36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

時間の投資・時間の浪費(その1)

2013-10-30 20:47:02 | 意識を整える

 今回からは久しぶりに時間の使い方について書いてみたいと思います。

 お金の場合、使途によって投資、消費、浪費に分類されることがあります。
分類基準についてはいろいろな考え方があると思いますが、
とあるファイナンシャルプランナーの方は

 投資=支払った額以上の価値を得られるお金の使い方
 消費=支払った額と同等の価値を得られるお金の使い方
 浪費=支払った額以下の価値しか得られないお金の使い方

と分類しています。
 
 生きていく上で、必要不可欠な支出、食料品や住宅や最低限の服、、
は「消費」ですので、この部分を必要以上に削るわけにはいきません。
そのため主に浪費を減らして、投資に回すお金を増やしましょう、
そうすると経済的に自由度が高まりますよ、お金が貯まりますよ、
という主張がなされているわけですね。

 
 その時に問題になるのは浪費と投資の違いはなにかというポイントです。
自らが勉強するために1万円で書籍を購入し、内容を理解できれば投資です。
しかし、購入した書籍を「買ったこと」に満足して読まなければそれは浪費。

 同じように飲食店に数千円、数万円を支払う場合でも、
愚痴をこぼすだけ、ストレス解消と称して酒におぼれる場合は浪費でしょう。
目標としたい人からじっくり話を聞く場合や、
旧交を温め異分野で活躍している同級生から刺激をもらう場合、
憧れの異性と素敵なムードで会食する場合(!?)などは投資のはずです。



 外見上は同じようなお金の使い方をしていても、
そのお金にどのような意味合いを持たせるかによって投資と浪費は紙一重。
単に書籍を買ったり、セミナーに出たり、資格学校に通うためのお金、
もしくはもっと直接的に株や債券に投資するお金が投資なのではありません。
投資を本当の意味での投資として活用できるかどうか
お金を使う人自身のその後の行動や考え方次第ということになりそうです。



 そして、この考え方は時間にも当てはまるのだとOzakiは感じています。
時間の使い方も投資、消費、浪費に分類できると思うからです。
そして、投資か浪費かはその人の心がけ、行動次第で分類が変わるはずです。



 時間の使い方における三つの分類はこんな感じでしょうか?

 投資=かけた時間以上の価値を将来的に得られる時間の使い方
 消費=生活していくために必要な時間、損得が発生しない時間の使い方
 浪費=かけた時間以下の価値しか得られない時間の使い方

 
 それぞれの具体的な事例を考えてみましょう。

 投資と言えそうな時間の使い方は自分の将来を豊かにするための時間です。

 仕事上のスキルアップのための勉強、人脈づくり
 健康管理のための定期的な運動、
 趣味を広げたり、深めたりするために没頭するプライベートの時間
 自分の考えをまとめて人脈作りにも寄与するブログやメルマガでの発信

などが挙げられるでしょうか。

 消費とは生命を維持する上で必要不可欠な時間です。
これはかけた時間と同じ価値を得るという言い方もできるでしょうが、
一定の価値を得るためにかけざるを得ない時間という表現の方が適切でしょう。
具体的には、食事や睡眠、どうしても必要な家事、買い物などの時間です。

 浪費とは

 目的なくインターネットを見ている時間、
 漠然とテレビを見ている時間、
 もしくは居酒屋などで職場、上司の不満をまき散らす時間、

などが代表例でしょうか。
将来自分の生活を豊かにすることにもつながらず、
短期的な日々の暮らしにも益がない時間の使い方です。



 時間もお金と同じような分類ができますが、時間の投資と浪費の区別は
お金の投資と浪費以上に区別があいまいなのではないかとOzakiは考えています。



 (次回に続きます)

グローバル人材を考える(その3)

