36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

言葉にする意味(その2)

2012-07-28 18:46:25 | コミュニケーション
 前回は

「他人に伝えるためには自分の頭の中を整理し、伝わる言葉にしなければならない」

というお話でした。

Ozakiは自分の考えを言葉にするメリットは二つあると考えています。一つは他人に教えることができる、ひいては他人を育てることができるということ。もう一つは自分がもう一歩成長するためのよりどころとなるということ。

もう少し説明したいと思います。



 野村監督の言葉に

 「話す」ということは、自分の体験を理論化するということ。
 それができないと指導もできない。

であるとか

 現役時代は後輩への手本は体を持って示せばよかったが、
指導者になってからは選手を納得させるには、やはり言葉が大切。

 とあります。

 後輩や弟子、部下に物事を教えるということはどういうことでしょうか?相手が分かる言葉で伝えること、そして彼らが自分自身の考えを再現できる必要があります。巨人の長嶋監督のように

「ボールがビューッときたらググッと手元にひきつけてスパーッとバットを振ったらいいんだ」

と言われても長嶋さんと同じバッティングはできませんよね?

 自分が体験から学んだことを言葉にしなければ後輩や弟子、部下には伝承できません。自分の学びを伝えるためには頭の中にある「経験知」を分析、理論化したうえで、伝えたい相手に伝わるような言葉に落としこまなければ伝わらないのではないでしょうか?せっかく自分が数か月もしくは数年、数十年かけて身に付けた技術や知恵があったとしても抽象的なままでは後世に残らない可能性が高いのです。



 また、理論化して言葉にすることは自分にも経験を蓄積できる=伝えられるということです。皆さんはこれまで新しいことにチャレンジした時に

「なんだかよくわからないけどうまくできた!」

という経験はありませんか?スポーツでも音楽でもゲームでも勉強でもなんでもよいのですが、初めての割には意外と自分はできてるような気がするということがあるかと思います。(Ozakiは基本的に勘違いな性格なのでこんなことばかりです、(汗))

 でもわけがわからないままずっとうまくいき続けるということはありませんよね?なぜなら、成功のポイントや、何をしたら失敗するかわからないまま偶然成功しているからです。ごく一握りの天才を除いて勘や無意識で成功し続けるということはありえないはずです。成功した時、失敗した時、それぞれにどういう動きをした、どういうイメージを持った、そんなことを振り返りながら少しずつ自分の経験を蓄積することで人間は成長します。

 この時頭の中で

 今回はこんな感じだった
 あれ、今はなんか違和感あったな
 おっ、今度はいい感じだ、よしイメージ通り!
 ええっ!なんか全然うまくいかない…
 ああ~これはダメだわ~

などと様々な漠然としたイメージが積み重ねられているのではないでしょうか?それらを理論化し、

 成功のポイントはこことここ
 これだけはやってはいけない
 これはまだ仮説の段階だけど、こうやるともっといいかもしれない

など自分の中で言葉にしていくことができれば成長のよりどころになります。言葉にしなければただ徒に挑戦の回数が増えていくだけですが、言葉にして1つ1つ考える根拠があれば失敗したとしても次の仮説につなげることができます。ある意味では自分自身を教え、育てていると言ってもいいかもしれません。



 自分の頭の中を分析し、理論化し、言葉にしてみる。経年優化はこの繰り返しなのではないかとOzakiは思うのです。

言葉にする意味(その1)

2012-07-25 10:39:01 | コミュニケーション
 最近自分の考えていることや思いつきを文字にすることの大切さを感じています。はじまりは自分が考え出したことが良く本に書かれていることに気付いたところからです。

 なんとなく、自分の頭の中で感じているけれどもうまくまとまらない。そんなときにほとんど同じことが文字になって自分の目に飛び込んでくる驚き。

 最初のころは身の程知らずもこの上ないことに
 
 「これは自分が考えてたことなのに…」

などと感じていたこともありました。

 しかしながら、自分の頭の中で考えているだけの状態と本として出版される状態は全く別次元。様々な情報、体験からアイディアを思いついたり、漠然と考えていたりという時は自分さえ分かっていればそれでOKです。でもそれを他の人に伝えるとなると、自分だけが分かる表現ではいけません。以前もコミュニケーションの話で書いた記憶がありますが、

 「相手に分かってもらおうと思うのであれば分かってもらえる表現を使わなければダメ」

なのです。

 あいまいな考えや断片的なアイディアでは家族や長年の親友でも理解することは至難の業。頭の中のばらばらなものを分析し、体系化し、論理的にまとめないと伝わらないはずです。ただ考えているだけの状態から自分の周囲の人に伝えるためには少なくとも以下のプロセスが必要なのではないでしょうか?


