桑原さんに関しては、昭和40年代に入ってから、私自身少々雑誌に物を書くようになってからその非常に浅薄な文明論に
これもまた呆れかえって噛みつくという次第になります。その浅薄さは常に福田さん相手の國語論争にも十分現れています。
その桑原さんの文明論の浅薄さというのは、彼はヨーロッパに視察旅行に行かれたときのことです。それをヨーロッパ研究調査として、留学なんかとは決して言いません。
そして「ヨーロッパはもはや我々の学ぶ対象ではない。民俗学的調査の対象である。近代化は日本の方がよほど進んでいる」というのです。
その証拠として「パリの街中で自動ドアを3つ位しか出会わなかった。東京にはパチンコ屋にまである」からといいます。その浅薄さに噛みついたのです。
福田さんのこの時の論争文は終局、最高潮の部分は、題名はご記憶の方もあるかも知れませんが、『金田一老のかなづかい論を憐れむ』といいます。
そしてこの反論がどうしてこの論争が起こらざるを得なかったかというそのゆえんから一説を設けて、國語改良運動の歴史を委曲を尽くして説いておられます、
これはさながら森鴎外で有名な『仮名遣意見』に似ています。これ自体が仮名遣い論争の歴史、大筋の所の輪郭をよく伝えてくれる名論文になっています。
それによく似た値打ちのある論文であると思います。
☆お知らせ
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
11月の予定:
これもまた呆れかえって噛みつくという次第になります。その浅薄さは常に福田さん相手の國語論争にも十分現れています。
その桑原さんの文明論の浅薄さというのは、彼はヨーロッパに視察旅行に行かれたときのことです。それをヨーロッパ研究調査として、留学なんかとは決して言いません。
そして「ヨーロッパはもはや我々の学ぶ対象ではない。民俗学的調査の対象である。近代化は日本の方がよほど進んでいる」というのです。
その証拠として「パリの街中で自動ドアを3つ位しか出会わなかった。東京にはパチンコ屋にまである」からといいます。その浅薄さに噛みついたのです。
福田さんのこの時の論争文は終局、最高潮の部分は、題名はご記憶の方もあるかも知れませんが、『金田一老のかなづかい論を憐れむ』といいます。
そしてこの反論がどうしてこの論争が起こらざるを得なかったかというそのゆえんから一説を設けて、國語改良運動の歴史を委曲を尽くして説いておられます、
これはさながら森鴎外で有名な『仮名遣意見』に似ています。これ自体が仮名遣い論争の歴史、大筋の所の輪郭をよく伝えてくれる名論文になっています。
それによく似た値打ちのある論文であると思います。
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11月の予定: