今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

大宝山 権現院 千光寺(広島県尾道市東土堂町)

2013年07月21日 | 神社・仏閣
NHK朝ドラ瀧本美織主演の「てっぱん」は尾道がロケ地になっていて、特に千光寺から見える尾道の風景がすばらしく一度行ってみたいと思っていた。
不安なことは尾道は坂が多く道が狭いと聞いているので自分の車でも大丈夫かということだった。


千光寺の歴史
千光寺は尾道市の千光寺公園内にある真言宗系の寺院。山号は大宝山。本尊は千手観音。
寺伝によれば大同元年(806年)に空海(弘法大師)によって創建され、源満仲(多田満仲)によって再興されたというが確証はなく、中世以前の寺歴は判然としない。
戦国時代には備後国御調郡木梨村木梨城主の杉原元恒がこの地に出城を築いている。

こちらの地理はまったくわからないが美術館近くの駐車場にたどり着いた。
親切な駐車場係の人から周辺地図をいただき、そこから案内板に従って歩くと「文学のこみち」と重なっていた。
二通りの楽しみを体験できると喜んだが途中から「二兎を追う者は一兎をも得ず」のことわざを思い出すことになった。

言葉が適切でないかもしれないが、千光寺は断崖の壁にくっついているという感じの寺で狭い空間にあるため、歩いてきた順に紹介していく。


岩割松(いわわりのまつ)
樹齢数百年の大きな松がその根で数トンにもあるような岩を割り、砕いて、厳然と立ち上がっている。



鼓岩(つづみいわ)
鼓岩は別名ポンポン岩と呼ばれ、岩の上を石で打つと「ポンポン」と鼓のような音がする。
右側の岩の傷は大阪城築城の時、石垣材として搬出すべく割りかけたノミの跡といわれている。
ポンポン岩は、「てっぱん」では、オープニングのシーンに出てくる大きな岩として撮影された。

楽しみは思っていたより早くやってきた。ここからの景色をすごく楽しみにしていた。
一方、ポンポン岩では何も知らず石ではなく、手を叩いていたため期待していた音を聞くことができなかった。
なぜ手を叩いたのか、私の前の人が叩いていたからで、私の後ろの人も同じように手を叩いていた。







三十三観音堂
関西一円の西国観音霊場の各札所の御本尊、観世音菩薩33体が祀られ、ここにお参りすると西国観音霊場を巡拝したのと同じ功徳があると伝えられている。
お堂の正面には桜木で造られた百八煩悩滅除大念珠が下げてあり、幸せを念じながらゆっくりと引くと珠が上から落ちてカチカチと音がする。
この音で苦しみの根源である煩悩を打ち消して、観音様の御守護が頂けると言われている。




大仙堂
大山智明大権現は鳥取の大山寺の御本尊、地蔵菩薩のことで、その御分体がここに祀られている。
昔は人が死ぬとその魂は大山へ留まるという信仰があり、大山へお参りできない人は、この大仙堂を参拝していた。
大山智明大権現は表情が非常におだやかで「ニコニコ地蔵」と呼ばれ親しまれている。




六地蔵
釈迦が滅してから弥勒菩薩が出現するまでの間、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)に輪廻する衆生を済度する役目をになっている菩薩。



くさり山
千光寺の鎮守は熊野権現と石鎚蔵王権現である。千光寺本堂裏には石の鳥居があり大正時代から石鎚蔵王権現が奉られていた。
大正15年3月に石鎚山へ登る鎖を取り付けたが、戦争の激しくなった昭和18年に鐘と一緒に供出されて以来、今では忘れられた存在だった。
平成15年ごろに住職が、「本堂からとは違う一段上からの素晴らしい眺めと奇岩を見てもらいたい」と石鎚山を整備し始めたことがきっかけで、62年振りとなる平成17年から一般の参拝客にもお参りできるようになった。

万一の時は自己責任でという言葉に誘われて私も鎖を使って違う眺めを見てみようと登ってみた。
鎖を握り力をいれた瞬間、どうもイメージとは随分違う感じがした。
自分のイメージではスイスイと上方に進んでいくはずだったが、鎖の丸い部分に足を入れ鎖を握ると何故か風もないのに体が左右に大きく揺れる。
2mも進まないうちに首にぶらさげていたカメラが岩盤に当たり嫌な予感がする。
さらに進んでいくとカメラが岩に当たる。普段はもう少し粘り強いのだが、大切なカメラのために断念することにした。