 自分の思いつき、考えを分析する段階
        ↓
 分析結果を踏まえて思いつきや考えを体系化する段階
        ↓
 思いつきや考えのエッセンスを抽出する段階
        ↓
 エッセンスに至るまでを論理的に表現する段階

 

 本、もしくは文章にするためにはさらに多くの人が理解できる文字にする必要があります。また、自分の周りの人たちは共有している時間や経験があるので、「共通言語」があります。不特定多数の人を対象とした本や文章では「共通言語」がありません。そのため、

 エッセンスに至るまでの自分の経験を改めて語る
 世の中で一般的な事例をエッセンスに絡めて説明する
 多くの人に分かるような比喩を用いてエッセンスを表す

などの工夫も必要です。(一部の人はさらに、困っている人の話を聞き、「その場合はこのエッセンスをこういう風に使うと良いですよ」とアドバイスをするという「具体化」のレベルまで進めています。こうなるとその人はそのアドバイスでお金が稼げる状態になっています。) 



 こうやって考えてみると自分の頭の中のアイディアを本や文章にするには労力や時間をかけてプロセスを踏んでいかなければならないということが分かります。

 自分の頭の中でアイディアが浮かび、
 アイディアの概要を口頭で語れる程度に分析、体系化し、
 実例や比喩をひいて一般化した上で言語化する。

少なくとも二つ壁を乗り越えなければ本や文章にはならないはずです。

 つまり

 思いつくことと自分の周囲の人に伝える、わかってもらうことは別。
 文字にして公にすること(=多くの人に理解してもらうこと)はさらに別。

ということですね。



(次回に続きます)

自らを取り巻く環境は偏っている

2012-07-22 23:52:35 | 人間関係
 メルマガ発信時、2010年8月に参加したブラインドサッカーの講習会で聞いた話でこれは!と思ったのでご紹介します。皆さんは日本国内で障害を持った方はどのくらいいると思いますか?

 ご家族や友人の方で障害を持っている方はいらっしゃいますか?

では、
 
 サトウさん
 スズキさん
 タカハシさん
 タナカさん
 ワタナベさん

のいずれかが親戚や友人にいらっしゃる方はいらっしゃいますか?(これらの苗字は日本人の苗字で人口が多い上位5傑だそうですです)

 おそらく前者の友人はいない、後者の友人はいるという方が多数ではないでしょうか?(職場の秘書の方にちょっとアンケートを取って試してみました)


 実は障害を持った方(744万人)と苗字上位5傑(756万人)はほとんど同人数。つまり出会う確率だけを考えれば同じくらいの友人がいてもおかしくないのです。ところが、普段あたりまえのように暮らしている我々は後者の友人しかいないほうが多数派。これはOzakiにとって驚きの事実でした。



 どういうことかというと我々を取り巻く環境は偏っていることに気づいたからです。障害を持った方と健常者と呼ばれる我々は分断された世界を構築しがちなのでしょう。障害を持った方は同じような障害を持った方のコミュニティーを中心に生活しますし、そうでない健常者の方はよほど近しい方が障害を持っていない限りは健常者の方とだけ
やりとりしているという推測ができます。実際に小学校の養護教育は同じ小学校内に特別クラスを作ることが多いですよね。ですので、我々は障害を持った方を見かけることはあっても知り合うことは少ないのだと思います。同じ日本人であってもまるで「分断」されたかのような状況になってしまっているのでしょう。



 同じようなことは通常のコミュニティー作り、人脈作りでも言えるはずです。

 競馬が好きな人は競馬が好きな人と集まりがちですし、
 アニメが好きな人はアニメが好きな人と集まりがちですし、
 コーヒーが好きな人はコーヒーが好きな人と集まりがちですし、
 国際協力が好きな人は国際協力が好きな人と集まりがちです。

その興味の範囲に応じてさまざまな大きさのコミュニティーがあると思いますが、そのコミュニティー中心の暮らしをしている人が集まりがち。そして他のコミュニティーとは交わることが少なくなります。その結果、自分が所属するコミュニティは自分の興味に偏ってしまいます。

 Ozakiはこれまで

「『「レゾナンス』を感じる人と積極的に交流することでさらに高めあうことができる」

ということを書いて来ました。同じ趣味や興味を持つ人との親交を深めることで、自分の関心領域を楽に広げることができます。ですのでこれは間違いない、と信じています。

 が、「レゾナンス」を感じる人だけと交流していては、それ以外の領域に足を踏み入れられません。自分とはまったく異なる、極端に言えば「分断された」コミュニティの人と意識的に関わりを持つ。そうした取り組みもまた必要なのかもしれません。

 逆に意識的にそのような行動をとらなければ

「本当はたくさんの人が所属している特定のコミュニティ」

があたかも存在しない世界にしか生きることができません。自ら偏った世界を構築してしまっているのですね。これではまるで「鎖国」していた江戸時代の日本と日本人が世界地図の他の部分を知らないのと同じ。

