36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

手段の目的化を避けよ

2021-06-26 10:32:35 | 仕事術
この記事は2020年5月18日に配信したメルマガの
メインコラムを再録したものです。


 先週14日、日本政府は東京都や大阪府を除く
39の県で新型コロナウイルス感染症拡大に関する
緊急事態宣言がを解除しました。
残る8つの都道府県でも21日を目途に
緊急事態の解除を検討するとのこと。
これまで外出/営業の自粛や通勤・通学を
控えてきたわけですが、
少しずつ日常を取り戻す取り組みが始まりました。



 残念ながら緊急事態宣言の解除は
新型コロナウイルスがいなくなることを意味しません。
感染する可能性は依然として残っていますし、
ワクチンや特効薬も見つかっていません。

 緊急事態宣言の有無に関わらず、
健康維持のために可能な対策
(手洗い・うがい、早寝早起き等)
を実践する必要があると考えています。



 
 さて、日本では一部の国と違い、
緊急事態宣言下で求められている
外出や営業の自粛に強制力がありません。
これは根拠となる法律がないためです。
法律に基づいて外出を抑制できる、
あるいは罰則を定めている国では
罰金や禁固を伴う措置も講じられています。
(例えばカタールでは公共の場で
マスクを着用しないと最大3年の禁固
もしくは約600万円の罰金が定められています)




 こうした状況下、
日本では自粛要請を守らない店舗や
マスクを着用していない人に対し、
法律とは全く別の次元で他人の行動を
制限しようとする方もいらっしゃるようです。

 NHKの報道によれば、
「自粛警察」と称されるような
独自の正義感に基づく行為が発生しているとのこと。
(参考:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200509/k10012423651000.html)



 中には、感染を避けつつ、
お客様に楽しんでもらうための

「無観客(遠隔)ライブ」

ですら自粛を求めるよう迫ったり、
事実関係を確認せずに他人を
コロナウイルス感染者と断定してしまったり、
という行為も散見されるのだとか。

 法律に基づかず、独自の正義感によって
他人に罰を与えるような行為、
つまり私刑は憲法31条で明確に禁止されています。

 自粛要請には法律上禁止する効力はないので、
むしろこうした「自粛警察」のような
活動だけが法律違反と言うことになります。
実際にNHKの番組でも虚偽の情報を書き込んだ人物が
刑事事件で立件されたケースもある、としています。



こうした行き過ぎた自粛要請やマスク着用の
強要の背景には様々な要因があると思われます。
NHKの番組では防衛本能の現れや、
悪意のない情報拡散という指摘がありました。

 ただ、こうした動きを横目で見ていて、
Ozakiが感じたのは、本来感染の予防や
急速な感染拡大の防止という目的で行われている
外出/営業自粛やマスク着用そのものを
目的だと誤った認識を持つ危険性です。



 本来の目的達成のための手段である
外出/営業自粛やマスク着用が目的化してしまうと、

 自粛をしない店舗に嫌がらせをする
 マスク着用していない人物にマスク着用を強要する
 自分の思う「正しい」対策をしない人物を糾弾する

といった行為につながるのではないでしょうか?




 安全や健康を守るというテーマになると、
天秤の片側が人命になることがままあります。
このため、極端に保守的な判断がなされてしまう
ケースを見かけますが
NHKでとりあげられた「自粛警察」は
まさに目的が手段化している事例の一つ、
言えるかもしれません。



 新型コロナウイルス感染症をはなれて
日常的なビジネスの世界でもこうした
手段の目的化はしばしば顔をのぞかせます。



 業務の効率化が目的のシステム開発のはずが、
何でもかんでもできるようにITシステムを設計し、
結果的にシステムに合わせるために
非効率な作業が増えてしまった

 
 新しい経営戦略立案が目的のはずが、
気づけば革新的な製品・サービス検討ではなく、
競合他社の弱点探しの議論をしていた



 有志での実りある勉強会が目的のはずが、
勉強会での討論の場がいつの間にか
内部の派閥争いや人脈の競争がはじまっていた



といった手段の目的化にギクりとした方も
いらっしゃるかもしれません。
「自粛警察」に憤っている場合ではありません。
我々もちょっと気を抜くと

 手段の目的化

の罠にはまってしまいかねないのが怖いところ。



 目の前で何らかの成果が見える、
あるいはあれもこれもと考え始めると
具体性があって取り組みも進みます。
しかしながら、その取り組みは本来何のために
何を目指してはじめたものなのか、
は折に触れて見直した方がよいのだと思います。

手段の目的化を避けよ

2021-06-19 22:20:31 | 仕事術
この記事は2020年5月19日に配信したメルマガの
メインコラムを再録したものです


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 先週14日、日本政府は東京都や大阪府を除く
39の県で新型コロナウイルス感染症拡大に関する
緊急事態宣言がを解除しました。
残る8つの都道府県でも21日を目途に
緊急事態の解除を検討するとのこと。
これまで外出/営業の自粛や通勤・通学を
控えてきたわけですが、
少しずつ日常を取り戻す取り組みが始まりました。




