前回は
「他人に伝えるためには自分の頭の中を整理し、伝わる言葉にしなければならない」
というお話でした。
Ozakiは自分の考えを言葉にするメリットは二つあると考えています。一つは他人に教えることができる、ひいては他人を育てることができるということ。もう一つは自分がもう一歩成長するためのよりどころとなるということ。
もう少し説明したいと思います。
野村監督の言葉に
「話す」ということは、自分の体験を理論化するということ。
それができないと指導もできない。
であるとか
現役時代は後輩への手本は体を持って示せばよかったが、
指導者になってからは選手を納得させるには、やはり言葉が大切。
とあります。
後輩や弟子、部下に物事を教えるということはどういうことでしょうか?相手が分かる言葉で伝えること、そして彼らが自分自身の考えを再現できる必要があります。巨人の長嶋監督のように
「ボールがビューッときたらググッと手元にひきつけてスパーッとバットを振ったらいいんだ」
と言われても長嶋さんと同じバッティングはできませんよね?
自分が体験から学んだことを言葉にしなければ後輩や弟子、部下には伝承できません。自分の学びを伝えるためには頭の中にある「経験知」を分析、理論化したうえで、伝えたい相手に伝わるような言葉に落としこまなければ伝わらないのではないでしょうか?せっかく自分が数か月もしくは数年、数十年かけて身に付けた技術や知恵があったとしても抽象的なままでは後世に残らない可能性が高いのです。
また、理論化して言葉にすることは自分にも経験を蓄積できる=伝えられるということです。皆さんはこれまで新しいことにチャレンジした時に
「なんだかよくわからないけどうまくできた!」
という経験はありませんか?スポーツでも音楽でもゲームでも勉強でもなんでもよいのですが、初めての割には意外と自分はできてるような気がするということがあるかと思います。(Ozakiは基本的に勘違いな性格なのでこんなことばかりです、(汗))
でもわけがわからないままずっとうまくいき続けるということはありませんよね?なぜなら、成功のポイントや、何をしたら失敗するかわからないまま偶然成功しているからです。ごく一握りの天才を除いて勘や無意識で成功し続けるということはありえないはずです。成功した時、失敗した時、それぞれにどういう動きをした、どういうイメージを持った、そんなことを振り返りながら少しずつ自分の経験を蓄積することで人間は成長します。
この時頭の中で
今回はこんな感じだった
あれ、今はなんか違和感あったな
おっ、今度はいい感じだ、よしイメージ通り!
ええっ!なんか全然うまくいかない…
ああ~これはダメだわ~
などと様々な漠然としたイメージが積み重ねられているのではないでしょうか?それらを理論化し、
成功のポイントはこことここ
これだけはやってはいけない
これはまだ仮説の段階だけど、こうやるともっといいかもしれない
など自分の中で言葉にしていくことができれば成長のよりどころになります。言葉にしなければただ徒に挑戦の回数が増えていくだけですが、言葉にして1つ1つ考える根拠があれば失敗したとしても次の仮説につなげることができます。ある意味では自分自身を教え、育てていると言ってもいいかもしれません。
自分の頭の中を分析し、理論化し、言葉にしてみる。経年優化はこの繰り返しなのではないかとOzakiは思うのです。
「他人に伝えるためには自分の頭の中を整理し、伝わる言葉にしなければならない」
というお話でした。
Ozakiは自分の考えを言葉にするメリットは二つあると考えています。一つは他人に教えることができる、ひいては他人を育てることができるということ。もう一つは自分がもう一歩成長するためのよりどころとなるということ。
もう少し説明したいと思います。
野村監督の言葉に
「話す」ということは、自分の体験を理論化するということ。
それができないと指導もできない。
であるとか
現役時代は後輩への手本は体を持って示せばよかったが、
指導者になってからは選手を納得させるには、やはり言葉が大切。
とあります。
後輩や弟子、部下に物事を教えるということはどういうことでしょうか?相手が分かる言葉で伝えること、そして彼らが自分自身の考えを再現できる必要があります。巨人の長嶋監督のように
「ボールがビューッときたらググッと手元にひきつけてスパーッとバットを振ったらいいんだ」
と言われても長嶋さんと同じバッティングはできませんよね?
自分が体験から学んだことを言葉にしなければ後輩や弟子、部下には伝承できません。自分の学びを伝えるためには頭の中にある「経験知」を分析、理論化したうえで、伝えたい相手に伝わるような言葉に落としこまなければ伝わらないのではないでしょうか?せっかく自分が数か月もしくは数年、数十年かけて身に付けた技術や知恵があったとしても抽象的なままでは後世に残らない可能性が高いのです。
また、理論化して言葉にすることは自分にも経験を蓄積できる=伝えられるということです。皆さんはこれまで新しいことにチャレンジした時に
「なんだかよくわからないけどうまくできた!」
という経験はありませんか?スポーツでも音楽でもゲームでも勉強でもなんでもよいのですが、初めての割には意外と自分はできてるような気がするということがあるかと思います。(Ozakiは基本的に勘違いな性格なのでこんなことばかりです、(汗))
でもわけがわからないままずっとうまくいき続けるということはありませんよね?なぜなら、成功のポイントや、何をしたら失敗するかわからないまま偶然成功しているからです。ごく一握りの天才を除いて勘や無意識で成功し続けるということはありえないはずです。成功した時、失敗した時、それぞれにどういう動きをした、どういうイメージを持った、そんなことを振り返りながら少しずつ自分の経験を蓄積することで人間は成長します。
この時頭の中で
今回はこんな感じだった
あれ、今はなんか違和感あったな
おっ、今度はいい感じだ、よしイメージ通り!
ええっ!なんか全然うまくいかない…
ああ~これはダメだわ~
などと様々な漠然としたイメージが積み重ねられているのではないでしょうか?それらを理論化し、
成功のポイントはこことここ
これだけはやってはいけない
これはまだ仮説の段階だけど、こうやるともっといいかもしれない
など自分の中で言葉にしていくことができれば成長のよりどころになります。言葉にしなければただ徒に挑戦の回数が増えていくだけですが、言葉にして1つ1つ考える根拠があれば失敗したとしても次の仮説につなげることができます。ある意味では自分自身を教え、育てていると言ってもいいかもしれません。
自分の頭の中を分析し、理論化し、言葉にしてみる。経年優化はこの繰り返しなのではないかとOzakiは思うのです。