 本当は自分が知らない世界が大きく広がっているにも関わらず、自分が居心地のいいコミュニティ内だけで暮らしていると広い世界が存在しないと勘違いしてしまいます。「黒船」がやってきて初めて世界の広さを知るよりは普段から未知の世界、外の世界がないかアンテナを張り、「外国人」と積極的に触れ合うことが大切なのではないかと感じます。



 面白そうな経験をしてみよう、と思いついてブラインドサッカーの体験に参加していたわけですが、ブラインドサッカー以外のところで思いがけない学びがあったので皆さんにも共有させてもらいました。 


 ちなみにブラインドサッカーの講習会には次の本を読んでから興味を持っていました。同期のK君に講習会に誘われたのでこれは!と思い参加。

参考文献「闇の中の翼たち」
http://www.amazon.co.jp/dp/4344016866?tag=bsoccer-22&camp=1027&creative=7407&linkCode=as4&creativeASIN=4344016866&adid=0SN5NV1FGP8H7TS03ACX&



 実際に白杖をついて生活しながら、ブラインドサッカーのクラブチームで活躍中の方、ブラインドサッカー協会事務局長の方の講演の後、実際にアイマスクをつけて体験&講習会。実際に目を使わずにサッカーをするというのは(目隠しをしなくてもへたくそなのですが)想像以上に難しく、面白い経験でした。

運命が変わるスイッチはどこにある?

2012-07-15 17:34:10 | 意識を整える


 心が変われば行動が変わる
 行動が変われば習慣が変わる
 習慣が変われば人格が変わる
 人格が変われば運命が変わる


 これはメジャーリーグで活躍中の松井秀喜選手の座右の銘だそうです。松井選手は甲子園でも大活躍でした。その時代の恩師、星陵高校の山下監督から教わったのがこの言葉。

 松井選手以外にも人生を好転させるために、もしくは成功するためには

 「小さなことでもいいので習慣作りを心がけましょう」
 「頭で勉強しても行動が変わらなければ結果は同じです」
 「あなたの人生を変えられるのはあなただけです」

などという言葉があふれています。これらの言葉を否定することはありませんが、なかなか難しいなというのが実感です。なぜなら、やろうと思って行動を変えられるならそんなに苦労しないから、です。

 例えば毎日英単語を覚えよう!と心に決めます。そして実際に一日目も、二日目も、三日目も単語帳を5ページずつ覚えたとしましょう。「三日坊主」をクリアしてなんとか四日目もがんばった、素晴らしいことです。でもいつまで単語帳の丸暗記が続くでしょうか?


 
 例えば仕事で小さなミスを指摘され、二度とこんなミスはしないぞ!と心に決めます。ミスをした次の日、翌週、一ヶ月くらい先まではあのミスしてないなと確認をするでしょう。確認する癖ができてくるとまず同じミスは繰り返すことはないと思います。でも、ミスがずっと続かないまま何ヶ月か経ったら・・・。もう大丈夫だと思って最初の決意が薄らぐ、そんな経験はありませんか?

 普通の決意では半年や一年で行動、習慣の変化は途切れてしまうのではないでしょうか?Ozakiの意思が薄弱なのかもしれませんが、これまでの経験上よく続いて一年くらいな気がします。でも一年の変化では長い人生全体をがらっと好転させるには不十分。「運命が変わる」という大きな変化を生むためにはきっと、10年以上の地道な継続が必要です。




 10年以上続く決意、言い換えれば「運命を変えるスイッチ」はどのようにして生まれるか?それは感情の爆発とでも言うべき、強烈な体験があってこそ始めて成り立つ、そう考えています。

 また競馬の話になってしまいますが、Ozakiは競馬を見始めて16年以上経過します。

きっかけは阪神大震災直後に時間があったのでたまたま見ていたテレビ中継。テレビで初めて見た強くてかっこいい小さな馬が優勝するシーン。その馬が次のレース中に骨折し、その場で命を絶たれるという出来事。そして生まれる喪失感と憤り、その後に芽生えた俺が競馬界を変えるという決意。

 ちょっと大げさですが、そんなきっかけで16年以上競馬を追いかけています。

 競馬をきっかけに獣医師になることを決め、
 獣医の勉強をしながら競馬を見ることで人間の心が大きく動く瞬間に興味を持ち、
 人間という生物種の心をどうやったら動かすことができるのかに関心を持ちました。
 
 Ozakiにとって競馬のワンシーンは人生の転機だったのだと思います。皆さんにもあの経験は転機だったなぁという出来事があるのではないでしょうか?ちょっと昔話が長くなりました。