2013-10-13 18:00:31 | 意識を整える



 前2回はグローバル人在になるためにうわべの語学力よりも
母国語でもいいので、語るべき内容を自分の中に持ちましょうというお話でした。

 今回は視点を変えて「生き残る」ことがグローバルに活躍する
もう一つの条件ですよ、というお話をしたいと思います。



 世界で活躍するためにOzakiが一番大切だと感じる能力、それはズバリ
どんな環境であっても生活できる力、生き残る力だと考えています。

 Ozakiはインドとパキスタンで仕事の経験がありますが、
どちらの国も「生きていくだけでエネルギーを消費する」国です。
アフリカ地域にはもっとエネルギー消費量が大きな国があるのでしょうが、
日本国内のように「生きること」そのものにストレスがない国とは違います。



 日本国内の場合は「生き残る」ことへの能力はあまり必要とされません。
そのため、仕事の出来不出来がフォーカスされがちです。
しかし、ひとたび海外、特に途上国で仕事をするとなれば、
仕事の出来不出来以上に環境に適応できるかどうかがクローズアップされます。

 どんなに仕事ができる人、売り上げが上がる営業マンでも、
短期間で精神的または身体的にダウンしてしまえば意味がありません。
その人が当面戦力として期待できなくなるだけでなく、
その人を帰国させたり治療する時間、お金のコストもかかりますよね。
さらに、急遽交代で別の人を配置転換することも必要ですので、
一人がダウンしてしまうだけで、組織には大きなエネルギーが必要となります。

 こう考えれば、外国で平然と生活できるというだけでも
一つ「業務」をこなしていると考えてもいいかもしれませんね。
その上で、利益や実績をあげられる人、それがグローバル人材の第一条件、
そう言っても過言ではないかもしれません。



 進化論を唱えたダーウィンは、

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。
 最も頭のいいものか。そうでもない。
 それは、変化に対応できる生き物だ」

という考えを示したと言われています。
(進化論そのものにこの言葉は含まれていないようですが)

 この場合の生き残るとは生物学上遺伝子を残せるかどうか、
というポイントですが、エッセンスは同じ。

 厳しい環境でも生き残ることができる人、
 日本とは異なる環境でも業務を続けられる人、
 日々予想だにしなかった変化に見舞われても適応できる人、

日本国内のオフィスで仕事の能力が高い人ではなく、
↑のような性質を持ち、結果としてグローバルなビジネス環境で
「生き残る」ことができる人こそグローバル人材と言えるのではないでしょうか。



 
 インド事務所時代、まだ研修(On the Job training)中だったOzakiに対し、
当時の事務所長はこう言ってくれました。

 「体調を崩して長期離脱しなかったことを誇りに思いなさい。
 毎日出勤してきて、無事帰国するというだけで君は成長できている。
 Ozaki君だからこそ、インドで8か月やれたと思うし、
 インドで8か月やりきったからこそ今のOzaki君があるんだよ」

 今思えば、何度もくじけそうになっていた研修時代ですが、
あの頃の経験があるからこそ、より厳しい環境のパキスタンでも
何とか適応しながら毎日出勤し続けられるまで、
そしてそれなりに事務所の戦力たりえる人間になれたのだと感じます。

 上述のように毎週政治や治安情勢が揺れ動き、安全担当としては
安心して眠れない毎日が続いています。
それでも、自分なりにグローバルに活躍できる将来像を描き、
毎日自分の業務を全うできるのはインドの経験を踏まえ
「生き残る」ことがグローバル人材の第一歩だと信じているからなのでしょう。

グローバル人材を考える(その2)

2013-10-09 22:03:09 | 意識を整える



 前回はうわべの語学力よりも伝えたい中身が重要ですというお話でした。
今回はその伝えたい中身をどのように磨くかを考えてみたいと思います。
方法論は多数あるでしょうが、Ozakiが重要だと思うポイントをご紹介します。

 話す中身を磨くために何が重要か。
Ozakiは三つの要素を挙げたいと思います。

 一つ目は多くの意見を聞き、多くの経験を積むこと。
 二つ目は三点から自分の考えを分析して立ち位置を明確にすること。
 三つ目は意見を表明する際に「保身」を考えないこと。



