36℃の経年優化

日々一歩一歩自然体で成長し、経年優化を実現するための奮闘ブログ

 「『書くもん』のススメ」(その2)

2012-09-21 17:09:48 | コミュニケーション

 前回はとにかく書くこと(アウトプット)をはじめよう!という内容でした。それがよいインプットを呼び込み、よりよいアウトプットにつながるわけです。逆に言えば、書く場がないということは勉強する場がないと同義。一日少しでも進歩するためにはなんらかの勉強をしなければなりませんので、極端に言えば

 「書くことは経年優化の基礎である」

とも言えるかもしれませんね。

 前回はアウトプットによってインプットの量が増えるがメインテーマ。今回はインプットの質、アウトプットの質に焦点をあててみたいと思います。

 アウトプットしようとするとインプットの質は自動的に上がります。仕事の上で例を挙げるとすれば、会議に出席している時を想像してください。読者の皆さんもこれまでいろいろな会議に出席してきていると思います。

 同じように会議の席で座っていても

 自分自身が情報を持って帰ればいい会議
 
    と
 
 情報を持ち帰った後上司や同僚に報告する必要がある会議

であれば、後者の場合はアウトプットの必要がありますよね。特に上司に対してアウトプット(報告)が求められる場合は
内容を自分なりに理解し、その意味合いを咀嚼しなければなりません。

 そのため、インプットの受け取る時に無意識のうちに情報を整理し、アウトプットのために再構築しているはずです。つまりアウトプットが求められる時、自分でインプットの質を上げているのです。同じ情報を受け取っていたとしても心の持ちようでインプットの質は変わる、とOzakiは思います。

 しっかり吸収するぞ!と思いながら聞く話

   と

 あー、面倒だな、早く終わらないかなと思いながら聞く話

 
 もしくは

 とりあえず一通り表面を読めばいいやという気持ちで読む本

   と

 これは面白い!しっかり頭に焼き付けておこう!という気持ちで読む本



 どちらがインプットの質が高いか、は明白でしょう。

 より質の高い情報を求めるという姿勢は必要ですが、同じ情報でも、自分がどのように取り込むかも重要だと感じませんか?

 アウトプットの場があれば自然とインプットを取り込む姿勢が変わり、前半で書いたような


  インプット⇒ 理解 ⇒ 整理 ⇒ 再構築 ⇒ アウトプット
                         
という流れができあがります。この流れを通過することでインプットの質が自然に上がります。この自然な流れを作り出すために必要なこと、それはアウトプットをすること。アウトプットの場を作ることがインプットの質を上げる第一歩です。 

 何気ない毎日の出来事から質の高いインプット作りのためにも書くことをオススメしたいOzakiです。

 「『書くもん』のススメ」(その1)

2012-09-20 00:52:53 | コミュニケーション


 前回オススメ本で紹介した(メルマガ本編ではメインコラムの他にもオススメ本紹介のコーナーがあります)

「小宮式知的アウトプット術」

のエッセンスのうち一つを詳しく書いてみたいと思います。この本の概要をざっくりとまとめるとこんな感じになるでしょうか。

 現在の仕事はほとんど「書く」ことが求められる
 早く、良い文章を書ける能力(=アウトプット力)は不可欠
 アウトプットのスピードと質を上げるためにはこんな方法がある
 アウトプットのためにはインプットが必要
 インプットの質と量を上げよう
 インプットをアウトプットにつなげるのは関心と仮説
 小宮式の文章作成術はこんな方法



 この本の見出しの中でも、Ozakiが一番共感したのは

 「アウトプットのためのインプット」

という項目です。

 少し本から引用します。


 ---------------------------
  アウトプットに役立つインプットをしていくためには、
 その前提として「アウトプットに使えるものはないかな」と
 常に考えていることが必要です。ある意味、「必要は発明の
 母」なのです。アウトプットの必要がなければ、なかなか
 インプットをしようとしませんし、「関心」も湧いてきません。
 ましてや「仮説」など立てようもありません。

 (中略)

 「必要は発明の母」なのです。「なにかアウトプットのネタに
 なるものはないかな」と常にアンテナを張って物事を見ている
 からこそ、アウトプットの材料(=情報)がどんどん飛び込ん
 くるのです。
  逆に言えば、何かをアウトプットしようという気持ちがなけ
 れば、インプットしようという気持ちも起きない、ということ
 になります。
 ---------------------------



 もうあまりにもきれいにまとまっていて、これだけ読んでいただければ今回のコラムの内容は十分と言っていいかもしれません。Ozakiが補足説明する余地がほとんどありませんが、蛇足覚悟で続けます。 

