36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

時代の流れはばらばらの動きの組み合わせ

2021-09-25 21:13:17 | 意識を整える

 フランス革命当時の様子を想像しながら、
いろいろな文献、資料を読むと
非常に興味深いことがわかってきます。

 宝塚歌劇の

 「ベルサイユのばら」

でも最も盛り上がるシーンの一つである
バスティーユ襲撃が起こったのは1789年7月14日。
今でもフランスではこの7月14日を祝日として
定めているほど重要な記念日です。

 その民衆蜂起が起こる数か月前から
庶民にとって非常に重要な食料だった
パンの価格が約60%値上がりしています。
一説によると、その頃の庶民階級は
可処分所得の88%を食料品確保のために
使っていたとのこと。
その状態でパンが値上がりする、手に入らない!
となれば、いよいよ武力に訴える、という感覚に
なるのもわかる気がします。



 他方で、意外だったのは、
このバスティーユ襲撃、突入した民衆の数は
思ったよりも少なく、周りを取り囲んでいた
多くの人々はただの野次馬だったとも書かれています。
フィクションとしてはものすごい数の民衆が
武装した軍人と犠牲をいとわず自由のために戦った、
とした方が盛り上がるので、宝塚歌劇の演出等も
そうなっていますが、史実としては
そこまでの出来事ではなかったのかもしれませんね。

 ただし、バスティーユの守備を任されていた
軍の隊長(その場で首を斬られました)や隊員
にとってみれば、大勢の群衆に囲まれたことは
揺るぎのない事実です。
ただの野次馬なのか突入してくる「暴徒」か
区別がつかないので相当な恐怖だったと思います。



 
 さて、「ベルサイユのばら」では
バスティーユの襲撃が終わってすぐに
ルイ16世やマリーアントワネットの処刑が
行われているように描かれています。
観客を惹きつけるストーリー展開ではありますが、
実際には3年半~4年の空白の期間があります。

 この間、革命を主導した勢力の中で
様々な意見を持った人々が内輪もめも辞さず、
長期間にわたって争い続けたのが事実だとか。

 国王や王妃の扱いはどうなるのか、
 国の統治システムをどうするのか、
 そもそも革命の目的はなんなのか、
 宗教と国家(政治)の関係はどうするのか、

論点が非常に多いので、おそらく
「総論賛成、各論反対」が多かったのでは
ないかとOzakiは想像しています。

 
 有名な処刑装置であるギロチンを含め、
大勢が処刑されたのもフランス革命の特徴の一つ。
ただ、この処刑は民衆の娯楽という側面も
あったのではないかと言われています。
その後バスティーユ襲撃一周年記念(連盟祭)を
皮切りに数多く行われる各種の祭典行事も
民衆にとっては

 「働いて、食べて、寝る」

単調な日々にちょっと変化をつけるため
こぞって見物に来るようなイベントだったとのこと。



 後世の我々からすると

 フランス革命は短期間で価値観が逆転した!
 革命は搾取されてきた庶民の総意だった!
 自由・平等・友愛の理想が達成された!

といったイメージが強いですが、
現実にはいろんな人がそれぞれの思惑をもって
少なくとも20年程度かけて社会が変容した、
というのが文献から想像される実態でしょう。
そして、ルイ16世やロベスピエール、ナポレオン、
といった華々しい登場人物とは別に
圧倒的大多数の「野次馬」的な民衆も
大勢いたに違いありません。



 よくよく考えてみれば、
一晩で価値観ががらっと変わる、
人間の行動も大きく変わる、
というのはかなり難しいことでしょう。
Ozaki自身、教科書的、フィクション的な
フランス革命像にとらわれていたのだな、
と思い知らされた一週間でした。



 同時に、歴史上の出来事は多くの人の
 
 利害関係
 打算
 感情のもつれ(恋愛ももちろん含む)
 誤解や行き違い
 執着心やコンプレックス
 経済状況

などが複雑に絡み合った結果なんだな、
ということも感じています。 


 今我々が体験している時代も数十年後、数百年後には
「歴史の一場面」になっていることでしょう。
誰か一人ないし特定の集団だけが
ガラッと時代の流れを変えた、
ということは決して起こりえません。
我々のような一般人の動きを含めて、
様々な複合要因で社会は移り変わっていくのだろう、
ということを考えるようになりました。



