今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

名和神社(鳥取県西伯郡大山町名和556)

2024年07月26日 | 神社・仏閣
訪問日 令和6年5月21日
名和神社
後醍醐天皇を隠岐の島から迎え、一族郎党を率いて船上山に立てこもり、
王事に奮戦した南朝の忠臣・名和長年をはじめ、一族郎党42人の英魂を祀る



元弘3年(1333年)名和長年は隠岐島に流されていた後醍醐天皇の脱出を助け
天皇を船上山(せんじょうさん)に迎え鎌倉幕府を破った
後醍醐天皇は天皇親政を復活(建武の新政)、名和長年はこの新政権で重用された



鳥居
額には「名和神社」
この日の朝の予定には訪問先の候補にもなかった神社であったが、
目的地の「佛谷寺(松江市美保関町美保関)」との関連性を知っていたため急遽立ち寄ることにした



二本の石柱には「義勇」「奉公」の二文字が刻まれている



手水舎



拝殿
参拝者は私一人だったが、結婚式の前撮りで新郎新婦とその家族にカメラマンが境内を占有していた



拝殿内部



歴史を少し
承応・明暦の頃(1652年 - 1658年)、名和長年の威徳を慕う地元の人々によって、名和邸跡とされる場所に小祠が建立されたのに始まる
延宝5年(1677年)、鳥取藩主となった池田光仲が名和長年を崇敬し、名和邸跡の東方の日吉坂の山王権現の社地に新たに社殿を造営して遷座
山王権現を末社として「氏殿権現」と称した
明治11年(1878年)1月、氏殿神社の社号を名和神社に改定し、別格官幣社に列することを太政官が決定し、名和長重以下の将士を配祀すべきことを命じた



祭神:名和長年



現在の社殿は昭和10年に完成、明治神宮を造営した「角南 隆」が手がけた






寺社巡りをしていると時折、結婚式や成人式の前撮りに遭遇する
美男美女の若いカップルで晴れやかな気持ちになった






この鳥居の先に、執権北条氏によって後醍醐天皇が流された隠岐島がある



撮影: 令和6年5月21日

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 白兎神社(鳥取県鳥取市白兎6... | トップ | 龍海山 三明院 佛谷寺(島根... »

コメントを投稿

神社・仏閣」カテゴリの最新記事