 残念ながら緊急事態宣言の解除は
新型コロナウイルスがいなくなることを意味しません。
感染する可能性は依然として残っていますし、
ワクチンや特効薬も見つかっていません。

 緊急事態宣言の有無に関わらず、
健康維持のために可能な対策
(手洗い・うがい、早寝早起き等)
を実践する必要があると考えています。



 
 さて、日本では一部の国と違い、
緊急事態宣言下で求められている
外出や営業の自粛に強制力がありません。
これは根拠となる法律がないためです。
法律に基づいて外出を抑制できる、
あるいは罰則を定めている国では
罰金や禁固を伴う措置も講じられています。
(例えばカタールでは公共の場で
マスクを着用しないと最大3年の禁固
もしくは約600万円の罰金が定められています)




 こうした状況下、
日本では自粛要請を守らない店舗や
マスクを着用していない人に対し、
法律とは全く別の次元で他人の行動を
制限しようとする方もいらっしゃるようです。

 NHKの報道によれば、
「自粛警察」と称されるような
独自の正義感に基づく行為が発生しているとのこと。
(参考:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200509/k10012423651000.html)



 中には、感染を避けつつ、
お客様に楽しんでもらうための

「無観客(遠隔)ライブ」

ですら自粛を求めるよう迫ったり、
事実関係を確認せずに他人を
コロナウイルス感染者と断定してしまったり、
という行為も散見されるのだとか。

 法律に基づかず、独自の正義感によって
他人に罰を与えるような行為、
つまり私刑は憲法31条で明確に禁止されています。

 自粛要請には法律上禁止はされていないので、
むしろこうした「自粛警察」のような
活動だけが法律違反と言うことになります。
実際にNHKの番組でも虚偽の情報を書き込んだ人物が
刑事事件で立件されたケースもある、としています。



こうした行き過ぎた自粛要請や
マスク着用の強要の背景には様々な要因があると
思われます。
NHKの番組では防衛本能の現れや、
悪意のない情報拡散という指摘がありました。

 ただ、こうした動きを横目で見ていて、
Ozakiが感じたのは、本来感染の予防や
急速な感染拡大の防止という目的で行われている
外出/営業自粛やマスク着用そのものを
目的だと誤った認識を持つ危険性です。



 本来の目的達成のための手段である
外出/営業自粛やマスク着用が目的化してしまうと、

 自粛をしない店舗に嫌がらせをする
 マスク着用していない人物にマスク着用を強要する
 自分の思う「正しい」対策をしない人物を糾弾する

といった行為につながるのではないでしょうか?




 安全や健康を守るというテーマになると、
天秤の片側が人命になることがままあります。
このため、極端に保守的な判断がなされてしまう
ケースを見かけますが
NHKでとりあげられた「自粛警察」は
まさに目的が手段化している事例の一つ、
言えるかもしれません。



 新型コロナウイルス感染症をはなれて
日常的なビジネスの世界でもこうした
手段の目的化はしばしば顔をのぞかせます。



 業務の効率化が目的のシステム開発のはずが、
何でもかんでもできるようにITシステムを設計し、
結果的にシステムに合わせるために
非効率な作業が増えてしまった

 
 新しい経営戦略立案が目的のはずが、
気づけば革新的な製品・サービス検討ではなく、
競合他社の弱点探しの議論をしていた



 有志での実りある勉強会が目的のはずが、
勉強会での討論の場がいつの間にか
内部の派閥争いや人脈の競争がはじまっていた



といった手段の目的化にギクりとした方も
いらっしゃるかもしれません。
「自粛警察」に憤っている場合ではありません。
我々もちょっと気を抜くと

 手段の目的化

の罠にはまってしまいかねないのが怖いところ。



 目の前で何らかの成果が見える、
あるいはあれもこれもと考え始めると
具体性があって取り組みも進みます。
しかしながら、その取り組みは本来何のために
何を目指してはじめたものなのか、
は折に触れて見直した方がよいのだと思います。

制約こそ工夫の母

2021-06-12 01:00:20 | 意識を整える
この記事は2020年5月12日に配信した
メルマガのメインコラムを再録したものです。



 新型コロナウイルス感染症対応のための
緊急事態宣言が続いています。
世界的には、厳しいロックダウン(都市封鎖)が
徐々に緩和されていますし、
日本でも宣言の終了が検討されているとのこと。

 とはいえ、緊急事態宣言の終了そのものは
新型ウイルスに感染しないことを
意味するわけでは全くありません。
世界各地の状況を見ていても、
少なくとも向こう数か月、
おそらくは1年前後、「通常通り」とは
行かないのではないかと感じています。



 当面の間世界全体で2020年2月以前に比べ、
たくさんの制約条件を抱えたまま動く、
ということでもあります。
そして、制約条件があるということは
これまで当たり前だと思っていたこと、
例えば

 通勤電車で都市部のオフィスまで通勤する
 フェイストゥフェイスで会議を行う
 仕事が終わったら居酒屋で飲みニュケーション
 海外での会議には何はともあれ飛行機で出張
 子供たちは学校や塾で集団学習
 長期休暇等は実家に帰省
 (日本では)スーパー等でいつでもなんでも買える
 (海外では)マスクは病人がつけるもの
 
と言った常識が覆るということでもありますね。



 制約条件があるがゆえに、
これまで安泰だと思っていた生活スタイル、
各種の習慣、慣例なども変えざるを得ません。
変化について行けず生活が成り立たない、
という方も現にいらっしゃると思いますが、
変化について行かなければ生き残れないのは
生命体の真理の一つではないでしょうか?

