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動物病院の日常、広報、呟き
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国体論と戦後日本ⅩⅨ

2016年04月15日 | 歴史
 人間社会の根幹は一つの家、一つの家族のように共助共栄の社会倫理の元に常に社会を発展させ、
それぞれの人がそれぞれの所を得てその力を発揚していくという価値観です。
しかし国体の社会観の理解と現状の社会の原理を対比的に見ると根本的価値観において違いが明らかです。
大正14年の治安維持法においては国体と私有財産権が並列されました。三島由紀夫もそれを強く批判していました。
日本人の私有財産権はせいぜい世俗のモノの考え程度ですが、西洋ではそれは生存権、安全権と共に近代史における自然権の根本原理なのです。
日本の国体的価値観で言うところの共同体原理、享受原理とはかなり違い個人を主体とした考え方です。
私有財産権という考えはおそらく明治以前は国民にはかなり希薄だったでしょう。全く価値観の違う原理を並列するところにまず違和感を覚えてしまいます。

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国体論と戦後日本ⅩⅧ

2016年04月14日 | 歴史
 国体論の根源は古事記が示す宇宙観、人間観の大前提を包含しているのでしょう。
つまり宇宙というモノは「天の御中主」という中心が成って、そこからエネルギーの循環が起こって産巣日(むすび、創造)活動が起こり、
それが今まで連綿と続いている状態だということです。
橿原の宮に神武天皇が建都されるときに「八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為(せ)むこと、また可(よ)からずや」、
こうした宇宙観人間観社会観が本来一体であるということを世の中の原理として言い表したことなのだろうと解釈しています。
国体の根本原理とは人間社会で言うと、
天皇を中心として天皇の御稜威(みいつ)というエネルギーを広く世の中に行き渡らせて産巣日の活動をするということを、
おそらく考えとして日本人は持ってきたのではないでしょうか。

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国体論と戦後日本ⅩⅦ

2016年04月13日 | 歴史
 実は素粒子物理学が提唱する宇宙の創造原理は今ではなじみのあるビッグバン、
つまり宇宙は一つのエネルギー体として誕生して今なお連綿としてエネルギー活動を続けているという考え方です。
今回は武道の指導の為に赴いたのですが、武道の背景には神道の考えがあます。
神道の宇宙観、人間観の根底にあるのは、古事記の冒頭で「天地の初發の時・・・」と始まるわけですが、
まさに「天の御中主」が「成りま」して「高御産巣日(むすび)の神」と「神産巣日の神」の「三柱の神」が成りまして、
産巣日の活動が始まって、次から次と神々が成りまして、その先に私たちがある・・・とあります。
これは正に素粒子物理学が推定する宇宙観、人間観とほぼ同じなのです。
こういった話をしたところ、国際部長は大変興味を持たれて話が弾んだのです。

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国体論と戦後日本ⅩⅥ

2016年04月12日 | 歴史
 武道に関するセミナーに指導の為にスイスに行ったときのことです。ジュネーブにある欧州原子核研究所(セルン)を訪問しました。
そこは素粒子物理学のもっとも規模の大きな実験施設です。素粒子物理学は、それ以前のニュートン力学に代表される唯物科学から非常に画期的な進化を見せました。
そこの国際部長の話です。

 素粒子物理学の発展は西洋においては革命的な変革を及ぼしました。革命的というのは科学の分野のみ成らず宗教、思想、哲学においても変化をもたらしています。
宇宙とは何なのか?、人間とは何か?、キリスト教時代からあった宇宙観、人間観、そして近代に至って社会は神との分離は果たしましたが、
基本的な思想の骨幹である人間の立場を引き継いでおり、人間原理主義、「自然よりも人間には主体的な権限が存在する」ことを継承していました。
しかし素粒子物理学の進化によってそれらが否定されつつあります。
実際に研究所に勤めているキリスト教徒の方は自分の信仰概念が根本から崩れることによって自殺者まで出てしまったほどです。
彼らにとっての価値観の大転換を起こしているのです。

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国体論と戦後日本ⅩⅤ

2016年04月11日 | 歴史
 国体という言葉に関して言うと、君主国においてもイギリス国体、タイ国体、トンガ国体と言う言葉は聞いたことがありません。
日本は天皇を中心とした国柄であるから国体です。だから我々国民の心に染みてくる言葉なのです。
日本はこれからどのような道を歩むべきかという意味で、日本の憲法を正しくする必要があります。
その一つの問題点として、万葉集の柿本人麻呂が天皇賛歌をずいぶん多く詠んでいることに着目してみます。
その中で最初に登場する歌が「やすみしし我が大君高照らす日の皇子.......(長歌)」とあります。
「やすみしし」とは四方八方やすらけく平らけく知らしめすと言う意味です。「高照らす日の皇子」とは天に高く光っておられる太陽すなわち、天照大神の皇子です。
日本の古事記、日本書紀以来の天皇信仰です。
今の憲法は国民統合の象徴であるということは、「やすみしし我が大君」を四方八方治めると言う意味でなんとか表現していると思えます。
しかし、三島由紀夫の言う歴史的伝統性、時間的連続性、縦の概念が全く感じられません。「高照らす日の皇子」がないのです。
ここが現行憲法の象徴天皇制の大きな欠陥でありましょう。まずここを是正すべきです。

