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福田恆存と國語問題ⅩⅣ

2013年11月20日 | 歴史
國語として、「書く」にしても文字使い仮名使いの正確さとか美しさに気を遣う余裕がありません。もちろんあればその方が良いでしょう。
余裕がなくてもそれを特に非難する事はできないでしょう。人文系社会系、おしなべて文化系の学問の場合において、
その学問の価値、その価値が人間に対して持つ意味、説得力という物を保証するのは言葉です。
言語表現としてどれほどの力を持つか否かが学問としてのその作業の成果の意味を決定するのです。その場合説得力を持った言語の構築、これがすなわち目的となります。
福田さんの論争文の脈略から離れて申し上げてみましたが、國語はその国の文化そのものであります。
言語を道具とのみみなすならば、人は一体それを以て何をするのでしょう。その道具を以て何をするというのだろう。
まさか商売の道具としてお金が儲かりさえすればよいというわけでもないでしょう。
『存在論』、哲学分野の哲学者が良く言う言葉です。この中に「人間は言葉の中に住む。人間の存在を存在たらしめるのは言葉である」と言う命題があります。
これは決して観念の遊びではなく、言われてみればその通りです。人は言葉を家としてそこに住んでいるのです。
言葉が荒れているというのは荒れて汚れた家に住んでいるような物で、
正確な言葉を尊ぶということは、正確な寸法を採って建築された軋まない、すきま風の入らない堅固な家に住んでいると同じです。
人間の生活の気分的安定の基礎になります。というより人間の知的生活はすなわち言語生活です。
言葉を操るという事がすなわち知的精神的に生きているということなのです。

☆お知らせ
営業日の午後12時~午後4時は、手術、治療業務のため留守番電話にしている場合があります。
11月の予定:


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