 
 ただ、制約条件があるということは
必ずしも悪いことばかりではないと思うのです。
例えば、ビジネスプロジェクトで

 「予算はいくらでも使っていい」

と言われたら、必要のないものを買ってみたり、
協力会社との契約額や進捗管理も甘くなったり、
といった弊害が生まれないでしょうか?

 この部屋に入ると時間の流れが変化し、
あなたが一年間過ごしても、
周りは1日しか経過していません。
たっぷりと時間を使い好きなことをやってください。

と言われたら、時間の使い方が甘くなりませんか?



 観光客の立場なら、必ず訪問するような名所に
地元の方は思いのほかじっく行ったことがない、
という現象がしばしば発生するのも

 「いつでもいけるだろうし」

という制約条件のなさが一因かもしれませんね。



 制約条件があることによって、
人間は課題を解決するため、目的を達成するために
なんらかの工夫をせざるを得ない状況に
おかれているのだと思います。



 お金がないから…
 低コストでできる代替的な手段を考えよう



 時間がないから…
 これまでの作業工程を見直して効率化しよう

 
 重量を減らさないと使えないから…
 部品の強度を落とさず、軽量化できる材料を探そう



 外出を自粛しなければならないから…
 ウェブ経由でできる仕事の範囲を増やそう



 育児と仕事を両立しなければならないから…
 日頃の生活スタイルを全面的に見直してみよう



 
 などなど。
反対に制約のない中で、自由に取り組めることが
今まであったでしょうか?



 むしろ制約条件が増えている今こそ、
自分自身の中にある知恵を引き出すチャンス、
と捉えることができるかもしれません。

 
 長引く自粛でいろいろと不平不満が溜まる、
誰かを批判したくなる、というタイミングですが、
一度発想の転換をしてみると、
現在の社会情勢も捉え方が変わるかもしれません。

あなたは読んだ本からできている

2021-06-05 12:19:16 | 読書

 自分のお気に入り/おススメの本の表紙写真を
友人に公開することがフェイスブック上で
流行しています。



 獣医学部の同級生からリクエストを頂き、
Ozakiもちょっとやってみるかぁという気になりました。
家にいる時間が長いので、本棚の整理も兼ねながら、
絞り込み作業を開始しました。

 日頃の整理が悪いので、大量に本を
床に並べては順にパラパラとめくる時間が
過ぎていきます。
そしていざ7冊を選ぼうとすると、
手が止まることに気づきました。



 本当に自分に響いた本を選ぼうとすればするほど、
「決める」ことができなくなるのです。
自分が思っているほど、他人は自分に興味がない、
のは世の常で、自意識過剰ではあるのですが、
それでも、この7冊を通じて、Ozakiという人間を
改めて評価する方もいらっしゃるでしょう。



 今一度自分のこれまでの人生を振り返り、
それぞれの時代で転機をくれた本を選ぶことに。
しかしながら方針を決めてもなお、
感慨深い本がいくつも出てきて7冊に絞るために
ずいぶんと頭を使いました。
結果的に中心的な7冊を紹介しつつ、
いくつかを「関連書籍」「副読本」という形で
紹介することにしました。
本来の7冊ルールからやや逸脱していますが、
人生の軸になっている本がチョイスできたと思います。




 さて、人生で大切な7冊を選んでみて、
気づいたことをお伝えしましょう。
それは自分が本当に大切な7冊を選ぼうとすると、
その人の価値観や生き方、思考回路などが
完全に詳らかになってしまうではないか、ということ。

 思っている以上に7冊というのは少ないです。
それだけに、

 いつ、どういうきっかけで、
 どんなことを考えながら読んだのか?
 その時自分がどんな状況に置かれていたか?
 その本がどの程度今の自分に影響を与えているか、

などなど過去に読んだ多くの本に対して、
真剣に考えざるを得ません。



 熟考と自分との対話を重ね、
結果的に選んだ7冊はもはや自分自身のすべて、
と言っても言い過ぎではないかもしれません。
7冊のタイトルだけで、今の自分が表現されている、
そんな気もする究極の選択をしたような気がします。

 言葉を替えれば、これまで皆さんが読んできた本を
たどっていくことで、皆さん自身がどのような
人生を歩んできたのかがわかるとも言えます。

 健康管理や食事法の指導などでよく

 「人は食べたものでできている」

という言葉が使われます。
この言葉になぞらえて言うのであれば

 「あなたの頭脳はあなたが読んだ本からできている」

という感じになるでしょうか。

 
 

 公開するか否かは別として、
時間のある方は、自分の人生に影響を与えた7冊、
本棚から選んでみてはいかがでしょうか?