 こうした仮説をもって今まさに目の前で
揺れ動いている現代の価値観をつぶさに
観察してみたいと思っています。
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世の中を正しく捉えるのは難しい

2021-09-18 00:51:12 | 意識を整える
 先週はフランス革命時に
ヴェルサイユ宮殿にいたルイ16世や
王妃マリーアントワネットが
パリに暮らす市井の人々の様子を
正確に捉えられていなかったのでは?
というお話をしました。



 ヴェルサイユ宮殿とパリは距離にして約10キロ。
公共交通機関が使える現代では30~40分のところ、
当時馬車を使って移動すると数時間かかったようです。
ただ、今よりも時間がかかったとはいえ、
長く王宮所在地だったパリの様子は
意識さえすれば把握できたはずだと思います。

 実際にはヴェルサイユ宮殿内部で完結する暮らし、
取り巻きの貴族や一部の関係者以外と接点がない、
といった理由で視線がパリの市民には
向かなかったのではないかと推測しています。



 こう書くと、世間知らずの王族が
移動手段も通信手段も整っていない時代に
世の中を観察しきれなかった事象のように見えます。
ヒト・モノ・カネ・情報の移動スピードが
圧倒的に速くなり、10キロの距離など
あってないような現代には関係ない話だと…。



 しかしながら、Ozakiは現代でも
フランス革命当時のような事態は日常的に
起こっているのではないか、と感じています。
なぜなら、物理的にはすぐそばにいる人でも

 何をしている人なのか、
 どういう暮らしをしている人なのか、
 これまでどんな経験をしてきた人なのか、

知らないということはよくあるのでは
ないでしょうか?

 これは言い替えれば、自分のすぐそばにいる人の

 「常識」
 「持っている情報」
 「価値観」
 「倫理観」

などが全く違うということとほぼ同じです。
育ってきた環境が違えば、当たり前だと思うことも
違うでしょうし、
日々確認している情報源である新聞やテレビや
インターネットのサイトが違えば、
入ってくる情報も、その解釈も違ってくるのは当然。

 必然的に価値観や倫理観も違ってしまいますので、
地図上ではほぼ同じ場所いるのに、
見えている世界が全く違う、というケースも
たくさんあるのだろうなぁと思います。



 日本であれば

 裕福で生活に困らない人のすぐそばに、
明日食べるものにも困る人がいる、

 家族親族全員医学部に行くのが当然という人の隣に
一族で初めて大学に進学したという人もいる、
 
 必要な予防接種は全て受けるべきと考える人と
副作用の方を恐れて予防接種を拒否する人が同級生、

といったケースなどは表立っていなくても
あちこちでありそうですよね。
(↑のどれがいい悪いの話ではありません、念のため)


 世界的に見れば民族や宗教等相対的に均一度が高い
日本ですら近くの人と認識しきれない不一致が
多々存在するのが現代社会です。
意外とヴェルサイユからパリの状況を
正しく捉えきれなかった王族・貴族と
我は似たもの同士なのかもしれません。



 まして自分の知りたい情報に関連する情報を
優先して提示してくるインターネットとつながる時間が
長くなると、より一層似た情報を読む自分自身と
複雑化した本当の世界の実態は乖離してしまうでしょう。
あたかも自分の知っている世界が
全世界の共通認識だと思いこんでしまうと
待っているのはルイ16世一家並みの悲劇です。



 実際には自分の認知している世界は
客観的に見た世界、正しくとらえた世界の
ごく一部を切り取ってみた結果に過ぎないはず。 

 そうであれば客観的な「正しい」世界の状況と
自分の認識する世界はずれている、
と意識することが大事なのではないでしょうか?



