今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

経栄山 題経寺<通称:柴又帝釈天>その1(東京都葛飾区柴又)

2015年11月05日 | 神社・仏閣
経栄山 題経寺(通称:柴又帝釈天)
寛永6年(1629)、2名の僧によって開創された日蓮宗寺院
9世住職の日敬の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになった
柴又駅から参道を数分歩いた先に二天門が見えてくる

二天門
明治29年(1896年)の建立。入母屋造瓦葺の楼門で、屋根には唐破風と千鳥破風を付す
帝釈天の配下の四天王のうち、南方守護の増長天、西方守護の広目天を安置する
 


日光東照宮の陽明門を模したといわれている



多くの木彫群によって荘厳された重厚優美な二天門である






御神水
江戸寛永の昔、松の根方に霊泉の湧くのを見て、庵を結んだのが当山の縁起
寅さんの「帝釈天で産湯をつかい…」は、この御神水のようだ



浄行菩薩
法華経に説く四菩薩の一人で、地水火風の四大の内、水大の菩薩として、この世を浄化し、人々の罪や穢れを洗い清める



南大門
二天門前もそうだが自転車が多く、地域に根ざした寺という感じがした



祖師堂(本堂)
古くから帝釈堂として、江戸の信心を集めていた
明治になって、現在の帝釈堂を造り上げて移し、大修理を加えて現在の祖師堂になる



釈迦堂(開山堂)
当山最古の建造物。文化・文政期の江戸の伽藍造り
内陣に白鳳期の釈迦立像を安置し、当山の開祖・日栄上人と中興祖・日敬上人の木像を奉祀









大鐘楼 
昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼。高さ約15m
寅さんの映画でも、この大鐘楼の効果音が挿入されている



団体観光客が引けたので、お目当ての帝釈堂に移動する



帝釈堂
手前の拝殿と奥の内殿から成り、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付す



内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置



帝釈堂の内殿外側全面ある浮き彫りの装飾彫刻は必見である

撮影 平成27年10月13日

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4 コメント

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素晴らしい寺院ですね (OTETSUDAI @)
2015-11-05 16:51:30
先日と同じ場所と思いますが随分変わったような気がします。それとも別の寺院との勘違いでしょうか。
日光の東照宮は高三の修学旅行で行きました。半世紀以上前なのにそこだけはうろ覚えです。
浄行菩薩はとても美しいと感じました。柴又帝釈天がこれほど広いとは想像もしませんでした。団体旅行者はカメラマンには天敵ですね。○国人ばかりとかではないでしょうが。
10月13日はこんなに素晴らしい天気だったのでしょうか。私の手帳には簡単なことが記してありますが、ジムが定休日だったので1日家の中とだけしか記してありません。抜けるような空の元、素晴らしい写真をありがとうございました。
三浦半島では写真撮影はなかったのですね。撮っても何もないところでしょうね。「矢切の渡」しの向こうと同じように……。
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一度訪れてみたかった帝釈天 (2014kurumatabi)
2015-11-05 19:07:20
 前回は帝釈天の参道を掲載しました。今回は参道の終着点である二天門からになります。寺院を撮るには曇りか雨がいいらしいですが、この日は陽射しが強すぎて少し苦労しました。
 帝釈天については「彫刻」がすばらしいとあるテレビ番組をみて、予備知識がありましたが、予想以上でした。写真撮影が許可されていましたので、次回掲載予定であります。手持ちの写真が少なくなっているため、小出しになって申し訳ありませんが、好きな人にはたまらないと思います。
 浄行菩薩は小さな仏様ですが上品な顔立ちをしています。 罪や穢れを洗い清めてくれるらしいですが、私には効かなかったようです。参拝者は御神水を頭からかけていました。本来なら自分の頭にかけたほうがいいと思うのですが。
 いつもコメントをいただきありがとうございます。励みになっています。
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成田良悟 (加藤玲奈)
2018-07-10 22:25:59
砂川陽香
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溝端淳平 (久保彩乃)
2018-07-10 22:27:18
安本彩花
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