皆さんは「やってみなはれ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?関西弁で、いろいろなニュアンスが入っているのですが、
「とりあえずやってみないとわからないのだからやってみな」
という日本語訳になるでしょうか?
これは飲料メーカー大手のサントリーがビール市場に参入するかどうか、を決める際にサントリーの創始者鳥井信治郎氏が発した言葉です。相談していたのは息子であり、当時のサントリーの社長、佐治敬三氏。
関西弁を母語とする方にはニュアンスも含めて理解いただけると思いますが、「やってみなはれ」には失敗も含めて受け入れるという意味が込められています。
やってみてうまくいけばもうけもの。
やってみて失敗したなら、その時はまた挑戦すればいい。
失敗を恐れて動かないのではなく、とにかく挑戦してみて、
その挑戦で得られる経験を大切にしよう。
そんなニュアンスを含んだ懐の深い発言だとOzakiは感じます。
なにか新しいことを始める際には必ずリスクがあります。
新商品が売れるかどうか
新しい経営方針が成功するかどうか
といった経営の観点での成否もありますし、
上司への提言が受け入れられるかどうか
新プロジェクトの会議がうまく立ち上がるかどうか
就職や転職がうまくいくかどうか
といった個人の仕事や生活の観点での成否もあるでしょう。そのようなリスクを考え、失敗したらどうなるだろうか?そんなことを日々、いや時々刻々考えながら我々は暮らしているのではないでしょうか。
そのような時、「やるしかない」「やりなさい」と言われたらどうでしょう?
やってみますが、失敗したらどうしましょうか?
やれと言ったのはあなた(上司)ですから、責任は取ってくださいね。
そんな考えが心の中に浮かんできそうです。やるという一本道しか与えられず、心に余裕がない状態と言えるかもしれません。
一方で、「やってみなはれ」と言われたらどうでしょうか?こちらは失敗はあるかも知れないが、「やってみる」ことに意義がある、失敗を極端に恐れる必要はないよ、と言われていると理解できます。つまり、成功を目指すが必ずしも成功への一本道を強制しないということ。挑戦そのものを楽しみ、結果を出せるように努力してみなさい。そんな柔らかいニュアンスがあるように思います。
さて、読者の多くを占める若手社会人の方に聞いてみたいと思います。「やりなさい」と「やってみなさい」どちらがやる気がでますか?おそらく、直接的な命令である「やりなさい」よりも「やってみなさい」を選ぶ方のほうが多いのではないかと思います。
それは強制への反発もあるでしょうし、↑で書いたような、失敗しても反省を踏まえてもう一回やればいい、というニュアンスに気が楽になる面もあるでしょう。「自らやってみよう」という気持ちで仕事をしたい、挑戦したい、そんな若手社員の叫びが書かれたホームページもありました。こういう「叫び」がたくさんあるということは多くの会社では失敗が許されない空気が漂っているということの裏返しでもあります。
若手はこのような懐の深い発言をしてくれる、また若手の失敗も許容しつつ育ててくれるリーダーを渇望しているのかもしれません。もちろんそういった上司、リーダーにであれば最高ではあるのですが、逆に考えてみると「やってみなさい」と言いきれない上司の悩みもありそうです。
若手にチャンスの場を与えてみたいが、この提案ではちょっと…
新しい提言が出てきたが、もう一歩踏み込まないと実現しないな…
こちらの指示はちゃんとやってくれるが、改善提案などがないな…
若手に対してもう一段高いレベルを求めている上司も多いようです。言葉を替えれば自分の部署の若手に「やってみなさい」と言いたい、部下の失敗の責任を取ってでも若手を育てたい、と考えている方もいるはず。彼らはなぜそのセリフを言えないのか?
彼らの保身、懐の深さにも問題があるかもしれませんが、若手層がまだ一歩足りないという面も否定できないと思います。上司に
「うん、それは面白い挑戦だからやってみなさい」
そうやって後押しをしてもらえる提案ができているかどうか?
若手にとって上司の文句を言うのは簡単ですが、上司をどうやって動かすのか、懐の深い上司にするにはどうしたらいいか?そういった工夫がなければ無責任な批判でしかありません。
「やってみなはれ」は若手のいい提案があってこそ。文句や批判だけでなく、今一度自分の提案や、取り組みが
「やってみなはれ」
に値するかどうか、考えてみることも大事なのではないでしょうか?「やってみなはれ」を引き出すのは若手の仕事の一つかもしれません。