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国体論と戦後日本ⅩⅣ

2016年04月10日 | 歴史
 国体は日本独自の国柄のことを指し、天皇を中心とする祭祀国家、信仰共同体のことであると、一言で言うとそうなるでしょう。
天皇を祀り主として仰ぐ祭祀国家の本来のあり方というものが日本の国体です。それは成文憲法以前の国柄、不文法、立国法といってよいと思います。
今の憲法はこういった意味において正しく日本の国柄が規定されていない所に大きな問題があります。
もう一つの問題は国民主権です。小学校中学校の社会科の授業で「国民主権とは何か」「政治の、国家意思の最終的決定権はどこにあるのか」が問われ、
「戦後はそれが天皇から国民に移ったのだ。だから国民主権になった」「革命が起こったのだ」と語られます。
しかし、大日本帝国憲法に主権が天皇にあるとは書いてありません。
また日本の三千年の歴史で国民と天皇が国政の国家意思の最終的決定権を巡って血で血を洗う争奪戦をやった歴史などは全くありません。
それはアメリカや欧米諸国であったことです。日本において国民主権をわざわざ規定することがそもそもおかしいと思います。

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国体論と戦後日本ⅩⅢ

2016年04月09日 | 歴史
 もう一点は、おおざっぱに言えば国体は憲法のことだと言っても良いでしょう。しかし注意すべきことは必ずしも文章化された憲法のことではないということです。
constitutionの日本語訳は国体が一番適当だろうと思います。我々が憲法というと目の前にある文章化された日本国憲法であったり大日本帝国憲法を思い浮かべますが、
それらはあくまで国体の一部をその当時の言葉で文章化したに過ぎません。こういう区別の元に国体論、憲法論は行われるべきでありましょう。
国体の方が成文化された憲法よりも上にあると考えるべきです。

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国体論と戦後日本ⅩⅡ

2016年04月08日 | 歴史
 国体の精神は現在も生きています。これは皮膚感覚で分かることです。学問的定義ではなく、我々日本人の感覚の問題であり、感性の問題であります。
おそらく国体論において、これを論理で詰めていくとどこかで矛盾が出てくることでしょう。
しかし感性の観点から見ると多くの日本人が心にすとんと腑に落ちるのではないでしょうか。
その例として1月26日に両陛下がフィリピンを訪問される時、羽田空港で発せられたお言葉です。これはたいへん感銘的な物でありました。
「旅の終わりにはルソン島東部のカリラヤの地でフィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う日に詣でます」と仰らています。
ここでいう「私ども」とは両陛下のことです。つまり一兵卒も両陛下の同胞だということです。これが感覚的な意味での国体の神髄でありましょう。
天皇にとって国民は同胞です。かつて仁徳天皇が民は大御宝だと仰った事と同じです。これぞ君民一体と言っても良いでしょう。
この精神がずっと引き継がれているのです。

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国体論と戦後日本ⅩⅠ

2016年04月07日 | 歴史
 戦後世代が昭和天皇の終戦の御詔勅に「國體ハ護持シ得テ」と書いてあります。
国民が敗戦意識を持ち始めたのはそのだいぶ後でありますが、『挙国一致で戦後を過ごそうじゃないか』と仰ったわけです。
当初は負けたのではない終戦なのだと自覚していました。天皇が倒れられて、また始められて終戦の詔勅を出されたのです。
何も基本的に変わっていないのではないでしょうかではないか。
少なくとも大人に比べて多くの子供達は戦争によってさんざんな目に遭ったという感覚は当時あまりなかったのでこのような心持ちでした。
しかしその後が問題でした。このような気持ちを根こそぎひっくり返す動きが登場します。
戦後70年経って、キシンジャーが日本などは内閣なんて簡単に変えられるといっていましたが、何も変わっていないのではないでしょうか。
結局は我々は変わっていないのです。戦後とは一体何なのでしょうか。時代の虚構、洗脳された戦後、狂わされた日本が今やっと落ち着きが出てきた感じがします。
 江戸時代の末も国際的脅威が常にあった時に国体論が登場します。明治においても同様です。
周りの国々に対する国際的環境の中で、我が国日本を自覚するしかないという事態に際して、聖徳太子のころも周辺の随、唐の脅威が出てきたときに国家を作ろう、
国体というモノを意識しようと考えたようです。
今の様々な戦争の動き、脅威がもう一度日本の国柄を語らなくてはいけない事態に際しています。憲法の問題もその上に乗ってくるのです。

