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≪ 北 日 本 の 旅 ≫ 5   岩手県花巻市: 宮沢賢治を訪ねて 

2023-05-28 08:24:59 | 旅行
 岩手県が生んだ文人や学者では、宮沢賢治と共に石川啄木・野村胡堂・金田一京助が私の脳裏に昇る。岩手生れではないが「遠野物語」等で民俗学の扉を開いた柳田國男も
東北地方に日本の原風景を観た一人。昨日尋ねた寺山修司を、太宰治や棟方志功を追って登場した戦後の青森が生んだ傑物とするなら、宮沢賢治(1896-1933)はどう位置づけたら良いか? 
 啄木(1886-1912)は盛岡市の生まれだが賢治は花巻市生まれ。年齢も離れ、二人が顔を合わせたという記録はない。共通点は啄木が存命中の1909年、賢治は同じ県立盛岡中学校に入学した事。然し、啄木と同期生で行内雑誌の編集仲間だった野村胡堂と対比しても、賢治の活動の幅広さは啄木や胡堂とは比べ物にならず、それは寺山の多才さとも通じる。それが今回の旅で寺山と宮沢を選ぶ動機となった。

 多能で幅広い活動と言えど、寺山と宮沢の関心領域は大きく異なる。先に述べたが、寺山は詩作から演劇・映画に至る全てが「言葉の発信」でカヴァーする表現行動だった。
言葉で自分や世界を語り、描写する言葉を心の奥底にある闇へ投げ続けた、といおうか。一方、宮沢の行動は寺山のような嘆きや叫びではなく、訥々と紡ぎだす糸が言葉になり「科学知識の探求」「文芸・音楽の実践」「宇宙観の追及」「仏教と基督教を対比する探求」「農業の実地指導」と実に広い範囲に向けられた。私も含め、多くの人が宮沢といえば『アメニモマケズ』『セロひきゴーシュ』『銀河鉄道の夜』しか咄嗟に思い浮かべないが、記念館の展示は多岐にわたる関心と実践をよく伝えており、目を見開かされた。
 余談だが、宮沢が演奏を習ったというチェロとヴァイオリンの現物が展示されていたのには微笑んでしまった。
                         
これは上に挙げた「文芸・音楽の実践」に相当する関心分野を記念館が(芸術:Art)と題してまとめたパネル。写真が不鮮明で残念だが、同じ形式で他の4領域の展示もあり、私は感心した。家庭や時代環境が異なるうえ表現媒体や対象は違っても、投射範囲と活動領域の大きさで、宮沢と寺山は似ており、魅力的な人物だ。
  戦前・戦後を通して稀な存在であり、ほとばしった才能の豊かさは羨むばかりだが、二人とも夭逝した。宮沢37歳、寺山48歳。。【天は二物を与えず】  < 了 >
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