 Ozakiは相対的に「強い立場」にいることを
自覚するようにしています。
経済的にも十分ではないにせよ困窮はしていません。
必要な設備、機器、言語等をそれなりに使いこなす
能力も持っていると思います。
おかげさまで心身に不自由はないですし、
体力的にも(超一流アスリートとは雲泥の差ですが)
相対的には恵まれている方でしょう。

 この状況で経済的に苦しい方、
頑張っても結果が出ない方、
障害を抱えた方等「弱い立場」の人の気持ちを
正確に理解するのは極めて難しいだろう、と
折に触れて言い聞かせるようにしています。

 Ozakiが避けたいのは、自分の状況が
あたかも世界のスタンダードであるかのように
誤解してしまい、思考回路の出発地点が
世の中の正しい状態からずれてしまうこと。
この誤解を放置するとOzakiの方が
世の中から浮いてしまい、革命の流れを読み違えた
多くの犠牲者と同じ立場になるぞ、とも感じます。



 自分のあたりまえは世の中のあたりまえじゃない、
Ozakiが抱える「認知のバグ」を
修正するための努力をし続けないといけない。
これが今、Ozakiが自身に言い聞かせている
心構えです。
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ヴェルサイユからパリの様子はわからない

2021-09-11 00:49:47 | 意識を整える


 ここ数週間、自分の中で

 「世の中の価値観が急速に変化し、
 いわゆる『常識』が完全に破壊されたらどうなるか」

というテーマについて様々な考えを巡らせています。
これといった答えが出るわけでもなく、
そもそも論としてそんなことが起こるのか、
もよくわかりませんが、なぜか気になる主題です。

 

 いろいろと考えていても仕方がないので、
過去にそんな事例があっただろうか、と
調べ初めて見たところ、外国との大規模な戦争以外で



 ・それまで当たり前だった価値観が
 ・数年という超短期間で
 ・がらっと変わった

事例として文献などが多いのは
明治維新とフランス革命ではないか
という仮説にたどり着きました。

 
これ以外にもあるのかもしれませんが、
記録が克明に残っている2~300年の間で
パラダイムシフトとしてはこの二つかと。
(他にも事例があればぜひ教えてください)



 明治維新にせよ、フランス革命にせよ、
一日や二日で知識をアップデート/インストール
しきれるものではありません。
勉強し始めるといずれも思っていたよりも
はるかに様々な底流があり、
複雑な人間関係があったのだな、
気合を入れて勉強しなければ!と感じます。



 しかしながら、サラッと一連の流れを追って
一つ思うところをお伝えします。


 フランス革命には様々な背景があります。

 ・王家、貴族の放蕩
 ・アメリカ独立戦争の支援
 ・火山噴火に伴う食糧難
 ・身分制度の破綻
 ・啓蒙思想の広がり

などが多く指摘されていることでしょうか?
フィクションで大げさに取り上げられる

 「パンがなければケーキを食べればよい」

といったセリフは真実ではないように思いますが、
指導者層が上記の背景を必ずしも正確に
把握しておらず、流れを読み違えたことが
最終的な革命につながったのではないか
と尾崎は感じました。



 生半可な知識ではありますが、
当時のフランスは第一身分(聖職者)と
第二身分(貴族)の特権階級が全人口の約2%。
普段特権階級同士でしか付き合いがなく、
98%の人の暮らしは馬車の中からしか見ない、
という状況だったのではないかと思います。

 自分の暮らしを「当たり前」だと思い込み、
世の中の状態を正しく、曇りなく
把握することができなくなれば、
当然実態と自分の認識がずれていきます。

 「ベルサイユのばら」をはじめ
多くのフィクション作品に登場する
ルイ16世とマリーアントワネットは
パリから約10キロ離れたヴェルサイユ宮殿で生活。
数十万人が暮らし、政治や文化の中心だった
パリの様子を日常的に感じてはいなかった模様です。

 財務大臣らから報告される財政状況はさておき、
パリでの食糧不足や疫病等市民がいかに苦しい立場に
あったかを把握しきれていなかったのかも
しれないなぁと尾崎は感じています。

 今のようにSNSやインターネットもない時代、
10キロ離れればそこはまるで別世界でしょう。
自分の近くの状況しか見ようとしなければ、
世界全体から見ればすぐ近くのことも
理解できないことは必定です。



 ちなみに「フランス革命下の一市民の日記」
という本があるのですが、その中で
1793年2月25日、パンの買い占め騒動の詳細な様子が
記載されていることを発見しました。
新型コロナウイルス感染症のパニック当初に
発生した日本での買い占め騒動と全く同じ様子で
大変興味深い記述でした。



