今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

河上山 神通密寺 実相院(佐賀県佐賀市大和町大字川上947)

2023年08月01日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月23日

河上山 神通密寺 実相院
先に訪れた、與止日女神社西門(佐賀県指定文化財)から道路を挟んだ向こう側に立派な門が見えた
近寄って案内文を読むと1000年以上の歴史を持つ古刹だということが分かった
この日の訪問予定にはなかったが訪れることにした

仁王門(佐賀県指定文化財)
三間一戸の八脚門で、正面の額の裏に寛永20年(1643年)の年号があり、この頃の建物と考えられる



扁額には寺号の「神通密寺」と記され、菊の紋が四つ飾られている



実相院の由来



仁王門を背に緑に囲まれた参道を歩く



正面に「中門」が見えてくる






周辺には年代を感じ周囲に溶け込んでいる石仏がある



こちらには3体の石仏



それぞれ拡大して撮ってみる









こちらには大小7体の石仏






馬に乗ったものは珍しい



子供を抱いているのかとても表情が穏やかだ






写真にはないが数十段の石段を上がった所に「山門」がある



手水舎



講堂(本堂)
行基菩薩が和銅5年(712年)岩屋山に神宮寺を開基したのが実相院の始まり
380年後の實治元年(1087年)比叡山より圓尋僧正が別所一帯を開墾し、河上山神護寺実相院を建立



寛嘉2年(1230年)源頼朝の四男 貞暁法師が座主になり真言宗の寺院となる
代々の座主は河上山座主と称して與止日女神社と共に神事佛事を菅領する最高の地位で統率者であった



元亀元年(1570年)大友宗麟によって神社仏閣悉く焼き尽くされた
元亀3年(1572年)龍造寺家の援助により造営。その後鍋島家の信仰により次第に旧観に復した
実相院お経会は寛治3年(1089年)以来の長い歴史を持つ



講堂周辺の石仏


















建物の間にもひっそりと安置されている



建物の中にも(既に数の多さに圧倒されてしまった)



「実相院八十八ヶ所」
ここには百体以上の石仏が並んでいる



中央には空海像






遺髪塔(相輪屋頂式石造宝塔)
宝塔建立は納経、供養、逆修(生前供養)の3つの目的があるが、ここは供養が目的で建てられている



石垣で基壇を設け、基礎・蓮花座・塔身・笠・相輪と全長4mの大宝塔である



塔身には梵字が彫られ四仏を表している

















撮影 令和5年5月23日
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