 それぞれのポイントをじっくり解説するとかなり長くなりますので、
一つ一つは簡潔にまとめたいと思います。

 
 まず一つ目。
自分の意見をしっかりと持つためには多様な意見を知る必要があります。
人間だれしも一人で新しいことを考えるのは難しいですよね。
同時代の人であれ、先人であれ、他人が考えてきたことを踏まえて、
同意する、反対する、一部は同意する、といった形で考えは深まっていきます。

 
 そのため、これまでどのような意見が発表されてきているのか、
どんな議論が行われてきているのかを知ることは考えを組み立てる第一歩です。



 その上で、過去の議論から一歩踏み込むためには独自の視点が必要です。
この「独自の視点」の基になるのは自分自身のオリジナルの経験でしょう。

 こういった意見、議論がある。
そして、これまでの自分の体験はこうだった。
それらを踏まえて考えた結果、自分の意見はこの通り。



 このような構成にすれば、賛否は別として外国人にも理解される
筋の通った意見、伝えるべき中身が組み立てられるようになるのではないか、
Ozakiはそう思うのです。

 
 ですから、これまでもOzakiがお伝えしてきているように、

 多くの意見、議論を知り(=読書や講演会などでインプットをして)、
 多様で、自分に特有の経験をできるだけたくさん積む、

この両者が大事なのではないかと考えているのです。



 二つ目は自分の意見を確立する際に大切なことです。
地形の測量などをするときに「三角測量」というやり方があります。
これは、二つの基準となる地点から測量したいポイントを観測し、
二つの基準点からの距離、方位等を基に位置を確定する方法です。
基準点が一つでは正確に位置を決めることができませんが、
二つ以上の基準点から測定すれば、精度がグンと上がります。
 また、大きな三角形の頂点からその三角形内部のポイントを測量すると、
より精度の高い測量が可能になるというものでもあります。
(専門家の方々、もし誤解があれば指摘してください!)

 自分の意見を決める際にも他人の意見、これまでの議論から
二つ以上のポイントを抽出して、自分の意見と比較することをオススメします。
こうすることによって、基準となる意見、議論と自分の意見の
距離や方位が明確になるからです。



 同じ議論を読んで、大事だと思うポイントを一つ挙げなさいと言われたら、
ほとんどの人は中心となっている議題を取り上げるでしょう。
その議題についてはほぼ賛成か、反対かの二択にしかなりません。
ところが、その議論の中でポイントとなる三つを取り上げ、
それらについて自分の意見を述べようとしたとします。



 そうすると二つ目、三つ目のポイントとして何を取り上げるか、
は人によっていろいろなバリエーションが生まれてくるでしょう。

 なぜそのテーマに着眼したのか、
 そのテーマについてどう考えるのか、
 総論として、元の議論について賛成なのか、反対なのか

まで掘り下げていけば、ほぼ間違いなく「自分の考え」が
浮き彫りになります。

 三つの地点、すなわち三つのポイントで自分の考えを構築すれば、
同じ意見や議論からスタートしても自分独自の考え、伝えるべき中身が
見つかるのではないでしょうか?



 三つ目は一度自分の意見を確立したら、多数派の考え方に流されない、
自分の利益のために意見を簡単に変えないことが大切だという点です。



 多数派に流されることは非常に楽です。
多数派に迎合した考えを打ち出せば受け入れられやすいでしょうし、
猛反発を食らったり、流行りの言い方で言えば「炎上」することもありません。
それでも一旦「自分はこう考える」、と打ち出したのであれば、
あっさりと多数派に流されることはオススメできません。

 議論の結果自分の認識違いや自分が知らなかった事実を後から知って、
意見の誤りを認める場合は別ですが、反発を受けたから意見を撤回する、
というのはいただけません。

 英語には‘agree to disagree'という表現がありますが、
「意見の相違をお互いに認め合う」という合意もできるのです。
この合意ができれば、意見は違ってもお互いの主張を尊重しあう、
というニュアンスも含まれており、全面対立とは違いますよね。

 逆に対立を避けるために

 自分の意見をころころ変える人、
 主体がなく常に周囲の意見を気にしている人
 誰に対しても「おっしゃる通りです」というような人

はどれだけ流暢に話をしていても、心底信頼されることはないと思うのです。
中身が伴っていない、考え方の軸がわからない、と判断され
尊敬には程遠い扱いを受けることもありえるでしょう。
これは日本人同士でも同じではないでしょうか?



