今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

龍雲山 妙音閣 三明禅寺(愛知県豊川市豊川町波通)

2020年10月19日 | 神社・仏閣
訪問日 令和2年9月13日

龍雲山 妙音閣 三明禅寺(通称:豊川弁財天)
今回の旅で愛知県にある重要文化財の塔(三重・五重・多宝塔)を事前に調べ、その全てを訪れようと考えていた
「豊川稲荷」には参拝したことがあるが、近くにある「三明寺」の存在には気付かずにいた

「鳥居」
駐車場は本堂横にあったため、山門の方に移動するが山門はなく鳥居が立っていたため不思議に思った
近くの妙厳寺(豊川稲荷)にも鳥居があるので調べてみた



<豊川閣妙厳寺 山主 本宮顯道によると>
釈迦が亡くなって五百年たった頃、釈迦を敬うための塔が建てられるようになった
そうすると、門が必要になる。門というのは結界
東西南北につくったその門が、石を二重にかけた鳥居のようなかたちであった
そうしたものがチベットから中国、朝鮮、そして日本に伝わった
それが山門であり、鳥居で、寺に鳥居があっても不思議ではない


「本願光悦入定の塚」
入定とは真言密教の修行のひとつで、精神を統一し、無我の境地に至るために瞑想することを指す
示寂とは高僧などが死ぬことを指す



「入定」と「補陀落渡海」には興味を持っている
修行とはいえ待っているのは死なのだが



「石仏群」



三重塔(重要文化財)
この日は朝から強い雨が降り止まず、左手には傘、右手には重いカメラを持ち車から飛び出した






初層を三間四方とし、杮葺の高さ15m程の塔
解体修理に際して発見された墨書により、享禄4年の建立と知られる
初層・二層を和様、三層を唐様とし、外観に変化を持たせている



雨の雫がレンズに付着し二層目がボケている
上向きに構えると雨に当たるので遠くからズームレンズで撮っている



「石橋」
平坦な石橋と太鼓橋が並んで架かっている



太鼓橋を渡って本堂へ向かう



「本堂(愛知県指定文化財)」



寺伝によれば、大宝2年(702年)文武天皇が三河国に行幸の折、この地で病にかかった
弁財天の霊験で全快したことから、大和の僧・覚淵に命じて堂宇を建立したのが始まり



平安時代後期、源範頼の兵火により焼失し荒廃する
応永年間(1394 - 1428)に禅僧・無文元遷(後醍醐天皇の皇子)が諸堂を復興し、この際に禅宗に改宗
千手観音を本尊とし、三重塔を建立し、大日如来像を安置した



享禄4年(1531年)三重塔が再建され、天文23年(1554年)には本願光悦により弁財天宮殿が再建される
現存する本堂は、正徳2年(1712年)岡田善三郎成房により再建されたもの



「辯才天」の額
弁財天像は、平安時代の三河国司・大江定基が、愛人の力壽姫の死を悼み、力壽姫の等身大の弁財天を自ら刻して奉納した
弁財天は裸身であり、十二単を着ており、12年に1度、巳年に御衣装替えを行う慣わしがある



院号「妙音閣」の扁額






般若心経写経道場の札がかかっている



本堂内に天文23年(1554年)に建立された宮殿(重要文化財)がある
弁財天を安置しているが目視することはできなかった



雨で服が濡れ車内ですべてを着替えたのは旅では初めての経験だった

撮影 令和2年9月13日

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