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国体論と戦後日本Ⅹ

2016年04月06日 | 歴史
 日本の原理その物が聖徳太子の十七条憲法が作られた時代にすでにあって、その中にあるさまざまな知恵が、法律ではなく精神論として、
官僚の戒め、明らかな官民一体として、官僚の道徳的戒めに見えるが、実は官僚その物が日本人なんだということです。
これは十七条憲法の登場以前にそれが日本に存在した事を示していると思います。それ以前の古墳時代がそうだったのではないでしょうか。
埴輪を見ていると人形の姿、官僚の帽子が、冠位十二階としてとてもバラエティーがあって、軍服を着た甲を被った人たちが登場します。
ここで国家ができていることが分かります。十七条憲法の時に初めて文字で表された国体の在処ができています。
それ以降の古事記、日本書紀もその意味で書かれています。こうして十七条憲法も日本書紀の中に書かれているのです。

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国体論と戦後日本Ⅸ

2016年04月05日 | 歴史
 日本人が使う国体とは、"state"や" nation"とも違います。
コミンテルンは天皇制と言うことで"monarchy"という語を使っていましたが、外国語では国体を上手く説明する語がないのです。
外国人にとってはおそらく日本の特殊用語と捉えるしかないのではないでしょうか。我々は国体とは国家と一緒に連動し、国家は家であり体とは身体です。
人間の有機的動きという物があって、国の政的な姿が国家で有り、国が動く時、政治や経済、あらゆる物が動いていく中で、その一貫した姿が国体です。
つまり運動体です。
これは江戸時代の後半から水戸学において指摘され、最初に使用したのは山崎闇斎の孫弟子、栗山潜鋒と言う学者だったようです。
しかしすでにその時に国体という語が多くの日本人の身についていました。

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国体論と戦後日本Ⅷ

2016年04月04日 | 歴史
 一方、佐々木教授は憲法学者であるため憲法学の文脈で物を言います。法律的事実で言えば国体は変わったという主張は曲げられません。
和辻さんと佐々木さんの見解の対立はそれぞれの立場に立ってみる限り、70年前の論文ではありますが両者とも誠にもっともです。
よってこの対立は未だに解消していません。

 現在の自主憲法制定の要求運動の立場からすると法律的事実としての国体は占領憲法によってどう見ても変わってしまったと思います。
だから元に戻せと要求しているのです。この場合のポイントは国民主権概念です。
現代の自主憲法制定論者は国民主権概念を解消して国家主権概念に戻せと主張しています。
天皇機関説で説明できるような政体に戻せ、でなければ日本国憲法とは言えないと言う立場なのです。

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国体論と戦後日本Ⅶ

2016年04月03日 | 歴史
「政治の様式から見た国柄は変わったので国体は変わったというが、それは政府の形態の変わりようなので政体なのではないか。
ポツダム宣言受諾による日本国政府の最終的形態はultimate form of japanese gavamentとなっている。つまり政体なのではないか。
政体は変わったが国体は変わっていないのではないか。
佐々木教授の説は占領憲法の規定が政体を帝国憲法ないし王政復古以前の形に戻ったということを指摘しているだけではないか。
だから国体は変わっていないのではないか」。

和辻教授の意見の裏には誠に倫理学の大家らしい祭司王としての天皇の性格、あるいは日本の文化的共同体としての、統一の象徴としての天皇、
こういった概念がはっきり存在しています。そこに着目すれば国体は変わっていないといえるでしょう。
天皇において国民の全体性が表現されているのが和辻倫理説のポイントです。

「この事実は立法によって生じた事実ではない。国家の成立に先立ってすでに存したもので歴史を貫いて常にそれは存在している。
故に動かぬ伝統的権威となっている。この権威は未だ少しも動いておらぬ。だから国体は変わっていない」。

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国体論と戦後日本Ⅵ

2016年04月02日 | 歴史
 その年の11月に京大の佐々木惣一教授が、論文「国体は変更する」(”された”ではなく)をある雑誌に登場させます。
そこで提示されたのは「政治の様式から見た国柄の概念」と、「精神的倫理的観念の面から見た国柄の概念」とに分け、
前者においては「ポツダム宣言受諾によって国体は変わったのか?」と問題を提起しておいて、佐々木教授は「変わったのだ」と答えを出しています。
主権の存在が変わったのだから国体も変わったのだというのです。

 それに対して東大倫理学教授だった和辻哲郎さんが非常に謙虚な問題提起をします。これがいわゆる和辻佐々木論争です。
その論争は誠に紳士的で、和辻教授自身は憲法の専門家ではないので佐々木教授に教えを請うと言う態度で行われましたが、とても重要な問題提起を投げかけています。

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国体論と戦後日本Ⅴ

2016年04月01日 | 歴史
 ところが昭和21年の3月にマッカーサーノートに基づく占領憲法の素案が民間に知れ渡ります。
『憲法にこんな文言が出てくるようでははたして国体は護持されるのか?』という疑問が提示されます。
昭和21年8月に東大憲法学第一講座宮澤俊義教授が「あれは8月15日に革命が起こったと解釈すれば良い」というとんでもない暴論を提起して
この憲法を受け入れることになります。

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