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福田恆存と國語問題ⅩⅦ

2013年11月23日 | 歴史
 福田さんが金田一氏へ反論を提示した根本思想は「仮名遣いというものは発音に従うのでは無く、語に従うものだ」ということなのです。
語に従うというのが少々分かりにくいかも知れません。「文章に従う」ということです。語の意味ないし語源に従うということです。
この「文章音に従うべし」という原則について、森鴎外の「仮名遣意見」の中でわかりやすい例をあげて述べられています。
例の「恋すてふ 我名は未き 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか」という句を
「こいすちょう わがなわ…」という風に発音を写してしまうと何を言っているのか分かりません。「こひすてふ」ならば恋をしているというのは伝わります。
そういうことを述べているのです。
語源に従うということは昭和61年6月のこと、日本文化会議で出している「文化会議」という雑誌に、私が「再考、現代仮名遣」という講演報告を載せています。
これは日本協議会の渡辺かげるさんがネットに再掲して下さったのでご存じの方がいるかも知れません。
その中で例えば西洋近代語、さらに英語、フランス語、ドイツ語におけるオルソグラフィーに関して。
あれは要するに語源への記憶を保存する努力の表れとして発達したのだという事を述べたのです。よって現に行われている発音と一致しません。
あるいは同音異義の字の使い分けに多少混乱を生じたり、つまり日本語の仮名遣いと実によく似た、あるいは全く同じ問題を抱えていることになります。
しかし現在、特にドイツ語などはそのオルソグラフィーを守り続けているのです。ところがこれも現在は少々崩れ始めているようです。
一番分かりやすい例は電話、telephone、ドイツ語でph。そこにこの語源が元来ギリシャ語から来ているという記憶を残そうとしたのでしょう。
それが最近ではfを綴るようになってしまいました。
そうすると"tele"は遠方の意味のギリシャ語で、”phone”はギリシャ語に由来する記憶は打ち消されてしまっているのです。
語源への記憶を断ち切ってしまう点において、イタリア語はある意味では先駆者です。
そのことが現代イタリア文学あるいは広くイタリア人の知性という物に何か衰えをもたらしているのではないかと直感的に思うのです。
これを主張するロマンスの学者もいます。当方にはその因果関係を明らかにする力量はないし、他にそういった研究も見当たらないようですけど。


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