 以前のメルマガでこんなことを書いたことがあります。

「メルマガの発信を続けて気づいたこと。
 情報受信量を増やすにはまず発信を増やす。 」

メルマガというアウトプットを続けることでインプットも増えてきます。これは実際にOzakiが体験したことに基づいています。このメルマガも含め、いろんな媒体で書いているのはインプット欲しさという目的もあるので、書く量を徐々に増やそうと取り組んでいます。

 メルマガでもいいし、blogでもいいし、友人へのメールでもいい。誰かに見せることに抵抗があるというのであれば自分への「日記」でもOKです。とにかくどこかの場で書いてみよう!という気持ちがあるとそれだけでも世の中を見る視点が変わってくるように思います。

 Ozakiが(勝手に)師匠だと思っている鮒谷さんのメルマガ(平成進化論)でも(平成進化論への登録はこちらから。 ⇒http://www.2nd-stage.jp/)
 

 --------------------
 アウトプットする場があって初めて、
 インプットしようという気持ちが働きます。
 これは私も、長いことメールマガジンを発信をして
 きて、つくづく知らされています。

 アウトプットする場がないことは、
 勉強する場がないということだ、
 といっても、過言ではないと思われます。
 --------------------



 と先日書かれていました。

 Ozakiもまったくの同感です。何かテーマを決めて、それに関する自分なりの意見、感想などを書く。それでも十分な「アウトプットの場」=勉強する場になります。

 アウトプットの場を作れば「ネタになるものはないかな」と、アンテナを張るようになります。ある一つのテーマについて関心を持って毎日を過ごせばインプットはついて来ます。

 アウトプットの場を強制的に作り、軌道に乗るまで続けてみる。はじめは自分の好きなテーマでも構わないので、ひとまず何かを書いてみる。そんな「『書くもん』のススメ」をOzakiは提唱します。それだけでも一歩新しい世界に踏み出すことができるのではないでしょうか?

 (次回に続けます)

着付けの極意

2012-09-09 00:28:25 | 意識を整える


 今回は散髪をお願いしている美容師の方と話をしていてひらめいた話です。

 Ozakiがいつもお世話になっている美容師の方は日舞と着付けを習っているそうです。恥ずかしながらOzakiにはそういった分野の知識がないので、髪の毛を切ってもらいながら着付けについていろいろと質問して、お話を聞かせてもらいました。

 お話を伺っているうちに

 日本の伝統的な服装である和装を着せる「着付け」と人生が3つの点で似ているな

と感じたので、今回はOzakiが感じたことをご説明しますね。



 似ている点の1つ目。

 和装で一番目立つのはどの部分でしょうか?やはり、他の人の目に触れる一番上に着る部分(長着と呼ぶそうです)ですよね。ところが、着付けをするときに、この部分を着せる際には既に美しく着せられたかどうか、はほとんど(8割以上)は決まってしまっているのだとか。なぜなら、和装の場合、肌襦袢(はだじゅばん)や長襦袢(ながじゅばん)と呼ばれる
「下着」を着せていく段階で、体型を隠し、上着を美しく見せる下準備をしているからです。

 体の窪みに布を巻いたり、でっぱりを押さえこむようにしたり、(このあたりは結婚式などで和装を着たことがある女性は詳しいかもしれません)様々な技術を使って最終的な美しさを演出する「下ごしらえ」をする、と聞きました。この「下ごしらえ」部分の出来栄えが悪ければどんなに美しい上着でも形が崩れてしまいます。

 仕事などで最終的な成果物、発表するものだけを美しく作ろうとしても上手くいきません。表には出ない、人目には触れない部分での丁寧な仕事がきちんとできているか?そういった「下ごしらえ」ができていれば、成果物も評価の高いものができるはず。最終的な成果の8割は「下ごしらえ」にあると言っても過言ではないかもしれません。

 成果物の最後の仕上げ、上着を着せ始める時には大方の評価は決まってしまっている。これは似ているなぁとOzakiは感じました。



 似ている点の2つ目。

 Ozakiは着付けというものを手順がちょっと複雑な洋服を着せる手順だと想像していました。一連の流れを2、3回やればOK!だと思っていたのです。(世間知らずでした・・・、涙)ところがお話を伺ううちにそんな甘い考えは吹き飛んでしまいました。着せるための手順を覚えただけでは全く意味がないようなのです。

