先週末、土日ともパキスタンでは雷雨に見舞われました。
雨は周期的に強くなったり弱くなったりしながらではありますが、
二日間にわたって長時間降り続いていました。
そして週末の雷のすごさもまた印象的でした。
雷が落ちると暗い風景の中に理科の教科書で見るような、
青白い線がくっきりと浮き彫りになる瞬間が何度もありました。
空から何度か折れ曲がり、地面に電気が走った経路がはっきりわかる、
写真のような光景が繰り返し見られるような状態だったのです。
この激しい雷雨の中、車で市内を移動しながら気づいたことがあります。
それは一口に「雷雨」と言っても雨が強いところもあれば、
雨が弱いところそしてそもそも雨が降っていないところも
すぐそばにあるということに気づかされました。
ある場所ではワイパーが効かないほどの激しい雨であっても、
数百メートル移動すると小雨に変わり、また数百メートル移動すると
今度は雨が感じられない場所に来ることが何度もあったのです。
雨は上空での雨雲の位置によって数百メートル単位で降っているところ、
降っていないところに区分できるのかもしれません。
これが雷になると数キロ単位で感じ方が変わってくるのではないでしょうか。
ある地点に雷が落ちれば、周囲数キロで大きな落雷として感じられるはずです。
しかし、それ以上離れると
「あれ、遠くで雷落ちたのかな?」
と感じるか、気づかないくらいの光、音しか感じないのではないかと思います。
ちょっと位置がずれただけで、自然現象の感じ方は大きく変わるのでしょう。
よく考えれば、同じ日本国内、パキスタン国内でも数百キロ離れた地点では
天気はもとより、気温や風、花粉の量など様々な環境要因が変化します。
一人の人間は一か所にしかいられませんので、あたかも
「自分が経験している気候(環境)がすべて」
と思い込みがちですが、実際には周囲に多様な気象条件が存在しているのです。
この事実を認識すれば、自分が暮らす周囲一帯の正確な気象を描写するには
できるだけ細かく気象観測システムが必要ということがわかりますよね。
数百メートルの違いで雨が降っている場所、降っていない場所があるなら、
実際の降雨状況を正しく把握するにはそのくらい細かい観測器の設置が必要です。
細かく設置すればするほど、正しい気象観測システムが構築できるとも言えます。
(ちなみに、日本の気象庁が設置しているアメダス=地域気象観測システムは
国内に約1,300あり20キロごとくらいに配置されているようです。
http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/amedas/kaisetsu.html)
そんな雷雨の中を走りながら、日本の政治や経済の動きはもとより、
世界的な社会の動向を把握するのも同じようなことが言えるな、と考えました。
自分一人の感覚で世界を見ていると、特定の見方しかできません。
それは一か所のデータで気象観測をしているようなもの。
実際の世界は一人で捉えられるような代物ではありません。
そのため、
世界のあちこちで何が起こっているのか
どんな人たちがどんな人たちが何を考えているのか
これから世界がどのように動いていく可能性があるのか
といった広い視野で地球上の出来事を把握するには多くの観測機器、
つまりはより広い人脈、情報源が必要になってくると思うのです。
様々な国籍、所属グループ、階層、宗教、といった立場の違いによって
同じ事象でも感じ方は違うでしょう。
同じ出来事であっても日本人とヨーロッパの人、アフリカの人、大洋州の人では
日々の暮らしへのインパクトは全く異なるはずです。
広い人脈があるとはすなわち、そういった様々な見方をデータセンターである
自らの脳に送り込めるシステムを構築することに他なりません。
身近な天気を正確に捉えるように、世界の動きを敏感に捉えるためには
自分自身が行動範囲を広げると同時に、多角的な視野を与えてくれる
ネットワークを形成することが大切なのではないでしょうか。
激しい雷雨の日に思いついたコラムでした。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます