別海町には植民鉄道が走っていた。初期は馬鉄でありガソリンカーは昭和4年からです。
沿線住民の足だけではなく、生産物資の輸送に大きく貢献、入植者の営農向上に寄与した。鉄道の従業員は事務員12名、車掌3名、運転士3名、検車手3名、保線助手4名であり、運転士は70円の給料をもらっていた。運輸収入は一日平均(旅客・貨物)50円であった。ただ閉塞方式など運転関係は記載されていない。
昭和49年まで地域住民の足として利用された。(別海町百年史より)
写真は廃線後、レールで梁等が作られた根室地方家畜商業協同組合の牛舎です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/60/2c9a30097ab1f1fbea8172f779145503.jpg)
拡大するとよくわかる。2本のレールが溶接されしっかりと支えている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f1/c1e99473e431f1d30da4ddaa9686dc1c.jpg)
往時の繁栄を偲ぶに十分な構造物である。ほかにも学校のバックネット、自転車置き場などに使用されていると言うが、確認していません。大切に保存していきたいものです。
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沿線住民の足だけではなく、生産物資の輸送に大きく貢献、入植者の営農向上に寄与した。鉄道の従業員は事務員12名、車掌3名、運転士3名、検車手3名、保線助手4名であり、運転士は70円の給料をもらっていた。運輸収入は一日平均(旅客・貨物)50円であった。ただ閉塞方式など運転関係は記載されていない。
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写真は廃線後、レールで梁等が作られた根室地方家畜商業協同組合の牛舎です。
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往時の繁栄を偲ぶに十分な構造物である。ほかにも学校のバックネット、自転車置き場などに使用されていると言うが、確認していません。大切に保存していきたいものです。
![](http://outdoor.blogmura.com/hunting/img/hunting88_31.gif)
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