 また、意見を強く押し出せないということはその人の発言、考えは
毒にも薬にもならないということでもあります。
多少過激であったとしても、その発言、意見表明に一理ある、と思われるから
「毒舌キャラ」と評される方が人気を博すのでしょう。

 どんな話題でも議論を吹っ掛けるという態度は個人的には感心しません。
しかしながら、伝えたい中身、伝えるべき中身がはっきりしているのであれば
(つまり上述のプロセスを経て自分なりに意見を持っているのであれば)
多少違う意見が出てきたとしてもはっきりと打ち出す。

 これが外国人にも信頼され、議論の相手として認識されるポイント、
言い換えればグローバルな人材たる条件ではないかと考えています。



(次回に続きます)

グローバル人材を考える(その1)

2013-10-05 22:27:55 | 意識を整える



 最近グローバル人材という言葉をよく聞きます。

 グローバル人材を育てるためにはどうしたらよいか?
 もっと世界で活躍できる日本人を育成しよう!
 そのためには英語やITを幼少期から教えよう

といった議論がなされていますね。



 企業が独自に実施している取り組みとして

 グローバル展開を進める上で社内公用語を英語にする、
 新卒入社後必ず数か月から数年の海外事務所での勤務を経験させる、
 留学生や海外からの社員採用数を拡大する

といった動きもあると聞いています。


 英語ができれば世界の大部分で意思疎通ができるようになるでしょう。
また、日本と違う環境、多くは生活しづらい環境で過ごすことは役に立ちます。
ただ、それだけでグローバル人材になれるというわけではないと感じるのです。



 そもそも、グローバルに活躍できる人材とはどういった人でしょうか?
Ozakiは大きな二つの条件があるのではないかと考えます。

 一つは自分の考え、ストーリーを母国語ではっきりと構築できること。
 もう一つはどんな逆境でもなんとか適応ができること。



今回から数回、いつも以上にOzakiの考えをはっきり打ち出す
コラムになりますがお付き合いください。



 今回は一つ目の条件である

「自分の考え、ストーリーを母国語ではっきり構築できること」

をとりあげます。



 グローバルであるためには英語やフランス語、最近重要性が増している中国語、
といった外国語が話せることよりも、意味を含んだ話ができる力が求められます。

 日本語で筋が通らないストーリーや説明はどんなに語学が堪能であっても、
外国語に翻訳することは不可能です。
日本語で意味がわからない話や文章を外国人に理解してもらうのは至難の業。
逆に日本語でしっかりと意味が通るストーリーや説明は
たとえ高度な内容であっても、外国語に翻訳することが可能です。
(自分でやるか、通訳といったプロにお願いするかは別として)



 言葉を替えれば、意味がきちんと含まれており、
それが事情を知らない人にとっても理解できるよう話が整理できる人は
世界のどこに行っても発信力がある人ということです。



 どれだけ英語やフランス語、中国語が堪能であっても話す中身がなければ
うわべだけの意思疎通になってしまいます。
表面上丁々発止のやりとりをしていても、中身が伴っていなければ
グローバル人材としてのコミュニケーション力があるとは言い切れません。



 外国語(特に英語)にコンプレックスを抱きがちな日本人としては
外国語でペラペラしゃべっている日本人は羨望の的ですよね。
(Ozakiも日々語学力の不足を痛感させられております、涙)

 ただ、真に外国人から尊敬され、評価されるのは言葉の流暢さではありません。
しどろもどろであったとしても、文法が多少不十分であったとしても、
その人の主張が伝わってくるか、筋が通った独自の見解を持っているか、
そういったポイントこそ彼らが評価するところなのだと感じています。



(次回に続きます)

