今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

浄瑠璃山 周防国分寺(山口県防府市国分寺町)

2013年07月14日 | 神社・仏閣
国分寺とは
国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願(詔)によって諸国に68ケ寺建立された官立の寺院。
その詔の中に『 国泰らかに人楽しみ、災除き福至る 』と国民の幸せを祈念され、当時流行っていた、疫病・戦乱から国民を守り、五穀の豊作の世となるようにと諸国に建立された。


浄瑠璃山 周防国分寺の歴史
山口県防府市にある仏教寺院で、高野山真言宗の別格本山である。
現在の伽藍は、奈良時代の創建時の位置に立っており、全国的に珍しい。
寺域は、東西に約1町、南北に2町の寺域を保持し、その中に、仁王門・金堂・聖天堂・二の門・持仏堂・庫裏・長屋・土蔵を現在に伝えている。
本尊は、室町時代の薬師如来坐像(重要文化財)で、その他に平安時代初期の日光・月光菩薩(重要文化財)、藤原時代初期の四天王(重要文化財)など、数多くの仏像を安置している。


仁王門(山口県指定有形文化財)



金堂(重要文化財)
萩藩7代藩主 毛利重就を施主として建立された。桁行7間(約22m)梁間4間(約15m)で屋根を二重とした大きな仏堂。
本尊の薬師如来坐像のほか6体の重要文化財をはじめ数多くの仏像が安置されている。







防府天満宮の近くに国分寺があることを知り500mの距離を歩いて移動した。
予想以上といっては失礼だが仁王門を見た瞬間から考えが変わった。
境内を歩き案内板を読んでいる内に歴史的にもすばらしい背景があることも知った。
金堂に入口があり入ってみると堂内には数多くの仏像が安置している。
拝観料を支払い合掌後拝観する。ゆっくり3周しても覚えきれない数なので仏像全ての説明を記載している冊子を購入することにした。




塔跡
創建当初は、七重塔であったが、落雷等の火災で失われ、鎌倉時代には五重塔に変わっていた。
その五重塔も室町時代(1417年)の伽藍全焼際に焼失し現在に至っている。
発掘調査の結果この位置が塔跡であることが明らかとなった。

 


水鏡の井戸
菅原道真が太宰府に下向される道すがら国分寺に参詣した際、住職無我和尚から受戒を受け、そのお礼にこの井戸で自分の姿を写し自画像を奉納された。
「菅公水鏡の御影」は寺宝として残っており、毎年防府天満宮の御神幸祭の時にお祀りしている。







招魂碑
尊王攘夷論を掲げていた長州藩は会津・薩摩両藩に京都から追放される。
翌年1864年、京都三条の池田や事件で新撰組に藩士を殺されると、長州藩は、京都政局を取り戻すため、京都に向け出陣し、会津・薩摩・桑名藩と戦う。
この禁門の変(蛤御門の変)において戦死した国分寺隊の招魂碑。







衛門三郎(四国遍路の始まり)



天長年間の頃の話である。豪農で衛門三郎という者が居た。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。
あるとき、三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、そしてその翌日と何度も僧は現れた。
8日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢をたたき落とし、鉢は8つに割れてしまった。僧も姿を消した。実はこの僧は弘法大師であった。
三郎には8人の子がいたが、その翌日から1人ずつ子が亡くなり、8日目には皆亡くなってしまった。
悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。
三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。
二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。
死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わりたいと託して息を引き取った。
大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことという。

翌年、伊予国の領主、河野息利に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。
息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。
その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。
この衛門三郎の伝説が四国遍路の始まりとして広く知られている。




境内には地元の中学1年生が3年生の修学旅行期間中に地域の歴史をグループごとにテーマを決めて学習するといった行事を行っていた。
天満宮でも何組かのグループに会ったが挨拶や学習している姿など実に好感がもてる。
引率教師もすれ違うときには参拝客に配慮してか必ず挨拶をする。
話を聞いてみるとこの行事には地域も全面的に協力してくれているため拝観料等は無料になっているとのこと。
さすが歴史のある地域は違う。


撮影 平成25年5月21日
コメント
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