夫婦岩
この岩の前で二人が愛を誓うと願いが叶うといわれている。



烏天狗
烏天狗は熊野権現の神使といわれている。



護摩堂
三百余年前までは、境内に当山城主杉原公の守本尊多聞天を祀った三重の宝塔があったが、山上から大石が落下して倒壊し、その跡に建立されている。
本尊は不動明王で、脇侍に阿弥陀如来、地蔵菩薩が祀られている。




梵字岩(曼荼羅岩)
この曼荼羅図絵は徳川五代将軍綱吉公の帰依僧、東京の霊雲寺開基、浄厳大和尚当地へ御留錫の砌、書き遺されたものなりと云う。
円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれており光明真言曼荼羅。







玉の岩
玉の岩または烏帽子岩と呼ばれ、周り五十米、高さ十五米あり、当山第三の巨岩で、これには次のような伝説がある。
『往古この岩上に如意宝珠あり、夜ごとに異光遥かに海上を照らす、しかるに異国人来たりてこの山に登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与えるにより、この大石を我に与えよと、寺僧それに答え、売ることはできぬがこの大石を買いて何にするかとあやしむに、異国人は、この僧が岩上に宝石のあるを知らぬことを確かめ、心中欣び、ひそかにこの大石に登り美玉を奪い去りたり』と。
今でもこの大岩の頂に直径十四センチ、深さ十七センチの穴があるが、この穴が光を放つ宝玉があった跡だといわれている。
この山を大宝山といい、寺を千光寺、港を玉の浦と言い古されたのも、そのゆかりはこの伝説にもとづくものである。




鐘楼
大師堂前の小門をくぐると目前に朱塗り唐づくりの鐘楼が断崖絶壁に建っている。
この鐘は「時の鐘」として名高く、元禄初年より時刻を近郷近海に報じ近年はテレビ、ラジオを通じて「除夜の鐘」としてひろく人々に親しまれ、尾道の名物の一つにもなっている。
この鐘の特徴として鐘の上部に百八個のイボ(乳)がなく、梵字百字の真言と五智如来の種子が浮彫りになっておりこの地方では珍しい曼荼羅の鐘である。
千光寺鐘楼「驚音楼の鐘」は平成八年七月一日、環境庁の選定した「日本の音風景百選」の一つに選ばれた。




鏡岩
昔、玉の岩の宝珠または太陽、月の光を鏡のように反射させていたと伝えられ、鏡には神が宿るという信仰の対象であったと言われている。



本堂
俗に赤堂と呼ばれる千光寺本堂の本尊千手観世音菩薩は、33年に一度開帳の秘仏。俗に火伏せの観音とも称されている。
観音冥応集によると、『元禄十七年二月八日、隣接の栗原村国長の善右衛門という者の長屋から出火した火勢さかんとなり本宅に燃え移らんとした際、一心専念に千光寺観音に祈誓をこめ、この火難を救い給われば、一夜お籠りして念誦申し上げることを誓ったところ、たちまち不思議に風向き転じて猛火は和らぎ災厄をのがれたので、霊験のありがたさに、急ぎ観音に詣うでて礼謝した』と伝えられ、爾来火伏せの観音として巷間ひろく信仰されている。




今年が秘仏のご開帳の年にあたり、本堂の前を通るとしつこく案内される。
33年後は違う世界に旅立つ予定なので見ていこうかなと思っても、しつこく言われると気持ちが萎えてしまう。










毘沙門堂
本尊毘沙門天、脇士禅尼師童子、吉祥天女はともに聖徳太子宮造りの棟梁、鞍作止利仏師の作で、聖徳太子開運を祈願せられた尊像と伝えられ、当山城主杉原公の守本尊。



八畳岩
客殿・庫裡の浦の文学のこみちを鑑賞しながら登ると公園の山頂に着く。
西側広場を千畳敷と呼び、天正年間、木梨城主杉原氏の千光寺山城築城の跡。
北側の当山第一の巨岩八畳岩には、物見櫓の柱穴が残っている。




ここは山の頂上になるため障害物もなく最高の景色。



恋人の聖地



撮影 平成25年5月23日

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