 『昨日は、もう一週間分しか小麦粉がない
 という噂が流れたために、
 民衆はパン屋へ押し寄せた。
 
  それに、パン屋をつぎつぎと回って
 買い占めをする者が出てきた。
 この連中は、パンを一個買えばいいものを、
 五個、六個、いやそれ以上買い集めて、
 他の人にひもじい思いをさせるのだ。
  
  その結果、朝の九時にもうパンが
 一個もないパン屋もあった。
 このことがパリじゅうに不安と恐怖を投げかけた。
 今日も買い占めがおこなわれ、
 パンは手にはいらなかった。』



 
 200年以上時を隔てていますが、
人間の本質は変わっていないなぁと思わせる一節。

 ルイ16世とマリーアントワネットだけでなく、
もしかしたら我々も知らず知らず、
すぐ隣で何が起こっているのかすら把握できていない、
という状況に陥っているかもしれません。
買い占めがそうであるように、
視野の狭まり、自分の経験や考えの過剰適用は
フランス革命の頃から時代が下って、
現代にも通じる話かもしれません。
次回タイトルを変えてご紹介します。
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悩みも相対化してしまえ

2021-09-04 00:48:14 | 意識を整える


 前回、時間軸を引き延ばせば、
大抵のことは不安ではなくなってしまいます、
多少のことなら緊張しなくてすみますよ、
というお話をしました。

 もう一つついでに、といいましょうか、
悩み事があるという方にもしかしたら
役に立つかもしれない考え方をお伝えします。



 人生楽ありゃ、苦もあるさ。
上り坂の時もあれば下り坂の時もあるわけです。
調子のいい時には気にもならなかったことが、
何をやってもダメなときは何でもかんでも
悩みの種になる、なんてことは何度もあるはず。

 

 悩みというのは面白いことに、
次から次に湧いてきて、
全く終わりがないように思います。
特定のテーマの悩みを克服したと思ったら、
自分が年齢を重ねたことや、
人生のステージが上がったことに伴って
それまで感じたことのない悩みに出くわす、
というのは皆さんもご経験されているはず。

 恋愛や受験に悩んでいたかつての少年少女も
今はお仕事や結婚、育児等に悩まれているでしょうし、
少し年齢層高めの方はご自身の体力やご両親の介護、
会社でのキャリアの進め方に退職後の経済状況まで、
様々な悩みは次から次にやってきますね。

 
 そうかと思うと、未知の感染症による突然の恐怖感、
尋常ならざる自然災害による被害と復興への不安、
予想外の世界情勢の変化に伴う公私への影響も。
悩みの数を数え始めたら文字通り「きりがない」と
言えるのかもしれません。
 

 能天気で、無邪気に生きている尾崎ですら、
悩みが全くない、という時期はないわけですから、
世の中の多くの方にとって、
何も心配事がないという状態で過ごせることは
ごくごく稀なのではないでしょうか?



 こうした悩みをその都度全力で解決し、
悩みを克服していくのも悪くありません。
ただ、終わりが見えない中で常に全力で
悩みと対峙し続けるのはかなりの精神力と努力が
要求されるのではないでしょうか?



 ご説明したようにどんなに努力しようが、
社会的に成功しようが、他人に評価されようが
悩みが完全にゼロになることはありません。
ということは、

 悩みをゼロにしよう、
 悩みを最小化しよう、
 
 と考える悩みこそ無意味な悩みなのかもしれません。



 ということで、Ozakiは方向性の異なる、
別の解決策を用意することにしました。
それは時間軸を引き延ばすのと同様、
悩みを相対化することで、

 「小さい悩みは忘れてしまう」

というもの。



 悩みは次々生まれ、心に住み着いてきます。
全ての悩みに全力でぶつかっていては身も心も
いい状態を保つことはできないでしょう。
だからこそ、今自分が悩んでいることがあれば、
その解決策として着実に実行できること、
自分なりに取り組めることを行った後は
忘れるように心がけるのです。

 忘れ方のコツはより大きな悩み事、心配事を
イメージすること。
例えば恋愛や受験、仕事関連の悩みがあるなら、
いっそのこと地球の滅亡や人類の絶滅可能性に
思いを巡らせてみてはどうでしょうか?
そこまで一気に大げさでなくても、
交通事故や凶悪犯罪であったり、
致死率の高い新型感染症のイメージでも十分です。

 この種のリスク、悩みをイメージすると、
やれることをやっても結果が悪いことがある、
そんな悩みも実は人生につきものであることは
想像しうるはずですよね。

 それに比べれば、自分の行動、考え一つで
ある程度までは対応策を実行できる悩みは
相対的には小さい悩みと言えるのではないでしょうか?



