今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

霊園山 聖林寺(奈良県桜井市下692)

2013年08月01日 | 神社・仏閣
昨夜は道の駅「アグリの郷栗東」に宿泊。この旅行も最終盤にかかってきた。
京都と奈良で1週間という予定を出発前には考えてはいたが、計画通りにはいかないのが気ままな旅。
今日の最初の訪問地を宇治平等院に設定。車の流れも順調で到着したが、駐車場の若くて美しい女性係員から「鳳凰堂が工事中ですよ」ということを聞かされた。
「生きているうちにまた見ることができますね」など会話を楽しみながら、あっさり中にはいるのをあきらめてしまった。

次のことは余り考えていなかったが、美しい女性と十一面観音立像が重なり写真で数回見たことのある聖林寺を目指すことにした。
比較的距離はあったが、この旅行で100Km以内なら普通程度に距離感には若干麻痺しているところもあるので気にはならなかった。
しかし、途中から予期せぬ渋滞も重なり到着まで苦労した。


聖林寺の歴史
聖林寺は奈良県桜井市にある真言宗室生寺派の寺院である。
山号は霊園山(りょうおんざん)、本尊は子安延命地蔵菩薩、開基(創立者)は定慧(じょうえ)とされる。
国宝の十一面観音立像を所蔵することで知られる。

駐車場から数分歩くと石段の上に石垣があり聖林寺の門が視界に入る。今日も天気がよく青空に緑が映える。







庭の大きさで寺院の規模はある程度理解できるが、聖林寺は小さいながらも美しい庭で拝観料を払う前に数枚撮すことにした。









鐘楼






反対側に受付所がある。



山号「霊園山(りょうおんざん)」






本堂に入るが堂内は撮影禁止になっているので写真はない。
本尊の子安延命地蔵菩薩を中央に左右にも3~4体の仏像が安置されているが、仏像の顔を含め全体が白くこれまで観たことのないものだったため多少違和感があった。

さらに階段を奥に進んでいくと国宝の十一面観音立像が安置されている「大悲殿」がある。
拝観できる場所は10畳ほどの広さで5・6人も入ると少し窮屈な感じがする。
中にはいると参拝客は自然に正座しその美しさに圧倒されてから合掌する。




十一面観音立像(国宝)
十一面観音は、かつては三輪山・大御輪寺の本尊であった。
大御輪寺は奈良時代の中頃、大神々社の最も古い神宮寺として設けられ、十一面観音はその本尊として祀られてきたという。
明治になると神仏分離・廃仏毀釈の嵐が吹き荒れるが、既に幕末はその前触れがあったのか、十一面観音はじめの三体の仏像は慶応4年5月16日、大八車で三輪からこの地に避難された。 




聖林寺に移った観音さまは明治20年、アメリカの哲学者フェノロサによって秘仏の禁が解かれ、人々の前にその美しい姿を初めて現した。
この時、フェノロサの驚き尋常でなく、門前から大和盆地を指して、この界隈にどれ程の素封家がいるか知らないが、この仏さま一体にとうてい及ぶものでないと述べたと伝えられている。 




明治30年、旧国宝制度ができると共に国宝に指定された。
さらに、昭和26年6月、新国宝制度が発足すると第一回の国宝に選ばれた。
この時指定された国宝仏はわずかに14を数えるに過ぎない。
美術的な解説はいろんな書物に述べられているが、まことに、これ程美しく、その尊厳な姿に胸を打たれて、自然に手を合わせられる仏像は少ない。







和辻哲郎も『古寺巡礼』(大正8年・1919年刊)でこの像を天平彫刻の最高傑作とほめたたえている。



この十一面観音立像は先人もそう感じたように驚くほど美しい。
写真の美しさと実際の美しさは違うということも感じた。
真の美しさや驚き、感動は現場で感じることができるものだ。
昔、この観音像を守るため、大八車でこの地まで運んできたというが、当時の人々のその気持ちが痛いほど理解できる見事な仏像で、多くの人に拝観してもらいたい。

私の中の十一面観音像はこれまで「室生寺」のものであったが甲乙つけがたい。もう一度、室生寺に行き確認したくなってきた。
 

撮影 平成25年5月26日

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