人との出会いも逆ヒヤリ・ハット

2013-10-02 21:22:49 | 人間関係


 前回は数多く挑戦するからこそ失敗や小さな成功の中に
大きな成功に出会えるということをお話しました。
あの後考えを巡らせると、人との出会い、ご縁もそうだなぁと
考えるようになりましたので、ご紹介したいと思います。

 
 人と人は必ず出会ってから徐々に仲良くなり、
意見交換や共同作業を通じて親友、盟友、戦友になりますよね。
出会っていきなり親友になるということはないでしょうし、
親友、盟友、戦友に至らない知り合いに留まる人も多くいるはずです。
中にはどうしても相性が悪く、つながりが持続しない人もいるでしょう。



 新しい方と出会った際には、できる限りその人と親しくなりたい、と
は思いますが、現実的にすべての方と親友になるのは難しいところです。
100人の親友、盟友、戦友を作るためには100人と出会うだけでは不十分。
100人と出会ってつながりを維持できる「知り合い」になるのは
多くても10分の1の10人前後でしょう。
その中で辛い時、困っている時に無条件で助けてくれるような
親友、盟友、戦友はどのくらいいるか、と言えばおそらく1人いるかいないか。

 つまり親友、盟友、戦友を100人作るためには1万人以上の人と
出会い、ご縁を育てなければなりません。
親友、盟友、戦友は思っている以上に多くの方と出会い、
関係を育てていかなければ得難いものだ、と言ってもいいでしょう。
これはまさに「逆ヒヤリ・ハットの法則」そのものです。



 ヒヤリ・ハットの法則に沿って言えば

 1人の親友、盟友、戦友の陰には
 29人の関係を維持できる「友人」「知り合い」がおり、
 300人の一度や二度お会いした方、連絡先等を知っている方がいる。

こんなところでしょうか。
ざっと自分の交友関係を頭の中で思い起こしてみたのですが、
この割合は思いのほか、正しいかもしれません。



 
 では友人になれるかどうか、そして親友に至るかどうか、
はたまたそれほど関係が発展しない三者は何が違うのでしょうか?
対人関係の話ですので、一概には言えませんが、
少なくとも二人の相性がどの程度一致するか、
お互いの世界観がどの程度共鳴するかが大切なのではないかと思います。



 かつて「人間関係はレゾナンス(共鳴)で決まるのでは?」という
コラムを書いたことがありますが、友人関係を決めるのは
まさにその共鳴なのではないか、とOzakiは考えています。

 興味の対象や世界観が似通っている人同士であれば、
話も盛り上がりますし、お互いに惹かれ合うはずですよね。
共通の趣味がある、共通の業種などはわかりやすい共鳴でしょうか。
少なくともただ会ったことがある人と知り合いの境目にはなるはずです。

 そういった共通項がある一方で、自分と違う視点を持っている人、
独自のアイディアを持っている人とは長く関係を続けたい、尾崎はそう思います。
ですから、他人と共有、共鳴できる「共通言語」を増やすことや、
自分なりの意見を持ち、発信できる力があると出会いを
親友、盟友、戦友にまで発展できる可能性は高くなりますよね。



 さて、そうはいっても、百発百中で共鳴できるわけではありません。
逆ヒヤリ・ハットの法則を踏まえれば

 「出会いを増やさなければ友人も親友も生まれない」

と言えます。
ヒヤリ・ハットを研究し学問の域に高めた畑村先生にいわせれば、
「失敗は確率現象であり、人が動けば動くほど、失敗は増える」のだとか。
であれば、親友が生まれるのも「確率現象」であり、
とにかく多くの人と出会うことが親友、盟友、戦友づくりの第一歩でしょう。



 人のつながりを増やし、多くの友人関係を築くためにも、
そして困った時、お互い助け合えるような関係の濃い親友を増やすためにも
なにはともあれ、とにかく多くの人と会ってみることが大切なのでしょう。



 出会った方と何が共鳴しあうかわかりませんから、
できる限り多くの方とのご縁を大切にしていきたいなと改めて感じます。