 時間軸を引き延ばしてみれば
今の不安や緊張も大したことない一瞬の出来事。
起こりうるより大きな悩みと比較してみれば
自分自身が直面している悩みを大ごとではありません。



 考え方一つではありますが、悩みが原因で
力を発揮できなかったり心身のバランスを崩すよりは
思い切って悩みを相対化してみる、という解決策も
よいのではないか、とOzakiは考えています。
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時間軸をひきのばす

2021-08-21 00:46:22 | 意識を整える


 前回何事もやってみないと分からない。
とりあえずやってみてはどうでしょうか、
というコラムを書きました。



 すると読者の方から

 「とりあえずやってみる、と言うのは
 頭ではわかるのですが、失敗は怖いです。
 不安を感じることはないのでしょうか?」



 という声を頂いたので、少し考えてみたのです。
Ozakiは人前で話す時や新しいことに挑戦する際、
緊張したり、頭の中でいろいろな成り行きを
シミュレートして険しい表情になることはありますが、

 失敗するのが嫌、
 不安でしょうがない、
 いっそのことやらないで終わらせたい、

と思うことは稀だなぁと思います。



 その理由を突き詰めてみたのですが、
決して失敗を恐れていないわけではなさそうです。
失敗するのはOzakiも当然ながら怖いのです。
ただ、その失敗が人生において「致命傷」には
ならないだろうな、と割り切って見ている、
というのが実態かもしれません。



 Ozakiも(こう見えて)不安を感じることはあります。
失敗への不安もさることながら、

 先行きが見通しづらいタイミングでの不安、
 自分の言動が思いがけない影響を生んだ際の不安、
 業務量の急増等で手いっぱいになった際の不安、
 
 など様々な場面で不安を感じています。
が、最終的に自分自身の中でそういった不安を
消化し、冷静に対応できることが多いのは

 この不安はごく短期的な現象であって、
長い目で見れば「いい経験」でしかない

という考え方がしみ込んでいるからかもしれません。



 Ozakiの人生が何年続くのかよくわかりませんが、
少なくとも目先の数時間、あるいは数日、数週間、
不安感が続いたとしても人生全体から見れば
ほんの一瞬の出来事ではないでしょうか。
不安が数か月や数年にわたって続くことは
少なくともこれまで経験したことがありません。
不安の原因となる事象が解決することや、
そもそも不安な状態に慣れてしまうことが
その要因でしょう。

 よしんば、数年あるいはそれ以上の期間、
次々に不安要素に襲われたとしても、
死んでしまえばそもそも不安は感じなくなるはずです。
Ozakiの一生は日本の歴史や人類の系譜全体から見れば
あるのかないのかすらわからないほどの時間です。

 
 もっと極端に考えてみましょう。
Ozakiが不安を感じる期間は、地球が誕生してから、
いずれ太陽に飲み込まれるか、
地球そのものが破壊されるまでの
極めて長い時間軸の中ではほぼ無いに等しい存在。
地球が存続していたとしても、
数万年後には恐竜のように、
人類は絶滅していてもおかしくないですしね。



 ここまで時間軸を引き延ばしてしまうと、
もはや何のために悩んでいるのか、
不安を感じているのか、Ozakiはわからなくなります。


長い目で見ればの不安や苦しみ、プレッシャーも
 
 大騒ぎすることじゃないよね、
 失敗してもまたやり直せばいいじゃない、
 何が起こっても死ぬことはない


と捉えるのが Ozakiの不安克服法である、
と言えるでしょうか。



 
 読者の多くの方に参考になるか、は
正直不安ですがOzakiなりの不安克服法、
プレッシャーへの対処法として
「ふーん」と思っていただければ幸いです。

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