先週いろいろな方とお話をしていて
ちょっとしたことを知っているか、知らないか、
特定のテーマに触れたことがあるか、ないか、
の違いは思っているよりも大きいな、と
気づかされました。
具体的に日常生活に大きな影響が出ることはなく、
知っているからと言ってお金が儲かるわけでもない、
急に周囲の評価が上がるわけでもない。
それでも、長い人生トータルで見れば、
間違いなく知っておいた方が/触れておいた方が、
いい話というのはあるように思うのです。
例えていうなれば、コロンブスの卵のような話。
卵を机の上に直立させるのは、
普通にやっているとほぼ不可能です
しかし、知っている人は知っています。
コツっとヒビを入れれば簡単に立てられるのです。
誰も卵にヒビを入れてはいけない、
とも言っていませんが、何も知らなければ
ヒビを入れて立てようとは思わない人が
多数派なのではないかと思います。
同じように、普段「当然だ」と思っていること、
あるいは「これは変えられない条件だ」と
捉えていることを少し見方を変えてみると
それだけで行き詰まりが突破できることもあるハズ。
○○は難しい
▲▲だから自分ができることはない
□□が変わらないとどうしようもない
なんてことも実は自分の発想一つで
世界が変わるかもしれないのです。
他人と話が合わないのは自分の置いている前提が
違うからかもしれません。
ちょっとしたコツを相手が知らないので
仕事のペースが合わずイライラするのかもしれません。
モノの見方、
発想のありかた、
自分にとっての基準値、
といったものは、自分の思い込みでしかない、
というケースもあるのではないでしょうか。
そういう場合には別の視点もあるんだ、
アプローチを変えることができるんだ、
という考え方に触れることが重要だと思います。
もちろん、知識の有無が生死に直結する場面も
あるでしょう。
日本では狂犬病はほぼ根絶されていますし、
飼い犬への予防接種も比較的高い割合で
行われていますので犬にかまれたからといって
慌てて病院に駆け込む必要はありません。
しかしながら、日本から一歩外にでれば
狂犬病が蔓延していない国の方が少ないのです。
外国で犬や野生動物に噛まれたらまず病院へ。
これは皆さんの命を守るための必須知識です。
ここまで大げさなケースは少ないですが、
やはり触れたことがあるテーマ、
基礎知識の量が多いに
越したことはありません。
次回は基礎となる知識の有無が乗数的に
差を生む仕組みを考えてみましょう。