世の中には読み継がれている古典と呼ばれる本がいくつかあります。
長く時代を越えて規範とされるもの、また人間の本質を捉えたものなど、
流行や価値観の多少の変化に左右されない書物のことです。
例えば
孔子の「論語」や孫子の「兵法」といった中国古典
ローマ皇帝カエサルやほぼ同時代のイエス・キリストの言葉(聖書)
日本の「徒然草」や「葉隠」「武士道」
といった書物にはやはり現代にも当てはまる人間の真理が描かれており、
だからこそ数百年~数千年にわたり読まれ続けているのでしょう。
最近の本ではドラッカーの「マネジメント」は著されてからまだ40年ですが、
古典化していると言ってもよいかもしれませんね。
さて、そういった各種の古典の一つに「菜根譚(さいこんたん)」があります。
これは中国の明の時代にあちこちで言い伝えられてきた
人間としてあるべき生き方を一冊にまとめたものと言われています。
野草や植物の根といった質素な食事は
噛みしめれば噛みしめるほど真の味がわかるようになる、
この本の言葉も同じであるという意味でタイトルがつけられたのだとか。
(間違っていたらすみません)
Ozakiは数年前に父親の本棚で「菜根譚」にまつわる本を見つけ、
それ以来、時折取り上げられている言葉を読み返しています。
何度読んでも、なるほどな、と新たな発見があるという意味で
読み継がれるだけのことはある書物だなぁと毎回感心します。
今後もたびたび「菜根譚」から言葉を紹介するかもしれませんが、
今回は直近一番印象的だった言葉を皆さんにもシェアします。
その言葉とはタイトルにもありますが
「善を為してその益を見ざるも、
草裡の東瓜の如く、自ずから応に暗に長ずべし。
悪を為してその損を見ざるも、
庭前の春雪の如く、当に必ず潜に消ゆべし。」
というもの。
現代風に訳せば
善い行いをして、すぐその利益が見えていなくとも、
草むらの中で育つ瓜のように、
成果は着々と大きくなっている。
悪い行いをして、すぐその損失が見えていなくとも、
庭に積もる春の雪のように
手にしたと思ったものはすぐに消えてしまうのだ。
となりますでしょうか。
仕事でもスポーツでも趣味の世界でも、
なかなかよい成果が目に見えない地道な業務、トレーニングは
誰もがやりたくないと思ってしまいますよね。
会議の資料準備や、出張のダンドリ、
野球の素振りや、サッカーの走り込み、
ピアノの運指練習や、家庭菜園の土づくり
などなど、人にあまり評価されず、
わかりやすい結果が出るまでに時間がかかるステップは多々あります。
ただ、こうした行動がなければ仕事でもスポーツでも趣味でも、
見た目に派手な、かっこいい、もしくは楽しさを感じられる
成果は決して得られません。
草むらで人知れず成長し、徐々に大きくなる瓜のように
こういった準備作業の価値というのは目に見えないようで、
実は「果実」に直結するものであると言えるのではないでしょうか?
最近購入した本の中に
「野村克也の『菜根譚』」(野村克也、宝島社)
というものがあるのですが、この本の中でも取り上げられています。
南海ホークスで活躍し、ヤクルトや楽天の監督としても大きな成果を残した
野村監督が独自の視点で(主として野球の観点で)「菜根譚」の
主要なフレーズを解説していくという書籍です。
この本によれば、野村さんと落合さん(元中日監督)が話をしていた際、
最近のプロ野球若手選手はほとんど素振りをしなくなったという点で
見解が一致したとのこと。
バッティング練習と言えば、ピッチングマシンを使って
繰り返しボールを打つ、そういった選手が増えてきているのだそうです。
素振りよりも実際のボールを打つという点で、やる側は面白いでしょう。
しかしながら、野村さんも落合さんも自分に合った理想的なスイングは
ボールを打ちながらではなく、何もないところでバットを振る
素振りでなければ固められないのではないかと考えているようです。
ボールも打たず、同じ場所で素振りを続けるのは非常に地味ですが、
そうやって繰り返し地道な練習を行うことでスイングの基礎が固まり、
最終的にはさまざまなボールに対する対応力が増すのだとか。
一見遠回りで成果が出るまで時間がかかるようにも思いますが、
草むらに隠れて成長する瓜と同じではないだろうか、
と野村さんは本の中で解説されています。
プロ野球に限らず、我々の仕事においても
「なんだか地味でやる気が起こらないな」
と思ってしまうことでも、一生懸命やり続けることで、
実は見えないところで、自分自身の成長につながっている、
そんなことがあるのかもしれません。