今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

衝撃 三島由紀夫を撮る

2015年09月26日 | 放言大論
この写真、よく見ると違和感があると思う



この日は写真を撮るため目的地に向かっていたが、曇りと強風のため途中で断念
その帰り停車していた大型トレーラーの背面に描かれていたものである

運転中だったため、ちらっと見た程度であったが、何故か頭から離れずカメラも持っていたこともあり戻ることにした

この写真の場面は1970年(昭和45年)11月25日、作家、三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした三島事件である
当時、高校3年生だった私は学校内でこの事件を知った。事件の概要よりも「三島が割腹自殺をした」ことに衝撃を覚えた
『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)を読むと理解できると、誰かが話していたのを聞き本屋に向かったが、すでに三島由紀夫の本は完売していた
その後、川端康成も自殺したが、その時も本屋に走ったことを思い出した。三島由紀夫の葬儀委員長が川端だったことも



このトレーラーの運転手に撮影許可と三島への思いなど話しも聞きたかったが残念ながら休眠中であった
周囲にいた運転手から「撮れ、撮れ」と言われ、それに後押しされる形で掲載にいたった

昔の話しが続く
翌年4月、私は北海道を離れ東京のどちらかというと右よりの大学に進学した
下火にはなっていたが学生運動も時々他の大学では起こっていた
不穏な雰囲気になると、私が入っていた学生寮に半ば強制的にアルバイトの要請が入り配置される
体力のある者は成田空港、体の小さな私は大学のガードマン
ともに相手側学生と最前線で接触する。当時、仕送り3万円で十分生活ができたが、このバイト料は1万円と破格であった

今も国会周辺で「安保法制」に関するデモが行われているが、デモ参加者にはある政党から僅かではあるがお金がでていると聞く
純粋な気持ちで参加している人もいれば、そうでない人もいる。昔を思い出した

三島の「楯の会」は左翼勢力による日本への間接侵略に対抗することを標榜し民族派の学生を中心として結成されたが、歴史は繰り返すのか

その後、私に何か変化が起こったのか
特に何も起こってはいない。三島由紀夫の作品を数冊読んだ程度だ

ただ、トレーラーに描かれた三島の姿を見ていろいろな考えが頭をよぎって、その夜は眠りにつくことができなかった
コメント (2)
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