 着付けはものすごい数の基本技術を覚え、それを組み合わせていかなければならないのです。そして基本技術をたくさん知っている人、適切に応用できる人が着付けの上手い人。一つ一つの技術をその意味合いも含めてしっかりと記憶していなければ応用もできません。一つ一つの技術をどんな場合に応用すればいいか理解していなければ名人にはなれません。ただ単にうわべの形が整えばよい、という世界ではないのです。

 仕事でもプレゼンやビジネスレターなどの形を真似ることはできるかもしれません。ただ、一流の仕事をしている人は必ず基本を突き詰めています。一次資料の読みこなし方、結論に至るまでの論理的思考、簡潔な文章…。基本技術をしっかりと磨いた上で、さらに表面に現れる成果物の質を高めるために基本技術の組み合わせや応用技術を用いることができる人が一流なのだと思います。

 基本となる知識、基本技術をしっかりと知っておかなければ応用はできません。華やかな見せ場、目立つ仕事の裏側には基本の積み重ねが不可欠。これも似ているなぁとOzakiは感じました。




 似ている点の3つ目。

 着付けを依頼された方の体型はそれぞれバラバラです。また、着せる着物も、依頼された方が持ってきたものです。華奢な方も、ふくよかな方も、背の高い方も小柄な方も当然いらっしゃいます。人間の体型は年を経るごとに変わりますので、持ってきた着物が必ずしも依頼主の現在の体型にぴったりの着物ばかりでもありません。

 時には

 明らかに長さのあっていない肌襦袢や長襦袢を持ってくる方、
 帯を美しく見せるための「枕」という道具(?)を忘れてくる方、
 帯揚げという装飾品を持ってこない方、

など技術ではどうがんばっても補えないケースもあるらしいのです。

 とはいえ、依頼を受ける側としてはなんとか美しく着付けをする必要があります。そのため、「下着」の長さの調節の方法や、手近なもので足りないものを用意する方法などの変則的なテクニックも実践する上では使うことがあるとのこと。

 プロはどんな環境であっても、できるだけのことをやらなければなりません。ただ、着付けのプロでも依頼主の体型や持ち物といった環境は選べないのです。

 仕事でも同じようなことが起こりえます。
 
 世界的な不況
 政権交代での方針転換
 自分の国と別の国との戦争
 未知の病原菌の蔓延

などなど、

 どんな職種のどんなに素晴らしいプロでも生きている時代や国家、市場原理、微生物までをコントロールすることは不可能です。自分自身が選べない環境におかれていても、その環境の下でベストを尽くす。これがビジネスにおけるプロであり、着付けの道でも求められる姿勢のようです。

  
 以上3点が美容師さんのお話を伺っていて考えたことでした。皆さんとも共有してみたいなぁと思ったのでコラムにまとめてみました。

感動・感激が世界を広げる

2012-09-06 03:02:56 | 意識を整える


 みなさんが感動したり、感激する時ってどんなときでしょうか?

Ozakiは
 
 競馬やスポーツの名勝負を目撃したとき
 文字や絵で知っていたものを生で目撃、体験したとき
 自分が知らない知識を手に入れたとき

などが感動のきっかけとして思い当たることです。みなさんにもそれぞれあの時は感動した!というシーンがあるはずです。

 では、感動や感激って具体的に何なのでしょうか?感情の一種ですので非常に言葉にしにくいものですよね。顧客満足度などにはできるかもしれませんが、数値でも表現しづらいものです。



 Ozakiはこういう言葉にできない感動や感激こそ自分の世界を広げ、成長の源になるものなのではないかなぁと考えています。なぜなら↑で挙げたような感動・感激のきっかけはどれも「自分の想像を超えた世界にある未知との遭遇」だからです。

 井の中の蛙大海を知らず、とは昔から言い古された諺ですが、蛙同様にOzakiも、皆さんも知らず知らず自分を中心とする世界に生きています。基本的にその世界では自分の経験が「井戸の壁」になっています。人間には想像力がありますので、文章や絵、映像などを基にして自分の経験の少しだけ外側に「壁」があると言えるかもしれません。それでも自分の経験のほんの少し外側までしか想像できないのではないでしょうか?



