癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO1356・恐怖心の終わり6

2024-05-17 | カレシュワーラ、スワミ

 私がいちばん最初にババに会うはずでした。しかしババは私を辛抱強く待たせ、ほかの人々全員と話しました。もう陽が傾き、夕方になりました。私はまだドアの前で待っていました。人々は皆帰り、ババはとてもリラックスしていました。

 

 そしてババはドワルカマイで横になり、誰かに「ほかにまだ誰かいるのか?」と聞きました。「朝からずっと何も食べず、水も飲まずにあなたのことを待っている少年がいます。ハンガーストライキをしているのでしょう」

 

 「ああ、あの少年か。気が狂った少年だ。あの子とは話したくない。三日間の罰を与えている」私は外から叫びました。「おなかが空いて死にそうです。いったい私がどんな過ちを犯したというのですか?私は朝からずっとこのドアの前で待っていました。このドアの前であなたのダルシャンを待っている間に、何か過ちを犯したのですか?

 

 とても残酷な人ですね。慈悲のかけらもない。私には食べ物のひとかけらも下さらない。ほかの人にはプラサード(神や聖者に祝福された食べ物や贈り物)をあげているのに」するとババが怒鳴り始めました。「何を言うか! おまえは私にどんな素晴らしい事をしてくれたのだ。何を持ってきたのだ?」

 

 「ババ私は無一文です。何も持っていません。いったい何を差し上げれば良いと言うのですか? 私には愛しか差し上げる、ものがありません」「お前の愛など、どうでもいい。宇宙全てが私を愛していると言うのに」

 今日は、金曜日ですから田中さんと二人で本殿の入り口の中の片付けです。ついでにスッキリさせる計画です。ので、この現場(小屋に小屋をつぎ足し)の続きは土日に行う事になるでしょう。

 工事現場の左手にある荷物を、今行っている所が終わったら移動させます。この荷物は姉親子が置いて帰った物で、必要な物は使い、いらない物は焼却予定です。両親が高齢になり介護が必要になった時、親子一家で宮崎県から引っ越してくれて、親の介護をして頂い時に使って頂いていた小屋の一つです。孫も来ていたので、多分孫の荷物でしょう。小学校の時に引っ越して来た孫も昨年結婚しましたので、姉は本当に親の面倒を見てくれたと感謝しています。旦那の意見より両親を選んだ姉の事を神はどう思うのでしょうか? 一姫二太郎(いちひめにたろう)という言葉がありますが、この正確な意味は、一人の娘と二人の男ではなく、一番最初の子供は女の子が良く、後の二人は男が理想という意味です。何と素晴らしい事を昔の人は言っていたのでしょう。真の介護は男では無理だと言う事は、身をもって知りました。男二人が資金援助(当時も貧乏でインドに行ったり来たりで、充分な援助は出来なかった)をして、姉を助ける。まったくもって理想です。姉がいなかったらスワミのサポートは出来なかったでしょう。出来るようにババが姉に仕向けたのか? 普通は出来ない事が現実に起こったのですから、不思議です。その世話になった思い出の小屋を工房に改装中です。数えて見たら小屋が10戸くらいあるんですね。それらは20年以上経っていますので、次から次にメンテが必要です。使ってない小屋は何れ解体でしょう。ってことで、株はお休み中で趣味程度に一日何千円かですがゲットしています。


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