サパトネカール氏は試験に合格し、アッカルコットに定住して弁護人として開業した。この10年後の1913年、彼は喉の病で一人息子を亡くした。この出来事に彼はひどく悲しんだ。彼は救いを求めてパンダルプールやガンガプールなど聖地を巡礼して回った。だが彼は心の平安を得ることができなかった。
そこで彼はヴェーダンタを読んだが、これも助けにはならなかった。しばらくして、彼はシェヴァデ氏がババを信頼しているという言葉を思い出し、自分もシルディに行ってババに会うべきだと思った。彼は弟のパンディトラオと一緒にシルディに行き、遠くからババを見て非常に喜んだ。彼がババの近くへ行ってひれ伏し、信仰の心を込めてババの前にココナツを置くと、ババはすぐに叫んだ。
「出て行け!」サパトネカールは頭を下げたまま後ろに下がり、脇に座った。彼はどうすればよいのか助言をくれる人に相談をしたいと思った。誰かがバラ・シンピの名前を挙げた。サプトネカールは彼に会って助けを求めた。彼らはババの写真を買い、それを持ってマスジッドへ行った。バラ・シンピはババの写真を手に持って、それをババに渡して、これは誰の写真かと尋ねた。
ババは、サパトネカールを指差しながら、これは彼の愛しい人だと言った。こう言うとババは笑って、他の人々も笑った。バラはなぜ笑ったのかをババに尋ね、サパトネカールに前に出てきてダルシャンを受けるように手招きした。サパトネカールがひれ伏し始めると、ババは再び「出て行け!」と叫んだ。サパトネカールはどうしてよいか分からなかった。そこで彼らは手を繋ぎ祈りながらババの前に座った。
結局ババはサパトネカールにすぐに出て行くように命令した。二人共悲しくなって落胆した。ババの命令には従わなくてはならなかったので、サパトネカールは重い心でシルディを去り、次はダルシャンを受けることを許されますようにと祈った。