 感動・感激はそんな自分の「井戸の壁」のはるか彼方、

「自分の想像を超えた世界にある未知との遭遇」

があるからこそ心が揺り動かされるのだとOzakiは考えています。心が揺り動かされる時には必ずこれまでの自分の経験からはかけ離れた

 自分ではできないと思っていたような一流の技術
 文字や絵から想像していた以上の驚きの光景や現象
 これまで気付かなかった物事の裏側や歴史的背景

などとの出会いがあったからです。

 そんな出会いの後には「井戸の壁」がグッと外側に押し広げられている、Ozakiはそんな感覚を覚えてきました。

 
 自分が日常的に経験している世界で、日常的に起こっていることだけを毎日、毎週、毎年繰り返していては世界は広がりません。自分が感動する瞬間、感激するような出来事を探す。そしてできれば毎日、1つでも感動・感激を経験できるように行動する。そうした心がけと取り組みを続けていけば、きっと毎日一歩一歩成長できるはず。どんな小さなことでもいいので、自分を感動・感激にさらすことが「36℃の経年優化」につながるのではないか。そしてなにより、感動・感激したときの感情は非常に楽しいものです。「楽しみながらの経年優化」は理想的ですよね!


 そんな風に考えてOzakiは今日も感動・感激の種を探しています。

不安の中にはfunとfanが隠れている

2012-09-02 01:50:59 | 意識を整える
 
 簡単な話ですが、あるときOzakiが気づいてハッとした話です。

 不安=fuanの中にはfunという文字とfanという文字が隠れています。

 funは楽しいこと、面白いこと
 fanは応援してくれる人、ひいきにしてくれる人

 当然のことですが、なにか新しいことを始めるときはみんな不安です。

 どうやったらいいかわからない
 困った時に誰に助けをもとめていいのかわからない
 これまでやった仕事が無駄なのかもしれない
 いろんな人に迷惑をかけるかもしれない
 この挑戦に失敗したらどうしよう

などなど、いろんな不安があると思います。

 でも新しい挑戦にはきっと楽しみがあるでしょうし、新しいことに挑戦する人にはきっと熱烈に応援してくれる人がいるはずです。新しい挑戦なのだから失敗してもともと。前例通りやれば前例通り成功するようなことはあまり面白いとは言えません。もちろん失敗するために挑戦するわけではないので(それは挑戦ではなく無茶です)できる限りの準備と工夫をするでしょう。失敗するとそれが一瞬のうちに無駄になることだってあり得ます。

 自分には無理かもしれない、なんて尻込みする時もあるかもしれません。出口が見えない毎日で、

 「自分がやっていることは正しいことなのか?」

と悩んでしまう時もあるかもしれません。


 不安な状況を想像して文章を書いているだけでも怖くなってしまいます(笑)それでも不安もある一方で、挑戦が成功したらどうなるでしょうか?

 これがうまくいったらすごいことになるぞ!
 この仕事がうまくいけば今季の目標は一気に達成だ!
 一躍注目を集めること間違いなしだ!
 俺って(私って)天才じゃないのか!?(これはOzakiだけかもしれませんが)
  

そんな妄想が次々に生まれてくる、そんな時はありませんか?新しい挑戦にはそんなワクワクするようなfunが隠れているはずです。



 そしてもう一つ。なにかに挑戦する人には必ず応援してくれる人が付いて来ます。それは漫画や小説でみなさんが主人公に感情移入するのと同じ。

 最初は弱くて、ちっぽけで、不遇な環境にある主人公があるきっかけで頑張り始めて、だんだんと大きな舞台に上がっていく。そのうち壁にぶつかってくじけそうになるけど、また立ちあがる。その挑戦する姿、成長する姿を見て人は感動し、応援したくなるはずです。

 
 ドラゴンボールで孫悟空が最初から圧倒的に強かったら…
 スラムダンクで桜木花道が超高校生級のプレイヤーだったら…
 ガラスの仮面で北島マヤが演劇の世界のサラブレッドだったら…

 それはそれでお話ができてしまうのかもしれませんが(笑)上記の作品が今圧倒的な支持を集めている状況までの人気は出なかったのではないでしょうか?主人公が最初は未熟だからこそ、ストーリーが盛り上がり、応援する人が徐々に増えていくのだと思います。

 現実の世界も同じではないでしょうか?

 失敗しながらも少しずつなにかを進めていく人。
 壁にぶつかって凹んでも、あきらめずにもう一度挑戦する人。
 自分では解決できない問題を素直に認めて友人や先輩と一緒に工夫する人。

 そんな不安を抱えながらも前に進む人間を人は応援したくなるのだと思います。



 不安を抱えた挑戦の裏側には楽しいことも、応援する人も隠れています。そのことを思いだせば新しい挑戦に一歩踏み出す勇気が生まれませんか?

 fuan = fun + fan

 これは面白い発見だなぁと考えているOzakiです。