先週、先々週と二回にわたって他人の行動を変えるのはおこがましい、
他人の行動を変えたがるのは自分が未熟な証拠というお話をお伝えしました。
今回はこのシリーズ最終回。
他人の行動を変えられないなら、自分が変わるしかない。
他人の行動を変えるきっかけを作れるのならなおよし、というお話です。
「馬を水飲み場に連れて行くことはできても、
馬に無理やり水を飲ませることはできない」
という英語のことわざがあります。
本人に意志がなければどんなにおぜん立てしても、
行動に移すことを強制できないという意味あいです。
長く使われているだけあって、わかりやすい表現になっていますよね。
このことわざでも表現されている通り、
どんなに自分の都合、自分の論理で相手を変えようとしても、
他人は変わってくれるものではありません。
自分の子どもであっても、なかなか思う通りには動いてくれない
(実際には全く思い通りになどなりません)ものですよね。
自分自身が上司や先輩であったり、お金を支払う客の立場であれば、
その場で相手に命令し、一時的に行動を起こさせることは可能かもしれません。
しかしながら、それもごくごく短期的なものに留まることはご想像の通り。
本当の意味で相手に自分の思い通り動いてもらうのは極めて難しいことです。
では実際に自分が他人の行動によってイライラしないためには
どうすればよいのでしょうか?
最も簡単、かつ現実的なのは、他人とはそういうものである、
と割り切って自分を相手に適応させることです。
相手の行動が変えられないのであれば、自分の受け取り方や
自分の行動を変えればよいのです。
相手のリクエストを(たとえわがままだと思ったとしても)
できる限り実現するように自分のこだわりやプライドを譲ってしまうこと。
こうやって自分の行動を変え、状況に適応すれば、
相手を無理やり変えようとして失敗することに比べれば
はるかに少ないストレスで済むのではないでしょうか?
相手も、希望がかなっているのですから、よほど嫌われていない限り、
あなたのことをあれこれ言うとは思えません。
また、この方法を継続すれば、相手の好みをつかむことができ、
おのずと相手からの細かい注文が減ってくるという利点もありますね。
しかしながら、このやり方は自分だけを変えるという方法でもあります。
もし、自分の行動を変え、状況に適応しつつも
相手が自発的に変わり、行動を変化させるよう誘導できれば、
それが最も理想的かもしれませんね。
Ozakiは自分の行動や挑戦の結果、より多くの人が前向きに生きよう、
できれば毎日一歩一歩成長しようと考えてもらえるとうれしいと感じています。
自身を変えることによって自分自身がまず成長する。
周りの人の生き方を自分の発信力で変えようとするなどとは
おこがましい限りですので、微塵も思っていません。
それでも、日々Ozakiが奮闘する中で、読者の方やOzakiの周囲にいる人たちが
面白い人間に出会った、魅力的な人間だったと感じ、
その結果自らチャレンジしてみよう、自分を成長させようと思ってもらえれば
Ozakiが生きている意味があるのではないか、とも感じます。
他人の行動の変化はあくまで後からついてくる結果論。
他人の行動を変えたり、コントロールすることを目指しても
それは無理な話です。
そうではなくて、自分自身の生き方を大切にし、
そして自分の理想を実践し続けることで他人に直接、間接の刺激を与え、
その結果、周囲の人が行動を自発的にあなたに合わせてくれれば、
それが最も自然で理想的なお付き合いの仕方なのではないでしょうか?