訪問日 令和5年6月17日
会見山 安養寺
時宗の寺院
創建は南北朝時代に後醍醐天皇皇女瓊子内親王が開基したのが始まりと伝えられてる

ここには「瓊子(たまこ)内親王」の御廟がある

後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の計画が露呈した事で捕縛され隠岐に流されることになった
内親王も変装して随行したが、渡航の直前に身分が知られ隠岐に渡ることが許されなかった
内親王は隠岐に近いこの地に留まり遊行五代安国上人の弟子となる
16歳の時に尼(西月院宮安養尼)となり後醍醐天皇の勅願寺として安養寺を開基した

この時代の歴史については「鎌倉殿の13人」で興味を持っていた
大河ドラマでは後醍醐天皇は悪役になっていたが「瓊子内親王」の話しはなかった

ここは初めて訪れる寺で、この石段の上にはどのような景色があるのだろうか

初めての場所ではできるだけ見逃すことのないように注意深く歩くようにしている
今回は左回りで進んだ

稲荷神社
額には「正一位稲荷大明神」とある

厳しい環境等に曝され頭部が破損している狛犬

稲荷神社なので狐と思われるが……

この祠の名は分からなかった


後醍醐天皇社
後醍醐天皇は、第96代天皇および南朝初代天皇
両統迭立により、実子に皇位を譲位できず、上皇になって院政を敷いて権力を握ることができなかった
鎌倉幕府の両統迭立を壊すために、後醍醐天皇は倒幕運動を行ったが失敗
元弘2年(1332年)隠岐に配流された

狛犬


額には「後醍醐天皇社」

「正中の変」「元弘の乱」「建武の新政」「建武の乱」「南北朝の内乱」など日本の歴史を動かした天皇である

南北朝の内乱で劣勢を覆すことができないまま病に倒れ、延元4年 / 暦応2年(1339年)8月15日 義良親王(後村上天皇)に譲位し、翌日、崩御した
陵は、宮内庁により奈良県吉野郡吉野町大字吉野山字塔ノ尾の「如意輪寺内にある塔尾陵」に治定されている


鐘楼


梵鐘には安養寺の由緒らしきものが刻まれていた

本堂
本尊:阿弥陀如来

額には寺号の「安養寺」


石碑

後醍醐天皇皇女 瓊子内親王墓<宮内庁>

暦応2年・延元4年(1339年)8月1日死去 24歳
法号は安養尼

偶然だと思うが後醍醐天皇崩御の2週間前に死去している


安養寺はその後も尼寺として存続した
江戸時代には寺領100石が安堵され境内では芝居興行や富くじが行われるなど盛況だったという



父親思いの娘の話を知りこの寺を訪れたが、その思いが伝わってきたような感じがした

撮影 令和5年6月17日
会見山 安養寺
時宗の寺院
創建は南北朝時代に後醍醐天皇皇女瓊子内親王が開基したのが始まりと伝えられてる

ここには「瓊子(たまこ)内親王」の御廟がある

後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の計画が露呈した事で捕縛され隠岐に流されることになった
内親王も変装して随行したが、渡航の直前に身分が知られ隠岐に渡ることが許されなかった
内親王は隠岐に近いこの地に留まり遊行五代安国上人の弟子となる
16歳の時に尼(西月院宮安養尼)となり後醍醐天皇の勅願寺として安養寺を開基した

この時代の歴史については「鎌倉殿の13人」で興味を持っていた
大河ドラマでは後醍醐天皇は悪役になっていたが「瓊子内親王」の話しはなかった

ここは初めて訪れる寺で、この石段の上にはどのような景色があるのだろうか

初めての場所ではできるだけ見逃すことのないように注意深く歩くようにしている
今回は左回りで進んだ

稲荷神社
額には「正一位稲荷大明神」とある

厳しい環境等に曝され頭部が破損している狛犬

稲荷神社なので狐と思われるが……

この祠の名は分からなかった


後醍醐天皇社
後醍醐天皇は、第96代天皇および南朝初代天皇
両統迭立により、実子に皇位を譲位できず、上皇になって院政を敷いて権力を握ることができなかった
鎌倉幕府の両統迭立を壊すために、後醍醐天皇は倒幕運動を行ったが失敗
元弘2年(1332年)隠岐に配流された

狛犬


額には「後醍醐天皇社」

「正中の変」「元弘の乱」「建武の新政」「建武の乱」「南北朝の内乱」など日本の歴史を動かした天皇である

南北朝の内乱で劣勢を覆すことができないまま病に倒れ、延元4年 / 暦応2年(1339年)8月15日 義良親王(後村上天皇)に譲位し、翌日、崩御した
陵は、宮内庁により奈良県吉野郡吉野町大字吉野山字塔ノ尾の「如意輪寺内にある塔尾陵」に治定されている


鐘楼


梵鐘には安養寺の由緒らしきものが刻まれていた

本堂
本尊:阿弥陀如来

額には寺号の「安養寺」


石碑

後醍醐天皇皇女 瓊子内親王墓<宮内庁>

暦応2年・延元4年(1339年)8月1日死去 24歳
法号は安養尼

偶然だと思うが後醍醐天皇崩御の2週間前に死去している


安養寺はその後も尼寺として存続した
江戸時代には寺領100石が安堵され境内では芝居興行や富くじが行われるなど盛況だったという



父親思いの娘の話を知りこの寺を訪れたが、その思いが伝わってきたような感じがした

撮影 令和5年6月17日
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