒の騎士は
ダークサイド(暗黒面)と呼ばれる悪い(?)フォースを使います。
この悪いフォースは怒りや恨み、憎しみによって生まれるとされており、
ダークサイドに落ちてしまうと、理性すら失って破壊を続ける、
映画シリーズではそんな描かれ方をしています。



フォースは映画の中の架空の「エネルギー」ですが、同様に言葉にも

 プラスのエネルギーを持った言葉

       と

 マイナスのエネルギーを持った言葉

があるのではないでしょうか?



 プラスのエネルギーを発する言葉を使えば、
(暗示的ではありますが)自らを信じることもできますし、
自分の持てる能力の大部分を発揮できるようになるのではないでしょうか?



 逆にマイナスのエネルギーを発する言葉、
例えば「どうせ」「でも」「自分なんて」…
を使い続けていればどうなるか?

 そういう言葉は、先週お話ししたように自らの限界を決めてしまうだけでなく、
自分自身の能力を封印してしまうような思考回路に堕ちてしまいかねません。
そうなると経年優化のプロセスも止まり、成長がとまる「頭打ち」の状態に。
ほとんどの人に沁みこんでいる

 「しなければならない」
 「してはならない」

のマイナスのエネルギーの影響は計り知れませんね。



 マイナスのエネルギーを持つ言葉を使わない、、
逆に言えばプラスのエネルギーを持つ言葉を多用することが、
言葉のエネルギーを利用して自分を成長させることにつながるのだと思います。

 「どうせ」ではなく、「どうやったら(できる)」
 「でも」ではなく、「それはいいアイディアかもしれない」
 「自分なんて」ではなく、「自分だからこそ(こうしよう、こうなろう)」



そんな「言い換え」を行うだけでも、言葉の力を借りながら
経年優化のプロセスに入り込むことができるのではないか、
そんな風に感じるOzakiです。

 日々自分がどのような言葉を使っているのか、
自分が発する言葉、自分が頭の中で思い描く言葉を
大切にしているのだろうか。
そんなことを見直すきっかけとなっていれば幸いです。

言葉を大切にする(その1)

2014-03-12 19:50:38 | コミュニケーション


 「人間は言葉を操ることができる動物である」

というのが一般的な認識です。

 身の回りのモノに名前を与え、さまざまな知識を言語化し、
他人との意思疎通ができるようになったからこそ、そして広く発信できるからこそ
人類が飛躍的に発達し、地球上で我が物顔に振る舞えるようになったのでしょう。
 

 しかしながら、もしかしたら我々は

 「言葉に操られて一生を過ごす」

のかもしれないなぁ、と感じることがしばしばあるのです。

 人間は自分の生き方を考えたり、何か判断する際に
必ず言葉を使って考えます。
そういった、考えや判断の際に軸になるのは自分なりの基準。
基準という言葉を言いかえれば自分が勝手に作り上げた自己イメージです。



 例えば

 社会人としてこう生きなければならない、
 会社員としてこうしなければならない、
 男としてあるいは女としてこうでなければならない、

といった「あるべき」論は代表的な自己イメージと言えるかもしれません。



 もう一つよくあるパターンとしては

 自分の仕事はこんなもんだ
 自分が付き合う人はこういう人たちだ
 自分の年収はだいたいこのくらいだ

 といった自分で自分の人生の範囲を決めつけてしまうこと。
これも勝手な自己イメージの事例です。
こういった勝手なイメージがあるからこそ、
 
 この仕事は自分がすべきことではない
 こういった人たち(特により輝いている人たち)は自分とは縁がない
 これ以上の年収をもらうためにがんばる必要はない
  

 などという考え方にもつながりかねません。



 よりよい生き方、経年優化を目指す上で、障害になりがちなのは、
こうした「○○しなければならない」「○○してはいけない」といった、
決めつけなのではないかとOzakiは感じています。

 しかしながら、残念なことに、我々人間は(特に日本人は)
小さいころからびっくりするくらい数多くこの言葉を浴びて育ってきています。
その結果、大人になっても日々こういった言葉を自分自身に言い聞かせて
毎日過ごしているのではないでしょうか?



 こういった「しなければならない」「してはいけない」の呪文に
毎日囚われていると日々プレッシャーを感じなければなりませんし、
もし自分が思っている通りにならなければ強いストレスを感じてしまいます。



 そして、自分が設定している基準から大きくずれた結果が見えてくると

 「なんでこんなことになってしまったんだろう。
 本来こうであるべきなのに…」

 と落ち込んでしまったり、

 「こんなことになったのは××(他人や環境)のせいだ!
 もし××がもうちょっとまともだったら結果は違ったのに…」

といった愚痴もしくは罵詈雑言の類を吐き出す羽目になります。
ネガティブな発想や愚痴を吐き出すことも時には必要だというのが
尾崎の持論ではありますが、あまりにこういった事態が続くと
「経年優化」を続けるのは難しくなってきます。



 Ozakiが「経年優化」を目指し続ける中で、徐々に噛みしめているのは、
↑のような「しなければならない」「してはいけない」の言葉から
解き放たれることの大切さです。

 例え短期的に思い通りの展開にならない場合でも、
焦らず、急がず、怒らず、腐らず、そして他人や環境のせいにもせず、
一歩一歩歩き続けることが経年優化につながるのではないかと思うのです。

 
 それでは「しなければならない」「してはならない」のような
決めつけ言葉から逃れるにはどうすればいいのでしょうか?