 同じような「運命を変えるスイッチ」があればきっと10年、20年と努力を続けられる、そういった仮説を立ててみたところです。自分自身の運命を、人格を、行動を、そして習慣を変えてしまうほど心が動くきっかけ。それは誰にでもあるのだろうな、そう想像をしています。そして、その「運命を変えるスイッチ」は自分の内側から生まれるものではなく、きっと大事件や他人との関わりのなかで生まれるのではないか、そう感じます。

 例えば、とてつもない挫折経験があったからこそ、這い上がって成功した人。
 例えば、大きな災害で死を間近に見たからこそ自分は医者になろうと決めた人。
 例えば、途上国の人々の暮らしに驚いて開発援助に携わりたいと決意した人。
 例えば、少年時代に見たナイター野球の迫力が忘れられなくて野球に関わっている人。
 例えば、どんなときも親身に指導してくれた恩師がいたからこそ、頑張り続けている人。
 
 皆さんにもきっと今の生き方を決めるきっかけになった出来事や恩師と呼べる人がいるのではないでしょうか?大きな転機、きっかけは決して一人で考えているときに生まれてはいないはずです。

 様々な経験をすることを厭わず、様々な人と意見交換をする。自分の殻を破って外界と関わりを持って初めて「運命を変えるスイッチ」との出会いが生まれるのではないか?


 Ozakiは過去の経験上「運命を変えるスイッチ」は自分の外側にあると考えています。できるだけ多く「運命を変えるスイッチ」を入れたい、だからこそ興味や関心を外に向けよう、自分の殻を破るようにしよう、そう努力しているのです。

-を聞いて+を知る

2012-07-12 11:10:01 | 意識を整える

  よく使われることわざに「一を聞いて十を知る」というものがあります。

 もともとは中国古典「論語」の故事に由来するようです。辞書でこのフレーズの意味を調べるとおおよそ

「物事の一部を聞いただけで全部を理解できる、賢明で察しのいいことの例え」

という解説がついているはずですし、皆さんもそのように理解されているはずです。


 「一を聞いて十を知る」ということわざを普通に考えれば

「10-1=9をこれまでの経験や知識、相手の表情などから想像して補っている」

ということになるでしょうか?ですので、「賢明で察しのいい」とはこれまでの経験や知識が豊富で、相手の気持ち、立場を深く考えられるような人のことを言うと理解できます。


 なるほど。これができれば確かに仕事の上でも私生活の上でも素晴らしい人ですよね!Ozakiもこういう人物を目指してインプットを増やし、経験を積みたいと考えています。



 では、このことわざを別の解釈で捉えてみましょう。

「一(いち)を聞いて十(じゅう)を知る」

 ではなく、

「一(マイナス)を聞いて十(プラス)を知る」

 というちょっとふざけた解釈です。
(実はこれ、とあるの漫才コンビのネタです)

 最初は笑い飛ばしていたのですが、実は奥が深いように思います。よくよく文字をじっくり観察してみると十の中には一が含まれている、つまりプラスの中にはマイナスが含まれているのです。人生にとっていい出来事ばかりが起こるわけではなく、いい出来事の裏には悪い出来事も含まれているのですよと諭されている気持ちになります。

 人間万事塞翁が馬とも言いますが、「マイナスを聞いてプラスを知る」とは

 「悪い出来事を聞いていい出来事を期待する。
 また、いい出来事があっても過度にはしゃがず悪い出来事に備えなさい」

という意味に捉えても良いのではないでしょうか?ただの言葉遊びのようで、なかなかおもしろいなぁと感じたOzakiです。



 また、十やプラスという字の一画目は横棒、つまりマイナスです。プラスの出来事の前にマイナスの出来事を経験しなければならない、そういう意味に捉えることもできますよね。

 先週オススメ本のコーナーで紹介した「一流たちの修行時代」や日経新聞の「私の履歴書」、R25で連載されている現在活躍中の人たちの20代後半の回想などを読んでいると必ず若い頃に大きな失敗や病気、挫折を経験しています。(このブログは毎週発行しているメルマガのメインコラムのバックナンバーです。メルマガにはほかにもいくつかコーナーがあり、その一つが先週のオススメ本のコーナーです)

 そんな苦しい時代があったからこそ、そしてその苦しい時代を乗り越えたからこそ今の成功に至ったのだろうなぁと感じることが多々あります。まさにマイナスの出来事を経験したからこそプラスの出来事があったという事例です。


 「いつもいいことばかりを求めていては不満が募るだけ。
 多少悪いことがあってもそれを受け入れ苦しい時期を耐え忍べばかならずいいことがある」

言葉遊びから生まれた

「マイナスを聞いてプラスを知る」

という言葉も↑のように改めて捉えなおしてみると、考えれば考えるほど味がでてくる言葉ではないかと感じました。