 (次回に続きます)

埃が見える時

2014-03-01 09:28:14 | 意識を整える

 カーテンの隙間から光が一条差し込んでいる光景を見たことがあるでしょうか?
きらきらとして、非常に美しい光景で、Ozakiはそういった現象が大好きです。
そして、光が差している部分だけは部屋に浮遊している塵や埃が
はっきりと見えるのも面白いなぁと思います。



 普段何もないように見える空気中にもかなりの数の塵、埃が浮かんでいます。
(Ozakiの部屋だけかもしれませんが…)
しかし、光が当たらなければそういった浮遊物は見えません。
太陽の光のように強い光があたると通常見えない無数の物質が見えるのです。



 さて、今回はそんな「カーテンの隙間から漏れる光」を見ていて感じたことです。
強い光が当たることによって普段見えない埃が見えるように、
それまで見えていなかったものが条件が変わるとはっきり見えてくる、
そんな瞬間があります。

 
 たとえば、社内で主流ではない部署や花形ではない部門では
トラブルが発生しても、全社的な注目はそれほど集まりません。
しかしながら、ひょんなきっかけや時代の変化などで、
ヒット商品が出てくると、それまで気にもしていなかった、
そういった部署、部門の「ボロ」がでてくることがあります。

 流行り言葉で表現すればコンプライアンス違反も出てくるでしょうし、
急に忙しくなったがゆえに、組織の体制や関係者の能力が追い付かない、
といった問題も発生するかもしれません。

 
 それまであたかも空気しかないように見えていた空間に
強力な太陽光が差し込むことによって微小な埃や塵が見えてくるように、
多くの注目が注がれるようになると、急に問題が浮き彫りになることがあります。
 

 ベンチャー企業なども創業直後、苦労を重ねている時には
世間的な知名度も低く、社会への影響力も少ないでしょうから、
問題があったとしてもそれほど大きな話題にはならないのかもしれません。

 しかしながら、例えば

 順調に業績が伸びはじめた時
 各種メディアで取り上げられた時
 新規に株式を上場した時

などは「強力な太陽光」があちこちから差し込むことになります。
注目が集まる際には、これまで気づかなかった微小なゴミが目に入ってくるもの。
その結果細かい問題に足をひっぱられて挫折してしまう、といったことも
なきにしもあらず。
場合によっては既得権益層から事業を妨害されるような事態に遭遇する
会社もあるのではないでしょうか?


 企業だけでなく、個人レベルでも似たようなことが起こります。
レベルアップしようと必死でがんばっている時は多少の「あら」は
目につきにくいものです。
しかしながら、仕事でも趣味でもある程度習熟してくるといろいろな「あら」に
気づき、自分のやっていることに自信を無くしてしまうことはありませんか?

 細部を気にするあまり、全体像を見失ってしまったり、
 これまで当たり前にできていたことが急にできなくなってしまったり、
 周囲の人と自分を比べて卑屈になってしまったり、

そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんね。
 

 これまで気づかなかったことがたくさん見えてくるのは
必ずしも悪いことではないとOzakiは思います。
それは強い光が当たるからこそ見えているもの。

 世間や周囲からの注目を集めるからこそ逆風も吹く、
 合格点のつく仕事が自然体でできるからこそ細部にこだわりたくなる、
 さらにレベルアップしたいという気持ちがあるからこそ「あら」が気になる、

光が当たらなければ、自分や周囲の目線が集まらなければ見えないものが、
はっきり見えてくる、ということは、次のステップへの階段が認識できている
ということの裏返し。
 

 大切なのはそういった「浮遊物」を汚いと言って目を背けるのではなく、
そういう微細な物質が空気中にあるのだなと認識して、
こまめに掃除をしたり、換気したりといった対応を取ることです。
これまで存在に気づきもしなかったものが見えてくる時は
太陽光に匹敵する強い光を出せるようになった自分がいるということ。
誇りを持ってさらに次の一歩を踏み出せばよいのだと思います。





 光の中で舞う埃。
美しいなと思うか、汚いなと思うかは人それぞれだと思いますが、
夕焼けも空気中の塵によって光が拡散して美しい赤やオレンジ色に
見えるという原理ですので、きっと一概に汚いわけではないですよね。
(だからと言って掃除をサボる言い訳にはならないのですが、涙)